千代里
2024-07-26 08:21:45
13236文字
Public リーブラ13話
 

リーブラの針は問う・13話・その31


 ノエが階段を上ってから一時間ほどして、今度は階段を降りる音がサルヒの角に響いた。一つしか聞こえてこなかった足音から予想していた通り、そこに姿を見せたのはノエだけだった。
 それだけで、サルヒは彼がルーシャンを説得しきれなかったのだと察した。
「サルヒさん。ルーシャンさんのことなんですが」
「駄目だったの?」
 間髪入れない端的な問いかけに、ノエは困ったような笑顔を浮かべながらも、最終的には首を縦に振った。
「ですが、アドバイスもしてもらいました。ルーシャンさんが断った理由も、僕には納得できるものです。なので、彼がどうしてついてこないのか、とは思っていません」
…………
「元々が、断るのが当然の申し出なんです。話を聞いて、考えてくれただけでも僕には十分です」
 攫われた人々を助けるために旅立つ若者に、助言はしても手を貸さない。それだけを見ると、臆病風に吹かれたと笑いたくもなるだろう。
 だが、現実に命を懸けるとなれば、危地に赴かないという決断は臆病風でもなんでもない。それは生き延びるために必要な策略であり、その強かさを持ち備えた者ほど、この世界では長く生き延びられる。
 誰だって、命は惜しい。だから、これはある意味当然の帰結だった。
「それに、ルーシャンさんはイシュガルドでやることがあると話していました。彼の願いを、僕のために台無しにしてくれとは言えません」
 もし、ノエのせいでルーシャンが願いを叶えられないなどということがあったら、事が首尾よく行ったとしてもノエには拭いきれない罪悪感が生じる。
 それくらいなら、無理に同行しろと迫るよりは、ここで待っていてくれと頼む方がノエにとっては良いと思えた。
「旦那様が、そう言っていたの? 自分のやりたいことがあるから手伝えないって」
「はっきりと言ったわけではありませんが、理由の一つではあるようでした」
 口では何だかんだ言いながらも、いつもルーシャンはノエの決断を助けてくれた。その彼が首を横に振ったのだ。それだけ大事なことなのだろうと、ノエも少しは理解しているつもりだ。
「ですから、サルヒさんもルーシャンさんとここで待っていてもらえますか。細かいことは、既に彼に伝えていますから」
 ノエはそう言うと、自分も買い物に行くと言い残して、その場を後にした。
 残されたサルヒは、無言のまま階段へと視線をやる。
 まるで、天井を通してその上にいる男の姿を見つめているかのように。
 
 ***
 
 サルヒと話し終わった後、ノエは商業区へと足を向けた。彼もまた、破損した武具を買い直す必要があったからだ。
 商業区の中でも、先だっての襲撃からなんとか立ち直り始めた店は、早くも商売を再開している。だが、それとて殆どは食べ物や雑貨を買い求める人たちに向けてのものであり、武具を取り扱う店に差し掛かると、客の数はぐっと減る。まだ、個人的に武装を整えようと思うような心の余裕が人々の中に戻ってきていないのだろう。
 おかげで、事前にリンクパールでヤルマルと連絡を取っておけば、三人と合流するのはさほど難しくもなかった。
「やあ、ノエ。その様子だと……どうやら、説得は駄目だったみたいだね」
 店先で待ってくれていたヤルマルは、こちらに向けて手を挙げるノエの表情を見て、大体の経緯を察してくれた。対照的に、オデットは気遣わしげな視線を彼に向けている。
「ルーシャンさんに、断られてしまったんですか」
「結果的にはそうなったということになるけれど、彼を責めようとは考えてませんよ。命を懸けてくれと言われて、すんなり受け入れられる方が難しいんですから」
「そして、ボクはその特例というわけさ。ノエの依頼を百人の冒険者に投げかけたら、九十九人はルーシャンと同じ意見だろう。彼だけが冷たい、というわけじゃない」
 悲しげに眉を下げるオデットの頭を、ヤルマルはポンと軽く叩いてやる。
 ヤルマルは、これまでの豊富な経験の中で今まで何人もの冒険者に出会っていた。
 しかし、オデットにとっては違う、彼女にとって冒険者とは、そのまま、これまで交流してきたヤルマルたちを指すものとなる。
 そして、厄介な事件に巻き込まれたり危機が迫ってきた時、ルーシャンは頼れる仲間として常にオデットたちのそばにいた。
 だからこそ、無条件で自分たちのそばに居てくれると思ってしまっている部分もあった。
 だが、そうではなかった。
 今までは、たまたまルーシャンが許容できる範囲の依頼だけが来ていた、というだけのことだ。
……勝手なことを言ってるのは、承知してます。でも、わたし……どこかで、ルーシャンさんが頷いてくれるものだと思っていました」
「あんたがそう思うのも、無理はない。オレも、どこかで楽観視していたところはあった」
 オデットの呟きに賛同したのは、オランローだった。自分もヤルマルの楽天的な考え方がうつっただろうか、と彼は自分の額に手を当てる。
「ルーシャンさんには、ルーシャンさんの考えがあります。それを僕のために捻じ曲げてくれとは言えません。その代わり、彼には、街で待っていてもらうように頼みました」
 話した内容のいくつかを掻い摘んで伝えながら、ノエは店へと入る。ずらりと並んでいる剣や槍へと視線をやり、彼は並んでいる武器を吟味し始めた。
 グリダニアでは木を加工した武具が多かったが、こちらは竜のような硬い鱗を持った魔物が多いのか、金属を加工した商品が多い。
 騎兵が用いるような重厚感のある盾や剣、なかには騎兵の予備装備として鎖帷子に覆われた甲冑まで商品として取り扱われていた。
 しかし、ノエはそのような破壊力の大きい武具や、防御性能を重視した防具ではなく、使い慣れた品を選ぶことにした。
 何せ、行き先は未知の領域だ。そうなると重視すべきは単純な性能よりも、自分が取り回しやすいか、という部分だ。
 その教えは、かつてウヴィルトータとともに傭兵として暮らしていた頃に身につけたものである。
 幸いなことに、ノエがこの街に到着したときに身につけていた防具とほぼ同型のものが、ここでも取り扱いがあった。竜のブレスすらも耐えてみせるという売り文句のコートは、実際今回の襲撃でも大いに役に立ってくれた。
 店主に頼んで、新品の防具を試着させてもらっていると、
「ところで、ノエ。君に聞いておこうと思っていたのだけれど」
 姿見の前で丈を調整していたノエに、ヤルマルがすすす、と近づく。
「はい、何でしょうか」
「君の目的のためには、街に襲ってきた飛竜を追跡しなければならない。その彼らの行き先は、分かっているのかい」
「それは……まだ分かっていません。ですが、飛竜の迎撃をしていた騎兵たちに聞けば、飛竜が飛んでいった方角ぐらいなら分かるでしょう」
 やや行き当たりばったりの感が拭えないが、所詮は一介の旅人に過ぎないノエにできるのは、地道な聞き込みぐらいだ。
 街の騎兵に聞き込みができたら、今度はチョコボを使ってその方角に向かって走ってみる。そして、その方角に進んだ先に村落があれば、また聞き込みをする。そうやって何度も聞き込みを繰り返し、目的地に向かうつもりだと、ノエは説明した。
「時間はかかるが、妥当な方法だな」
 ノエが語ってみせた作戦に、オランローも同意の首肯を返す。
「ルーシャンの予測が正しいなら、多少時間がかかっても攫われた連中は生き残っている可能性が高い。無為に慌てて、見当違いの方向に行くぐらいなら慎重を期すべきだ」
「だけど、苦しい状況に長い間晒されているほど、攫われた人は助けはもう来ないと、絶望してしまうかもしれない。だから、あまり悠長にしているつもりはないよ」
 オランローは救出に行く側である自分たちも気遣った発言をしたが、ノエはゆっくりしていられない理由も添える。
 たとえ命があったところで、心が異端者になってしまっては意味がない。あるいは、異端者の参謀とやらが、人々を連れてどこかに行ってしまう可能性もある。
……あんたたち、この前の襲撃で攫われた人を探しに行くつもりなのか?」
 話を聞いていたのだろう。ノエの採寸をしていたエレゼン族の老店主が嗄れた声でノエへと問う。無理に隠す必要もあるまいと、ノエは素直に頷いてみせた。
「領主様は、明日には孫の……攫われた者の葬儀を執り行うと言っていたが……。領主様が、あの子たちを探すようにあんた達に頼んだのか?」
 今まで店員として事務的にノエに応対していた老爺の瞳に、わずかに希望の光が宿る。それは、昨日グレンが自分に向けたものと同じだと、ノエにはすぐに分かった。
「いえ、領主様に頼まれたわけではありません。僕たちが自主的に助けに行くんです」
「なぜ、そのような危険なことを……。まさか、あんたたちも知り合いを攫われたのか?」
 老爺の質問に、ノエは首を横に振る。ますます疑問の色を濃くする老爺に対して、ノエはごく自然な様子で笑みを浮かべ、
「それが、僕がやるべきことだと思ったから。ただ、それだけです」
 かつてなら、それが『正義』としてあるべき姿だから、と答えたかもしれない。
 しかし、今のノエはこれが『正しい』とは言わない。
 助けに行かない選択肢も、助けに行く選択肢も、どちらも等しく価値のあるものだ。
 そして、ノエは『助けに行く』選択をした。そこに領主の意思や、世間の賞賛といった要素は含まれない。
 呆気に取られた様子の老爺は、不思議なものを見るかのようにノエをじっと見つめている。
 彼はノエだけでなく、ヤルマルたちやオデット、オランローも順々に視線を送る。彼ら彼女らの瞳にも、ノエと同じ光が宿っていると知り、老爺は一度目を瞑った。
 数秒の思考の末、
……それなら、一つ頼んでもよいだろうか」
「はい。何でしょうか」
 重々しく口を開いて、老爺は言う。
「私の孫娘が、あの襲撃のときに攫われてしまったんだ。あの子を見つけたなら、どうか連れ帰ってもらえないだろうか」
 彼の依頼は、至極単純なものだった。グレンが、ノエに託した願いと全く同じ――自分の大事な人を竜から取り返したい。遺された者として当然の気持ちが、そこにはあった。
「孫娘は、先日、二十歳を迎えたばかりなんだ。気立のいい、優しくて元気な子だった。いつも店の手伝いをしてくれた、自慢の孫なんだ。母を早くに亡くして、私と息子と一緒に手しおにかけて育ててきた大事な娘なんだよ。竜に攫われる理由など……どこにもなかっただろうに」
 老爺の口から漏れた言葉には、単なる落胆以外にも、やるせない現実への恨みが詰まっていた。
 領主にいわれた通りに葬儀の準備をして、無事に形だけの葬式を終えたとしても、彼が孫娘の喪失をすんなりと受け入れられていないことは明らかだ。
 もし、孫娘が戻って来なかったとしたら、彼は助けにいけなかった自分を恨み、助けに行かなかった領主を恨むだろう。
 そうして芽生えた憎悪は、死ぬまで老爺の心に根付いてしまうに違いない。
 老爺のように恨みと嘆きを抱えた人は、この街には攫われた人の分だけ存在する。今でこそ救出を諦めた様子のグレンだって、時が経てば目の前の老爺のように憎悪の念を口にするかもしれない。
……分かりました。もとより、僕は助けられる人がいるなら全員助けるつもりです」
「そうか……。ありがとう、旅の人よ。どうか、あの子を頼む」
 老爺は深々と頭を下げると、孫娘を助けに行ってくれる人に武具や防具の代金をもらうわけにはいかないと主張した。
 流石にそれは気が引けたものの、ノエたちが何を言おうと老爺は頑として譲らず、それどころか店に保管していた保存食や治癒用の錬金薬もいくつか分けてくれた。
「私らは、街に残っている。だから、商人が街に訪れることもあれば、店に行ってまた買い直すことができる。だが、竜を追いかけるあんたたちは、そうもいかないだろう」
 そうまで言い切られると、受け取りを拒否する方が失礼に思えて、ノエたちは何度かの押し問答の末に分けられた品々を受け入れることにした。もっとも、流石に全てただというわけにはいかず、
「ただにしてもらった分は、依頼の前払いとさせてください。もし孫娘さんが帰ってきたなら、今渡した分を返してもらう。それでいいでしょうか」
 そう言って、代金の半分を押し付けておくのは忘れていなかった。
 実際、孫娘が無事であるかどうかも定かではないのが現状だ。もし、孫娘が亡くなっていたときに、金銭的な遺恨まで抱えていたら、お互い良い気持ちにはなれない。先んじて防衛線を引いておくのは、依頼を引き受ける側としての責務でもあった。
 そうして金銭のやり取りを終え、防具や武具の手入れ道具を包んでもらっている途中、老爺は一度手を止めて、
「あんたたち、飛竜を追いかけるために騎兵たちに話を聞きに行くと、先ほど言っていたな」
「はい。それ以外に手立てがないでしょうから」
「確かに、普通に考えればそうだが……もしできるなら、領主様から話を聞けないか、交渉してみたらどうだろうか」
「領主様から?」
 ヤルマルが怪訝そうに眉を寄せるのに対して、オランローは何か気がついたように瞳を見開く。
「そうか。領主なら、騎兵が持っている情報の全てを一手に握っている。そういうことだな」
 不思議そうに首を傾げているオデットやノエに向けて、オランローは改めて向き直り、
「ノエの話を聞いている限り、このような緊急事態において、領主は全軍の指揮権を持っているようだった。本人が前線に立つことはなくても、全軍を指揮する者の元には情報が集まってくる。騎兵が持っている情報なら、領主は全てを把握しているはずだ」
 オランローの考えは、かつて彼が軍に属していた者ならではのものだった。
 彼自身は一兵卒に過ぎなかったが、幼い頃、オランローは小隊長として部隊を預かっていた男のそばにいた。その時、彼は部隊の指揮をする小隊長の元に、次々と情報が集まる様子をしっかりと目にしていた。
「騎兵の方に一人一人聞きに行くよりは、領主様に一度聞きに行った方が、早く確実に情報を得られる。そういうことですか」
 オデットの要約に、オランローは深々と頷く。
 老爺に改めて視線を向けると、彼も同意の首肯を返した。
「私の息子は、街を守る騎兵の一人でな。領主様は、あの襲撃の日から街に配属された騎兵からの情報だけでなく、領地内の砦の報告も、どれだけ小さなものであったとしても漏らさずに確認している、と聞いている」
 老爺は情報源を示した理由を説明する。しかし、そこで彼の表情は一度曇った。
「とはいえ、領主様は見ての通りご多忙の身だ。明日の合同葬儀のために人の手配を進めつつ、街の補修資材の搬入、食材の流通、武具の再調達、皇都への報告と、寝る間も惜しんで各種の手続きを済ませていると聞いている」
「たしかに、そんな状況なら、普通はボクらのお願いを聞いてもらうなんて難しいだろうね」
 食事や睡眠すらまともに取れているか怪しい状況だというのに、見知らぬ旅人がのこのことやってきて、飛竜が飛んでいった方角を教えてほしいなどと言ってきたなら、本来なら間違いなく門前払いだ。
 老爺も、駄目で元々という考えで、意見を出してくれたのだろう。
 しかし、その『駄目で元々』を覆す切り札を、ノエはすでに持っている。
 ただ、その切り札を使うのは、個人的に胸に根ざす嫌厭の感情と折り合いをつけなければいけない。
 だが、ことここに至って、ノエの中に『迷って時間をいたずらに過ごす』という選択肢はなかった。
「僕が交渉してみます。目的を知れば、きっと領主様も話を聞いてくれるでしょう」
 老爺の手前、自分の立場を口にすることこそなかったものの、ノエはきっぱりと宣言する。
 あれほど忌避していた父との関係を、今この時、自分の目的のために使うと。
 
 ***
 
 ノエたちが旅支度を進めているその頃、サルヒは食堂の椅子からゆっくりと立ち上がり、二階に続く階段へと足をかけていた。
 宿泊施設として使用されているこの建物には、サルヒたち以外の旅人も複数滞在している。しかし、先日から続く二度の襲撃を受けて、荷物をまとめて立ち去ったものも少なくなかった。
 結果、妙に静けさだけが強調された空間が、サルヒを出迎えていた。
 まだ午前中だというのに、窓から差し込む日は薄い。太陽を雲が隠してしまったのだろう。
 どこか薄暗い空気を漂わせた階段を上り、サルヒはとある部屋の前に立ち止まる。そこは、サルヒが泊まっている部屋――ではない。
 コンコンコン、と軽いノック音。続けて、部屋の中で誰かが動く気配。
 さほど待たずに、ギイと軋みを上げて扉が開く。
 中から出てきた男は、自分よりも頭一つ分は小さい女性の姿を見て、
……サルヒ」
 声を発したのは、中にいた男――ルーシャンだ。サルヒにとっては、『旦那様』と呼ぶ唯一の相手でもある。
「何の用だ? 他の連中はどうしたんだ」
「今は、買い出しに行ってます。それよりも、ノエから話を聞きました。旦那様が、ノエの依頼を断ったと」
 単刀直入に、部屋を訪れた理由をサルヒは切り出す。
 殊更に非難するような物言いではなかったが、ルーシャンの目には、明らかに気まずそうな空気がよぎっていた。
「ああ、俺はあいつの誘いを断った。どう考えても割に合わない。そう思ったからだ」
 ノエにも聞かせた理由を告げても、サルヒはノエのように受け入れるでもなければ、頭ごなしに否定もしなかった。ただ、静かな眼差しでルーシャンをじっと見つめ、彼が口にした言葉の奥底まで覗き込むような視線を向け続けていた。
「旦那様」
「ん?」
「部屋に入ってもよろしいでしょうか。少し、話がしたいと思ったんです」
 ルーシャンたちがいる部屋は、宿泊時に『男性の部屋』として割り振った所だ。流石に付き合いが長いと言っても勝手に踏み入るわけにはいかないと、サルヒは一応の許可を取る。
「ああ、好きにするといい。だけど、何を話そうっていうんだ。言っておくが、俺はもうノエに『同行しない』と言ってある。その意見を変えるつもりはない」
 扉を開き、サルヒを中に招き入れながらも、ルーシャンは先だって自分が口にした言葉と同じ内容を繰り返す。
 部屋へと足を踏み入れたサルヒは、入り口の近くに置かれていた、物書き用の小机に据え付けられていた椅子へと座った。仲間とはいえ、他人が眠るのに使う寝台に腰を下ろすほど、サルヒも図々しくはない。
 腰を下ろしながらも、サルヒも思案する。
 何か話さなければならない。その感情に突き動かされるまま、サルヒはルーシャンの元へと足を運んだ。けれども、具体的にどんなことを話そうという案がサルヒの中にあるわけではなかった。
「先ほども言っていましたが、ノエの誘いを断ったのは、割に合わないからだけですか」
「十分な理由だろ。飛竜を追いかけて、奴らが拉致した人たちを助ける。お題目はいいが、その過程にどれほどの危険がある?」
「竜に出くわす可能性。見知らぬ魔物に襲われる危険……それらについては、旦那様のおっしゃる通りかと存じます」
「その通り。そういう不測の事態に対応できると確信を持つには、相応の保証が必要だ。いくらヤルマルやノエたちがそれなりに経験を積んだ冒険者だっていっても、竜と対峙して生き延びられる保証とするには弱すぎる」
 せめて、竜を討ち取った経験のある騎兵によって構成された救援部隊でもあれば、話は別だった。そこに協力するという姿勢をノエが見せて、そのお供としてついていくというのなら、ルーシャンとしても『勝ち目がある』と判断できた。
 しかし、そのような協力は今回はない。彼らが十分に用意できたと言えるのは、『志』だけだ。
「たしかに、街の連中を見捨てるのは気持ちのいいことじゃない。俺だってそう思う気持ちはある。だが、気持ちだけで頷けるようなことじゃない」
 サルヒとて、半分はルーシャンの気持ちを理解していた。
 もし、このような無謀を言い出したのがノエでなかったら、サルヒとて首を縦に振らなかっただろう。あるいは、単に功績を上げるために人々を助けに行きたいと言い出していたのなら、必ず同行を却下したはずだ。
 だが、依頼したのはノエであり、彼の望みは功績などという自身の利益に関わるものでもなければ、報酬のような目に見える形があるものですらなかった。
 だからこそ、サルヒは自分の力を貸してもいいと思えた。命を喜んで差し出すとまではいかずとも、彼の考えを望ましいと思えたから、無謀に向かう青年の手を取れた。
「旦那様は気持ちだけで何もかもに頷くわけはない、と言いました。ですが、私はその逆です」
 サルヒは胸に手を当て、己の肌の下に今も鼓動する心に目を向ける。
「私は、ノエの気持ちを聞いて、彼の申し出に頷きたいと思ったんです」
 サルヒの胸の内に宿っている熱い感情。幼い頃は当たり前のようにあった、正義心とも言える真っ直ぐな気持ち。それは、時を経てノエほど真っ直ぐではなくなってしまった。
(だけど、完全に失いたいと思ってもいなかった。その気持ちを思い出させてくれた人は――ノエじゃない)
 サルヒの中にある熱を思い出させてくれた人のことを、こうして話しているうちに、サルヒははっきりと思い出せた。
「どうして、私がノエの気持ちに同意したいと思ったか、旦那様は分かりますか」
……ノエの考えは、道徳に則った真っ当なものだから、だろ。誰かを助けたいと望み、その意思を肯定する。それ自体は、俺も間違っているものと思っちゃ――
「違います」
 ルーシャンが言葉を並べたてようとしたのに対して、サルヒは一言で彼の理屈を断ち切った。
「私は、かつて、とても無謀な夢を口にした方を知っています。その方は、イシュガルドの人が誰よりも望み、だけど誰もが叶えられないままでいた夢を、笑顔で私に語ってくれました」
 話しながら、サルヒもなぜ自分がここに訪れたかについても自覚する。
 最初は、ただルーシャンがどうしてノエの申し出を断ったのか、理由を知りたいだけなのだろうと思っていた。
 だが――そうではなかった。
「その方は、いつか邪竜をも滅ぼす魔法を見つけ出したいと言いました。自分では叶わなかったとしても、いつか己の願いを叶えてくれる英雄のための礎になりたいと語りました」
 もし、サルヒが今のルーシャンの選択を肯定してしまったら。
 それは、ルーシャン自身の選択を受け入れる、という表面的な部分だけに留まらないと、直感で悟ってしまったから。
「叶うかもわからない夢を抱いて、叶わないかもしれないと分かっていながらも、その夢を抱いて一心に生き続ける姿を、とても格好いいだろう、と話してくれました」
 まだイシュガルドに寒冷化の波が押し寄せる前のことだった。
 湖に沈む日差しの輝きを受けながら、一人の若者が語った途方もない夢。
 それは、今もサルヒのまぶたに焼きついて離れない。
「私は、そんな夢を抱きながらも、絶望に負けずに希望を口にする彼を――あなたを、美しいと思ったのです」
 共にいたいと強く願うきっかけになった、あの瞬間。
 サルヒへと笑いかけた、青年の笑顔の眩しさ。
 宝物のように胸の底で抱きしめていた思い出を、十五年以上の時を経て、目の前の男が汚そうとしている。
 目の前の――かつてサルヒに夢を語った青年自身が。
…………
「その夢は、誰のためのものでしたか」
 サルヒは拳を軽く握り、目の前の男を見据える。
「ルーシャン、あなたは誰のために夢を叶えたいと言っていたの」
 従者としての口調をかなぐり捨て、ルーシャンという男に正面から女は向き合う。
…………親父と、死んだ俺の本当の両親に報いられるように」
 掠れた小さな声が、あの日の青年が口にした言葉を正確に辿る。
 当時の記憶を完全に忘れてしまったわけではないと知って、サルヒは内心安堵で胸を撫で下ろした。
「大旦那さま……エヴラール卿は、ルーシャンとは血が繋がっていない。でも、自分の魂をルーシャンに託した。あなたは、そう言いました。私も、あの日強くそう感じました」
 その瞬間、確かにルーシャンの瞳が見開かれた。その意味を知るより早く、サルヒは畳み掛ける。
「その託された魂には、どんな願いが込められていたの。竜に苦しめられる人を助けてほしいという願いも、そこにはあったのではなかったの」
 今度こそはっきりと、ルーシャンはサルヒから目を逸らした。
 視線は下に落ち、小柄なサルヒにはルーシャンの顔は全く見えなくなってしまう。彼の顔に浮かぶ感情は、果たしてどんなものなのか。知る術を失ったまま、サルヒはそれでも言葉を止めない。
「私は、家族の仇が誰かを知ったあの日から、ルーシャンが何かを探しているように見えた。だから、あなたが何を探しているのかと尋ねた。そして、あなたは、『夢』だと答えてくれた」
 そのやりとりは、まだ二人がグリダニアにいた時にあったものだ。
 イシュガルドから引っ越してきたディアヌ母子の一件がひとまずの終幕を迎え、一息入れた時のこと。サルヒは、ルーシャンの様子を見て、彼は単に養父家族の仇を討つ以外の何かを探しているのではないかと尋ねた。
 そして、ルーシャンの答えは先に彼女が言った通りだ。
「だったら、あなたが今も探している『夢』とやらのために、あなたはノエの依頼を断ったの」
…………
 ルーシャンは答えない。だが、その沈黙は限りなく肯定の意味であると踏まえて、サルヒはさらに問いかける。
「あなたが八年前から探している『夢』は、あの日、湖のほとりで私に聞かせてくれた夢よりも、素晴らしいと言えるもの?」
……さあな。素晴らしいとも言えるし、大したものでもないと言える」
 ルーシャンの煙に巻くような言い回しに、サルヒはぎゅっと唇を引き結ぶ。
 彼女はゆっくりと首を横に振ると、
「じゃあ、質問を変える」
 瞼の向こう、焼きついたままのあの日の青年の笑顔を胸に宿し、
 
「今のあなたの夢は、あの日の夢よりも美しいもの?」
 
………………
 やはりと言うべきか、言葉はなかった。
 代わりに、小さな息遣いがサルヒの角に響く。かろうじて呼吸だけをしているような、細い息遣いが。
……返事はなくてもいい。でも、もしルーシャンが今の夢を叶えて、あの時のように笑えないのなら」
 一拍、挟んで彼女は言う。
「私は、その夢は美しくないと思う」
 少なくとも、あの時よりは。
 そう言い残して、彼女はその場を去っていった。
 *
 扉を閉める音を最後に、部屋に静寂が戻る。一人残された男は、床の木目を意味もなく見つめ続けていた。
 いや、そもそも彼は床すらまともに見えていなかった。ルーシャンの目は、何かを見るという機能を放棄していた。
 代わりに、彼の頭は先ほどのサルヒの言葉が幾度も繰り返されていた。
 養父から受け継いだ魂。そこに宿る願い。
 忘れたわけではない。けれども、思い出したくはない瞬間だ。
 無邪気に明日を信じられた、あの日のことは。
「忘れたわけじゃない。ちゃんと覚えてるさ。今だって、あの頃の気持ちが変わったわけじゃない……はずだ」
 言葉尻が揺れたのは、自分でも確証が持てなかったからだ。己の信念はあの頃と全く変わってないとは、今のルーシャンは断言できなかった。
 けれども、一方で拭いきれない疑問もある。
……だったら、どうしてなんだよ」
 自分でも意味がないと思う問いかけを口にする。
 口にしたところで、当然ながら返事はない。答えるべき人は、すでに亡くして久しい。
 やおら顔をあげてみるも、現実そのものを拒絶するように、ルーシャンの手が彼自身の顔を覆う。己の掌の内側、瞼を強く瞑り、暗闇に逃げ込もうとする。
 けれども、自分が作り出した暗がりの向こうには、忘れようのない養父の面影がルーシャンをじっと見つめていた。
「ああ、わかってる。邪竜を堕とすなんて夢を俺に語ってくれた理由が何だったのかってことは、俺だってちゃんと分かってるつもりだ……!」
 邪竜が消えれば。
 イシュガルドから、ドラゴン族が一掃されれば。
 きっと、多くの人たちが助かる。
 ルーシャンがサルヒに語ったように、彼の両親も貧困の末に命を落とすようなこともなかったかもしれない。
 この国を、少しでもよくしたい。その気持ちは、確かにあった。
 本心から自然にそう思ったわけではなくとも、養父の背中を見て、どのような生き方が望ましいかは理解してきた。養父が示した道を辿り、彼に報いる者でありたいと願っていた。
 ――そのつもりだった。
「でも、それなら、どうしてあんたは――っ!!」
 再度の疑問。それは、問いかけというより追い詰められた獣の叫び声に似ていた。
 そして、返答はやはりない。
 八年前から繰り返し続けていた問いへの回答は、予想通り沈黙だった。
 それが分かっていても、彼は口の中で何度も問いを繰り返す。答えが来ないと分かっている問いを、何度も。
 ――やがて、ルーシャンは長いため息を挟んでから、ゆるゆるとかぶりを振る。
「飛竜の跡を追うなんて馬鹿げてる。ノエだって他の連中だって、命を落とすかもしれない。そうだろ」 
 かもしれない、と言いながらも、ルーシャンは十中八九彼らは落命するだろうと踏んでいた。
 飛竜一体なら何とかなるかもしれない。二体でもどうにかできるかもしれない。
 しかし、それがさらに数を増したら。あるいは騎兵が何人もいなければ倒せないような強力な竜が出てきてしまったら。
 だったら、最初からそのような危険に近づかなければ良い。賢く振る舞うとは、そういうことだ。
 そう言い切りたかったのに、先ほどのサルヒの言葉がこびりついて離れない。
 
 ――今のあなたの夢は、あの日の夢より美しいもの?
 
 あの日、養父の願いを繋ぐものとして願いを託された自分は、夢を抱いた。
 自分の人生をより良きものに変えてくれた人に報いるために、その魂を継ぐ。それは、ルーシャンにとってはどんなものにも代え難い夢だった。
 それだけを抱え、生きていく――つもりだった。
 だったら、サルヒの問いかけに自分は何と答えられるか。父親の魂を継承することよりも良い夢を今は抱いていると言えるのか。
……あの時と同じはずだ。同じもののはずなんだ」
 顔を覆っていた手のひらをずらし、拳へと変えて額に押し付ける。何度も、何度も。自分自身を殴りつけるかのように。
 やがて、褐色の肌がかすかに赤みを増した頃、ルーシャンはゆっくりと顔をあげる。
「だが……そうか。もし……俺が本当にあんたの魂を継ぐものだって証明するのなら……
 唇を強く噛み締める。血が滲むほどに。
 鉄錆びた味を舌で感じつつ、彼は言う。
……これくらいのこと、やってみせなきゃいけないってことか」
 気持ちは、依然として二つに裂けていた。
 本心では、全く割に合わないとも考えている。小心者の自分は、こんな戦いは意味がないと首を横に振っている。
「だけど、やらなきゃならないんだよ。もし、俺が取れる最善だけでゴールに行きついても……それじゃ、やっぱり証明にはならないだろ」
 弱気な言葉を吐く己を、その一言で黙らせる。
 割には合わない。その通りだ。
 街の人間なんて知ったことか。その通りだ。
 ノエが頼んできている。だから何だと言うんだ。
 だけど、それが――父の魂を継ぐ『証明』になるなら。
「どうやら、俺は、行かなきゃならないらしい」
 竜に攫われた人々を助ける救世主という役割には、あまりに不釣り合いな暗く澱んだ感情を抱いて、男は立ち上がる。
 何気なく部屋の隅にかけられた鏡を見て、ルーシャンは姿見に映る自分の姿に苦笑してしまった。まるでこれから人でも殺しに行くかのような顔をした自分が、姿見の向こうからこちらを見つめ返していたからだ。
「まずは、あいつらが戻ってくる前にこっちを整えないとな」
 果たして、自分はどんな顔で笑っていたのだったか。頬に手を当て、男は強張り切ってしまった顔をほぐし始めた。