風鈴の音で涼めていたのは今は昔、文明の利器に頼らなければ命も危ういような夏。この季節になると、八神はいつも二十年ほど前のことを思い出す。
あの時も今日と同じように海藤の家にいたから思い出したのだろうと八神は笑う。それに気付いた海藤が片眉を上げて、用意していた麦茶を手渡しながら「何笑ってんだ」と訝しげに聞いた。
カランと氷が音を立てる麦茶を受け取った八神は「昔のことを思い出してたんだ」と言ってから冷たいそれを一口飲み、あの時飲んだ麦茶はぬるかったなぁと続けて言う。
「あの時って?」
「まだ俺が十六くらいの時。夏でも涼しくてさ。涼しいって言っても今よりはってだけで暑かったけど」
「その頃はここにエアコンも無かったからな」
「そうそう、扇風機とアイスでギリギリなんとかなってた感じ」
両親を亡くして神室町に流れ着いた八神が海藤と恋人になってからしばらくした夏の日、八神は海藤に押し倒されていた。
汗やら何やらでベタベタの裸体を布団に横たえ、海藤にされるがままになっていた八神はぼんやりしたまま声を漏らした。
海藤から流れ落ちる汗を見上げて喉が渇いたとふわふわした頭で考える。
気持ち良くて、喉が渇いて、暖かくて、意識が遠のいていきそうなのに自分の身体は今ここにあるのだと全身で感じる。
「あの夏の日、俺って今ここで生きてるんだなぁって思ったんだよね」
「は? どういう意味だ?」
「その頃の俺は生きてる実感があんま無かったっていうか、地に足がつかないっていうか、まあなんか幽霊みたいだったんだよ。でも海藤さんに抱かれて、俺生きてるって気付いた」
海藤の眉間に皺が寄る。たまに八神が現世から遠のきかけるのを、海藤は嫌っていた。
それを知っている八神はすぐに冗談めかして笑った。
「脱水で死にかけてもいたけど」
「いつの間にか気ぃ失いかけてるんだもんな、あの時はビビったわ」
「それに気付かないくらい夢中になっててくれて俺は嬉しいよ」
焦った海藤が机に置きっぱなしになっていた麦茶を手に取り、八神の体を起こして飲ませたのだ。
八神は忘れているが、その時に「もっと」と強請りながら海藤の首に手を回して縋った。俺のことじゃない麦茶のことだと海藤は自分に言い聞かせながら理性で欲望を捩じ伏せた。
「エアコン買ったの、その次の年だったっけ」
「死なれたら困るからな」
「毎回ホテル行くよりは安い買い物だったでしょ」
カラン、とまた麦茶の中で氷が音を立てる。当時と違って部屋は快適な温度に保たれ、二人とも年を重ねた。それでもまだここにいる。
「俺、海藤さんに会わなかったらきっと死んじゃってたよ。生かしてくれてありがとね」
「よく言うよ」
「ほんとだって」
飲みかけの麦茶を机に置き、八神は海藤に手を伸ばす。何も言わずに受け入れた海藤が八神の背に手を回す。
「また俺に生きてるって感じさせてよ、海藤さん」
「感じる前に気ぃ失うんじゃねぇぞ、ター坊」
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