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夜之 夢
2021-07-18 20:28:39
12684文字
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ハートフル5daysレシピ(5/5)
※アズジェイ。アズールへの気持ちを自覚していなかったジェイドが、気持ちを自覚したうえで失恋したと勘違いして、料理しながらそのショックを落ち着けようとする話。全部捏造。ハッピーエンドです。
月曜から金曜まで、1日ずつ更新し、最終的には支部にまとめて投稿予定です。
1
2
木曜日の夜にラギーが作った『きのこと山菜のトマトソース炒め』を持ち帰り、それを寮の冷蔵庫に入れ、部屋に戻ってフロイドから「土くさい」と文句を言われ、シャワーを浴びてから眠り、それから目覚めた金曜の朝。
目を覚まして部屋の天井が視界に入った瞬間に、ジェイドは「もう大丈夫だ」と判った。
窓から差し込んだ水の揺らめきが天井をきらきら彩っていて、それを見た瞬間、ごく自然に「綺麗だ」と感じたのだ。
水越しの光、それがゆらりと揺らめくさま。そのやわらかな光の筋が天井を滑り、シャンデリアの貝殻を撫でるさま。窓から微かに聞こえる水の音。海の呼吸。それらすべてがとんでもなく清々しく、綺麗だった。
胸の内に冷たい水が通り抜けてすぅすぅしているかのように、何だかすっかり気分が清々しい。
覚えのある感覚だった。
昔むかしに、ジェイドを除いて残り3人であった兄弟のうち2人が死んでしまって、泣いて悲しんで、それから寝て起きたときの感覚と同じだ。
悲しみを消化しきったときの感覚、とジェイドはそれを理解していた。
きっともう自分の中で悲しみは飲み干せてしまったのだ。
アズール、と意識だけでその名を呼べば僅かに胸が痛んだが、それでももう、それはジェイドの中で『過去のもの』に分類されていた。
大丈夫だ、とわかった。
ゆっくりと起き上がり、今日は何の料理を作ろう、とジェイドは考える。
きっと今日の料理を最後にして、ジェイドの中にわずかに残る感傷は全てその中に詰めて、それを口にして飲み込んで消化して、それで痛みもつまらない想いも最後に出来るはずだった。
誰に言われたわけでもなかったが、ジェイド自身がそれをわかっていた。
「
……
ジェイド?」
不意に隣のベッドから声が聞こえ、ジェイドはそちらへと振り向く。
わかってはいたがそこには目を覚ましたらしいフロイドがいて、寝転がった状態でどこか茫然としたようにジェイドを見つめていた。
「フロイド。おはようございます」
挨拶と笑顔は自然に出た。
ジェイドは穏やかな気分だったのだが、フロイドはジェイドの様子をじっと見たあと、神妙な表情になって静かに起き上がった。
「
……
ジェイド、大丈夫?」
「何がですか? 気分はとても落ち着いていますよ」
首を傾げつつも答えて、ジェイドはベッドから出る。いつもより時間は早かったが、身支度を整えようと思ってのことだった。
「まだもう少し時間はありますが、フロイドは寝直しますか?」
遅刻だけはしないでくださいね、と付け加えたが、フロイドからの返事は無かった。まさかもう二度寝してしまったのだろうかと思い振り返れば、フロイドはもうベッドから出て立ち上がっている。
「起きますか? 珍しいですね」
ジェイドが微笑みながら尋ねると、フロイドは何やら静かな表情でじぃっとジェイドを見つめたあと、ただ「うん」とだけ答えた。
登校し、一日の授業を終え、寮に戻ってくる。その間、ジェイドの胸中はただただ凪いだように静かだった。何も感じないわけではなく、すべてがあっさりと自らの内にしみ込むような心地。
アズールと朝の挨拶を交わし、朝食の場で向かい合って座ったところで、もう痛みらしい痛みも動揺も感じない。ただそういうものなのだと飲み込めて、何も悲しくはなかった。
フロイドもそんなジェイドに気分が引っ張られたのか、終始落ち着いた様子だった。アズールは二人の穏やかさを訝しんだらしく、頻りにジェイドの様子をうかがっては何かを考えこむような様子があったが、理由を問いただすような言葉はなかった。
何か訊かれたところでジェイドも素直に答える気がなかったので、それで良かった。
今まで通りにアズールと並び食事をし、今まで通りに会話をして。その間、ジェイドの感情はすっかり落ち着いていた。そういったこともあって、やはり自らの感情は落ち着いたのだ、と判る。
今日を最後にして、自らの感情と折り合いがつけられるだろう。最後に残ったほんの一欠片にもならない感情は、今日、何の料理を作りながら整理しようか、と考える。
そういえば今日はちょうどモストロ・ラウンジのシフトが入っている。閉店後にキッチンを少し借りよう、と決めて、同時に、ジェイドは今日の料理を決めた。
◇
モストロ・ラウンジでの勤務を終えたのち、ジェイドはキッチンに入った。
営業を終えたばかりのキッチンはまだ空気が熱っぽく、つい先程までここに人がいた気配を残している。
フロイドは閉店とほぼ同時にVIPルームへと行ってしまって、まだ戻ってきていない。おそらく中でアズールに絡んでいるのだろう。もしかしたら数分後には何事か面白いことを思いついてVIPルームから飛びだしてくるかもしれない。あるいは、静けさを求めたアズールがフロイドを追い出すか。どちらにせよジェイドからすれば面白いことだった。
そのどちらかでも起きればいい、と微笑むようにして考えながら、ジェイドは冷蔵庫に近付く。扉を開いて、そこにあると知っていたキャベツ、それから、例によって廃棄直前扱いの挽肉を取り出した。
この感情の最後の一欠片を詰め込む料理として、ロールキャベツを作ろうと思っていた。
手間がかかるとはわかっていたが、今日は金曜日で、明日は休日だ。モストロ・ラウンジは開店されるが、それもランチからであるので、明日は遅い寝起きでも許される。今日、少しばかり夜更かししても問題は無いはずだった。
玉ねぎや卵は業務用のものを拝借していきながら、材料を揃える。それらを調理台の上に並べて置いて、ジェイドはすぐに調理に取りかかった。
鍋にたっぷりとした水を入れて、火にかける。包丁を取りだし動かせば、工程が進むごとに様々な記憶が思い出された。
たとえば、玉ねぎのみじん切りに慣れたのはいつの頃だっただろうかとか。
たとえば、包丁を扱うようになったばかりのころ、ジェイドの隣で心配そうにジェイドの手つきを見つめていたアズールのこと。
たとえば、初めて火傷というものをした時と、そのときのアズールの慌てぶり。そういえば、時にはフロイドが包丁で派手に手を切って、アズールだけでなくジェイドも青ざめたものだった。
それ以外にも、フロイドが何故か時々割った卵の中身をシンクに落として、アズールが「なぜ」と頭を抱えたこと。
ジェイドが初めて一人で作った料理がミネストローネで、それは間違いなく今よりずっと平凡な味であったはずだというのに、アズールはそれを褒めてくれたこと。
モストロ・ラウンジのメニューとしてのデザート第1作目が完成した、その時の達成感と安堵。試食と可不可の判定のためにアズールにそれを出したとき、本当はジェイドの手はわずかに震えていた。アズールがそれに気付いていたかはわからない。ただ、デザート作りの研究と開発の最中でさえ、ジェイドが幾つかの失敗作を生みだし、ごく稀にキッチンを惨状にして尚、アズールはジェイドを叱ったことはなかった。完成した試作品を出せば、味に不足があれば不足点と改善案をのべながらも完食し、キッチンの惨状については見守るにとどめて極力触れずにいてくれた。そういう、慈しみのような優しさ。
――
ああ彼は優しかったのだな、と納得すると同時に、ジェイドの目はカッとした熱をもって、止めるまもなく視界が滲んだ。目のふちから滲みあふれた水滴を、咄嗟に手の甲で拭う。
ジェイドにとって、アズールは実に面白い存在だった。退屈していた自分を次から次へと楽しませてくれる存在。苛烈で、弱く、強く、しなやかで、圧倒されるほどに美しく、そしてわかりにくく優しかった。
だからだ、と思う。
だからジェイドは、アズールが求めるなら、求めるもの全てを差し出してみせたかった。跪くことすら惜しくなく、アズールに使われることが嫌ではなかった。自らが持ったユニーク魔法がアズールの役に立つ、そのことすら嬉しかった。
「
……
好きだったんですね」
ぽつりと降伏の言葉を口にし、包丁を動かして、キャベツに刃を入れた。
幾分か水分を失った葉を、刃先が裂いていく。
それだけの、料理における当然の光景が、何だかひどく冷ややかで、痛ましく、それでいてジェイドの心を落ち着けた。
沸騰した熱湯にキャベツの葉を落とし入れて熱を通し、玉ねぎを炒めて、ひき肉と混ぜ合わせる。下味をつけて、成形する。冷ましていたキャベツの葉で肉を包んで整えて、鍋に並べて入れて、水とスープの素を入れて火にかければ、それでジェイドの感情はすべてその中に入った。
つまらない感傷や、何の役にも立たないような想いや寂しさ、そういったものはすべてキャベツの中に詰められて込められ、火にかけられたに違いない。
自らの感情をこれに移したのだ、と言い聞かせるようにして考えれば、言葉に引っ張られるようにして次第に気分も凪いでいった。
少なくとも、ジェイドの目からもう涙は出ていない。ただ何か一つの大きなことをやりきったように、達成感だけがあった。
使った調理器具を洗い、乾燥機に入れて、後は立ったままでガス火を眺めていた。
ジェイドの頭の中にあるロールキャベツのレシピでは「最低でも30分煮込む」となっていたが、急いでもいなかったのでジェイドはそれを無視した。自分の気が済むまでガス火を眺めてぼうっとして、やっと火を止める気になったのは、ロールキャベツを45分ほど煮込んでからだ。
鍋の蓋をあけて湯気を手で払いつつ、レードルですくいあげた一つを、深皿によそう。すぐ近くにあったナイフとフォークをその近くに並べて置いた。
ホールから真っ直ぐにキッチンへと向かってくる足音が聞こえたのは、その時だった。
「
――
」
あ、と思った時にはもう、その音はキッチンの出入口に迫っていた。
ジェイドがそちらを振り返ると同時に、その人物が一歩、キッチンへと踏み入る。
「
――
ジェイド、」
静かに、それでいてはっきりとジェイドの名を呼んだ声は、凛として透明で、どこまでも綺麗だ。
「アズール?」
確かめるようにその人物の名を口にしたが、アズールはろくに応じず、ただキッチンの中を進んだ。
そうしてジェイドのすぐ近く、ジェイドが立っているコンロの向かいとなる位置の、調理台の前に立つ。
「
……
どうされました?」
ジェイドの問いは、ほとんど防御のためでしかなかった。
だというのにアズールはジェイドの問いに答えず、ただ、そこにある皿を一瞥して口を開いた。
「最近よく料理をしていますね」
「
……
ええ、まあ」
「今日はロールキャベツを?」
「はい。少し手間のかかる料理がしたくて」
「
……
それ、僕にももらえませんか」
アズールからの率直な願いに、ジェイドは思わず息を詰めた。
「
……
これを、ですか?」
戸惑いもあらわに、信じられない、と表現して問い直す。実際、ジェイドは動揺していた。
だというのにアズールは
――
ジェイドの動揺を察しただろうに、なぜかきっぱりと頷いた。
「はい。それを貰いたいんです」
いけませんか、と訊かれて、ジェイドはぎこちない動きで思わず頷いていた。それは拒否の意味で、アズールにもそれが伝わったらしかった。
すかさず、アズールが唇を動かす。
「なぜ?」
「なぜって
……
」
なぜ、と問われたなら、それに答えられるような理由は無かった。けれどジェイドは何故か、本当に何故か
――
このロールキャベツを、アズールの口に入れさせたくないと感じていた。
本当に、ただの、つまらない空想のようなものだ。
ただ、今日。最後の感情の整理のために作ったこの料理に、ジェイドの泣き言みたいな文句も、さらけだすことも出来ない感傷も、ぐずぐずのまま捨てようとした想いも、すべて入っているような気がしてならなかった。
ただの食べ物に誰かの感情が入るなど有り得ない。感情を込めて作られた料理があるとしても、その食べ物を口にしたところでその感情が実際に味わえるわけがない。それを口にした者に何らかの感情が伝わることなど決して有り得ないというのに、けれど、ジェイドはどうしても安心できなかった。
今日作ったこのロールキャベツには、ジェイドが捨てるはずだった感情がすべて入っている。それを、アズールが食べてその体の内に取り込む、そのことがどうしても嫌だった。
「カロリーオーバーでは?」
「今日くらい良いかと」
わざとカロリーのことにふれても、アズールは一向に動じない。
「別のものをご用意しますよ」
「それが良いんです」
それ、と綺麗な指で皿を示し、アズールはきっぱりと言う。ジェイドは視線を伏せた。
「
……
いえ、その、それが
……
それは失敗作で
……
誰かに出せるようなものでは
……
」
「そうですか。綺麗に出来ていると思いますが
……
では、文句は言わないと約束しますから、試しに食べてみても?」
「いえ、まさかそんなわけには。
……
それに、一人分しか作っていませんでしたので」
実際には鍋の中にはまだロールキャベツがある。それらすべてを『一人分』としてジェイドだけで食べてしまうことは容易だったが、かと言って『一人分だ』とつっぱねるには不自然だろう。ジェイド自身ですらそう思ったのだから、アズールも同じように考えたに違いない。だがアズールはそれについては特にふれず、ただ、皿によそわれた1つのロールキャベツをじっと見つめて口を開いた。
「一人分だとして
……
たとえば、半分にすれば良いのでは?」
おかしい、とジェイドは確信した。
もちろん、最初からアズールの態度も言葉も「おかしい」ことには気付いていた。だがそれについて触れてしまえば、何かおそろしいことを言われそうで、ジェイドは懸命にそれに触れないようにしていたのだ。だから気付かないふりをして言葉を濁していたというのに、アズールは一向にひかなかった。
「
……
アズール」
耐えきれなくなったジェイドが睨むようにしてアズールを見つめれば、アズールはそれを静かに受け止めた。
「
……
なぜ、これを召し上がりたいと?」
しんとしたキッチンに響いたジェイドの声は、わずかに震えている。
険しい表情でそう問うたジェイドに対し、アズールはその視線を皿へと向けた。そうして、その色の薄い唇が開かれる。
「
……
それにジェイドの感傷が入っているのでしょうから」
「っ
……
何を、馬鹿な」
「
――
それを。その感傷を、分けてほしいと言っているんです」
言って、アズールはジェイドの許可も得ずに皿へと手を伸ばした。
「アズール、」
ジェイドが咄嗟に呼びかけたが、アズールはそれを無視し、傍に置いてあったナイフとフォークを手に取った。その手が優美な所作でロールキャベツを一口分切り分け、ジェイドが止める間もなく、それがアズールの口の中に運ばれる。
「
――
」
ひゅ、と僅かに引き攣った呼吸音が自分のものであると、ジェイドはすぐには気付けなかった。
アズールがゆったりと口を動かしている間、キッチンは静寂に満ちていた。
ジェイドは唇を引き結んで悲鳴を飲み下し、逃げだしそうになる脚をとどめ、震えてしまいそうな手を握りしめていた。
アズールはただ咀嚼をしながら皿を見下ろし、そうしてこくりとそれを飲み込んでから、持っていたカトラリーを皿のふちのあたりに静かに置いた。
その唇がゆっくりと開かれ、その美しい顔がゆるりと、真っ直ぐにジェイドを見据える。
「
……
よく出来ていますよ。とても美味しいです」
くだされた評価に、ジェイドは自らの手に力をこめた。
「
……
そう、ですか」
相槌以外に何と言って返せば良いのかわからなかったし、他に何も言えない気がした。
視線を伏せるようにして黙ったジェイドへと、アズールが視線を注ぐ。
たっぷりとした間があったのち、すぅ、とアズールが息を吸い込む音がした。
「その
……
」
その、と言葉をきりだしたアズールは、何故かその先を言いにくそうにした。先ほどまであれほど簡単にジェイドを追い詰め嬲ったというのに、追い詰めてからどう手を出すか悩んでいるかのようだった。
その先に言われることが何であっても嫌な気がして、ジェイドは顔を背けて視線を逸らす。
嫌な予感とは的中するものだ。
じっとりとした沈黙があった後、アズールはひどく言いづらそうに、そのくせ、それを言葉にした。
「
……
オンボロ寮の監督生さんが、言ってきたことで
……
お前が、
……
ジェイドが
……
僕のことを好きだというのは
……
本当ですか」
静かだったキッチンに、その言葉だけが落ちる。
問われたことに驚きは無かった。アズールは先刻はっきりと「ジェイドの感傷」という表現をしたのだから、アズールはもうジェイドの気持ちに気付いたということだ。ジェイドとてそれを認識していたので、いまさら驚きは無かった。悲鳴をあげたい気持ちはあったが。
それでもここまで追い詰められて、逃げ場も無かった。
すべてを諦める気持ちでそっと息を吐き出し、ジェイドはそれに答えた。
「
……
そうですね。お慕いしていますよ。お前のユニーク魔法はいらない、と言われてショックを受けるほどには」
「そんなことは言ってないだろうが!」
不機嫌のまま吐露すれば、途端、𠮟責のような反論がされる。
そのことに僅かに驚いたが、ジェイドはそれを抑えて、顔を逸らしたまま視線だけでアズールを見やった。
「
……
ですがアズールは、ジャミルさんと仲良くされたいのでしょう?」
「はぁ?」
「ひどいです
……
ミドルスクールの頃には、僕のことを好きだと言ってくださったのに」
ここまでくれば自棄だった。しくしく、と泣く真似をして見せれば、アズールは一瞬だけ虚を突かれたような表情をした後、思い出したようにカッと怒鳴った。
「僕の言葉についての誤解は置いておくとして、その告白を中途半端に受け流したのはお前だろ!」
ほとんど掴みかかるような勢いの叫び。それを真正面からぶつけられ、ジェイドは瞬間的に様々なことを思考した。ミドルスクールの頃に向けられたあの言葉はやはり告白であったこと、それをアズール自身も覚えていたこと。
それを今になって清算しようとしていることが何だかおかしかった。
滑稽さを感じたせいか次第にジェイドの感情は落ち着き始め、ジェイドは背けていた顔をアズールに向け直し、ただ穏やかに言葉を紡いだ。
「
……
ええ。そうですね。今更ですが、あの時は申し訳ないことをしたと思っています。今になってやっとあなたの感情が少し理解できた気がする」
そろりとアズールを見つめれば、その綺麗な顔は何かを堪えるようにぎゅっと歪んだ。
そこに表された怒りを受け止めるつもりで、ジェイドは力無く微笑んでやる。
ジェイドのそれに、アズールが何を感じ考えたのは知れなかった。ただ、アズールはそんなジェイドを見てますます眉間を寄せたかと思うと、か細く長い息を吐き出して、がくりと肩を落とした。
はぁぁ
……
と深くなった溜息が、キッチンの床に染んでいく。
ジェイドが黙したままそれを見下ろしていれば、アズールは5秒ほど経ってからのろのろと姿勢を正し、ゆるく頭を振って口を開いた。
「
……
はぁ
……
違う、こんなことが言いたいんじゃない
……
」
疲れきったような口調だった。
では何と言いたかったのだ、とジェイドは問おうとしたが、ジェイドがそれを口にするよりも先に、アズールが言葉を続けた。
「
――
僕は」
僕は、と言葉を作りだしたアズールが、気まずそうに続きを発する。
「
……
僕は
……
変わらず、ジェイドのことを想っていますし、ジェイドが僕に好意を抱いてくれるようになったというなら、改めてその
……
つ、付き合うとか
……
そういう、
……
その先のことは考えています」
スカイブルーの瞳は揺れて、おまけに視線は不器用に逸らされたまま。けれどアズールの声は震えながらも、はっきりとした力がこめられていた。
ジェイドが、聞こえないふりや聞き間違いを出来ないほどには。
「
……
つきあう」
唖然としたまま、ジェイドはそのくだりを復唱した。
「何です、おかしいことではないでしょう!」
咬みつくかのように言い返したアズールを、ジェイドはただただ目を丸くして見つめ返すしか出来ない。
――
つきあう。付き合う?
いや待て、アズールは今「変わらずおもっている」と言った
――
。
何も言えないまま、ジェイドの脳内で途切れ途切れのような思考がぐるぐると回る。
気を失いそうな混乱の最中、それでもジェイドは何とか持ちこたえて、そろりと口を開いた。
「
……
ということはアズール、あなた、あれから
……
ミドルスクールの頃の告白を流されたあとも、それから約3年間ずっと僕のことを? 諦めずに?」
「~~ッ、この
……
!」
アズールは『煽り』を受けたかのように激高する気配を見せたが、ジェイドにはそんなつもりは無かった。
ジェイドの襟でも掴もうとしたのか、アズールがジェイドに向かって勢いよく手を伸ばす。それを難なく掴み捕らえ、ジェイドは真摯な声で語りかけた。「聞かせてください」声は掠れていたが、アズールもたいがい取り乱した様子であったので気付かれなかっただろう。
アズールは心底悔しそうに顔を歪めた後、すぅと息を吸ってから怒鳴った。
「そうだよ! 大体な、出会ったときのインパクトが強すぎるんだ! 僕が引きこもってた時に、嵐のようにやってきて好き勝手して
……
! 世界に悪態をついていた所にのこのこやってきて友達ヅラされてみろ、ほだされるに決まってるだろ!? 責任取れよ!!」
眉をつりあげ声を荒らげたアズールの顔は、しかし完全に朱に染まっている。
それがどうしようもなくおかしくて、そして、ジェイドの胸のあたりをぎゅうと痛めた。痛くて、そして愛しい、とごく自然に思った。
「
……
おや。そうきましたか」
ふっと漏れた言葉は、ジェイドの色んな感情をのせて柔らかい。
「責任。責任ですか
……
。怖いですねぇ」
笑みすら含んだ声はますますアズールの怒りを刺激したらしかったが、ジェイドはすかさずアズールへと問いかけた。
「
……
ではアズールも、僕に対して責任を取ってくださるんですよね?」
この言葉の意味が正しく伝わるだろうか。
ジェイドは密かにそのことを危惧したが、数年の付き合いがある幼馴染にはきちんと伝わったらしかった。
ジェイドの言葉を受けたアズールが目を丸くさせ、ぱちりと瞬きをする。かと思えばやはり気まずそうにその瞳はうろうろと揺れ、そうして最終的に『不機嫌』という表情でアズールは落ち着いたらしかった。
「契約書を交わしてもいい」
むすりとした表情と声で言われて、ジェイドはおかしくてたまらなくなった。
「ふ、ふふっ
……
いえ、やめておきましょう」
「な
……
」
「契約書で関係を定義するというのは、この場合はあまりに無粋でしょうから」
静かに、それだけを告げる。掴んでいたアズールの手をそっと離した。
アズールは何かを言おうとほんの少し口をもごつかせたが、結局何も言わなかった。すとんと落ち着いた様子で、その顔からゆっくりと赤みがおさまっていく。
一度大きな波に飲み込まれた場からさぁっと波が引いて、砂がならされていくかのように、キッチンに静けさが戻る。
けれどそこにもう重苦しさはなかった。ただどことなくむず痒いような、体温がじわりと上がるような空気だけがある。
「
……
そうですか
……
。アズール、あなた
……
3年間も僕のことを」
先ほどのアズールの言葉を脳内で繰り返し、しみじみとしながらジェイドが呟くと、途端にアズールが鋭い睨みを寄越した。
「悪いか! ッ
……
僕だって諦めようとしていたんですよ! でも、あの告白の後もジェイドがあまりにも変わらない様子だから
――
」
「諦めきれなかったと?」
「ッ
……
だからッ、そう言っただろ!」
ぎゃんぎゃんと怒鳴られるものだから、気恥ずかしさを忘れて面白くなってくるばかりだ。ふ、と微笑んで、ジェイドは問いかけた。
「
……
ですがアズール、よろしいんですか? 僕はジャミルさんの『蛇のいざない』のようなユニーク魔法を持っていませんよ」
「は?」
「アズールが言っていたじゃないですか。他者を操るユニーク魔法があれば便利だ、と」
「それは便利でしょうが、なぜそんな話を今
……
」
口を動かしながらも、アズールの表情は怪訝そうになっていく。本気で「なぜ今その話を出されるのかわからない」と言いたげな様子だった。
それだけアズールにとって、あの言葉は些細なものだったということだ。ジェイドも今更それをねちねちと掘り返すつもりは無かった。
ただ、ああと思った。密かに安堵した。アズールにとってそれは真実、些事であったのだと。
ジェイドがそんなふうに納得しかけたときだった。
「
……
もしかしてお前、それでずっと拗ねてたのか?」
少し唖然とした様子さえ見せてそう訊いてきたアズールに、ジェイドはわずかに視線を逸らして答えた。
「拗ねてなど。ショックを受けたのは事実なんですよ」
アズールの目が見開かれる。
どうしてアズールが驚くんです、と文句を言ってやりたかったが、ジェイドが口を開くよりも前に、アズールが声を発した。
「
……
あれは
……
」
視線で相槌を打つ。
アズールは空色の瞳をゆっくりと下に向けるようにして、視線だけで俯いた。
「
……
ジェイドは、僕が言えば絶対にユニーク魔法を使うから
……
」
「え?」
予想外の言葉に、今度はジェイドが目を瞬かせた。
「
――
フロイドとジェイドのユニーク魔法については、基本的に僕が使用を『お願い』する形にしているでしょう。フロイドは僕がユニーク魔法の使用を頼んだところで、自分の気分や調子次第でそれに従わないことがあります」
「
……
ええ、そうですね」
「ですから逆に安心できるんですよ。僕が言ったのだとしても、フロイドは自分でユニーク魔法の使用を決めるわけですから。
……
ですが、その
……
ジェイドは違うでしょう。たとえ自分の調子が悪かったとしても、僕がユニーク魔法の使用を依頼すれば、絶対にそれに従う。だから、その
……
無理をさせていることもあるのではないかと、心配して
……
」
アズールの視線が少し持ち上がり、ジェイドの目を見つめる。
唖然としたまま何も言えないでいるジェイドを一瞥し、空色の瞳はまた僅かにうろうろと揺れた。
「だからです。
……
『本音を吐かせる』という場合はどうしてもジェイドのユニーク魔法でなければいけませんが、たとえば相手の弱点や悩みを吐かせる、あるいは感情を無視して契約させる、という場合なら、他者を操って『そうさせて』しまえば済むことです。ですから、いっそ僕が他者を操れるユニーク魔法が使えれば
……
ジェイドに無理をさせることもないのに、と
……
そう考えていたんです」
「
……
つまりアズールは僕を案じて? 僕に無理をさせないためにも、自分で出来ることが増えればいいと?」
「
……
そう言ってるだろ
……
」
きまり悪そうに告げられた言葉に、ジェイドは今度こそ唖然とし、呆然とした。
え、と間抜けな声を発したきり何も言えず立ち尽くし、そんなジェイドを見やったアズールがまたもや眉をつりあげ、口を大きく開いた。
「言っただろ、3年前に一度告白を流されても、それでもずっと好きだったんだよ! 料理を教えればその間は一緒に行動できると思ったくらいには必死で、従業員として自分の店に置こうとするくらいにはまだずっと好きだったんだよ、クソ!」
今にも泣きだしそうな様子だった。吐き捨てられた幼稚な悪態が何よりもアズールの怒りと自棄具合をあらわしていて、だからこそ言葉は切実だった。
切実で、不格好で、きっとすべて本当で、どうしようもなく優しく、たまらなく愛しかった。
「
……
ふ、ふふ、あは、あははっ!」
じわりと臓腑から滲んだ笑いが溢れて、こみあげて、おさえきれなかった。
子供のように笑いだしたジェイドを、アズールは顰めっ面でじとりと睨んでいる。この、と心底苛立たし気な呟きが聞えたが、その先に怒鳴り声はなかったし、その白い頬はうっすらと染まっていた。淡い血の色。
昔
――
アズールとジェイドがまだ、一緒にキッチンに立っていたころ。その頃にしばしば目にした、アズールの状態に似ていた。
あのときはただ、キッチンの熱のせいで体温があがっているだけだと思っていた。
だが、あの時からアズールがずっとジェイドのことを好いていたのであれば、きっとジェイドは、あの時から今に至るまで、ずっとずっと少しずつ、打算入りの、慈しみと好意を受け取っていたに違いない。
それはきっと凄まじくて、そして確かなことに違いなかった。
「ふ、ふふっ
……
いえ、すみません
……
」
目の端にほんの少し滲んだ涙を『笑いすぎて出た涙』だと誤魔化して中指の指先で拭い、ジェイドはゆっくりと自らの笑いをおさめた。
目の前の幼馴染は当然ながら不機嫌そうで、ミドルスクールの頃のようにぶすりとしている。
構わず、ジェイドは微笑みかけた。
「アズール。3年前のあの時は本当にすみませんでした。
……
最近になってやっとわかったんです。
……
――
あの時の告白、いま受けてもいいですか」
仏頂面のまま、けれどアズールの肩はわずかに跳ねた。ジェイドは確かにそれを見た。
「
……
返事はどうなんです」
ふてくされているような、けれどほんの微かに期待を込めたような声に、ジェイドはにこりと笑う。
「それはもちろん、」
言って、勝手にアズールの手を取り、その片手を自らの両手でやわく挟むようにして握った。
「僕もあなたのことが好きです。
――
あなたが望む限りは、あなたと一緒にいたい」
ジェイドの両手の中で、アズールの手に力がこめられた。
ぐ、と強く、けれど優しく、ジェイドの手が握り返される。それを自らのほうへとゆるく引っ張って、アズールはジェイドを自らの方へと寄せた。それの意図を汲んで、ジェイドは一歩、自分の意思でアズールへと近付く。
アズールのもう片方の手がキッチンの空気をかき分けて、ジェイドの頬へと添えられて。
小さくこめられた力に従って、ジェイドはゆっくりと瞼を下ろしながら顔を下げた。
衣擦れの音に、ふっと上品な香りが重なる。スカイブルーの瞳はこんな時だけやけに冷静で真剣で、ジェイドは降参する気持ちで完全に目を閉じた。
キッチンにはまだ火の熱が残っている。そのぬるい空気の柔さ。
香水と混ざり合うことのない、ロールキャベツのスープの匂い。
そんな中で、けれどそれは美しく
――
(金曜日にきみがやって来て、)
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(そしてぼくたちはキスをした)
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