昼間はちらほらと参拝者も見える境内も、日が暮れてしまうと人の気配がなくなってしまう。その中を、水木とゲゲ郎は歩いていた。今日はゲゲゲの森で酒盛りがあり、水木もそれにお呼ばれしているのだった。
「これで足りるかな」
水木はビールと惣菜の入った袋に視線をおとした。キンキンに冷えたビールがぬるくなってしまわないように、凍った水も入れているからなかなか重い。今夜は大勢あつまるというから多めに買ったが、さて、妖怪たちにいきわたるだろうか。
「足りるじゃろ。あやつらもそれぞれに何か持ち寄るじゃろうし」
「そうか」
ならいいか、と水木はまた歩きはじめた。ゲゲ郎も横をついてくる。
カラン、コロン。下駄の音と、草むらで鳴く虫の声がする。今夜は満月だ。月明かりに、木々の葉が輝いている。
境内へ続く道が、もっと長ければいいのにーーーそんなせんないことを考えてしまう。これだけの距離しかないのでは、すぐにゲゲゲの森についてしまう。二人きりでいられるのは、ほんのわずかな時間だ。
「水木や」
不意に声をかけられて、はっと顔をあげる。ゲゲ郎が微笑んでいた。
「何か考え事かのう?」
「……ちょっと、仕事のことをな」
「お主というやつは」
彼はあきれたように眉をひそめた。
「勤勉なのは美徳じゃが、お主は働きすぎじゃ」
「働かないと暮らしていけないからな」
酒も買えないし、と肩をすくめる。
「なんであれ、ほどほどが肝心じゃ」
「はいはい」
水木は適当に返事をした。男はまだ何か言いたげだったが、諦めたように口を閉ざした。
時折説教されるのが、水木は嫌いではない。
こうして心配してもらえるのが嬉しかった。ゲゲ郎の心がこちらに向けられているという確かな証拠だ。
ーーー好きな男に心配してもらって喜んでいるなんて、自分はなんて安い人間なのだろう。それでも、幸せなのだからしかたない。
前世では最後まで伝えることのなかった思いのせいか、水木は今世では女の体で生まれてしまった。だからといってどうなるわけでもない。水木はこれからも自分の心は秘めたまま、彼らのそばで人間として生きていくつもりだ。
「水木や」
ゲゲ郎がまた声をかけてきた。
「来週、ここで祭りがあることは知っておるか?」
「夏祭りか?へえ、全然知らなかった」
小さな神社だが、地域との関わりが深いのだろう。水木は感心したようにうなずいた。
「屋台がたくさんあつまってのう、それは賑やかなのじゃ。りんご飴にたこやき、射的やなんかもある」
「へえ、面白そうだな」
「一緒に行かんか?」
水木は一瞬、答えにつまった。こんな風に誘われることなんて初めてだったのだ。だがすぐに、
「俺でいいなら、つきあうよ」
と答えた。ゲゲ郎は嬉しそうな顔をして「約束じゃぞ」と念を押した。
約束の日はすぐに来てしまった。
水木はベッドの上に並べた服を見てため息をついた。一方はいつもの、シャツとゆったりしたパンツの組み合わせだ。これはゲゲ郎の前で何度も着ているし、今更恥ずかしがることもない。
問題はもう一方の服だ。
白い生地に青や紫の朝顔柄の浴衣。帯は臙脂色だ。昨日、せっかくの祭りなのだからと受かれた気分でデパートに寄って購入したのだが、これは失敗だった。
制服以外にスカートを持っておらず、女らしいとされる格好をまったくしてこなかった水木にとって、浴衣を着るというのはかなりハードルが高い。
そもそも男として生きた記憶があり、今更女の格好をすることに違和感がある。かと言って、せっかく買ったものを着ていかないというのもーーー 水木は何度目かわからないため息をついた。約束の時間まではあと少ししかない。
「……ああ、もう!」
くしゃくしゃと髪をかきまぜ、水木は浴衣を手に取った。
店員は「似合う」と太鼓判をおしてくれたのだし、ゲゲ郎だっていつも着流しを着ているのだ。浴衣は男も女も着るものである。水木は勢いをつけて、浴衣を羽織った。
ーーーやっぱりこんな格好やめておけばよかった。
待ち合わせの場所に向かいながら、水木は後悔していた。暑いし慣れない下駄は歩きにくい。通りすぎる人たちがさっきからこちらを見ては「似合わない」とひそひそ話をしているような気がしてくる。
だが、せっかくここまで来たのだから行くしかない。
「あの、お嬢さん」
店の入り口で打ち水をしていた中年の婦人が声をかけてきた。
「あなた、帯が緩んでるわ」
「えっ」
「ちょっとじっとしてて」
彼女は水木の後ろにまわると、帯を直してくれた。
「これで大丈夫」
「ありがとうございます」
水木が礼を言うと婦人はにこにこと笑った。
「よく似合ってるわ、その浴衣。これからデート?」
いいわねえ、と婦人はうっとりした顔をした。水木はどう答えていいのかわからず、曖昧にほほえんだ。
ーーーデートなんて、そんなわけないのに。
だが、二人で会うことをデートと言うならば、これはデートなのかもしれない。
「お嬢さんきれいだから、彼氏も似合うってほめてくれるわよ」
「どうも……」
婦人に頭を下げて神社に向かう。
水木と同じように浴衣を着た人々が、神社の方へと吸い込まれていく。祭りの会場は、すでにかなりの賑わいを見せていた。
「ゲゲ郎」
境内の入り口にある木の陰で佇んでいる男に声をかける。
「おお、水木」
彼はすぐにこちらを見て、少し驚いたような顔をした。物珍しい格好をしている水木に思うところがあるのだろう。
ーーーもしかしたら、「似合う」と言ってくれるかもしれない。
淡い期待を込めて男の顔を見上げると、彼は何故か視線を泳がせた。
「水木さん?」
背後から名前を呼ばれて振り向くと、鬼太郎とねこ娘がいた。鬼太郎はいつもの学生服ではなく青っぽい甚平を着てうちわをもち、ねこ娘はおしゃれな赤い浴衣を着ていた。
「あら、珍しい。水木さんもこういう格好するのね」
「似合ってますよ」
鬼太郎は水木を見て微笑んだ。
「そうか?変じゃないか」
「素敵だと思うわよ」
ねこ娘も同意する。ゲゲ郎の反応が気にかかってちらりと見ると、彼は視線を逸らしたままだった。
ーーーやっぱり似合ってないってことかよ。
嘘やおためごかしを嫌う男だ。お世辞など言うはずもない。水木はため息をついて俯いた。
すらりと背の高いねこ娘は何を着ても似合うが、浴衣姿も凛として華やかだった。彼女のとなりに並んだら、自分などひどくちっぽけな存在に思える。
やはり浮かれてこんなものを着てくるんじゃなかった。いつもの格好でくればよかった。
「……そろそろ行かんか。腹が減っておるじゃろう」
ゲゲ郎が沈黙を破った。そうですね、と鬼太郎が答える。
「水木さん、行きましょう」
鬼太郎はそう言って歩き出した。ゲゲ郎がそれに続く。ねこ娘もそれに続こうとしたが、ふと立ち止まって水木の顔をのぞきこんだ。
「どうしたの?」
「……なんでもないよ」
水木はようやくそれだけを言った。
焼きそばやたこ焼き、かき氷などを食べながら屋台をまわり、金魚すくいや射的をした。水木は昔取った杵柄でさっそうと射的に挑んだが、記憶はあっても経験がないためかまったく当たらなかった。
「昔は、一発で手斧を弾き飛ばしたんだが」
首を捻りながら屋台から離れると、ゲゲ郎はうんうんと頷いて同意してくれた。
「それは見事じゃった。わしは水木が本当に戻ってきてくれたと驚いてなぁ」
鬼太郎もねこ娘も、もう何度も聞かされた話らしく、苦笑しながらうなずいている。
「あ、鬼太郎。次はあの十円パンに並ぶわよ」
「はいはい」
鬼太郎はやれやれとため息をついて歩き出した。
残された水木たちは、その後ろ姿を見送る。
「俺たちも何か買ってくるか?」
そう声をかけたが、ゲゲ郎は首を横にふった。
「いや……」
さっきからゲゲ郎は黙りがちで、水木も話しかけあぐねていた。手持ちぶさたになり、さっき吊り上げた水風船をバシャバシャと揺らす。
別に二人きりじゃなかったからといって、浴衣を褒めてくれなかったからといって、自分が落ち込む筋合いはないのだ。
ゲゲ郎はもともと鬼太郎たちと来る予定で、そこに水木があとからくわわっただけ。友人が浴衣を着てきたからといって褒める義務があるわけではない。そもそも浴衣姿をきれいだと思ってほしいなんて浅ましい考えがよくなかった。
「ゲゲ郎、俺もう帰るよ。じゃあな」
一刻も早く浴衣を脱いでしまいたい。そして、浮かれて、少しでもゲゲ郎とデートのようなことをしてみたいと考えてしまった馬鹿な自分とともに、全部全部ゴミ箱に捨ててしまいたかった。
ゲゲ郎に背を向けて歩き出すと、背後で慌てた声がした。
「待て、水木」
追いかけてきた男が腕を掴む。その拍子に水風船が手から滑り落ちた。
ぱしゃん
風船が地面に当たってはじけ、中の水が浴衣の裾を濡らす。
「あ……」
呆然とする水木に、ゲゲ郎があわてて謝った。
「す、すまん」
「いや、いいよ。どうせ全部捨てようと思ってたから」
そのままゲゲ郎の顔を見ずに足早に歩きだそうとした。だが、掴まれた腕が動かない。
「離してくれ」
水木は低い声で言ったが、ゲゲ郎は手を離さなかった。
「水木や、なにか怒っておるのか?」
水木は答えなかった。ゲゲ郎の顔を見たくなかったし、彼の顔を見れば何を口走ってしまうかわからなかったからだ。
ーーー引き止めてくれるなよ。期待させないでくれよ。
「なあ、水木や」
ゲゲ郎が困った声で言う。
「わしは何か悪いことをしてしもうたかのう?」
「……別に何も」
「では、なぜそんな顔をしているんじゃ」
「ほっといてくれ」
「水木や、こっちを見てくれ。頼むから……」
ゲゲ郎は懇願するように言った。だが、それでも水木が顔を上げずにいると、彼はそっとため息をついた。
「わかった。もう引き留めぬ。家まで送ろう」
「……放っておいてくれ」
「放っておけん」
ゲゲ郎は水木の腕をつかんだまま歩きはじめた。水木は引きずられるようにしてそれについていくしかなかった。
カラン、コロン。
二つの下駄の音が、夜道に響く。多かった人も次第にまばらになり、暗い夜道には二人しかいない。
ゲゲ郎は黙ったままだ。水木も黙っていた。だが、背の高い男はゆっくりとした足取りで、歩きにくそうな水木を気遣っているのがわかった。
いつもそうだ。ゲゲ郎は優しい。そんな男だから好きになったのだ。
このまま永遠に家に着かなければいいのに、と水木は思う。ゲゲ郎と二人で過ごす時間がずっと続けばいいのに。
しかし、そんなわけにもいかず、とうとうマンションの前に着いてしまった。ゲゲ郎はようやく水木の手を離してくれた。
「……ありがとう」
「ああ」
「じゃあな」
水木は顔も見ないで別れをつげると、マンションのエントランスに向かって歩き出した。
「水木!」
ふいに強く腕を引かれる。気がつくと、ゲゲ郎の顔が目の前にあった。彼はやけに熱っぽい目をして水木を見つめていた。
「離してくれ」
「わしは」
「ゲゲ郎!」
「わしはお主が」
ゲゲ郎はぐっと顔を近づけた。二人の吐息が混じり合うほどの距離で、彼はささやくような声音で言った。
「好きじゃ」
息がかかるほどの距離でささやかれた言葉に、水木は目を見開いた。
「わしはお主が好きじゃ」
ーーー幻聴だろうか。それともとうとう自分の恋心が暴走してこんな幻覚を見てしまったのだろうか。
しかし、掴まれた腕の強さが、ひんやりとした肌の感触が、これが現実であることを水木に伝えていた。ゲゲ郎は目を細めてこちらを見下ろした。水木はその瞳を呆然と見つめ返す。
「……いつから?」
思わずそう尋ねると、ゲゲ郎は優しく微笑んだ。
「ずうっと前じゃ」
「前って」
「前世から、ずうっとじゃ」
「そんな……」
水木は呆然とした。まさか、ゲゲ郎も自分と同じ気持ちだったとは。
「わしはお主が女だから好きになったわけではない。男だろうが女だろうが関係なく、水木が水木であるというだけで、すべてが愛しい」
ゲゲ郎は水木の目元をそっと撫でた。前世で傷のあった場所、今生では薄く痣として残っている場所。
「わしは水木が好きじゃ」
もう一度ささやかれて、水木は瞳をうるませた。そして、見た目よりもずっとたくましい体に抱きついた。ゲゲ郎は少し驚いたように身じろぎしたが、やがて背中に手を回して抱き返してくれた。
「俺も好きだよ。ずっと好きだった」
「本当か?」
ゲゲ郎の声が弾んだ。
「顔が見たい」
「……今はだめだ」
水木は小さな声で言った。今、自分はひどくみっともない顔をしているに違いないのだ。
「どうしてじゃ?」
「……恥ずかしいからだよ!」
水木はそう言うと、ゲゲ郎の肩に顔を埋めた。「仕方がないのう」とゲゲ郎が苦笑する気配がする。そして彼は、水木の耳元に口を寄せた。
「言うつもりはなかったんじゃ。お主を困らせると……でも、今夜のお主はあまりに可愛くて、つい」
「ーーーっ」
水木は顔が真っ赤になった。この男は本当に、何てことを言ってくれるんだ。恥ずかしさのあまり何も言えずに固まっていると、ふいにゲゲ郎が体を離した。
熱のこもった瞳に見つめられて、胸が高鳴るのを感じた。
「とてもきれいじゃ。これほど浴衣がよう似合うとは知らなんだ」
それから、とろけるような甘い声で言った。
「わしにもっと、教えてくれんか。まだ見たことのないお主の姿を」
水木は呆然と呟いた。
「なんて手のはやさだ。お前、誰にでもこうなのか」
「お主だけじゃよ」
ゲゲ郎は笑って顔を近づけてきた。反射的に目を閉じると、柔らかい唇が重なった。目を開けると、ゲゲ郎が照れたように笑っていた。
「もう一度したい」
「だめだ」
「なぜじゃ?」
水木はため息をついた。この男は本当にーーーでも、そんなところも好きだと思ってしまうのだから、自分もたいがいだ。
「……家に入ってからな」
そう言って着流しの袖を引っ張ると、彼は嬉しそうにうなずいた。
手がはやいと言ったものの、抵抗するつもりなんて少しもなかった。
まだ見たことのない姿を、顔を見たいと思う気持ちは、水木も同じだったので。
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