ナスカ
2024-07-19 18:32:34
4004文字
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千寿菊に誓う③

前回のお続きです。

「近衛とは、言ってしまえばただの飾りです。我々は国王陛下や王女殿下らを特別な存在として輝かせる道具に過ぎません。しかし、これほど務めるのが難しい道具もないでしょう」
今は座学ではないが、屋内の教室での授業だ。近衛に必要とされる『模範的な態度とは』というものを教授する。
挑発にイチイチ乗ってしまう直情的なのが悩みだというリンクさんは、真剣な目をして私の話を聞いている。こうして本気で授業に取り組んでくれていると、私も嬉しい。
「常に凪いだ心で、どんな強敵を前にしても慌ててはいけません。近衛とは選ばれし猛者であり、そんな我々が狼狽えていては他の兵士たちの士気に関わります。……というわけで」
私は教卓の上に手鏡がどっさりと収納された籠を取り出した。
「教官、なんで鏡なんですか?」
生徒の一人が挙手をして訊ねた。
「今から皆さんに鏡を一枚ずつ配ります。そのあとに説明致します」
私は最前列の生徒たちに、その列の人数分の手鏡を配って回った。次々と後ろに回されていく手鏡。生徒たちは私の意図をまだ把握できていないらしい。
「手鏡は届きましたね? では皆さん、お隣の席に座っている方と組んでください」
私は対剣舞の授業の時にひとつ反省した。あの時は私の方で勝手に決めてしまったのがいけなかったのだと。生徒たちが自分の意志でてんでバラバラに着席しているのを使わせてもらうことにした。私の思い込みよりは、まだランダム性が増すだろう。
「今から皆さんにしてもらうのは、組んだ相手に何を言われても表情を変えないようにする訓練です。鏡は自分の表情を確認するためのものになります」
私の説明に生徒たちがざわめく。そうやってざわめいてしまうようでは、正直まだまだだ。これは生徒たちにとって大きな糧となるはず。
「まずは右側の席の方から、お相手の持つ鏡に顔を向けてます。左側の方は、お相手が表情を変えてしまいそうな言葉を投げかけてみてください。それでは、始めましょう」
早速生徒たちは訓練を始めた。他人の私でもかなり耳が痛くなるような言葉が飛び交っている。それをどれほど堪えられるか……というのもあるが、近衛にはまだ大切なものがある。品性だ。
王族に直接仕える事になる近衛に品が無いのはいただけない。訓練であろうとも、何を言わぬかという品性に則った取捨選択ができなければ近衛となるための感性に欠ける。
私はそれも見分けなければならない。
聞くに耐えない言葉を嬉々として口にしているのは、以前リンクさんに対して加害していた貴族の子弟らだった。そして彼らから罵声とも言うべき言葉を投げつけられているのは、リンクさん同様庶民階級出身の生徒だった。しかし実家は大手の鍛冶屋で、王国軍へ武器提供をしている。それでも貴族等ではないわけで、彼がここにいるのも、その実力故だ。
彼らにとっては『そういった言葉』を口にするのが日常。あの時はたまたまリンクさんに対して発露しただけのことであって、普段は使用人たちや『ご友人』にあの態度なのだろう。
悲しいことだが、過剰なまでに特別として育てられた結果、周囲を見下すようになってしまったとなれば忠義を誓うというのは難しい。彼らはどこまでも自分にしか忠実になれないからだ。
「おい! こいつ泣いてやがるぜ!」
「よく鏡を見てみろよ! 表情を変えちゃいけないんだぜ!」
「ははは! だっせーな!」
彼らの声がどんどん大きくなっていく。他の生徒たちもそれが気になったのか、そちらへ視線を向けた。あまりの惨さに生徒のひとりが「教官、止めなくて良いんですか?」と訊ねる。
「貴方は宮廷内であのようなことを見かけた時、上官に指示を仰ぐのですか?」
私がそう聞き返すと、その生徒は言葉に詰まった。
「さて、どうします?」
そう言った途端、凛とした声が「醜いな」と言い放った。リンクさんだった。今回彼女は失礼な者とは組まずに済んだらしいが、あんな行為を放っておくことなど彼女ならしないだろう。生徒たちの視線が一斉に彼女へ向かう。
「なんだよ、女」
「鏡を見てみろ。お前たち、皆醜いぞ」
リンクさんは怒っていた。だがその表情は荒立っていない。氷上のようにどこまでいっても堂々と、しかし淡々としている。
「なんだと!」
「女の分際で!」
「二人一組のはずだ。寄って集って、見るも聞くも耐え難い」
手鏡を持ち、彼らを映しながらリンクさんは言った。貴族の子弟の一人が立ち上がり、リンクさんの胸ぐらをつかみ上げようとする。
「そこまで! 暴力沙汰は厳禁ですよ」
私の制止に、立ち上がった生徒は渋々腰を降ろした。私は言われっぱなしだった生徒の元へ歩み寄る。膝を床につけて生徒の顔を見たが、泣いてなどいない。彼は涙腺を締め、爆発してもおかしくなかった感情を見事に堪えきった。
「皆さん、彼こそ見本です。あそこまでの言われように涙一つ流していません。よく頑張りましたね」
私がそう言うと、まばらながらに拍手が起きた。それが次第に広がりを見せ、泣くのを堪えた彼は称賛が染みたのかそちらで泣いてしまった。
一方彼に集中砲火を浴びせていた数名は非常に気まずそうにしている。私は残念そうな顔を作り、「貴方がたはあとで教官詰め所へ来るように」と告げた。彼らは真っ青になっている。これくらいの灸を据えるのは必要だ。
「教官、すみません、僕……ちょっと……
泣いてしまった生徒は辛そうにしている。余程堪えたに違いない。
「貴方には無理をさせてしまいましたね。申し訳ありません。医務室に行きますか?」
「ぅ……はい……
「教官、オービルさんは私が連れていきます」
近くにいたリンクさんが挙手をしたので、私は彼女に任せることにした。ぐずぐずになってしまった彼を気遣いながら、リンクさんは教室を出た。

✽✽

授業が終わり、教官詰め所にやって来た数名に指導をし終えたところで彼らと入れ替わるようにリンクさんがやって来た。私に対して不満がある、といった顔をしている。ひとまずは彼女に礼を言うのが先だろう。
「リンクさん、先程は助かりました」
「いえ、礼には及びません。それより、教官にお伝えしたいことがあるのです」
「なんでしょうか」
「さっきの授業、何故彼らを放置したのですか?」
そそくさと去っていく数名の後ろ姿を軽く睨んだあとに、リンクさんはこちらを見上げてきた。これ以上詰め所で話すつもりはなかったので、私は「こちらで話しましょう」とラウンジへ向かった。二人きりで喋る、というのはできるだけ避けたい。
そこでは談笑する者や予習復習に勤しむ者、軽食を口にしている者など、思い思いの休憩時間を過ごしていた。
「近衛は剣技や権力だけでなれるものではありません。忍耐も必要ですし、品性も要ります。ですが全ての者がそうだとは限りません。私たちは貴方がたを育てると同時に、近衛に相応しい者を見定めなければならないのです」
「けど、だからって……あんな篩にかけるような事を」
「かけられたのはどちらでしょうか」
その言葉にリンクさんの顔がハッとする。私はすかさず問いかけた。
「オービルさんの様子はどうでしたか?」
「医務室まで一緒に行って……ちょっと話をしました。その時には、もう普通に会話できる状態で」
リンクさんは様子を思い返しながら私に伝えてきた。試験の答え合わせをしているように、慎重な顔をしている。
……私が心配していたより、平気そうでした」
「彼は貴方がたのクラスでも、耐え難きに耐える力を持っているようですからね。鍛冶が上手いだけはあります。あの程度では、揺るがないのでしょう」
リンクさんは俯いてしまった。またも直情的なままに突っ込んでしまったと省みているのだろう。そして、いずれ仲間となるであろう級友の事を何も知らなかったと。けれどリンクさんにも、褒めるべき改善点はあった。それを話さなければ。
「それにしても、驚きましたよ。貴女があんな風に静かな顔で、怒りを露わにできたなんて」
「本当ですか? 頑張って表情を変えないようにしてたんですけど……出来てたんですね」
リンクさんの顔が上がり、表情が明るくなる。その顔を見ることで、投げかけた言葉は間違っていないと知れた。
「えぇ。近衛に必要な知性と品性は、『勇気をどのように実行するか』ということに繋がるのですよ」
私はリンクさんに微笑みかけた。
「今日の貴女は、知性と品性で勇気を調節できていました。よく頑張りましたね、リンクさん」
するとリンクさんは眉を歪め、涙をボロボロとこぼして泣き出してしまった。ラウンジの生徒たちは「教官、女の子泣かせた〜」やら「何やってんすか〜おじさん」と囃し立ててくる。それは決して嘲笑ではないものの、どうもこんなことは初めてなのでどうすればいいのかわからない。らしくなく焦ってしまう。
「リ、リンクさん、何か気に障るような事を言ってしまいましたか?」
「きょう、かんッ……、ごめ、なさッ…………偉そうなこと、言っ、で……
切れ切れの言葉から思いが伝わる。リンクさんの涙は、きっと自分自身への情けなさからくるものだ。この子はどこまで真面目なのだろう。ならば慌てるよりも、普段通りに振る舞うのが一番だ。
「気を負わないでください。私は貴女を叱るつもりも、怒るつもりも無いのですから」
いつものように落ち着いた声で語りかけた。リンクさんは鼻を啜りながらも少しずつ気持ちが凪いできたのか、涙を自分の指で拭う。
「教官…………、お優しい、ですね……
「悪いことをしていないのに、叱るも怒るもありませんよ」
肩をすくめて、冗談めかしながら私は言う。リンクさんは鼻頭を赤くしながら「ありがとうございました」と言って、その場から立ち去った。


続く