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千代里
2024-07-24 17:37:42
18000文字
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リーブラ13話
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リーブラの針は問う・13話・その30
「皆さんに、話したいことがあるんです」
竜の襲撃から丸一日が過ぎた翌朝。宿の食堂で、いつものように早めの朝食を口にして一息ついていた面々に向かって、ノエはそのように口火を切った。
「昨日、僕はグレンさんに、竜に攫われたコーディさんの救出を依頼されました」
その言葉を口にした瞬間、和やかに弛緩していた談笑の場に緊張が走る。
すでに知っていたオランローやオデットは、唇を引き結んでノエの言葉の続きを待った。
一方、話を聞かされていたなかったヤルマルたちは、驚きこそしなかったものの、眉間に力を込め、ノエが何を言うのかを待ち構える姿勢を見せた。
「ですが、グレンさんは、後から救出の依頼を取り下げたいと手紙をくれました。僕に、そんなことを頼んではいけなかったと」
グレンにとって、ノエは行きずりの旅人に過ぎない。少し親切にしてくれただけの人に、無責任に頼んでいいことではない。グレンはそう判断したが故に、依頼は無かったことにしてほしいと頼んだ。
グレンの判断は、的確だ。歳の割に物分かりもよく、大人びた対応とすら言える。
ノエにも、それはよくよく分かっている。
分かっている上で、彼は言う。
「でも、僕は
――
その依頼を引き受けたいと思っています。コーディさんだけでなく、竜に攫われた人を皆助けたい。そう思っています」
自分の結論の方が、年少のグレンが見せた決断より、よほど不合理で感情的で物分かりが悪いと、わかっている。分かっていても、ノエはその道を選んだ。
「ここで見ないふりをする方が、損得の意味では真っ当だ。グレン少年の判断は、君に対して誠意を込めた対応でもある。それは分かってるんだよね?」
ノエの決意を聞いて、真っ先に口を開いたのはヤルマルだった。彼女の声音は、普段と比較すると驚くほどに静かだった。
それだけ本気で、ヤルマルはノエの決意に対面してくれている。そのことに感謝しながらも、
「それでも、僕は
……
助けにいくと決めたんです」
昨晩出した結論を、ノエはもう一度口にする。
「もし、ここで合理的な損得勘定で選んだ選択を良しとしたら
……
僕は一生、彼らを助けなかったことを引きずるでしょう。それだけじゃなく、その理由を誰かに求めてしまうかもしれません」
助けに行かなかったのは、本来は助けに行くべきはずの父が騎兵を出さなかったから。だから、自分は悪くない。
助けに行かなかったのは、オデットの記憶探しを優先するべきだと思ったから。だから、自分は悪くない。
そんな風に、都合のいい言い訳ばかりを己の中に並べ立てて、自分を正当化しようとする。それが、どれだけ醜い所業だと分かっていても、心のどこかにそんな弱さを抱えた自分はいる。
「そうやって、誰かのせいにし続けるような真似をする自分のことを、僕は一生許せなくなる。それくらいなら、たとえどれだけ困難であったとしても、損しているような選択だったとしても、僕は僕自身に誇れる選択をしたい」
それが竜の後を追うなどという困難な極まりないことであったとしても諦めたくない。
ノエがそう言い切ったのを聞き終えてから、ヤルマルは白緑の双眸を瞑った。彼女の眉には、珍しく皺が刻まれている。
「オデットは、君の意見をもう知っているようだね。納得はしているのかい?」
「
……
すべてに理屈をつけて納得することなんて、これまでもこれからもできないと思います。少なくとも、わたしはそうです」
ヤルマルから話を振られ、ノエの隣に座って沈黙を保っていたオデットが口を開く。
「ですが、兄さんがそうやって後悔を引きずって生き続けるような姿を、わたしは見たくないんです。それが、わたしの答えです」
オデットの回答に、ヤルマルは「なるほど」と言葉を返す。
数秒の沈黙。二人の間に生まれた静寂は、ヤルマルの口から吐き出された大きなため息が破った。
続けて、ヤルマルは自身の頭に手をやると、癖が見られるその髪をガシガシと掻き、
「おっかしいなあ。普通はこういうのって、ボクが言い出す役だと思っていたんだけどなあ!」
わざとだと分かるように、いつもより大きな声で仰々しく言ってのけると、ヤルマルは意を決したように目を開く。
「君の決断は、一歩間違えれば君の命もオデットの命も危険に晒すことになる。それは分かっているかい」
「はい。分かっています」
「君がたとえ首尾よく攫われた人々を見つけられたとしても、冒険者ギルドの依頼と違って、報酬はもらえない可能性だってある。何せ、君のお父さんは『助けない』という選択肢をすでにしているんだから」
「それも承知しています。僕は、金銭に目が眩んで助けに行きたいと言っているわけではありません」
「それに、君が粉骨砕身して救出を成し遂げたとしても、助けられた人はすぐに恩を忘れるだろう。ヒトというのは、存外に薄情だ。一度は恩を感じても、時が過ぎれば当然のものとして受け止めてしまう」
たとえ、ノエがこの救出劇の間に取り返しのつかないほどに大きな損傷を受けたとしても、彼の決死の軌跡は日常の中に埋もれ、顧みられなくなるかもしれない。
名誉すらないような戦いになるかもしれないという、ヤルマルの忠告に、
「それも、分かっているつもりです。僕は、お礼を言って欲しいわけではありません。助けた人のの記憶から忘れられたとしても、その誰かを救ったという記憶が僕の中にあればいいんです」
「
……
君なら、そう言うとは思ったけどね」
ヤルマルは身を乗り出し、ノエに指を突きつける。無作法とも思える行動ではあるが、だからこそノエはヤルマルがこの先、言いたいだろうと思うことが重い意味を持つと身構えられた。
「今更ではあるし、至極当たり前のことではあるけれど
……
君はまだ若い。これから、何十年も生きられるだろう」
だけど、とヤルマルは眉を吊り上げて続ける。
「君はこの選択の結果、命を落とすかもしれない。それぐらい、君が望んでいることは、危険なことだ」
竜に関わるとはそういうことだ、とヤルマルは付け足す。
これまでも、自分の命を賭けた戦いは何度もあった。強大な妖異と戦ったこともある。だが、最初から命の危険が高いと分かって足を踏み入れた例は殆どない。
命を天秤に賭ける必要に迫られた場合こそあれど、率先して秤の上に命を乗せたわけではない。
だが、今回のノエの選択はそれとは異なるものだ。
「竜と戦ったこともない君にとっては、竜に攫われた人を助けるなんて大言壮語は、自ら死にに行くと言っているようなものだ」
指をおろし、ヤルマルは自分と同じ高さにある青銀の双眸を見つめる。
「だったら、みずらの選択の責任は自分しか負えない。竜に出くわして死ぬようなことになったとしても、後悔しない覚悟はあるかい」
報酬もない。感謝の気持ちも、時がいずれ消してしまうだろう。
それでも構わないと笑えるほど、突き抜けたお人よしでいられるか。
ヤルマルの問いかけに
――
それでも、ノエは頷いた。
「ですが、勘違いしないでください。僕は死ぬつもりはありません。生きて、また帰ってくる。それも僕の決めたことです」
命を賭ける危難であると心を決めることと、命を投げ捨てるのは同じではない。オデットと交わした約束は、ノエの胸に楔としてしっかり打ち込まれている。
「
……
わかったよ。君が、ちょっとやそっとでは考えを変えないってことは」
「もちろん、ヤルマルさんに手伝ってくれと言うつもりはありません。同行者に無断でいなくなるのは、いくら何でも失礼だと思ったから、こうして説明させてもらったんです」
ノエは自分一人であったとしても、攫われた人を助けるという方針を覆すつもりはなかった。むしろ、ヤルマルたちに手を貸してくれと頼むことこそ、あまりに勝手が過ぎると思っているほどだ。
しかし、この旅の主体はノエにある。ならば、自分の寄り道についても説明すべきだ。そう思い、ノエは己の考えを語ったのだった。
ノエの発言を聞き終えて、ヤルマルは長い耳の先端をぴくぴくと動かしてから、大きく肩を落とす。
「
……
ボクは今、オランローに猛烈に感謝してる」
「なぜ、そこでオレの名前を出す」
訝しげに眉を寄せる相棒に向けて、ヤルマルは肩をすくめ、両手を広げてみせた。
「いつも君は、ボクがこうしたいって意見を出したとき、こんな気持ちだったのかなあって思ったからさ」
やっと分かったかと、オランローはゆっくりと首を横に振った。
ヤルマルが危険を承知でさまざまな厄介ごとに首を突っ込むとき、オランローは今のヤルマルのような顔をしつつも、首を縦に振っていたのだろう。
「
……
ボクだって、別に街の人を見捨てたいわけじゃない。助けられるなら助けたいし、それを助けに行くっていう若者を前にして、じゃあいってらっしゃいって知らん顔で手を振って見送るほど意気地なしでもないさ」
ぱしん、と乾いた音が響く。ヤルマルが、自分の頬を両手で叩いた音だ。
それは、さながら、先ほどまで合理的な意見をあれこれ提示していた自分を追い払うための儀式のようだった。
「
――
ノエ。ボクも、君に協力させてほしい」
椅子から立ち上がり、ヤルマルはノエへと手を差し出す。
「君の無謀に見える願いも、もボクが手伝えば、ちょっとばかりは『できるかもしれない』可能性になるだろう」
差し出されたヤルマルの手に対して、しかしノエの手はそれに触れるか触れないかの所で止まる。このまま手を取ってしまって、友人が一番大事にしたいとまで豪語してる女性を、危険な戦いに巻き込んでいいのだろうか。
その躊躇を察したかのように、ヤルマルは片目を瞑り、
「この百年以上生きた中で、ボクもボクなりに色々と飲み込んできたつもりさ。そして、君が想像しているように、ボクはそれらの『どうしようもないこと』に合理的な理屈をつけて、納得させてきた」
でもね、とヤルマルは続ける。
「やはり、後悔になってしまうものなんだよ。そして、言い訳をして納得しようとしてる自分はとても格好悪い。かっこ悪いなあって思いながら生き続けるのは、できないわけじゃないけど、そんなに楽しいものじゃないんだ」
ヤルマルは中途で止まっていたノエの手を、自ら歩みとって掴み取る。それこそが、自分の意思だと示すかの如く。
「何せヴィエラ族はとても長生きなんだ。ボクだって、もう百年は生きるつもりだからね。その百年を輝かしいものにするためにも、協力させてもらうよ」
ひときわぎゅっと手に力を込めて、ヤルマルはノエへと微笑みかける。
彼女の隣にいたオランローも、仕方ないと言わんばかりに首を横に振り、
「こいつが行く以上、オレもついていく。ただし、条件がある」
オランローは、ノエの青銀の瞳をまっすぐに見つめる。
友人ならば、本来なら何の条件もなく手を貸してやるべきだとは、オランローも思っている。
しかし、今回は内容が内容だ。そんな安請け合いもできない。
それらの葛藤が混ざり合った末に、オランローは、目を逸らさずに、しかし一抹の気まずさを混ぜながらノエを見つめていた。
「もし、ヤルマルの命が危ないと判断したら、オレはヤルマルを連れてその場を離脱する。たとえ、あんた達を犠牲にすることになったとしても」
「
……
ちょっと、オランロー」
「それが、ヤルマルを連れていく条件にする。嫌だというなら、オレはヤルマルの首根っこを掴んででもグリダニアに帰る」
オランローの条件は、ノエに最大限譲歩したものだ。自分の一番大事なものを条件つきとはいえ、危険に晒すことを受け入れているのだから。
「
……
ありがとう、オランロー。今は、それで十分だよ」
そして、できることならノエ自身に万が一があったときも、オデットを連れて逃げ出してほしい。口にはしなかったが、ノエは自分の願いがオランローに伝わっているだろうと感じていた。
無論、死ぬつもりはない。オデットに約束したように、自分の命を粗末に扱うつもりもない。
しかし、不慮の事故というものはどこにだってある。ノエが予想していない形で命を奪われたとき、ノエの大事な人を守ってくれる友がいる。それは、ノエにとってどんな強力な助っ人よりも頼もしかった。
「
……
本当は、私は止めなければならない立場なのだろうけれど」
ひとまずの合意を得たオランローとノエの間に、澄み切った水のような声が落ちる。今まで沈黙を保っていた、サルヒの声だった。
「ドラゴン族との戦いは、本当に危険なこと。たとえ、率先して彼らを討つつもりはなかったとしても、飛竜の後を追うなら遭遇する可能性は格段に上がってしまう」
「承知しているつもりです。ただ、僕は彼らと望んで剣を交えるつもりはありません」
「うん。それは
……
分かっている」
ノエが単に「ドラゴンを討ちたい」と言い出したのなら、サルヒは首を横に振っていた。
しかし、彼の目的はあくまで攫われた人々の救出だ。本来ならば、このまちで当たり前の日常を謳歌していた人々を救うための戦いだ。
(だったら
……
って思ってしまうのは、私も彼に感化されてしまったのだろうか)
サルヒを真正面から見据える青年の姿が、ありし日の懐かしい面影を持つ男と重なる。竜を堕とすという途方もない夢を語った男の顔に。
その男は今、サルヒの隣に座ったまま沈黙を保っていた。
「攫われた人が生きているかもわからない。ノエが飛竜の後を首尾よく追跡できたとして、辿り着いた先に転がっているのは骨と肉片だけかもしれない」
助けるべき命が無ければ、決死の追跡劇も徒労に終わる。サルヒの語る未来は最も最悪な形ではあるが、同時に予想して然るべき内容でもあった。
そして、ノエもその最悪の未来予想図を描かなかったわけではなかった。
「それなら
……
せめて、残されたものだけでも、帰るべき場所に連れて帰ります。それだけかもしれませんが、それだけでも意味はあると思っています」
竜の巣に転がり、誰にも看取られることなく朽ち果てる。それも、ある種自然の摂理なのかもしれない。
けれども、ヒトには心というものが備わっている。そのような悲惨な結末を遺された者たちは素直に受け入れられないだろう。
打ち捨てられた自分の家族や知り合いの亡骸を取り戻してほしいという気持ちは、遺された者の自己満足だ。それでも、遺された者が前に進むために必要だと言うのならば、そこに意味がない、などということはない。
「
……
あなたの覚悟は分かった」
数秒の沈黙を挟んだ末に、サルヒは細い吐息と共に頷く。
「私も、この街の人が死んでもいい、とは言いたくない。それを言ってしまったら、きっとこの街を襲った竜や異端者と同じ者になってしまうだろうから」
気が進まないのは事実だ。さりとて、このまま目を瞑って澄ました顔で街を後にするのも、喉の奥に何かが引っ掛かったような違和感を覚える。
だったら、とるべき選択は一つだ。
「私も、あなたに協力したい。オランローのように、命に危険が迫ってどうしようもないと思ったときは、あなたを見捨ててしまうかもしれないけれど。
……
でも、できる限り支えたい」
途方もない無謀を胸に抱いた若者の隣に並ぶことを、サルヒは宣言した。
冷静で冷徹な部分を持ち合わせた自分は、このような選択は無謀が過ぎると言う。実際、サルヒも頭のどこかで「バカなことをしている」という自覚は持っている。
(でも、私は
……
無謀を夢と語る人の隣にいたいと思った)
サルヒが瞑目すれば、ありし日のとある男の横顔がすぐに思い浮かぶ。いつか、竜との戦いを終わらせるような日が来たらと笑っていた彼の「無謀」が、サルヒは好きだと思った。
だったら、きっとこの選択は、賢しく生き残ろうとする選択肢よりは、よほど自分の生き方にふさわしい。
多くの感情を噛み締めなおし、サルヒは自分の決意を示すためにゆっくりと首を縦に振る。
ノエの顔に感謝の念がさっと混じる。彼がお礼の言葉を口にしようと、口を開きかけた時だった。
「でも、条件はある。オランローと同じように、土壇場であなたを見捨てるかもしれないってことと
……
あと、もう一つ」
サルヒは自分の隣に座ったまま、今の今まで話題に入ろうとすらしなかった男を
――
ルーシャンを見つめ、
「旦那様を、あなたの選択に同意させて。私は、旦那様の隣にいると決めた。旦那様が同行しない場合は
……
私は、ここに残ることになる」
サルヒは黄金色の瞳を横にずらし、ルーシャンをちらりと見やる。その視線には、言葉にしたこと以外の理由がありそうだったが、それを指摘する者はこの中にはいなかった。
サルヒの条件は、サルヒにとっては当然のものでもある。
サルヒがルーシャンの従者であったことや、彼女がルーシャンという男に対してただの仲間以上の考えを持ち合わせていることを、ノエはよくよく知っている。
ルーシャンの目の届かない所で、危険な旅路に同行してくれと頼むのは、いくら何でも虫が良すぎるとノエも承知していた。
「
……
ルーシャンさん」
ノエが言葉を向けると、男はようやく瞑目していた瞳を開いた。
一瞬眠っているのではないかと思いかけるほど、これまでのやり取りの中で男はひどく静かだった。
だが、開いた双眸に宿した、隠しきれない緊張感や思案の気配から、彼が決して居眠りをしていたわけではないことは分かる。
「僕は
――
」
「ノエ。悪いが、少しばかり席を外させてくれないか」
ノエが何か言う前に、ルーシャンの低い声が被さった。
「
……
はい、かまいません」
「今は
……
考える時間がほしいんだ。返事はその後にさせてくれ」
いつものような場を和ませる戯けた空気は、どこへやら。ルーシャンはそれだけ言い残すと、席を立ち、宿の食堂を後にする。カツカツという階段を上る音を聞く限り、どうやら二階にある部屋に戻ったようだ。
「いい機会だから、ボクらは武具を整えておくよ。飛竜の迎撃に使ったせいで、弓がだいぶん傷んでしまったからね」
「それなら、オレも同行しよう。オデットもどうだ」
オランローから言葉を向けられ、オデットは一瞬、ノエとオランローたちを交互に見やる。ノエは無言で首を縦に振り、オランローたちについていくように促した。
「ルーシャンさんの説得は、僕一人でします。それで、もしルーシャンさんが頷いてくれなかったなら、サルヒさんも無理に同行してもらわなくても構いません」
オデットと同じく、席に残っているサルヒに視線を切り替え、ノエは静かに続ける。
「攫われた人たちを助けたいという気持ちは本物です。でも、これは僕が自分の矜持のために決めたことでもあります。ヤルマルさんたちも、どうかそれは忘れないでください」
「うーん
……
でも、それは完全に同意できる内容ではないかな」
ヤルマルは顎先に指を添え、口角を釣り上げたいつもの得意げな微笑を浮かべる。
「確かに、ボクらは君の言葉を皮切りに、行きたいという意思を示した。けれども、ボクが言ったように、彼らを放っておいたら寝覚めが悪くなる、という気持ちは最初からあったものだ」
立ち上がった彼女は、ノエの胸を拳でとんと叩く。
「自分の中に生まれた気持ちの全てを君の責任にするほど、ボクは要領よく生きられない。それに、君だって何でもかんでも負うものじゃないよ」
「そう。少しぐらい、他人のせいにしてもいい」
サルヒも同じように立ち上がり、ノエの手を両手で包み込む。自分が抱く気持ちを託すかの如く。あるいは、ノエの抱く信念を託されたかのように。
「旦那様は、頷かないかもしれない。でも、私があなたの意思を尊いと思う気持ちは本物。それは、覚えていてほしい」
「はい。
……
ありがとうございます、サルヒさん」
ノエはサルヒの手を軽く握り返してから、ひと足さきに階段を登り始める。階下では、オランローたちが外出の準備をしている音が微かに響いていた。
聞こえてきた話し声によると、サルヒは、どうやら出かけずにノエとルーシャンの会話の結果を待つことにしたらしい。
(ルーシャンさんは、以前からドラゴン族の脅威について何度か口にしていた。
……
イシュガルドの貴族だったルーシャンさんは、きっと僕らの誰よりも竜と戦うことが何かを知っている)
そんな彼が、希望的観測だけを理由として、ノエに付き合ってくれるとは到底思えない。けれども、それでも構わないとノエは思えた。
もとより、ノエは自分のイシュガルド行きに連れ添ってくれた彼らが、今回の決断に必ず付き添ってくれるなどとは考えていなかった。
ルーシャンを除く三人はああ言ってくれたものの、それは単に彼らがノエと同じような志を抱き、ノエの無謀とも言える決意を尊重した上で頷いてくれる人だったというだけだ。
「ルーシャンさんは、そうじゃないかもしれない。
……
でも、僕の決意を聞いた上で感じたことがあるなら、ルーシャンさんの口からルーシャンさんの思いを教えてほしい」
自分が願うことが何かを明確にして、ノエは自分たちの宿泊している部屋の前で足を止める。
しかし、少し考えさせてほしいと言われた手前、いきなり入るのは流石に気が引けた。勢い込んで二階まできてしまったが、このままノックしていいものかと逡巡していると、先に扉のノブの方が動く。そして、
「
……
ルーシャンさん」
扉の隙間から姿を見せた男は、ノエを見ると軽く肩の力を抜いた。
「お前のことだろうから、勇み足でもう来るんじゃないかと思ってたよ」
「すみません。皆が出かけるということでしたから、それなら
……
と思って」
「別に怒ってるわけじゃない。せっかく来たんだ。突っ立ってないで、入ったらどうだ」
ルーシャンは、ノエを部屋に招き入れるために扉を大きく開く。
オランローたちと共に、街に滞在している間使わせてもらっている部屋には、ノエたちの荷物がそこかしこに置かれていた。一日二日ならいざ知らず、一週間以上の滞在となっているために、部屋にはグリダニアの宿の居室にも似た生活感が漂っている。
「あの
……
入っても、いいんですか。考える時間が欲しいと言っていましたよね」
「そうだ。だけど、別に一人ぐらい部屋に誰かいたぐらいで、自分の考えがとっ散らかるようなこともない」
それだけ言うと、ルーシャンは扉を開け放ったまま部屋の中へと戻る。
ノエが一歩足を踏み入れた先、ルーシャンは自分の寝台の上に腰をおろしていた。両手を軽く広げて、指先同士を合わせて顔の前に置いたその姿は、まるで祈りの途中に指だけを解いたようにも見えた。
閉ざされた窓の向こう、薄く降り始めた雪を掻い潜って人々のざわめきが聞こえる。瓦礫をどかす大きな音が時折響き、振動が微かに建物を揺らす。
家を失った人向けの焚き出しが行われてるのか、道ゆく人に呼びかける声が聞こえる。提供されている料理の中には、オランローが用意していた料理もあるのかもしれない。
街はひどく傷ついた。それでも、立ち直っていこうとしている。
――
竜に攫われた人を置き去りにして。
時間にして、五分経っただろうか。それとも、十分が過ぎただろうか。あるいは、三十分も経ったかもしれない。
それほどに長い沈黙を経た末に、
「
……
ノエ。俺は、お前を手伝ってやることはできないだろう」
長い沈黙を挟んだ男は、そう告げた。
「俺の思考は、九割がた、お前の意見に反対している」
顔をゆっくりと上げ、ルーシャンはノエを見据えた。
彼が待っている間、自身も寝台に腰を下ろしていたノエは、真正面からルーシャンの紺藍の双眸を受け止める。
「もし、俺に同行してほしいと思うのなら、お前の言葉で俺の中の考えを覆してもらうしかない」
その言葉で、ノエはこの決して短くない時間をかけてルーシャンが何をしていたのかを理解した。
彼は、できる限りの理由をかき集めて、ノエの意見を受け入れようとしていたのだろ。だが、ルーシャン自身の力では、ノエに賛同する理屈はたった一割しか集められなかった。
だから、ノエ自身に覆してくれと頼んでいる。自分自身ではどうにもならない頑なな心を説き伏せてくれと。
「竜に攫われた人を助けたところで、見返りもない。街の重要人物が拉致されたわけでもない。俺たちにとって、深い縁がある人物が誘拐されたわけでもない。グレンっていう坊主のことは俺も知っているが、所詮、この街で出会っただけの子供だ」
「
――――
」
ノエにとって、グレンはこの街の中でもとりわけ親身に接した相手だ。けれども、それとて街を出て数ヶ月もしたら、あっという間に薄れてしまう関係である。それもまた、覆しようのない事実だ。
おまけに、グレンとの関係はあくまでノエ個人との間に生じたものだ。ルーシャンにとって、グレンとの縁は無いに等しい。
「仮に、飛竜のねぐらを見つけるという、とんでもなく危険な目的を運よく達成できたとして、だ。攫われた連中が無事である保証もない」
「
……
ええ。それは、先ほども言いました。たとえ、遺体しかなかったとしても
……
その一部しか持ち帰れなかったとしても、僕はそれを無意味だとは思いません」
「そいつは、確かに俺も同意する。何も入っていない棺を埋めるよりは、骨でも、最後に身につけていた衣服でも、体の一部だけでも、祈りを捧げるよすがとなるものが入っていた方が、遺族の心は休まる」
ルーシャンは仮定ではなく、断定として言葉を発していた。
かつて、養子とはいえども貴族の末席に座していた男は、それだけ公(おおやけ)としての目線で竜による被害を目にしてきたのだろう。彼が積み重ねてきた経歴が、この上なくはっきりと分かる発言だった。
「だが、俺が言いたいのはそうじゃない」
「え?」
予想外に話が切り替えられ、ノエは驚きの声を漏らす。
「俺の読みが正しければ、竜に攫われた連中は生きている可能性が高い」
「それは、僕にとっては望ましいことですが
……
どうしてそう思うのですか」
ノエとしては、最悪な結末としては、飛竜に弄ばれて拉致された者たちが死んでいる結末だと思っていた。だが、ルーシャンはどうやら真逆の可能性を打ち立てていたらしい。
「なぜ、飛竜は人を攫った。そもそも、どうしてこの近辺には住んでいないはずの飛竜が攻めてきた」
「それは
……
ランドンという名の竜が、これまでと違う方法で人々を苦しめるようになったから
……
?」
生前のアランから聞いた話によると、ランドンは短絡的かつ直接的な攻撃を好む傾向のある竜だった。だが、今回目覚めたランドンは、周辺の町を襲ったり、異端者と協力したりと、妙に搦め手を使った手法ばかり用いている。
それは、ランドンがランドンなりに己の行動を顧みて、攻め方を変えたのだろうとノエは想像していた。
「ランドンとやらが急に賢くなって、あれこれ根回しをしたり、街に対して真綿で首を絞めるような攻め方をするようになったってのも、一応考えられなくはない。だが、それなら疑問が残る」
ルーシャンはひらりと軽く手を振って、続ける。
「なぜ、飛竜は人を攫うなどという、竜にとっては意味のないことをした。飛竜はこの近辺にはいない貴重な空中戦の戦力だ。おそらく、どこか遠方にいる飛竜に頼んで、この地域にやってきてもらったんだろう」
ランドンにとっては、貴重な援軍だ。ならば、使う方法は他にもある。
「ノエの言うように、人々に混乱を齎して領主を殺すという手もある。他にも、街の砲台をすべて壊す方に注力させれば、防衛の要を壊すことだってできたはずだ」
「たしかに、飛竜が人を餌として攫うとは思えません。けれども、それならなぜ
……
」
「俺の憶測ではあるが
……
これに関しては一つピースを嵌めれば、納得のいく答えが出せたんだ」
ぱたり、とルーシャンが手を膝の上に落とす音が響く。同時に、彼は言う。
「
――
異端者だ」
ただそれだけで、すべてに説明がつくと言わんばかりに。
「異端者
……
?」
異端者がランドンと手を組み、内通者として入り込んでいる可能性は、すでにノエの中にもあった。
しかし、ルーシャンがわざわざもったいぶった言い回しをして説明しようとしているのは、そんな当たり前の事柄を確かめるためではない。
「異端者と言っても、竜に阿(おもね)っているだけの柔な連中じゃない。ランドンに対して、街に攻め入る策を授けた奴が
……
積極的に竜と手を組んでイシュガルドの民に喧嘩を売っている奴が背後にいる。俺は、そう考えている」
ルーシャンの説明をきっかけに、ノエにも曖昧だった襲撃の全貌がゆっくりと浮かび上がってくる。
異端者が飛竜にランドンと協力するように促し、一方で街に紛れ込ませた異端者と連絡を密に取り合う。そして、領主の警備が手薄になったと知るや否や、異端者たちに街を混乱へと陥れろと指揮をとった。
「
……
ランドンに異端者の参謀がついて、彼に街を攻める戦力や作戦を与えた。単なる入れ知恵ではなく、軍略としての知識を与えた。そういうことですか」
「ランドンが突然智略に芽生えたのでなければ、そうだろうさ。だが、異端者だって竜と直に交渉したり、竜を自分の手足のように戦力として使うのは難しいはずだ」
異端者と呼ばれていても、所詮は元はヒトである。
竜に変じる力を持っている者をイシュガルドで暮らす人々は異端者と呼ぶが、だからといって竜が異端者を仲間として受け入れるかどうかは分からない。
後から自分たちと同じ姿になる力を得た存在を、自らの同胞として竜が迎え入れなければ、孤立するのは異端者の方である。
「今回はうまく動かせたかもしれないが、二度目も同じことができるかは分からない。ランドンとやらが、遠方からやってきた飛竜に対して、自らの命を賭して攻め入るほどの旨みを見せられれば或いは、と思うが
……
異端者自身が飛竜に二度目の襲撃を頼むのは難しいんじゃないか、と俺は考えている」
一度は、ランドンの存在を理由に手を貸してくれるかもしれない。しかし、竜はヒトのように賢い個体もいるという。攻め入る理由がなければ、飛竜とて首を縦には振るまい。
まして、今回は飛竜の側にも多大な犠牲者が出ている。飛竜に少しでも知恵があるのなら、命が奪われるかもしれない場所に駒のように送り込まれるのは、避けたいはずだ。
「そうなると、参謀の異端者殿は、参謀が立案した作戦を行動に移してくれる手駒が欲しい。異端者の最も動かしやすい手駒は、同じ異端者だろうな。だが、それだって勝手に増えてくれるものじゃない。竜を正当化する理屈を吹き込み、これまでの価値観をがらりと変えさせるには、相応に時間がかかっちまう」
異端者は野に生えている草のように、勝手に増えるものではない。
当然だ。彼らは思想こそ違えど、元は同じイシュガルドという国に生きる民だったのだから。
「だけど、異端者を『作る』ことはできる。竜の血を飲みさえすれば、俺もお前も、みんな仲良く『異端者』にはなれるんだから」
「
……
まさか、異端者を生産するために、飛竜にヒトを攫わせたのですか!?」
口では否定を望むような物言いをしてしまったが、ノエにとってもルーシャンの推論は妥当だと思えてしまった。
前回の襲撃の主たる目的は、飛竜による奇襲と異端者の連携によって領主を討ち取ることだったのだろう。
しかし、それが叶わないならば、せめて何人か新たな手駒を増やすために街の者を誘拐する。その作戦は、異端者にとっては必要な手駒を増やすための一手と捉えられる。
「飛竜にとっちゃ何の意味もない行為であっても、後ろに異端者がいるなら話は別だ。まあ、飛竜に判断能力があるなら、何でそんな面倒臭いことをやらせるんだ
……
とは思っただろうけれどな」
「ですが、首尾よく連れ帰って、竜の血を
……
飲ませたとして。それだけで、街の人が大人しく手駒になるものでしょうか」
「本心はどうだか知らんさ。だが、竜血を飲んだ以上、手下になりたいかどうか、なんて問題ではなくなっちまう。それは、異端者の血筋とされたお前なら一番よく知ってるはずだ」
ルーシャンが言外に言いたいことは、ノエにもはっきりと伝わっていた。
イシュガルドの国内において、異端者として竜に変化したものを許す場所は存在しない。無理やり飲まされたのだと主張したところで、一体どれほどの人が耳を貸してくれるだろうか。
異端者の烙印を押され、どこにも行き場の無くなった人にとっては、自らを陥れた者が差し出した手であっても取らねばならなくなってしまうだろう。
異端者の血縁だから、という理由で異端者として疑われて崖から落とされたノエには、それが身に染みて分かっていた。
「飛竜に拉致された時点で、もう手遅れだったんだよ。そんな連中を今更助けに行って、どうするっていうんだ」
助けに行ったところで、人の姿をとどめていたとしても、すでに竜の血を体に取り込んでしまっていたら。そんな相手を、一体どうやって『助ける』というのか。
「連れ戻したところで、領主はそいつらを異端者として扱うしかない。そのことが分かっていたから、お前の父親は助けに行かないって結論を出したんだろう」
「ですが
……
彼らはもともとこの街にいた者です。たとえ、竜の血を飲んだとしても
……
それは変わらないはずです。彼らの帰りを待っている人もいるし、帰りたいと願っている人もいるはずです」
「だからこそ、だ。異端者としか扱われるしかない状況に置かれた上に、異端者自身からあれやれこやと吹き込まれただろう奴が、のこのこと街に帰ってくる。そいつらは、当然自分は異端者じゃないと言うだろうさ」
だが、異端者が本当に異端者でないかどうか、などということは誰にもわからない。竜に変じて、初めてそれと知ることができるのが多くのイシュガルド国民の現状だ。
「そんな連中を、単なる同情だけで迎え入れられると思うか? 一片も疑わずに、気の毒な被害者として受け入れられるか?」
冷淡な声音で、ルーシャンは現状を的確に解体していく。
異端者と化してしまったかどうか、などという保証はどこにもない。しかし、同時に異端者ではないという保証も、やはり存在しない。
しかし、異端者と共に一定の期間を過ごした上に、飛竜に攫われても死なずに帰ってきたという事実は、被害者への疑いを強めるには十分だ。
街という大きな社会を守るために、ベルナールはそのような危険分子を迎えに行かないと結論を出した。仮にノエが無事に連れ帰ったとしても、ベルナールは門の中に彼らを招き入れるかすらも怪しい。
「そんな連中のために、お前は命を賭けるのか」
ルーシャンは、再度尋ねる。
攫われた人を連れ帰ったところで、帰るところもないのではないか、という事実を突きつけて、それでもなおお前は決意を揺るがさずにいられるのかと。
果たして、ノエは静かに口を開いた。
「
……
それでも、僕は諦めたくありません」
「
…………
」
「ルーシャンさんのおっしゃる通り、彼らは竜の血を口にしてしまっているかもしれません。異端者によって、良からぬ思想を吹き込まれているかもしれない。それでも
……
攫われた人は、ここで暮らしていた人なんです」
彼らは今まで、当たり前のようにヒトとしての日々を謳歌していた。
泣き、笑い、時に怒り、時に喜びを分け合う。そんなごく当たり前の日常を過ごしていた人々だ。
「街に帰りたいと思う気持ちがそこに残っているのなら、僕は
……
連れて帰りたい。仮に竜の血を口にしていたとしても、彼らが理性を失った傀儡になっているわけではないのなら、共に歩む道もあるのではありませんか」
「イシュガルド正教の司祭たちが聞いたら、卒倒しそうな話だな」
「たとえ、共に歩むことは許されなくとも
……
再会と別れの機会は、竜でも異端者でもなく
……
ヒトの手に委ねるべきだと、僕はそう思います」
ノエとて、異端者の手に触れた者を人々が歓迎することはできないと知っている。ルーシャンの言うように、どれだけ領主や街の者が許したとしても、教会が、国が、より大きな社会がそのような共存は認めないかもしれない。
だからといって、攫われたヒトはすでに死んだ者として扱っていいのか。
遺されたものは、一方的に奪われた傷を胸に抱えたまま生き続けろと言うのか。
帰りたいと願う者を、お前は異端者で帰るところがないのだから竜の仲間として生きろと突き放していいのか。
「どうやって生きるかも選べずに、一方的に運命に押しつぶされてしまって苦しんでいる人がいるなら、少しでも足掻ける僕が彼らに選択肢を与えたい」
動かなくなった喉を必死に動かして助けを求めた少年の声は、今でもノエの耳の奥に響いていた。
「お前の希望が叶って、異端者を連れて帰って
……
だが、どうするんだ。お前が家や住処を与えてやれるのか。それとも、お別れが済んだら異端審問官に突き出すのか。そうだとしたら、お前はとんでもないエゴイストだぞ」
ノエの希望的観測に、ルーシャンが現実的な問題を突きつける。自分が『救いたい』という希望のためだけに、他者の人生を振り回していないか、と。
「それは
……
確かに、すぐにどうこうできることではないでしょう」
さすがのノエも、それに対する答えは持ち合わせていなかった。ノエはベルナールのように領主ではない。一声で土地や街の一部を貸し与えるような力はない。
「
……
ですが、彼らが竜にこれ以上変化することができないのなら、やりようはあるはずです。死んでしまったら
……
自分はもう異端者だからどうすることもできないと絶望して、人を傷つけるような真似をしてしまったら、それこそ何もかもが取り返しがつかなくなってしまいます」
イシュガルドの国内にこだわらなければ、異端者とされた人を救う方法もあるかもしれない。ひょっとしたら、同じような被害者が身を寄せ合う場所もあるかもしれない。
それらの可能性を探れるのも、生きているからこそだ。ひとまず、ノエはそのように結論を出す。
「竜に理不尽に奪われて、受け入れるしかない。そんな結末を、僕は仕方ないという言葉で飲み込みたくないんです」
たとえ攫われた人が異端者となってしまっても、この気持ちだけはやはり覆らない。
ノエは己の決意を新たに、言葉に力を込めて断言する。
「
………………
」
対するルーシャンは、ノエの意思を聞き
――
それでも、微かに伏せた双眸に了承の光を宿すことはなかった。
「
…………
悪いが、やはりお前の言葉だけじゃ、俺の中で『助けに行くのを手伝ってやろう』という気持ちにはなれそうにない」
返ってきた言葉は、不承諾の言葉。
「なぜだか分かるか。リスクとリターンが、全くもって釣り合っていないからだ」
静々と冷めた言葉が、ノエの耳を打つ。普段とは異なる冷えた声音だからこそ、ノエはルーシャンがどれほど真剣に自問自答を繰り返していたのかが分かってしまった。
「そう
……
ですよね。ルーシャンさんはイシュガルドに戻って、やりたいことがあるんですよね」
「ああ。何年も
……
それこそ、十年以上も待ち続けてきたことだ。この機会を逃したら、きっともう、二度と
――
……
」
中途で言葉は途切れてしまったが、その声音に乗せられた思いの重さは十分にノエにも伝わってきた。具体的な内容こそ定かではないものの、それだけの期間、一心に願い続けたのだろう。それだけの強い願いを、自分の無謀な申し出のために諦めてもらいたい、とはノエには到底言えなかった。
「だから、これはお前の勇気ある決断を受け入れられなかった、意気地のない男の、くだらない忠言だ」
ルーシャンは瞼を持ち上げ、目の前にいるノエを見据える。
「ノエ、お前もよく考えてみたらどうだ。お前はああ言っていたが、異端者になりかけたヒトを助けて、お前にどんなメリットがある。お嬢ちゃんはお前の意見に賛同するだろうが、お前のやりたいことは、オデットを危険に巻き込んでまで、やらなきゃいけないことなのか?」
それは、ノエが今までも何度も己に向けて繰り返した問いでもあった。
オデットはノエの背中を押してくれた。ヤルマルたちも、ノエの手を掴んでくれた。
だが、決意表明と実際の危険は別物だ。安全地帯ではどれほど綺麗事を口にできたとしても、目の前で竜に頭を砕かれそうになったときまで、同じことが思えるのか。
「
……
忠告、ありがとうございます。ですが、決めたんです」
それでも、やはりノエは頷けた。
「助けに行かなかったら、僕の中にいる『僕』は死んでしまうでしょう。後悔を抱えて、その先のいろんなことにも、同じように自分を騙し続けて
……
」
一度目を瞑ってしまえば、きっとその先の全ての事柄においても、目を瞑ることは簡単になる。
あの時見捨てたのだから、今度だって見捨てられる。助けを求める声を蹴飛ばし続ける未来の己を想像して、ノエはゆっくりと首を横に振る。
「
……
そうやって死んだように生き続けることは、本当に死ぬよりも、僕にとってはずっと恐ろしい」
死ぬつもりはありませんけれど、と口元に淡い笑みを浮かべて、ノエは言った。
彼の言葉を聞いて、この部屋に来て初めて、ルーシャンの顔に驚きが混じる。今まで、泰然と冷静さを崩さずにノエを引き留めていた男の瞳に、わずかに異なる感情がよぎった。
「ルーシャンさんにとって、命を賭けるほど意味があることではないから手伝えないというのは、当然の意見です。だから、無理に手伝ってほしいとは言いません」
ノエはそこで言葉を区切り、一呼吸を置いてから、
「ただ、一つだけ頼んでもいいでしょうか」
「
……
何だ。その頼みっていうのは」
「この街で、僕らが戻るまで待っていてもらえますか。ルーシャンさんが、もう二度と僕らが戻ってこないと判断するまで。この件が終わったら、またルーシャンさんと旅をしたいんです」
「
――――――
」
手を貸さないと言われて、憤っても仕方ない場面ではある。だが、ノエの心は不思議とすっきりとしていた。
行けないというのなら、仕方ない。だったら、今のうちに伝えられることは伝えておこう。彼はそう決めて、己の思いを言葉とする。
「永遠とはいかないでしょうけれど、できるならまた、この六人で旅をしたい。ルーシャンさんに用があるのなら、許されるだけ長く、共にいたい。だから、ルーシャンさんが待てないと思えるまで、ここで待っていてもらえますか」
いつまでも、ルーシャンを自分勝手な理由で繋ぎ止めておくわけにはいかない。だから、その期限を決める部分については、ノエは目の前の男に委ねた。
ルーシャンは、今度ははっきりと目を見開く。そこに一体どんな感情がよぎったのか、残念ながらノエに知るすべはなかった。
「
……
ノエ」
「サルヒさんには、ルーシャンさんはついていかないってこと、説明しておきます。サルヒさんの力を借りられないのは残念ですが
……
サルヒさんの気持ちも、僕にとっては今回の救出と同じくらい大事なことですから」
仲間の意見を捻じ曲げてまで、同行せよと迫るなどノエは考えてすらいなかった。
サルヒにはサルヒの譲れないものがある。ちょうど、ノエが攫われたヒトの救出という決意を曲げられないように。
話は終わったと、ノエは寝台から立ち上がった。
「ありがとうございます、ルーシャンさん。僕の決めたことに対して、こんなにも真剣に沢山考えてくれて」
深々と、青年は頭を下げる。自分の決意を笑い飛ばさず、こんなにも真正面から悩んでくれた年上の先人へ、敬意の意を込めて。
頭を上げ、ノエは部屋を出るためにルーシャンへと背を向ける。扉を開き、廊下へと出た青年は知らない。
自分の中に最初からあった結論を提示しただけだというのに、まるで己自身に剣を突き立てたかの如く顔を歪めている男の姿が、そこにあったことに。
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