あつき
2024-07-25 00:13:51
6123文字
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涙の訳を教えて

付き合ってないドラロナ。ロくんが涙を流し続けるお話。

「ただいまー」
「はい、おかえり」「ヌヌヌリー」
 仕事から帰宅したロナルドに、キッチンからひとりと一玉で声を掛ける。そこまではごく当たり前の日常風景だった。ロナルドはブーツを脱いで部屋に上がり、香りにつられてキッチンへ赴く。「今日シチュー?」とカウンターから腹を鳴らして覗き見る。
 異変が起きたのは、期待の声に釣られてドラルクが顔を上げ、ふたりの目が合ったその時だ。
 銀に縁取られた青の瞳から、ぽろっと透明な雫が転がり落ちた。
「は」「ヌッ」
 ひとつ落ちればそれが合図だったかのように、両の瞳から次々と産み出される水滴。音もなく泣き続けるロナルドに、その場の全員が困惑した。
「うええ。なんだこれ。悲しくないのに涙が止まらねえ!」
「はあ? 泣いてる本人が理由がわからないのか。さてはまたポンチにやられたな。青い体に赤いリボンを付けて、青い涙を流してなかったか?」
「うるせえ違うわ怒られろ」
 話しながら殺され再生するまでの間も、瞳から透明な粒がこぼれ落ちる。頬を、首を伝い、赤の襟元や黒のインナーに次々と染み込んでいく。
「ウワーー! ともかく着替えろ! ジャケットに染みが付く!!」
 洗濯も担う吸血鬼が、ロナルド本人そっちのけで衣服の汚れを心配する。
「おう。そのまま風呂入ってくるわ」
 当の本人もけろっとしたもので、泣き続けている現状そのままに風呂場へ迷いなく向かう。その後ろ姿をドラルクは半ば呆れながら見送る。
「順応が早い。野生のゴリラだけあって、環境適応能力が優れている」
「ポンチに慣れすぎた結果だわオラッ」
「わざわざ戻ってきて殺すな!!」「ヌーー!!」
 踵を返して殴りかかってきた男に憤慨しながら、今度こそ風呂場へ消えたことを確認して復活した。
「ジョン、あいつは今私に殴りかかってきた時のように、名乗りも聞かずにポンチを沈めたに違いない」
「ヌー……
 ジョンを抱え、逆の手でスマホを持ち、掛け慣れた番号に履歴から発信する。
…………あーーはいはい。『吸血鬼涙で弱る美形大好き』? うん……はい……
 説明不要。そのままである。VRCも解除方法はまだ解明出来ていないとのことで、それならば掛けなくても良かったぐらい何も収穫がない。話を終了させてスマホをポケットへ仕舞う。現状出来ることは他に無いので、料理の仕上げに取り掛かる。冷蔵庫から牛乳を取り出し、コンロの鍋に足して再び煮込んだ。
 コトコト煮える鍋を見ながら、何かが引っ掛かった。『涙』は見れば分かる。『美形』に関しても、ドラルクはロナルドの容姿だけは貶したことがない。手放しで認めている。じゃあ、『弱る』とは。泣くことで気分が落ち込んで弱気になるということか? しかし先ほどのロナルドはいつも通りだった。今から余波が及ぶのか?
 副菜のサラダを用意しながら考えていると、体を拭いたであろうタオルを肩にかけ、顔を拭いながらロナルドが風呂より戻ってきた。
「やっぱ止まらねえ。これ邪魔」
 顔を歪め、口をへの時にしながら常に顔をタオルで押さえている。確かに鬱陶しかろうなと、ドラルクは少しばかり同情する。眉を下げ、「可哀想に」と舌先だけは心配しつつ、どこにあったのか水中めがねを取り出した。
「ゴーグル付けとく?」
「水が侵入しないように使う道具の内側を、体液で満たしちゃうのは違うだろ?」
 優しさではなくからかわれていると理解して、静かにキレて拳を振るう。一瞬で崩れ去った体ごと、黒いエプロンで包むように両手で持ち上げる。そのままの勢いで雑巾絞りをすれば、流れ出るのは水ではなく砂である。
「ヴァーー!! やーめーろー五歳児!! シチュー用意せんぞ!!」
「そうだメシだった。自分でよそうわ」
 パッと黒いエプロンを手放し、泣くジョンを抱えてコンロへ向かう。「ジョンはどのくらい食べるー?」とニコニコでれでれしていても、青の瞳から涙は止まらずに滴り落ちる。
「あーー!! 涙が床に落ちる! 鍋にも入ったらどうする! 大人しく椅子に座って涙を拭いてろ!!」
 吸血鬼はズロッと再生して後を追い、お玉をひったくってから手でしっしと腹ぺこどもをダイニングへ追いやった。
 ロナルドはむっとしながらも、涙を拭きながら用意するのは難しいと気付いたようで、 ジョンと共に素直にダイニングチェアに腰掛けて待った。間を置かずに運ばれてきた、湯気が上がるシチューにジョンと頬を緩ませる。
「まだ熱いから先にサラダから食べなよ」
 メインのお預けをくらって少し不満そうにするものの、先に配膳していた副菜をひと口食べれば、「ドレッシングうまっ!」と目を輝かせる。今日は手作りの大根ドレッシング。結果は当然とばかりに不遜に笑い、満足気にドラルクは目を細める。
「ヌヌシーヌ!」「そうだね~!」サラダの隣に置かれていたパンも齧りながら、ジョンにニコニコと笑顔をむける間も止まらない涙をじっと観察する。あんなに涙を流しても、目の充血もないし鼻も赤くならない。水分だけが体から抜けていくようで不思議だった。
「君、水分をこまめに取りなよ。脱水になって倒れないようにな」
 ピッチャーから麦茶を入れてやりながら、水分補給を兼ねる点で今晩はシチューにして良かったと、ドラルクは内心ごちる。体内の水分が失われ続けることで、やはり喉が乾いていたのかロナルドは一気に麦茶を飲み干した。麦茶のおかわりを注いでテーブルに置こうとした時、端正な横顔から滑り落ち続ける涙が、無性に勿体無いと、そう思ってしまった。
 ふらりと無意識に顔を寄せて、誘われるように目尻に舌を這わせる。冷たい舌で静かに掬い取られる、蛍光灯の下できらりと輝く透明な雫。同時にコトン、と麦茶のコップがテーブルに置かれる。その光景に、可愛いマジロは「ヌァ……」と顎をはずれさせていた。
…………は」「……! この味は………
 ドラルクは顔を青ざめさせ、ロナルドは顔を真っ赤にさせた。マジロはただオロオロと双方を交互に見る。
 一拍遅れてアッパーカットを繰り出したロナルドは、バサリと出来た砂山に向かって体と声を震えさせ叫ぶ。
「今ッッおまっ……! なんで舐めた!!」
 そんなロナルドの声など意識に入らないかのように、再生したドラルクはまだ青い顔のまま素早くスマホをコールする。程無く電話は繋がり、応答する気だるげな声が響く。
『何だ愚物。俺様は忙しいんだ。何度も気安く掛けてくるな』
 ドラルクは内容を隠す気はないようで、スピーカーをONにしてロナルドにも聞こえるように会話を続けた。
「おい!! サイコ仮面! 今日現れたポンチが流させる涙は、通常の涙じゃないな!? 推察するに本人の生気を放出しているんじゃないか?」
 その言葉にロナルドがぎょっと目を見開いた。落ちる涙を指で掬い、まじまじと見つめているが見た目はただの水で、判別しようがない。けれど、嘗めればただの塩水ではないことがドラルクには分かった。
『よく分かってるじゃないか。先ほど解析の結果がそう出たところだ』
「解除方法は?」
『まだ分かっていないな』
「この役立たず!!」
 苛立ちに任せて通話を終了させると、苦々しげに牙を食い縛る。ロナルドを真っ直ぐ見つめるのに、何も語ろうとしない吸血鬼に、気色ばんだ目線を返す。
……あんだよ。言いたいことがあるならはっきり言え」
 ドラルクは口を開いては閉じ、躊躇したものの、今も尚止まらない涙をみとめると、鬼気迫る顔で地を這うような声を絞り出した。
……噛ませて」
「は? いきなりどうした? 敵性吸血鬼としてVRCに送られたいか?」
 いつものふざけた態度とは違う気迫に、たじろぐ内心を悟られまいと、ロナルドは強気に赤の瞳を睨みつける。
「その肝心の機関が役に立たんから言っとるんだ! さっきの会話聞いていただろう? このままでは君の生気が尽きるのも時間の問題だ」
 ドラルクは“涙で弱る美形大好き”の意味を正しく理解し、行儀悪く舌打ちをする。
「今んところピンピンしてるわ」
「ゴリラの体力だからな。だからこそ、手遅れになる前に私を受け入れろ」
 目線を落とし、「弱ったゴリラなど、見たくないんだよ」と消え入るような声が微かに聞こえたので、ロナルドは動揺した。まだ焦る段階では無いと思っていたのに、渦中の本人よりも同居吸血鬼が血相を変えているからだ。
「だからって何で吸血話に発展すんだよ」
「仮説だが、生気を奪うのは獲物を弱らせる為だろう。何故弱らせるかは、いわずもがな、だ」
 吸血する為に弱らせる。その弱った姿が大好きとは、悪趣味でしかないと顔も知らないポンチを嫌悪し、ドラルクは顔を歪ませた。
「これも仮説になるが、そうならば本懐を遂げれば催眠は解除される筈だ」
 沈黙が流れる。あくまでも仮説だ。血の吸われ損になるかもしれない。それでも、今までの経験からドラルクの勘は信用に足りうると、ロナルドは最初の提案から疑いはしていなかった。
……いいぜ。その説、乗ってやるよ」
 一度決めれば迷うことなく、ぐいっとシャツをひっぱり肩を露にした。冷静な瞳と表情でこちらを見つめるのに、涙を流し続ける美丈夫。倒錯的な光景に理性を持っていかれそうになりながら、吸血鬼は努めて平静を装い、顔を寄せる。拓かれていない肩に手を置いて、「いいんだな?」と最終確認をすれば、「噛めよ」と端的に事務的な声で返された。
 若々しい滑らかな肌に、鋭い牙がつっと這う。いかに屈強な退治人でも、表皮までは鍛えられない。貧弱な吸血鬼の顎の力でも、尖った牙は呆気なく皮を裂き、血潮の流れる先まで潜り込んだ。
……っ!」
 粛として退治人の肩口へ食い込んだ牙は、深紅の粒をいくつも溢れさせる。その全ては薄い唇の奥へ余すことなく招き入れられる。ゆっくりと流れる時間を、マジロはただ証人のように見守っていた。
 どのくらい時間が過ぎただろう。食が細い筈の吸血鬼は、十分な量の生き血をその胃に納めても離れはしなかった。催眠を解除する為、その前提など忘れたように貪欲に求めたのは、果たして食欲だったのか、それとも……
……止まった」
 ロナルドの言葉に、吸血鬼ははっと正気を取り戻し、肩に埋めていた顔を上げた。先ほどまで途切れずに流れ続けていた涙は、余韻を頬に残しているものの、もう新たに産み出されることはしなくなっていた。
「良かった……!」
 脱力して泣きそうに安堵する声に、ロナルドは困惑する。
「お前、なんでそんな……
 ロナルドの言葉を遮るように、ドラルクのスマホの着信音が鳴り響く。
『おい愚物。解除方法が分かったぞ。対象を吸血すれば……
「遅いわ!! もう終わっとる!!」
 人命軽視のヨモツザカには珍しく、わざわざ電話をしてきた。気まぐれだとしても、それを一蹴されたことは気に食わなかったのかも知れない。殊更噛んで含めるように、ゆっくりと説明を続けた。
『ついでに発動条件も教えてやる。催眠を発動させる為には、血を吸われてもいいと思える相手と、目を合わせる必要がある』
 その言葉に、ふたりは愕然としてお互いを見た。
『心からの合意でない吸血は美しくないと、戯れ言を抜かしていたぞ』はん、と鼻を鳴らして言い切った。
 返事に詰まったスマホ越しの緊張を察し、上手く爆弾を落とせたことを知ったマッドサイエンティストは、ご満悦に「じゃあな」と告げて、一方的に通話が途絶えた。
 ただの遅効性の催眠では無かったことを知ってしまい、気まずい空気の中、先に口火を切ったのはドラルクだ。
……おい、私に血を吸われても良いって、何でそう思っていた」
 先程のように、命が差し迫った場面ならば分かる。しかしそうではなく、ロナルドが吸血を受け入れていたことで催眠が発動したと、サイコ仮面は無情にも告げた。
「お前こそ、俺の涙を舐めたのはどういった了見だよ」
 ロナルドは質問を無視して、先程の異様な吸血鬼の行動を掘り返す。
……どうも思ってない奴の、目元なんか舐めない」
……俺だって、誰彼構わず血なんて吸わせたい訳あるか」
 際どい会話を続けるも、決定的なことは言わないふたり。それきり流れる沈黙に、耐えかねたのかイデアの丸は動いた。
「ヌヌヌヌヌン、ヌヌヌ、ヌヌヌヌヌ?」
「えっ、ジョンいきなり何? 次の休み? 木曜だったかな」
 ジョンの目配せとロナルドの言葉に、ドラルクはもう後には退けないと悟り、腹を決めてスマホを取り出した。いつにない真剣な眼差しで、ロナルドを真っ直ぐに射貫いて口を開いた。
「良く聞け若造。木曜に夜景が見えるホテルのディナーを、今から二名で予約する。その日は絶対に用事を入れるんじゃないぞ」
 その言葉に一瞬面食らったロナルドだったが、すぐに意味を理解してさっと顔を赤らめた。グッと唇を噛み締めるとやけっぱちのようにスマホを取り出して、赤い顔のまま挑戦的に睨み返した。
「上等だぜ。俺も今から花屋に、バラの花束を木曜受け取りで予約する。テメーこそクソゲーだのなんだのに逃げるんじゃねえぞ」

 もしもし! と同時に背を向けて通話を開始するふたりに、可愛い功労者の丸はヌシシと嬉しそうに口許を押さえた。ポンチが跋扈する新横浜は、それゆえに夜中も開いているお店が多いという利点がある。
 ふたりとも無事に予約を取り付け、通話を終えてスマホを切った。再び気まずい沈黙が流れたが、それを破ったのもドラルクだ。
……痛くない?」
 その声についロナルドが振り返ると、ドラルクはこちらを見つめていた。目線のその先が肩の噛み跡だと認識すれば、かっとそこが熱を持って疼くようで、咄嗟に手で押さえた。でもそれは、痛みのせいではない。
「今は痛くねえ……
「そう、なら良かった」
 噛まれるのには仕事柄、慣れている。その現状もどうかとは思うが、痛みよりも鮮烈に印象付いているのは、あの牙が、冷たい舌と柔らかな唇が、確かにここを這ったのだという事実。目尻まで熱を帯びた気がして、疼きを隠すように聞き返した。
「お前こそ、よく死ななかったな。俺の血、不味くなかったのかよ」「美味しかった」
 間髪入れず返された言葉に、目を丸くする。
「また私を受け入れて欲しいと、願ってしまうくらいに」
 口許を押さえて目線をそらす吸血鬼を見れば、普段の青白い顔がみるみる血色が良くなっていく。
……か、考えといてやる」
 つられるようにじわじわと、より赤色を増すロナルドの顔を見ながら、配慮の出来るマジロはひたすらに気配を消していた。これは追加のデザートをねだらねばと、食べたいものを列挙しているうちに話は纏まったようだ。

 その日、温め直されたシチューを食べ終えた後のひとりと一玉のデサートは、いつもよりちょっぴり豪華だった。
 数日後、金曜日のデザートは更に豪華で、ご馳走と共に食卓にはバラの花が飾られていた。