ディンの季節第三の月後半から第四の月の終わりにかけて、生徒たちは夏季休暇となる。実家に戻る者や避暑地へ向かう者、そのまま寮に留まる者など過ごし方は様々だ。しかしだからといって兵士や近衛になるための勉学を休んで良いわけではない。それなりの課題は用意している。ネールの季節第一の月に休暇が終わったその時に、果たしてどれほどの生徒が課題を終えているだろうか。
そして我々教官らにも、生徒たちと同等とまでは言えないが休暇がある。そういう時は申請すれば城下から出て旅行に向かうことも出来た。同僚の中には、休みの間はウオトリー村やリトの村で過ごす者もいるという。どちらもなかなかに楽しそうだ。
私は周囲から『堅物』『無趣味』『無欲』、ひどい時には『女神バカ』と呼ばれる。が、職務以外にも関心はある。
「わー! ママみて! ちっちゃいガーディアンさんがうたってるよ!」
「まあ本当、可愛いわねぇ」
いつも通う店に珍しいお客がいる。普段なら客層は大人ばかりだが、店先に飾られた新商品に心惹かれた子どもたちが集まっていた。
「……ふむ、古代シーカー文明を利用した新型蓄音機ですか……」
神獣やガーディアンに代表される、古代シーカー族が築き上げた偉大な文明。それを研究や軍事利用だけでなく、庶民階級にも慣れ親しんでもらおうという流れが出来ているというのは聞いていた。しかしそれが私の好む分野にまでやって来ているというのは知らなかった。やはり、町中を歩くというのはそれだけで情報が得られる。
私はいつも通り扉を開けて、薄暗くも清潔な楽器店に入った。店主である老女の「いらっしゃあい」という静かな挨拶が聞こえる。私は店主に挨拶すべく、カウンターの方へ向かった。オークの木で出来た艶めくシックな仕切りの対岸で、店主は念入りに楽器の手入れをしていた。
「こんにちは、お邪魔しております」
私が声を掛けると、店主である老女は半月型の眼鏡を外してこちらを見る。私の姿を確認したのか、老女は皺を深くしながら微笑んだ。その笑みにこちらも嬉しくなる。
「……おや、アルバートちゃん。久しぶりだね」
「珍しいですね、あのようなものを入荷されるなんて」
外の方を振り向きながら私はそう言った。すると店主は更にニコニコ笑う。
「試しに一台仕入れて、客引きにと置いてみたのさ。そしたら子どもたちに好評でねぇ。売ってほしいという保護者が続出して、入荷するようにしたのさ」
「なるほど」
「で、今日は何を探しにきたんだい? 新譜ならあっちに置いてあるよ」
「ありがとうございます」
私は店主に教えてもらい、ディスクのコーナーへ足を向けた。
音楽は、幼い頃から私が続けている些細な趣味だ。最初は女神ハイリア様の賛美歌から始まった。そしてそこを根にしつつ、国を渡り歩く吟遊詩人たちの歌をよく聞いた。近衛になる訓練を始めてからは、国に代々伝わる神聖な曲を学び、宮仕えが始まった頃には、宮廷内で流行るワルツやオペレッタ、アリアにも耳を傾けた。教官となった頃には録音再生機器なるものが発明され、ディスクを購入するだけであらゆる楽曲を聴けるようになった。便利になったものである。
私は何枚かディスクを選び、店主の元へ持っていってルピーを支払った。
そのタイミングで、三人きょうだいと思われる子どもたちが新型蓄音機を抱えてやって来た。私が慌ててカウンターから退くと、母親らしき女性が「すみません」と頭をペコペコ下げた。私は「いえいえ」と笑って答え、子どもたちの様子を見守る。子どもたちからすればかなり高額だが、きょうだいは三人で頑張って貯めたお小遣いで支払った。
「ありがとうございまーす!」
「はいよ。またおいでね」
一番下の妹が満面の笑みで卵のような形状の新型蓄音機を抱え、親子四人は店から出ていった。
「見てて元気が出るねぇ」
「はい、本当に」
✽✽
音楽店から出た私は、少々お腹が空いてしまった。普段は買い食いをしないが、どこかしらの軽食店に入るのが良いかもしれない。音楽店のある裏道から大通りに戻って、出店か何かを見つけようと歩き進める。焼き立ての香りに惹かれて、私は道に面したパン屋へ引き寄せられた。テラス席はそこそこ埋まっていて、休日とは言え昼前だというのにだいぶ賑わっていた。
「……ん?」
私はふと我が目を疑った。だが見間違えるはずがない。接客をしている店員さんの背中には見覚えがある。思わず足がそちらへ向いた。
「リンクさん……?」
「はい! いらっしゃいませ……って、教官!?」
トレイを抱えて夏の日差しにも負けない笑顔を見せた彼女は、話しかけたきた相手が私だと知って驚く。ベージュのワンピース。フリルが付いた白いエプロンの隅には小麦パンの刺繍がされている。淡い赤黄緑のチェック柄をしたスカーフを首に巻き、同じ生地で作られたらしい小さな帽子が頭に乗っていた。
彼女が飲食店で働いていたとは大きな驚き。あまり良くないとわかっているが、普段と異なるリンクさんをしげしげと見てしまう。
「こちらで、働いているのですか?」
「は、はい……十年程……。あっ、まずは店内でお好きなパンをお買い求めください! そちらで、イートインかテイクアウトかをお尋ね致しますので!」
「わかりましたよ。ありがとうございます」
私はそう言ってから店内へと入った。が、パンのことは一向に頭へ入って来ず、私はリンクさんのことばかり考えていた。
十年前から? 調査書によると、その頃は彼女とその弟が両親を喪った時期だ。リンクさんは自分自身と弟が食べていくために、この店で働き始めた……ということなのかもしれない。
いつも学校ではストイックなだけあって、彼女の笑顔を見れることは稀だ。だから、余計に光り輝いて見えてしまう。
「焼きたてでーす」
そう言って店員さんの一人が、湯気が立つほど熱々のパンをカゴから店内の棚に次々並べていく。その横顔に私はまたも驚いた。彼はリンクさんによく似ていた。もしかすると、彼が弟なのだろうか。彼女が陽光のような金色の髪ならば、彼は月光のような冷たさすら感じる銀髪。瞳の色も正反対の紅色。似ているのは顔立ち程度だった。やはり姉弟揃って整った容姿をしている。
焼き立てという言葉が気に入り、私はそのパンとトングで選んだ。
「あっ、教官! こちらでお召し上がりなんですね!」
「えぇ、せっかくなので休憩がてら」
「では空いているお席にご案内します」
私はリンクさんに従い、二名用の席に着いた。彼女は私が選んだパンを見て顔を綻ばせる。
「そのパンは、私の弟が生地作りからやっているんです」
「おや、そうでしたか。たまたま焼きたてが運ばれてきたもので……もしかすると、銀色の髪の男の子ですかね?」
「はい。あの子には苦労をかけていて……長期休暇の間だけでも、一緒に働くことにしているんです」
「貴女は優しいお姉様ですね」
リンクさんは照れてしまったらしく、口角を上げながらも下を向いた。
「姉ちゃん! オーダー入ってる!」
「はいはーい! では先生、ごゆっくりなさってくださいね」
弟君に呼ばれて、リンクさんは会釈をひとつすると私の席から発っていった。忙しそうなところに来てしまったのが少し申し訳ない。私は弟君が焼いたというパンと、冷たい水出しの紅茶をいただこうとした。……その時だった。
「お客さん」
「はい」
「……アンタ、オレの姉貴の何?」
見上げると、そこにはリンク君の弟君が明らかに接客では無さそうな顔をしていた。はっきり言うと、凄まじく圧の強い敵意が溢れている。
どうやらこの弟君は、余程姉のことを気にかけているらしい。良いことだ。
「はじめまして。私はアルバート•ダギアニスと申します。騎士学校の特別科で教官をしている者です」
そう丁寧に告げると、弟君は表情をあまり変えずに「……あぁ、あの……」と少々敵意を抑えてくれた。
「お姉様はきっと良い近衛になります。大変だと思いますが、彼女を支えてあげてくださいね」
「……言われなくても、もうずっとやってる」
弟君はツンとした態度で去っていってしまった。あまり良く思われていないことは明らかだが仕方がない。
私は改めて、小麦の香りが溢れるパンを千切って口に放り込んだ。
✽✽
「教官が好きなんです」
自分の娘と呼んで差し支えのない年齢のうら若き乙女にそう告げられた。普段は厳格そうにつり上がっている眉は緩やかな弧を描き、弓弦の如く引き絞られた唇が私への思慕を語る。色白な頬をさくら色に染めながら、私を見上げ映す瞳は春夜の月のように朧げで儚げだった。
夏季休暇が明けてからも、彼女は変わらなかった。課題をキッチリこなして提出していたし、授業態度も真面目そのもの。定期考査後に彼女から呼び出された時は、てっきり答え合わせを頼まれるものだと思っていた。しかし告げられた言葉は、上述の通り。所謂告白だった。
「それは……どういった意味合いの『好き』でしょうか?」
「どういった、って……。好きなんです、教官のことが!」
「恋愛対象、という意味でよろしいですかね?」
確かめるように訊ねると、彼女は面食らった顔をして更に頬を赤くしながら頷いた。私にとってこれは思わぬ事態。私は四十の半ばを過ぎたおじさんで、彼女はまだ十七に満たない。交際だけならば法的な問題はないものの、倫理的な問題が多すぎる。
「私のどこに、好きになる要素があったのですか?」
「教官は、私のことを否定なさりませんでした。私にとって、それは大きな救いだったのです。教官がいなければ、私は周りとの軋轢を起こした末に潰れていたかもしれません」
「なるほど」
「だから私は、教官のことが好きなのです」
「……それは本当に好意なのでしょうか?」
「どういうことですか?」
「貴方は何かを勘違いしているのかもしれないということです。騎士としての憧れを好意に履き違えている、とかね」
「そんなことありません!」
彼女は強く否定した。その想いは本物だし本気なのだろう。真面目な彼女がいたずらにこんな事を言うはずがない。
しかしだからこそ、私は彼女を拒まなけれはならないのだ。
「私などを好きになってはいけませんよ」
「何故そのような言い方を……」
「私は貴方の父親と言って過言でない年です。貴方にはもっと相応しい若い殿方がいらっしゃるはず。こんなおじさんを選ぶことはありません」
「若いから好きになるんじゃないです! 好きだから好きになるんです!」
何と情熱的なことかと私は驚きのほうが強まる。もしも私が彼女と同年代で、騎士でなければ彼女の誘いを受けていたかもしれない。だがそれは、たらればに過ぎない話だ。
「リンクさん、わかりやすくお伝えしましょう。私などと交際しては、貴方が周囲から不健全な目で見られてしまいます」
「不健全って……」
彼女の顔が一瞬赤くなる。だが私は別にそういう意味で言ったわけではない。
「私に取り入って成績を上げてもらおうだとか、コネを作ろうとしているとか、そういう風に思われかねないのですよ」
「なんでそんな……」
「私が教官で、貴方が生徒だからです」
これは画してはいけない線だ。私は教育者。そして騎士だ。将来有望な騎士の卵の未来を守り育てるのが役目。まかり間違っても、生徒と男女関係など築いてはいけないのだ。
「じゃあ……卒業したら?」
「えっ?」
「卒業したら、教官はわたしと……お付き合いしてくださるのですか?」
これは鋭く突かれた。我ながら墓穴を掘った。教官と生徒という関係が終われば構わないだろうと彼女は捉えている。だがそれでも年の差という大きな問題が埋まることは無い。
「教官は、わたしのことが好きですか?」
どう答えるべきか。私は彼女のことを異性として見ているわけではない。彼女は私にとって大切な生徒であり、新世代の騎士として期待を寄せる存在だ。愛欲を含めた感情と言うことはできない。
「……嫌いだと言ったら、君はどうするつもりなのですか?」
「悲しいですけど、ただの生徒でいられるよう努力します」
「ではこれまで通り、ただの生徒でいてください。私もただの教官で在り続けます」
彼女の喉が鳴る音がした。泣くのを堪えているのかもしれない。だがここで慰めることも、触れることも、私はしていけないのだ。変な勘違いをこの子にさせてしまうことになる。
「私は君の将来を潰したくないのですよ、リンクさん。君はとても優秀ですから」
「……わかり、ました」
彼女は俯き、くるりと背を向けて走り去っていく。
これで良い。私などと関係を持って、己の努力を無碍にしてはいけないのだから。
続く
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