あつき
2024-07-23 00:44:46
12015文字
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君が全てをくれるなら

付き合ってるドラロナのロ君が、付き合っている記憶をなくして、ドちゃんに片想いをしている話。

ロナルドは、薄暗い部屋ではっと意識を取り戻した。
混乱した頭で、辺りを見回す。いつもの事務所の生活スペースだ。ソファに座っているということは、うたた寝でもしていたのだろうか。何故か頭に靄がかかったように直近の記憶が引き出せない。
今の時刻をスマホで確認する。夕方の六時半過ぎ。ちょうど太陽が地平線に呑まれ、暗闇が刻一刻と深くなっていく頃だ。
がたっと、ソファの後ろの棺桶が揺れた音がした。座ったまま振り返れば、棺の蓋をゆっくりと押し上げ、中から痩身の吸血鬼、ドラルクが上体を起こした。ロナルドと目が合うとにこりと微笑み、立ち上がった。ソファの背もたれに左手をついて、右手でロナルドの頬を撫でる。
「おはよう。愛しのロナルド君」
そう言いながら寄せられた唇はロナルドの唇と重なり、一瞬、世界の時が止まった気がした。
「はああああぁ?!!!」
間をおいて爆発した拳に、ドラルクは塵になると「は」とか「え」とか困惑した声を上げる。
人の形に戻ると、「ロナルド君?」と不服だと言わんばかりに訝しげにこちらを見つめる。
「なん、で、お前!!今、き、キスした!??」
「はあ?いつもしてるでしょ」
「いつも!!?俺の知らないうちに!?」
「ちょっと!同意を取ってないかのような言い方やめて!君からだってしてくれるだろ?」
「はああ!?出来るわけないだろ!!」
顔を熟れたトマトの様に真っ赤にして、わなわなと体を震わせ目に涙を溜めて信じられないとドラルクを見返す。
「あーー、またこのパターンね、はいはい、昨日のトンチキ吸血鬼のせいか」
ひとりごちる吸血鬼に、ロナルドは昨日のことも記憶が曖昧でただただ困惑するばかりだった。


**

「ロナルド君、そんな警戒しないでよ。君の記憶が戻るまでは、恋人らしいことは何もしないから」
ドラルクから一定の距離を保つロナルドに、参ったようにため息を吐く。
ロナルドは、感情の整理が追い付かないでいた。ロナルドの記憶では、吸血鬼ドラルクは仕事の相棒で、同居人。ただそれだけの関係だったはずだ。
なのに突然、三年程前から恋仲にあったと聞かされても晴天の霹靂でしかなかった。にわかには信じられずに、いつものドラルクの悪戯ではないのかと疑ったくらいだ。流石に冗談でキスはする訳ないと先程の出来事を思いだし、羞恥で叫び出しそうになる。

「VRCの回答だと、時間経過でそのうち記憶は戻るってことだったから」

昨日現れたおポンチ吸血鬼は、『吸血鬼恋人同士の記憶を消して他人に戻す』という恐るべき吸血鬼だった。
例に漏れずロナルドとドラルクは光線をくらい、ロナルドは付き合っていた頃の記憶を消されてしまった。ドラルクも光線を受けたが、催眠耐性があるのでロナルドの記憶だけが消えたということだった。
昨日までは普通だったとのことで、遅効性の能力のようだった。
「私のことは分かるんだよね?」
「クソザコ吸血鬼砂おじさん」
「喧嘩売っとんのか若造!昨日は何してたか覚えてる?」
「昨日は……昼はロナ戦の原稿して、夕方お前とギルドに顔出してたら吸血鬼が出たって電話が掛かって来て。で、駆けつけてワンパンで倒したけど顔と名前はわやわやして思い出せないんだよな」
「なるほど。催眠を掛けられるとどんな吸血鬼だったかも忘れてしまう訳か。普通のカップルなら何をされたか分からないままお互いの記憶が消えてしまうんだな」
地味にたちが悪い、悪趣味だなとぶつぶつ呟いている。そしてちらっとロナルドを試すような目で見てくる。
……その後は?」
「その後?普通に帰ってメシ食って風呂入って寝た」
「そう……なに食べたか覚えてる?」
「え?」
そういえば、昨日の夜食は豪華だった。最近は「アラサーなんだからそろそろ体に気を付けなさいよ」と揚げ物の頻度が出会った頃より減ったし、デザートも昼間食べろと言ったりヘルシーな物が多くなった。
まだ二十代だし、牛乳ばっかの不摂生おじさんに言われたくねえと思ったが、ロナルドの健康を気遣っているのは分かるので強くは出ていない。
それなのに昨日は唐揚げ付きのオムライスに、小ぶりのバナナケーキまで用意されていた。
……昨日誰か誕生日だった?」
ドラルクは肩をすくめ、「いや」と短く返事をする。
「じゃあ君は、君から告白してくれたことも、体の関係を迫ってきたことも、プロポーズ紛いのことをしてくれたことも覚えてないんだ?」
「はああああぁぁ!?何言ってんだ!!バーカバーカ!!」
何なの!?記憶を失う前の俺って勇者なの!??
「プ、プロポーズって、俺達結婚してんの!??」
「残念ながら、まだ」
まだ!?いつかするの!??
ロナルドの脳内は混乱の一途を辿っている。
ロナルドは一つ、ドラルクに明かしていないことがあった。催眠によって付き合っていた頃の記憶は無くなったが、それに付随するもので消えなかったものがある。

ドラルクへの、恋心だった。

さらに言うなら、ただ好きという感情だけでなく、この三年間はロナルドが片思いをしていたという記憶の改ざん付きだ。ドラルクの話を信じるなら改ざんになるが、記憶が無いロナルドにとっては、それこそが真実であり、今の心境は並行世界と入れ替わった主人公のようなものだった。
今まで告白の勇気が出ず、同居人のまま三年経過したと思っていた。なのに実際の自分はとんでもないことをやらかしてドラルクと恋仲になっていたなど、到底信じられるものではない。

そしてドラルクはロナルドの恋心に気付いてないようだった。当然だろう。キスして殴り殺してくる相手が好意を寄せているなど普通は思わない。

「君の話を総合させると、この三年間の、私と恋人らしいことの記憶のみ消えているようだね。他の記憶はそのままで、二人の仲に関わるものは違和感が無いように作り返られているような気がするね」
色々ロナルドに質問をして、出た結論だった。
「まあ、そのうち戻るでしょ。それまでは昔の出会った頃の君と思って接するよ」
ご飯作るから風呂入ってきなよと、ひとまず日常に戻るよう努めるドラルクに、ロナルドも他にどうしようもないので普通に接することにした。
……今日のメシ何?」
「レバニラ炒めとあさりの味噌汁、あと小松菜のおひたし」
なんかひっかかる献立だと思ったが、ドラルクの作るものは何でも旨いので満足して素直に風呂に向かった。


お風呂場の鏡に映る自身の体に、違和感を見つけてまじまじと見つめる。胸の辺りに赤い痕が、舞い落ちる桜の花びらのように点々と残る。
「なんだこれ……ダニ?」
しかし、痒くはない。指で撫でてみても、虫刺されのように膨らみもない。
「あ、これって……
これが何か予測してしまって、全身が沸騰したように熱くなる。想像すると体が反応してしまいそうで、必死に考えを振り払った。
確証はなかった。実物を見たことはなく、ましてや付けたこともない。別の湿疹などの可能性もわずかながらに残されていた。しかし、これが本物ならば最近そういった行為があったと思い知らされる。
「童貞になんてことしやがるんだよ……刺激強すぎやめろ……というか俺、童貞なの……?」
恥ずかしさから体を痛い程擦って、熱い湯船に飛び込み顔まで埋める。
ぶくぶくと泡を吐き、今日のことを考える。
思いを寄せていたドラルクにキスをされたことは、ロナルドの芯を甘く痺れさせた。突然の事で咄嗟に拳が出てしまったが、想像よりも柔らかく冷たい唇を何度も思い返しては、悶えてしまう。
ロナルドが心の内を明かせば、両想いになれるという事実で幸せに蕩けそうになる。
しかし三年も片思いだと思い込んでいるロナルドがその事実を伝えるということは、初めての告白と同義なのだ。いくら両想いと分かっていても、おいそれと告白できる勇気など出て来ようもない。
いつもより長風呂になったことは仕方なく、風呂から上がるだけでかなりの気力を使った。

「これ……マジかよ……
今度は洗面所の鏡に映る、自分の首もとに愕然とする。火照る体をなんとかなだめて風呂を上がったというのに、再び体が熱を持つ。風呂場では胸の赤い痕に気を取られ、気付かなかった。
襟足をかきあげた所にある、二つの噛み痕。どう見ても、吸血鬼に噛まれた痕だった。
最近の仕事で吸血された記憶はない。消えた記憶は、ドラルクに関するものだけだ。誰が付けたか、答えは明白ではないか。
退治人なのに、吸血まで赦してるとは予想外だった。
「そうだ、今日のメシ……
仕事で一度深い切り傷を負い、出血量が多い事があった。幸い出血量が多かっただけで大事には至らなかったが、あの時のドラルクの慌てぶりは、見てるこっちが冷静になる程だった。その後貧血にならないように、鉄分が多い献立を積極的に作ってくれた時期があった。今日の夕食は、その時のメニューに上がっていた食材と共通していた。
「アフターケアまでしてくれんのかよ」
噛み跡にも、意図した献立にも、気付きたくなかった。
恋人になってから三年も経っているのなら、キスはもちろん、体を重ね合わせることもきっとしているのだろう。考えるだけで頭がパンクしそうになる。そして吸血という行為はそれらにもまして、想像すると心が粟立ち、柔らかく弱い部分をさらけ出しているような心地がするのだ。
「これ、どんな顔して出ればいいんだよ……
鏡に映る赤い顔に、ドライヤーを掛けている間に戻れと念じながら髪を無造作にかき回した。


「ずいぶんお風呂長かったね。のぼせてない?」
ロナルドがお風呂から戻って来たので、ドラルクは手早く食卓にご飯を並べる。
「大丈夫だ。……聞きたいんだけどさ、昨日って何かの記念日だったんじゃないか?」
おや、と意外そうにドラルクは方眉を上げる。
「よく分かったね。付き合ってから三年目の記念日だったよ。鈍ちんの君が気付くと思わなかった」
そうか、ちょうど三年だったんだな。だから料理も豪華で、その後は……
「なあ、これなんの痕だか分かるか?」
スエットの首もとを引っ張り、否定してくれと願いを込めて赤い痕を露出させる。それを見たドラルクは一瞬跳び上がって砂になった。
「ちがっ、私は君の綺麗な肌に痕を付ける趣味なんてなくて……!昨日は君がねだるから、仕方なくっ!」
ロナルドの願いは敢えなく砕かれた。それどころか、こちらのせいだと責任を押し付けられた。
「んな……!!俺の記憶ないのにそんな言うの反則だろ!!ていうかやっぱりこれお前が付けたのかよ!!」
ドラルクが嘘を言っていたとしても、記憶がないロナルドには分からない。しかし目の前の動揺っぷりを見ると、嘘を言っているようには見えない。ドラルクの言うことを信じるとすると、自分自身のイメージと乖離していて辛い。自ら所有の証をつけろとねだったなんて、想像したら恥ずかしくて窓から飛び出したくなる。
「じゃあお前、こっちはどう言い訳するんだよ!!おら!!」
襟足をかきあげて、首を反らして噛み痕を主張する。なんとか人型に戻りかけていたドラルクは、再度砂になる。
「ヴァーー!!そ、それは、昨日は確かに私がお願いしたけど……!でも普段我慢してる分、記念日は貰うって約束でっ!そもそも私は君が大事だから、生涯君の血を飲むつもりはなかったのに、君が誘惑するから……!一度その美味しさを知ったら忘れるのなんて無理だろ!?これでも抑制してて私偉い!!」
これも俺が誘惑したの?俺ってえっちなお姉さんだったのかな?そして退治人の矜持どこいっちゃったの?
「でも誘惑に負けて結局飲んでるじゃねえかクソ砂ぁ!!」
腹立ち紛れに砂のままのドラルクをさらにプレスする。暖簾に腕押しとはこのことだ。元々砂なので全く気が晴れない。
「うえーん!!その通りだけど誘惑した本人に言われるの釈然としないーー!!」
……え?というか、俺の血って美味しいの……?」
遅れて先程の台詞が気にかかり、思わず口走っていた。
「君の血だけ一生飲んでいたいくらい」
「はぁ!?男の血はくどいんじゃないのかよ!?」
「君のは特別。愛してるから」
「あいっっ……!!訳わからんし砂山のまま愛を囁くんじゃねえ!!」
そしてドラルクは砂のまま沈黙し、ロナルドも口をつぐむ。気まずい空気が流れる。
……ヌヌッヌー?」
話が長くなると踏んだ可愛いマジロは、絶妙に聞きたくない話をシャットアウトする為にヘッドホンを付けてゲームをしながら、先にご飯を食べ始めていた。
一通り話が終わった気配を察知して、話しかけてくれた。
「ジ、ジョンすまない!!次からは配慮するのでご飯食べながらゲームするのは辞めてくれ」
「ジョンーー!!ごめん!!」
よそでやってくれヌ、とは優しいマジロは思っても口にはしない。キンデメは死んだ目で「よそでやれ」と呟いた。「すみません」と二人で謝った。
「ヌッヌヌヌヌヌー」
「食べる!!お腹空いた!!」
「畏怖して食べろよ若造!!」
ジョンのお陰でいつもの調子が戻り、怒涛の初日がようやく終わった。

***

それから一週間経った頃、ロナルドが記憶を無くしてから初めてドラルクが退治に同行しなかった日の事だ。
仕事があるといそいそとゲームのコントローラーを握ってロナルドを見送った吸血鬼の行動は、言われなければ趣味なんだか仕事のクソゲーレビューなんだか区別は付かない。呆れながらもいつも通りのドラルクを見ていると、やはり恋人同士とは間違いじゃないかと錯覚する。仕事を終わらせて事務所に戻れば、出掛けた時と同じ姿でゲームに興じるドラルクを見て、やはりいつもの日常と違わない様に見えた。
「ただいま」
一応声を掛けると、ロナルドの帰宅にドラルクは「おかえり」と微笑む。そしてコントローラーを置いて腕を広げながら近付いてきた。
「やあやあ、私が居なくて寂しかっただろう?さあ今日の夜食は何がいいかな?愛しの昼の子になんでも……
そこで、ドラルクは気付いたようだ。対応を間違えたと。広げた両手を所在なさげにゆっくり下ろし、気まずそうに目線を下に落とす。
「すまない、習慣とは恐ろしいもので……
ロナルドはこの時まで、ドラルクはこの状況を淡々と受け入れていると思っていた。しかし目の前の寂しそうな吸血鬼は、恋人が居なくなった喪失感を抱えていると初めて気付いた。
ロナルドは頬が熱くなるのを感じた。付き合っていたら、あんな風に出迎えてくれると知ってしまったからだ。そして悲しげなドラルクに、胸がつくんと痛む。ロナルドは腕を広げ、精一杯の強がりで応える。
「おう、ドラ公、どんとこいや」
それを見たドラルクの目に、熱が灯る。じわっと広角を上げると、「ロナルド君」と胸に飛び込んできた。
「ロナルド君!記憶、戻ったの?」
弾んだ声音に申し訳ないが、記憶は未だに不在のままだった。
「いや、まだ」
「えーー!!ごめん、勘違いしちゃって!!」
一瞬で砂になり、ロナルドの腕から手応えがなくなる。
わずかな時間でも抱き締めた体は心地よくて、もっと触れたかったと未練がましく思った。
「俺が覚えて無いだけで付き合ってるんだろ?ハグするくらい良いんじゃないか」
「えぇ……?付き合う前の君にハグなんてしたら即殺されて、暴言吐かれてたと思うんだけど……。どういう心境の変化?」
ドラルクはこういった変化に鋭い。そして、ロナルドは嘘が下手だった。
「ロナルド君、もしかしてブエー!!」
言葉で探られたら勝率は無い。こんなときは、暴力で解決するに限る。
「何すんじゃい暴力ゴリラ!!」
そのまま風呂に逃げて、その日は話を有耶無耶にすることに成功した。

**

一ヶ月を過ぎても、記憶は戻らないままだった。
感心したのは、ドラルクは最初の約束を守って距離を縮めては来なかったことだ。普段はとんだエセ紳士だと思っていたが、たまには紳士面が発揮されるようだ。
自分から行動に移せないロナルドは、いっそドラルクが迫ってくれればなし崩しに想いを伝えられるのにと情けないことを考えていたが、それは人任せの甘い考えだと反省する。
ロナルドが心のうちを伝えれば、記憶は戻らずとも一先ず両想いには戻れる。告白の怖さより、恋人になって一緒に過ごしたいという欲求が日毎に強くなっていた。

「ジョンは今日も居ないのか?」
「ああ、気遣いの出来るマジロだからねぇ。ロナルド君と付き合ってから、君が休みの日の前はよく遊びに行ってくれるようになったね」
ということは、そういうことなわけで。
意味を悟り顔を赤くしたロナルドに、ドラルクは目敏く気付いて意地悪く笑う。
記憶を失ってからは恋人らしいことはしてないのに、健気に出掛けてくれるジョンに申し訳無く思う。

ちくしょう。見てろよ。

「ドラ公、今日寝る前に話いいか」
「いいよ」
何の話かも聞かず、二つ返事で了承するドラルクの表情は読めない。
ソファに座ろうとするドラルクに、「予備室で話したい」と言えば怪訝な表情をしたが、特に追求せずについて来てくれた。
予備室にマットレスを敷いて、その上でお互い正座になる。
「なにこれ」
「ちょっと今精神を統一してるから待て」
「はいはい」
…………
…………
しんとした部屋に続く沈黙。ロナルドは一世一代の勇気を絞り出そうと、言葉を紡ごうとするが上手く喉から出てこない。伝えたい思いが上手く言葉に出来ず、喉に詰まって息苦しいだけだった。
一向に話を切り出さないロナルドに、口火を切ったのはドラルクだった。
「言い出しにくいことなんでしょ?同居が気まずいから、距離を取りたいとかそんなとこかな?」
「えっ、いや」
いつもは察しがいい吸血鬼が、自分の思惑とは真逆の考えに至っていることに動揺した。
「無理しなくていいんだよ。君、この一ヶ月ずっと落ち着きないじゃない。私にも随分気を遣っているようだったし。そりゃ同居のガリガリおじさんからある日突然、恋人として見られたら居づらいと思うよ。お父様には話を通してあるし、しばらく実家に帰ってもいいかなって考えてたんだよ。君の記憶が戻ったら、また帰ってくるよ」
ロナルドは慌ててかぶりを振る。
「違う、違うんだ」
今伝えなければ、本当に出て行ってしまうような気がした。もう難しいことは考えず、素直な気持ちを伝えるしかないと覚悟を決める。
「ドラルク、どこにも行くなよ。俺は、お前がずっと好きだったんだよ」
ドラルクの目が見開かれる。
「お前は覚えてないだろうけどさ。三年前、俺は仕事で落ち込んでて。それをお前は気付いて、何も見てないくせに俺は悪くないって言うんだぜ。俺のこと、信頼して肯定してくれるんだなって、嬉しかった。お前は俺のこと、見捨てずに居てくれると思った。……いや嘘。お前はすぐ俺を見捨てるな」
「フクマさん絡みの時は特にね」
「おポンチ吸血鬼どもに遭遇したときもそうじゃねえか。でもさ、お前は何度でも俺を拾いに戻ってくるだろ?」
「君ほど面白い存在はないもの。何度でも骨を拾ってやるさ」
軽口を叩き合えば、その時間が小気味良く心地良い。別に気負う必要などなかったのだ。口を開けば、自然と言葉は出るし、受け止めてくれる。
「ロナルド君、記憶が戻ったのか?」
「いや」
「え、じゃあ好きって、いつから」
赤の瞳が、困惑の色を滲ませる。
「お前と付き合った記憶は無いけど、好きだという気持ちはずっと残ってるんだ。だから、キスも抱き締められたことも、本当は嬉しくて」
感情を言葉で上手く吐き出せず、代わりに震える唇をドラルクの冷たく薄い唇に押し付けた。伏せた睫毛も震えていたかも知れない。そのまま細い腰を抱き締める。唇を離して骨張った胸板に顔を埋めると、それが当たり前の様にドラルクは抱き締め返してくれた。
「俺さ、お前が好きだから、自分に嫉妬した」
……自分に?」
「だって、記憶を失くす前の俺は、お前とキスもハグも、その先も経験してて、血も与えてるんだろ。俺も、お前と、……そうしたいなって」
「ちょっと待って、感情が追い付かない」
「ドラ公の全部が欲しいし、俺の全てを渡したい。これが俺から出来る、精一杯の告白だ」
…………
ドラルクは固まったまま動かない。
……返事くれないのか?」
……私だって、君の全てが欲しいし大好きなんだからな。ポンチ吸血鬼のせいで、あっさり簡単に忘れやがって。三年間、私が君をどれだけ愛したか、思い知らせてやりたい。この一ヶ月どれだけ我慢したか」
手袋をはめた細い指でロナルドの顎を掴むと、引き上げられて先程より深く唇を重ねられる。
離れては繰り返し重なる唇に、吐息が自然と甘くなる。そのうち冷たい舌が差し込まれて、ビクッと肩が跳ねて思わず後ろに引いてしまうが、頭の後ろに回された掌にやんわりと引き戻される。嫌な訳ではないので、そのまま応えようと舌を不器用に絡ませれば、より強く絡めとられる。腰に回された手を引き寄せられ、キスをしたまま上半身を倒されれば、あっさりと組み敷かれる。恐らくキスを落としながらか、気付けば手袋が外された冷たい指で耳を挟まれ、首をなぞるように触れられた。首筋に唇が押し付けられる。
「ドラ公、ちょっと待てよ……
「やだ」
するすると体を撫でる手は止まらず、落とされるキスも増えていく。
「おい……
そのままスエットの裾に手が掛けられ、たくしあげようと指が引っかけられる。
「待てっていってんだろ!!おらぁ!!」
「ブェー!!」
突き上げられた拳に、塵と化した吸血鬼は素早く元に戻ると苦々しそうに呟く。
「あーー、懐かしいな。君と付き合いたての頃はよくこうやって殺されたな。また五歳児に言い聞かせるようにこわくないよ~だいじょうぶだよ~って一から教育せなならんのかこの猿」
「お前が人の話聞かねぇからだろ。俺が本気になれば金輪際、指一本触れさせねえぞ」
静かな怒気をはらんだ声音に、それは困ると素直に白旗が上がる。目線をそらし、珍しくしおらしい態度で反省の意を示す。
「すまん、余裕がなかった。興が乗ってがっつきすぎた。本当は途中で止めるつもりだったんだ」
享楽主義者でその時のことしか考えていない吸血鬼が、自ら途中で止められたか甚だ疑問だったが、心意気は汲んでやることにする。
「別に嫌だった訳じゃねえよ。……先に飲めよ。じゃないと最中に飲んだら止められなくなるんだろ」
首もとをさすり、ロナルドも自分の台詞に恥ずかしくなり目をそらす。
「え?……君、何でそのことは知ってるの?記憶戻ってないんだろう?」
ドラルクに吸血された記憶はロナルドには残っていなかった。それらも恋人に関連する記憶とカウントされたのだろう。じゃあ、吸血に関するはずの記憶が何故あるのか。
「え……本当だな……でも何故かそう思ったんだ」
「もしかして、徐々に記憶が戻ってるのか。それか完全に記憶が戻る前触れかも?」
顎に手を当てて考える吸血鬼は、内心これは最後までしたら記憶が戻るのでは?と俗悪なことを考えたが賢明に黙っていた。
「というか飲まないよ。特別な日じゃないと飲まないって決めてるんだ。この前貰ったばかりだし」
「今日俺はかなり勇気を出して告白したんだぞ。記念日にならねえのかよ」
「可愛いこといって記念日を増やすな。来年も飲みたくなっちゃうだろ」
……飲まないのかよ?」
拗ねたように下唇を出すあざとさに、ドラルクはぐぅと言葉に詰まる。本人は狙っている訳ではないので、余計にたちが悪い。
……ちゃんと健康診断、毎年受けてよ」
「え、うん、もちろん?」
毎年行き渋る恋人を健康診断に連れていくのに躍起になっているドラルクからしたら、今の言葉を覚えておけとばかりにロナルドをひと睨みして、肩に手を置く。
静かに寄せられた牙が、ぷつんと肌を裂く。鋭い痛みに緊張が走るが、一瞬でそれは霧散する。後に残るのは、柔らかな悦楽で、甘い痺れが背筋を走る。どくどくと脈打つ血管から溢れ出る血を余すことなく飲み干そうとする舌にゾクゾクする。
――クセになりそう。
一瞬芽生えた危険な考えは、退治人失格なので無かったことにした。そもそも血を飲ましている時点でどうなのかという考えも頭の隅に追いやって、今はただ快楽を享受する。
最後に首筋をぺろりとひと舐めして離れたドラルクの表情は、聞かなくてもその血が極上だったことを物語っている。どこか扇情的でもあるその瞳に心奪われるが、すぐに気持ちを引き戻し、まだ夢うつつのドラルクの肩を押し倒した。とさっと、軽い肢体がマットレスに沈み込む。ドラルクが逃げ出せないように、折り曲げた両足で細い腰を包み込む。顔の横に手をついて自身を見下ろす退治人を、正気を取り戻したドラルクは戸惑い見上げた。
「さっきの続き、しようぜ」
どこまでも深く奥の見えない、海の様な青い瞳に、ドラルクは息を飲む。頬は染め上がり吐息も艶かしい程なのに、ロナルドの声色だけは酷く冷静に響いた。
「ロ、ロナルド君?私たち話し合いが必要だと思うんだ」
「なんだよ」
「続きをするには、その、色々な準備が必要で。だからさっきも、最後までは迫るつもりじゃなくて」
「分かってる」
……え?」
「上手く出来てるか分からないけど、準備してきた」
「え?え?何で!?というか、君、何でそっちだって分かったの!?」
「記憶をなくす前の俺と、今の俺、思考回路は同じだろ?」
「えっ、うん?」
「どっちだろうって考えたとき、すぐ死ぬお前より、俺の方が強いし可能性あるかなって思って」
「うん……
「なら自分の体を慣らそうと思って。そうしたら、何度もお前を招いてるんだろうなと思うくらいには痛みもなくすんなりで」
「ヴァーー!!突然なに言ってんだ!!」
狼狽えるドラルクとは対照的に、落ち着いたロナルドはまっすぐ赤の瞳を射貫き、クラバットを掴む。
「おい、よく聞けドラ公。俺の体はそんなに心配要らないかも知れないけど、心はバリバリの初心者だ。お前はもう慣れてるだろうけど、今の俺は、初めてなんだよ」
「う、うん」
「だから、ドラルク……優しく抱けや」
ドラルクを押し倒して馬乗りになった勢いとは裏腹に、低く絞り出す様な声だった。
男らしいようで生娘のような仰せ付けに、砂となり崩れ落ちそうになる体をどうにか耳先だけに留めた。先程血を貰っていて良かった。
「ぜ、善処します……
初めてにドラルクはこだわりがあるわけではない。重要なのは今であり、この瞬間を共に過ごせれば何も問題はない。しかし彼がくれると言うならば、全て貰っておかねば損ではないか。

ロナルドの顔を両手で包み引き寄せる。
持てる理性を総動員して、触れるだけの優しいキスから始めたのだった。

****

明け方には少し早い時刻。隣ですうすう寝る恋人の横顔を見ていた。ロナルドと夜を一緒に過ごしても、ドラルクにとっては日が昇るまでは活動時間だ。よっぽど体力を消耗したときは一緒に眠ることもあるが、大概は起きている。
起きれば口が悪くてすぐ殺してくる血気盛んな青二才も、寝ているときはこんなにも大人しく愛らしい。だというのに、閉じた目蓋の下の青の宝石を、早く見たいと思ってしまうのだ。

眠る恋人の銀髪を撫で付け、頭にキスをして日が昇る前に棺桶に戻ろうとしたときだった。
唐突に目を見開き、ロナルドが跳ね起きた。
「うわっ!!どうした!?悪夢でも見たか?」
かなりびびったがまだ吸血の効果は有効なのか、死ぬことはなかった。
「あ……俺、思い出したわ」
みるみる真っ赤に染まる顔に感心する。
「全部?忘れていた間の記憶もあるの?」
「ある。思い出して、思い知ったわ、三年分のドラ公からの愛」
羞恥に悶え苦しむ様をいつもならからかい、スマホを回し録画しているだろうが、これは撮ったらドラルクも共倒れするものだった。
「うわっ俺、お前に心も体も血も、初めてを二回も奪われた気分……恥ずかし……無理、ちょっと殴らせろ」
「ヴァーー!!」
言うが早いかドラルクは砂山と化した。
血液の効果が切れたか許容範囲を越えたのかは分からないが、拳が来なくても精神的ダメージで塵になっていただろう。
しかし可愛い恋人を愛でる為に、気合いで復活する。
「ふふふ、思い知ったか。素直で宜しい。でも君の三年分の恋心もなかなかの物だったぞ?」
「ちょっと黙れお前」
耳まで真っ赤にして顔を両手で覆うロナルドを抱き締め、頭を撫でる。
「可愛い私の昼の子、おかえり。付き合っていた記憶をなくしても、私への想いは忘れないくらい大好きなんだなって嬉しかったよ」
「うるせえ。お前こそ俺に遠慮して我慢しやがって。そのくらい俺が大事なんだろが」
「その通り。この三年で自己肯定感が少しは上がったようでなにより。愛を伝えてきた甲斐があるってものだ。君はもっと愛されている自覚を持っていいよ」
クスクスと笑う吸血鬼に、もう憎まれ口は飛んでこない。
酸いも甘いも、君がくれるものならば全てを甘受しよう。酸っぱいものも、咀嚼してみたら案外中身は甘いかも知れない。苦いものも、この面白い人の子となら享楽に変えられるだろう。
遮光カーテンの引かれたこの部屋は、日が昇っても光に焼かれることはない。もう少しだけ愛しい恋人の側に居ようと、このひとときを噛み締めるのであった。

おしまい