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桐子
2024-07-22 23:24:27
3173文字
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春を待つ(父水)
(ワンドロ お題「雪解け」)
下駄で地面を踏むと、湿った土と雪の柔らかい感触がした。空はすっきりと晴れ、日差しはぽかぽかとあたたかい。
「とうしゃん、じめんがべとべとする」
「うむ、雪が溶けたのじゃ」
ゲゲ郎は不思議そうな鬼太郎を抱き上げた。まだ歩くのが覚束ない息子には、この地面は歩きにくいだろう。近くの家の梅や杏の花は満開で、甘い匂いがここまで漂ってくる。
「もうすぐ春がくるのじゃ、鬼太郎」
「はる?」
「うむ。雪が溶けると花が咲いて、虫や鳥がやってくる。山が色づいて綺麗じゃぞ」
「ふぅん
……
ゆきしゃんもうおわりかぁ
……
」
鬼太郎は残念そうにつぶやいた。雪で遊ぶのが気に入っていたらしい。ゲゲ郎は息子の頭を撫でてやった。
「雪はまた来年になれば会える。その頃にはお主はまた大きくなっておるじゃろうなあ」
「きた、おおきくなる。とうしゃんより」
「それはいいのう」
自分と並ぶのにあと何年かかることやら。しかし、それを想像するのは楽しいことだった。この子は一体どんな大人になるのだろう。願わくば、妻や水木のように優しく強く育ってほしいものだ。
ぶらぶらと歩いているうちに、ちんまりとした山の麓にたどり着いた。今日はここに用があってきたのだ。
「さて鬼太郎や、今日は大事なおつとめがある」
「はい」
「ここで山菜を採るのじゃ。たくさん採って水木を驚かせよう」
鬼太郎はぱっと目を輝かせた。
「みじゅき、びっくりしゅる?」
「さぞ驚くじゃろうなあ」
ゲゲ郎がそう言うと、鬼太郎はもうすっかりその気になってしまった。小さな体を下ろしてやり、地面にしゃがみこむ。鬼太郎も真似をしてしゃがんだ。
「ほら、これじゃ」
小さな黄緑の蕾のような山菜を、鬼太郎に見せてやった。
「これ?」
「うむ。これはふきのとうじゃよ」
ゲゲ郎は手本を示すように、小さな蕾をぷちっと摘んでみせた。
「これを見つけるのじゃ」
「はい!」
元気よく返事をすると、鬼太郎はきょろきょろと周りを見回して、ふきのとうを探し始めた。途中で滑って尻餅をつくが、また起き上がって挑戦する。可愛いのう、とにこにこしながらそれを眺め、ゲゲ郎もふきのとうや他の山菜を見つけて摘んでいく。
やがて鬼太郎は、ふきのとうがたくさんある場所を見つけた。得意げな顔でゲゲ郎を見上げ、「これ、きたの!」と胸を張る。
「おお、よく見つけたのう」
二人してふきのとうを摘むと、持参した風呂敷がいっぱいになってきた。他にもたらの芽やこごみなど、山の幸がたくさんだ。これなら水木も喜ぶに違いない。
「そろそろ帰るか」
「やー」
鬼太郎は小さな手でゲゲ郎の指を握りしめ、地団駄を踏んでいる。どうやらまだ帰りたくないらしい。困った子じゃのう、と苦笑したときだった。
「あんたら、うちの山で何してる」
振り向くと、背中に背負子を担いだ男が立っていて、じろりとこちらを睨んでいる。嫌な雰囲気がしたが、ゲゲ郎はつとめて明るく「山菜採りじゃ」と正直に言った。
「
……
ここは俺んちの山だ。勝手に入って山菜摘んでんじゃねえよ、この泥棒が!」
男の侮蔑のこもった言葉に、鬼太郎がびくっとしてゲゲ郎の腕にしがみついた。ゲゲ郎は鬼太郎を庇うように抱き寄せて、頭を下げた。
「知らぬこととはいえすまんかったのう。この通りじゃ」
「ふん、昼間っから山菜採りなんて、ろくな奴じゃねえな。ほら、半分置いてけ。今回はそれで見逃してやる」
男は鼻を鳴らして、背負子を地面に下ろした。ゲゲ郎が風呂敷をほどいて、ふきのとうやたらの芽を半分置いていこうとするが、鬼太郎が「や!」と叫んでゲゲ郎に抱きついた。
「これ、鬼太郎
……
」
「これ、きたの!きたがみじゅきにあげるんだもん!」
鬼太郎は必死に、ゲゲ郎の袖を引いた。何とか自分の採った山菜を守ろうと、目に涙をいっぱいためて訴えた。だが、男は苛立たしげに怒鳴り返した。
「この糞ガキが!てめえはガキの躾もできねえのか
……
親が親なら子も子だな!」
その言葉に、ゲゲ郎が顔を上げて男をじっと見つめた。その目はひどく冷たく、男の背筋を薄ら寒いものが伝う。日差しはさっきまでと変わらないのに、どういうわけか真冬に戻ったように寒かった。
「取り消せ。この子はわしにはもったいないくらいの優しい子じゃ」
ゲゲ郎は低く、厳かに言った。男はしどろもどろになって「な、何だよ
……
」と後ずさる。
「帰ろう、鬼太郎。なに、半分はくれるというのじゃからこれでも充分じゃよ」
さっきまでとうってかわって、ゲゲ郎はにこやかに鬼太郎に笑いかけた。鬼太郎はほっとしたように頷いた。風呂敷包みと鬼太郎を抱き上げ、ゲゲ郎は男を振り返ることなく山を下りていった。
「なるほどなぁ、それでこんなにしょんぼりしてるのか」
帰宅した水木は、部屋の隅に座り込んでいる息子に笑いかけた。
「お、ふきのとうじゃないか。それにたらの芽か。天ぷらにでもするか」
水木は、ありがとうなと鬼太郎の頭を撫でた。
「
……
たくしゃんだったのに」
本当はもっとたくさんあったのに、水木の驚く顔が見たかったのに。そう言いたいのだろう。
「びっくりしたなぁ。俺のために頑張ってくれたのに、ひどい目にあってつらかったな」
「うん
……
」
「でも俺は、お前の気持ちが嬉しいよ。ありがとう」
水木は鬼太郎を抱き上げ、高い高いをした。沈んでいた鬼太郎も、ようやくきゃっきゃと嬉しそうな声を上げた。
「さて、天ぷら作りにとりかかるか。手伝ってくれる人?」
「「はーい」」
よく似た親子は声を揃え、元気よく返事をして水木の後をついていった。
天ぷらに塩をつけて口の中に放り込む。冷めてはいるが、独特のほろ苦さが広がった。
「うむ、うまい」
「これ食うと、春が来たって感じがするな。子どもの頃は何でこんなもん食うんだろうって不思議だったが
……
」
水木はふきのとうの天ぷらを酒で流し込んでから、思い出したように吹き出した。
「あの鬼太郎の顔!」
「傑作じゃったのう」
ゲゲ郎もくつくつと笑った。よほどおいしいものを想像していたのだろう鬼太郎は、ふきのとうの天ぷらを食べた瞬間に目を見開いて硬直していた。
「鬼太郎や、ふきのとうはこの苦さがいいのじゃよ」
ゲゲ郎がそう言った瞬間、鬼太郎は「とうしゃんのうそちゅき」と泣き出したのだ。これには水木も笑ってしまった。
「ま、子どもには確かに早いな、この味は」
「うむ。でも、いつかはわかる日が来るじゃろうて」
ほろ苦い山菜の味も、酒の味も。鬼太郎がそれを楽しめる日がくるのが、水木も待ち遠しい。その時はこんな安い酒ではなく、もっといいもので乾杯したいものだ。
「ーーー嫌な思いをさせてすまんな」
水木はゲゲ郎の杯に酒を注いでやった。
「かまわん。あの男も幽霊族の気配を恐れておったのじゃろう。それに、こんなことには慣れておる」
その言葉が、強がりなのか本音なのか水木にはわからなかった。ただ、こんな思いをすることに慣れてしまっているのは、とても悲しいことだと思った。男の肩口に頭を乗せ、「水木?」と不思議そうな声を上げるゲゲ郎に、そっと囁いた。
「俺はお前たちを、幸せにしてやりたい」
「ーーーもう充分、幸せじゃよ」
低い声が、耳をくすぐった。
雪は溶ける。子どもはやがて大人になり、山菜の味も酒の味も分かるようになる。
しかし、人間とそうでないものが手を取り合って生きる日はまだ来そうにない。鬼太郎たちが安心して、誰にも迫害されず幸せに生きられる世の中。ゲゲ郎や彼の妻が望んだのはそんな世界だ。この子が大人になるまでにそうなる時がくるのだろうか。
慣れた体温を感じながら、まだ雪解けの日は遠そうだと、水木は思った。
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