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桐子
2024-07-23 01:06:28
4212文字
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祈り(父水)
令和の世になって、気候もずいぶんと変わってしまった。茹だるような暑さの中、水木は汗をかきながら歩いていた。
駅からタクシーを使えばよかったが、出張中は公共交通機関を使わないなら自費だといわれ、ついケチって歩きを選んだのだ。
「あっちぃな
……
」
真昼のせいで日陰もほとんどない。アスファルトの照り返しが肌を容赦なく焼いた。
ゆらりと陽炎が揺らめく。日差しが足元に色濃い影を落とす。東京も暑いが、こちらの暑さはどこかじっとりと肌にまとわりつくようだ。
まだ相手先の会社は遠い。水木はシャツの襟ぐりを持ってパタパタと扇ぎながら、風景に目をやった。
「ぎゃっ! 水木、随分と激しいのう」
「あ?」
突然名前を呼ばれ、水木はあたりを見回した。聞き覚えがありすぎる声だ。はっと気が付いて胸ポケットを覗き込む。
「
……
おい、ゲゲ郎。何勝手に着いてきてんだ」
水木は人気の無さそうな路地に入り、ポケットの中のものを摘まみ出した。ぷらんとぶら下がっているのは手足の生えた目玉ーーーゲゲ郎だった。
「お主が知らぬ男と旅行に行くと言うから、わしは心配で心配で
……
」
「旅行じゃなくて出張だし、一緒に来てるのは上司のおっさんだ。なに下世話なこと考えてる」
「しかし、お主は一人で出かけると、何かと妖怪がらみの事件に巻き込まれやすいし
……
」
「俺は小学生じゃないんだぞ」
水木はため息をつく。ゲゲ郎の過保護さにはほとほと手を焼いていた。こうしてこっそりついて来られるのだって今回が初めてのことではない。
「もう勝手にしろ」
水木は目玉を再びポケットの奥深くにしまった。
「水木、苦しいぞ!」
「うるせえ。黙ってろ」
ゲゲ郎が何やら騒いでいるが、水木は無視を決め込んだ。どうせそのうち静かになるだろう。
しばらく歩くとようやく目的の会社についた。中へ入った途端に涼しい空気に包まれてホッとした。ようやく人心地ついて汗を拭いていると、先に来ていたらしい上司が水木を見つけてやってきた。
「やあ、水木くん。歩いてきたのかい?」
「近いと思ったんですが失敗しました」
先に着いていた上司はタクシーを使ってきたらしい。
「じゃあ行こう。君のプレゼンには期待しているよ」
「ありがとうございます。期待に添えるよう頑張ります」
二人はエレベーターに乗り込み、目的の階へと昇っていく。
ゲゲ郎のことは忘れて集中だ、と水木は自分に言い聞かせた。
想像以上にうまく商談がすすみ、上司は大喜びだった。
「いやー、よくやってくれたな! 君が来てから本当に助かっているよ」
「そんなことは」
謙遜してみせると、上司はいやいやと首を振る。
「君のおかげで取引先も増えたし、若手も育ってきている」
「そう言っていただけるなら光栄です」
水木は頭を下げた。褒められるのは悪い気分ではない。
かつては、出世するために無我夢中だった。のしあがりたい一心で人よりも多く働き、上司に取り入った。
だが今はどちらかというと、出世欲よりも、人の役に立ちたい、世の中のために自分なりに手助けをしたいという気持ちが勝っている。
水木は働くことが好きだ。自分のしていることが誰かの役に立っているのが嬉しいし、対価として金銭が得られるのもありがたい。
もはや人の理を越えた身になっているのに人の世界で働くことを、ゲゲ郎も鬼太郎もよく思っていないが、こればかりは性分なのだろう。
「ところで水木くん。これからどこかで飯でも食べないか?」
「ありがたいお話ですが、こちらに友人が住んでるんです。夜はそいつと約束してまして」
そうかそうか、楽しんできなさいと上司は快く水木に言って、会社の前で別れた。昔なら上司の誘いを断るなんて許されなかったが、今は上司主宰の飲み会も減り、個人の意志が尊重されるようになった。いい世の中になったものだ。
「友人というのはわしのことか?」
ポケットから声がして、水木はそちらを見下ろした。期待に目を輝かせている。
「そりゃ、お前以外にいないだろ」
「水木~っ!」
ぴょん、とポケットから飛び出した目玉はそのまま人型に変化し、水木に抱きついた。
「うぉっ!こら、こんな所で戻るな」
「誰も見ておらん。さ、行こう行こう!広島といえばお好み焼きじゃ」
カラン、コロンという下駄の音さえもどこか楽しげに弾んでいる。やれやれと肩を竦め、水木はゲゲ郎の後をついていった。
繁華街へと足を運んだ二人は、名物だという牡蠣や海鮮、お好み焼きを思う存分に堪能した。
「うまい! 鬼太郎にも食べさせてやりたいのう」
「鬼太郎は今年もまなちゃんたちと境港に行ってるんだろ。さては寂しくてついてきたな?」
「ううむ、どうじゃったか
……
」
ゲゲ郎はビールを飲んで誤魔化した。おおかた図星だろう。鬼太郎は最近ようやく思春期を迎えたのか「父さんはついてこなくても大丈夫です」と同行を断るようになっており、ゲゲ郎はそれをおおいに寂しがっていた。
「わしにもわかっておる。倅は大人になってきておるのじゃな
……
早いものじゃ」
いや、七十年越えた思春期なんて遅すぎるくらいだろうと思ったが、しょんぼりと肩を落としたゲゲ郎を見ているとつっこみにくい。
「まあ、そう落ち込むな。鬼太郎だってまだまだお前のことを頼りにしてるさ」
「水木ぃ~」
ゲゲ郎は感極まったように水木の腕にすがりついた。
「おわっ!くっつくな」
水木は慌てて振りほどこうとするが、がっちり掴まれて離れない。大きな男に泣きつかれ
て遠い目をしながら、水木はビールを飲み干した。
ホテルへの帰り道でコンビニに寄り、追加の酒やアテ、水などを買い込んだ。夜だというのにまだ蒸し暑い。川沿いをぶらぶらと歩いていると、遠くに鉄骨だけの建物が見えた。
原爆ドームだ。
水木はやるせない気持ちになって足を止め、その建物を見つめた。
戦争が終わり日本へ帰ってきた水木は、そのきっかけが原爆の投下であると聞いてはいた。だが広島と長崎の惨状を知ったのはもっと後になってからだった。
人間はどうして過ちをおかして後悔するくせに、また同じ過ちを繰り返すのだろう。自分さえよければいいという人間があまりに多いことに、水木は虚しさを感じずにはいられなかった。
かつて、同胞たちを人間に狩られてきた幽霊族の末裔は、同じように立ち止まり、穏やかに川面を眺めている。その横顔はこの世のものと思えないほど儚く美しい。
『あついよう
……
』
ふと子どもの声が聞こえた気がして、水木は振り向いた。いつの間にそこにいたのか、五歳ほどの少年が橋の欄干のそばにしゃがみこんでいる。
「どうした、迷子か?」
水木は近づこうとしたが、肩を掴まれた。はっとしてゲゲ郎を見ると、彼はやるせない表情で首を横に振った。
「かかわるな」
「
……
」
子どもは、あつい、あついと言いながらしくしく泣いている。小さな子どもを見ると、幼い鬼太郎のことを思い出して、どうにかしてやりたくなってしまう。水木はどうしてよいか分からず、しかし何もしないで見過ごすことも出来ず、水木が躊躇っていると、ゲゲ郎が一歩前に出た。
「水をくれ」
ゲゲ郎が手を差し出した。水木はコンビニの袋から水の入ったペットボトルを取り出して渡した。
ゲゲ郎はカランコロンと下駄を鳴らして子どもに近づいた。
「ほら、きれいな水じゃよ。たんと飲め」
そう言うと、ゲゲ郎は子どもの頭にペットボトルの水をじゃぶじゃぶとかけ始めた。子どもはきょとんとした顔でゲゲ郎を見上げていたが、やがて嬉しそうに両手を伸ばして水をすくい、ごくごく飲み始めた。
『おじさん、ありがとう。冷たくておいしい』
「それはよかった」
子どもはおいしそうに水を飲み干すとふっと消えてしまった。しばらくの間、ゲゲ郎はじっと子どもが消えていった辺りを眺めていた。
「水木、帰ろうか」
くるりと振り返りゲゲ郎はそう言った。その目はとても穏やかだった。
「
……
ああ」
水木は頷き、ゲゲ郎と並んで歩き出した。
「あの子は、幽霊か?」
「そうじゃろうな。あの地に縛られてどこにも行けん、かわいそうな子じゃ。じゃが、少しは喉の乾きも癒えたことじゃろう」
そう言ってから、ゲゲ郎は水木のほうを見た。
「お主が憐れみをかけたところで、あの子は浮かばれん。あの子はこれからもああやって水を求めて彷徨い続ける」
「わかってるさ。
……
でも、あの子が少しでも救われたならいいと思ったんだ」
別に水木は、何もかもを救いたいわけではない。だが、水木は鬼太郎に出会って傷ついた心を癒すことができた。ゲゲ郎と手を取り合って生きることで心が満たされた。それはほんのささやかで、はかなくて、だけどかけがえのないものだった。それがあの子どもにも与えられたら良いと思ったのだ。
「そうか
……
」
ゲゲ郎はそれ以上何も言わなかったが、水木にはそれだけで十分だった。
ホテルのベッドは水木の家のベッドより広いセミダブルだった。ゲゲ郎はそれを見て妙な顔をした。
「ここで一人で寝るつもりだったのか?」
「いつも誰かさんがベッドを占領してるからな。たまには広いベッドでのびのび寝たいだろ」
水木がそう言うと、ゲゲ郎は「それもそうじゃのう」と納得した。
シャワーを浴びた水木は、先にベッドに寝転んでいたゲゲ郎の隣にもぐりこんだ。長い腕が伸ばされ、腕の中に抱き込まれる。
いつもなら「暑苦しい」と引きはがすところだが、今日は黙って自分からも抱き締め返した。
「おや、珍しい」
「うるせえな」
水木は悪態をつきながらも、ゲゲ郎のことを抱き締めていた。
これからも水木は生きていく。人の理を外れ、この男と生き続ける。だから、せめて覚えていようと思った。
南の島で死んでいった同胞たち。
悲しい結末を迎えた少女とその一族。
子どもを守り続けた強い母。
戦火の中で翻弄されるしかなかった弱い人々。
爆風で体を焼かれて水を欲しがった子ども。
ーーー彼らのことを忘れない。
水木はゲゲ郎の胸元に頬をすり寄せた。男は優しい手つきで水木の髪を梳いている。
「
……
ゲゲ郎、おやすみ」
今ここにお前がいてくれてよかった。言葉にならなかった思いを、ゲゲ郎はちゃんと分かってくれたのだろう。おやすみ水木と、ひどく優しく応えてくれた。
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