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うよ
2023-09-20 00:04:40
12618文字
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サブドムスモロ
サブドムスモロ
Xであげているドムサブ、sub🚬とdom🐯のスモロです。
何を読んでも後悔しない自信のある方だけどうぞ!
「最後にプレイしたのはいつだ」
「一か月ほど前だと思います」
診察室に入ってから始終問診に答えているのは業務上の補佐だという女だった。そういう患者もいるにはいるが、その男は思考する力を手放していないように見えた。つまり女のお節介なんだろう。当の本人は、受診は不本意だと顔に貼り付けたまま、椅子にふんぞり返っていた。
ローは眉間を揉みながら外した眼鏡を机に置く。初診のカルテはまだほとんどが白。他科の受診歴もなし。手元のチェック用紙から目をはずして本人を眺めてみた。縦にも横にもデカい体は椅子におさまりきっていない。乱れた白髪、無精ひげ、万年睡眠不足のローに負けずとも劣らない目の下の隈、割れた唇、粉を噴いた頬。
「パートナーはいない、カウンセリングも長く受診していない、それから?」
「薬がとうとう効かなくなって、体調が優れないんだと思うんです。先生はDomだとお聞きしました。ケア外来もあると」
「お前に聞いてるんじゃねぇ。本人が答えろ」
知らず口調が雑になっていた。クレームになったって知ったことか。だいたいいい年をした大人のくせにまるで管理がなってない。ダイナミクスについては小学校の保健の授業に始まり今や教育カリキュラムの中にきちんと組み込まれている。それなのに薬が効かなくなるまで放っておくとは、生活習慣病の管理ができない心筋梗塞患者と同じだ。煙草臭もするし、この患者、最悪だ。
口角を無理矢理上げて、意志だけは強そうな赤い目に語りかけた。
「得意か、もしくは好きなコマンドはあるか?」
「
……
」
「昔のことでもいい、少しでも楽になるプレイはあるか?」
「ねぇよ」
「お願いです先生、スモーカーさんにケアをしてあげてください」
「必要ねぇ。薬をくれ。一番強いやつだ」
ローは問診用紙を握りつぶしそうになって留まった。苛立ちを霧散させるためにお薬手帳に記載されていた内容をカルテに打ち込む。キーボードが底を打つ音を高らかに鳴らして最新のものから最初のページまで。
「残念だがな、あー、スモーカーさん?今飲んでいるものより強い薬はない。あとは複数の薬をいくつか組み合わせてみるか、合剤を取り入れてみるか、多少の処方調整はやってみることができるが」
「じゃあそれで頼む」
「あんた二週間ごとに受診できるのか」
「無理だな」
そうだろうと思っていた。こういう患者は頻繁に病院に来ることを嫌がるものだ。だが内服の調整にはある程度頻回な来院が必要になる。特にダイナミクスの薬は体に合わないとミネラルやホルモンのバランスを簡単に崩してしまう。
「先生、なのでケア外来を」
「ケア外来は、治す気のある患者にしか枠を割けない」
「治す気はあるんです!」
「そうは見えねぇがな」
こいつはDomだな。ローは横から食い下がってくる女を観察した。こちらも頑固そうな目をしているが、髪や肌は整えられていて、ダイナミクスの乱れはなさそうだ。
「業務上の補佐なら、ケアもしてみたらいいんじゃないのか」
「やっていたんです。ほんのたまにですが
……
。どうしても体調が戻らない時だけ。情けない話ですが私では上手く釣り合いが取れなくて
……
」
きっとそれはこの男のせいであって補佐のせいではない。さっきの問診からするに、コマンドを全面的に拒否しそうなこのSubとプレイを成立させられるDomなどなかなかいないだろう。眼鏡の隣に転がしたままだったペンを拾って、自分の頬骨をぐいと突いた。一呼吸置く。
「付き添いのたしぎさん?はDomで間違いないか?」
「そうです」
「失礼な言い方をして申し訳ない。だが素人同士のケアは、パートナーであっても、ケアする側にも専門のカウンセリングがすすめられる」
「存じています。私は定期的に内服も受診もしています」
補佐の女は問題ない。これが定期受診のない素人同士だったら目も当てられなかった。ローはもう一度処方薬のシールをひとつひとつ追った。ここ何年かは同じ薬名の繰り返し。そもそもこの用量が適正かどうかも怪しい。処方医は整形外科だ。安定している継続処方に限れば、どこで出してもらってもいいのだが。持参の紹介状には内科の名前が書かれている。データの添付などひとつもなく、精査希望と簡潔に書かれているのみ。今回大きな病院を紹介してもらうためだけに受診したのだろう。
「今、何に困っている?」
「何も困ってねぇ」
「困ってないならダイナミクスの薬はこれまで通りでいいだろうな。内科的な問題だけなら、頭痛には痛み止めを出すし、胃や腸の不調には薬もだが消化器内科を紹介しよう。目眩がするなら耳鼻科だ」
男はぐっと言葉に詰まった。補佐の女が口を開こうとして引き結ぶ。そうだ、本人が答えなければならない。ローはお薬手帳から目を離すことなく続ける。
「具体的な症状は何だ」
「
……
頭が痛ぇのと、眠れねぇ」
「食事量も落ちていると思います」
「健康診断は普段受けているか」
「
……
それで問題なかったからここに来ている」
ようやく問答になってきた。ペンを置いて眼鏡をかけ直す。ダイナミクスに問題ありという自覚くらいはあるらしい。
「最近、血液検査を受けたことは?ダイナミクスの項目が入ったものだ」
「
……
」
「普通の健康診断だとオプションだろ」
「記憶にねぇ」
病識のない患者のお手本のようだった。先ほどより二行増えた画面を一度保存し、男の正面を向いた。
「まずは血液検査。頭の検査といくつかの超音波検査、一応全身のCTも取っておく。全部予約制だからな。今週何度かここに来ることになる。結果説明は来週だ。薬は今日のところはこのまま出しておくからあまりに具合が悪ければ救急で来い。ああ、どうしても薬を変えてみたいということであれば、血液検査だけならすぐできるが」
「そんなに何度も来られねぇんだ先生」
それまで反って腰かけていた男が白髪を抱えた。セットしているのであろう髪をぐしゃぐしゃとかき回す。爪は伸びていないがささくれが目立って、髪がいくらか引っ掛かった。
「なら薬はそのままだ。こっちだって仕事でな、なんの根拠もなく処方はできない」
Glareを放てるSubがいるとすればこんな目つきだろうか。額を押さえた指の間から覗く眼光は棘そのもの。瞼に張りがあればもっと迫力があったに違いない。
医者を睨んでも仕方ない、ということを理解できるだけの理性と、暴れてしまいたいほどの乱れたダイナミクスが患者の中で殴り合っていた。ため息と歯軋りの連続。こちらを刺す目線は唐突に逸らされて彷徨い、また鋭く向けられる。慎重に気を長く、だがローは男から目を離さなかった。
ぎりりと音を立てる奥歯の隙間から、絞り出されるように掠れた声が出たのは十分もそうした頃か。
「
……
たしぎ」
「仕事ならすべて空けています。あ!それとクザンさんから、これを提出するまではデスクワーク以外禁止だとも」
横から何度も乗り出しては一歩下がるを繰り返していたたしぎが一枚の紙を出した。そこに「診断書」の文字を認めてローは肩の力が抜ける。ここまで体に不具合が出ているのであれば、普通の会社は労働させない。パフォーマンスが落ちるどころか職種によっては顧客の安全を脅かすからだ。これはどんな頑固な患者も検査に同意させることのできる印籠で、できれば最初に出してほしかった。
「ハナから言う通りにするしかなかったってことかよ」
「優秀な補佐を持って幸運だったな。血液検査はすぐにしてやるから、結果をみて薬を考える。今日の朝食は?」
「朝から何も食べていないはずです」
「採血が終われば飯を食っていい。あとでまた呼ぶから待っていろ」
長い診察だった。入ってきたときの横柄な態度は多少なりとも改善されたといえるが、信頼関係を築くのにはまだ時間がかかるだろう。腹が満ちればもう少し柔らかくなる可能性はあるか。ローは自分も主張を始めた腹を宥めるために栄養補助食品をミネラルウォーターで流し込んだ。看護師が診察室を整える。すぐに次の患者だ。
結果は予想通りといえばそうだった。よくぞここまで、と言いたくなる数値。これでドロップしないとは大したものだと感心する。再び不良患者と対峙したローはひとつずつの項目について説明し、薬の組み合わせを提案した。
「ほかの検査結果と、内服してみての症状、来週の採血結果でまた変える可能性はある」
画面に薬の写真を表示させ、副作用については薬局で説明を受けるようにと締めると、威嚇とも言えるほどだった最初の空気は引っ込んでいた。診断書を出されて諦めたか開き直ったのだろう。結果を待つ時間はこの男の場合、良い方向に働いたようだ。隣ではたしぎが満足そうに何度も頷いている。
「薬だけでいいのか」
「それが受診の目的なんだろう」
「てっきりコマンドを使われるのかと」
「ケア外来以外でコマンドは使わない。こっちは通常診療だ。ケア外来を希望するなら予約は取って帰ってもいい。別の曜日だがな」
「そうか」
スモーカーは深く椅子に腰かけた。可哀そうな背もたれがぎえっと鳴る。理性が勝っていれば、物分かりは悪くないとみえた。
「異論がなければほかの検査の予約を取る。それ、取ってくれ」
患者の座る位置より少し向こうに配置してある卓上カレンダーを指した。壁にも大きなものが貼ってあるが、これはつまり、小道具だ。大きな手が掴んで寄越すのを受け取る。
「今週のうち、どうしても難しい日はあるか?最短で結果が揃うように組むから、協力してくれると助かる」
「たしぎ」
「先ほど申し上げた通り、すべて空けてあります」
「だそうだ」
「上出来だ。じゃあまず明日、頭の検査、それから」
カレンダーのマスを一つずつ指で示しながら予約を入れる。スモーカーがそれを注視する。指の動きにつられ、右へ、右へ、緩慢に。意外に五円玉に眠らされるタイプかもしれない。ローは口元を締めた。予約が取れたら本日の最終チェックだ。
「足の浮腫みは?触ってもいいか」
「構わねぇ」
柱のような脛を左右触って確認し、次は喉元に手を伸ばす。甲状腺を触診すると言えば同じように構わないと返された。頸は急所だ。ダイナミクスを持つ者同士のパートナーであれば、Collarを付けることもあるところ。動脈の拍動を確かめながら輪郭に沿って触診し、離した。最後に聴診のため、たしぎを一旦退室させる。聴診器をスモーカーに向けた。
「ワイシャツだけめくってくれるか」
男は首の動きだけで了承して、ゆっくりシャツを上げた。鉛でも持ち上げるかのような重みを感じさせるが動きはスムーズだ。悪くない。ヤニ臭ささえなければ。ときどき息を吸ったり吐いたりを指示し、丁寧に聴診した。
「心臓の雑音もない。今日はこれで終いだ。ご苦労だったな」
着衣を直すのを見計らって、たしぎを呼び戻す。最初のように患者を頭からつま先まで眺めて、ローはカルテを更新した。決まった検査予定を再度読み上げれば診察は終了だ。スモーカーは、首を回しながら不思議そうな顔で聞いていた。
コンプライアンスの悪い患者は多様な角度からのアプローチがもたらす効果を軽視していることがよくある。ローは出て行く大きな背中にダメ押しをした。
「内服は朝だけにしたからな、欠かさず毎日服用しろ。来週までの約束だ」
「
……
わかった」
幾分芯の戻った声が、専門の医師として満足できる返答をよこした。
日に日に隠れるのが早まる太陽が、今にも山の向こうに落ちていくところだった。窓を開けると冷気の混ざり始めた宵の風がカーテンを押して滑り込む。最後の患者を送り出したばかり。金曜の疲れは、休前日の夜に膨らむ期待と混ざりあって浮つく。ローは明日も出勤するのだから取り立てて予定は入れていないのだが、毎度同じ感覚に包まれることは不思議だった。
どれだけ科学や医学が進歩しても、全てが解明されるわけではない。不思議なことは世の中に多くある。専門としているダイナミクスもそのひとつ。トラファルガー・ローは北部総合病院で、一週間のうち火曜に通常外来、金曜にケア外来を受け持っている。生まれ持った生殖機能で分類される男女の性別とは別に、ダイナミクスという第二の性を持つ者がいる、とされていたのは昔のことだ。ダイナミクスの発露は脳下垂体から分泌されるホルモンのいくつかに起因しており、近年新たなホルモンの発見が続いている。それまで持つ者、持たざる者がいると思われていた性は、分泌量や働き方の違いがあるだけで、本当は誰しもが持っているものだというのが現在の医学的な見解だ。
Dom、Subと名付けられたそれを、支配と被支配の性質に二極化して定義することも今では疑問視されている。確かに、Dom性にはSubを庇護したい、世話を焼きたいといった欲が強い者が多いという統計もある。中にはSubを支配したいという者もいるが、他者に対して狂暴な欲求を隠し持っているのは何もDomに限ったことではない。同じように、Sub性には依存しやすい、承認欲求が高いといった者が多いというデータもあるが、そのあたりの統計については見直されつつある。どちらの性にしても、確かにわかっているのは、Dom性とSub性で特殊なコミュニケーションを取ることにより、ホルモンの働きが安定し、血液循環や自律神経に良い作用をするということ。これは数値で証明されているところでもある。薬の開発が進み、ダイナミクスを整えることが昔に比べて容易になったといっても、コマンドを使ったプレイに勝る効果はいまだ得られていない。臨床的にも基礎的にも発展途上にある分野であった。
第二性総合神経科ではローを含む専門の医師とカウンセラーが日夜、患者に対応していた。
空気の入れ替わった部屋の窓を閉める。白衣を椅子の背にかけ、ローはパソコンの前に座った。さっきは斜めに差し込む陽が照りかえって見えにくかった画面が白く浮かんでいた。見ていたかのようなタイミングで院内端末が鳴る。
「キャプテン、来週火曜の患者の検査データが揃ったので、確認お願いしますね」
検査技師のシャチだった。週末までに結果を確認しておきたいから画像所見が出揃ったら連絡がほしいと頼んでいた。ちょうど該当の患者番号を打ち込んだところであり、忘れていなくてほっとするが、保険はかけておくに越したことはない。軽く礼を述べると退勤後の夕飯に誘われたが、明日も出勤だからと断った。シャチは小学校の頃からの付き合いで気が置けない。職務上あれこれ頼みやすくて助かっているのだが、子どもの頃からの呼び方が直らないのだけが玉に瑕だった。
「それより、ざっと見た感じ何かあったか?」
「例の患者ですか?記録見ましたけどなかなかに質が悪いっすね。それにしてはなんもなさそう。まぁ俺CTしか見てないんすけど」
そのCTの結果に多少懸念というか期待というか、していたのだが。あの煙草臭で何もないとはがっかりだ。ダイナミクスの不調をきっかけに全身のスクリーニングを行って疾患が見つかることはままある。何かあったら即刻禁煙を言い渡そうと思っていたが何もないなら患者に対して効果はない。ニコチンやタールは肺も血管も傷めつけるばかりの嗜好品だがせいぜい「減らすよう努力しましょう」くらいの言い方しかできそうにない。件の男が退室した後、鼻をつまんで消臭剤をふりかけまくっていた看護師の顔が浮かんだ。
「ローさんは?調子大丈夫すか?ケア外来の日でしょ」
「問題ねぇ」
「次採血飛ばしたら外来まで押しかけるってイッカクが怒ってましたからね。定期検査、あんたも受けるんですよ」
「あの日は急患が夜までかかったからな」
明日は院内の調剤が開いていないんだから薬もすぐ取りに行って
……
つるつると流れてくるのを左から右へ流しながら他の検査結果にも目を通した。頭もこれといった異常はなし、超音波、肺機能、年相応だ。心電図が乱れているのと、尿検査が血液と並んで問題値だらけだがそれは想定内だった。薬が合って、内服が守られれば劇的な改善も見込める。薬の一覧と数値を見比べていると、相談室の扉がノックされた。ローさん、と顔をのぞかせたのはカウンセラーのペンギン。思わず、げっと口に出してしまう。
「あんたね、五時に薬局閉まるんすよ。シャチにも言われませんでした?」
電話口から、俺言った!と大きな声が返ってくる。シャチと同じく幼馴染みの男は、ローの名前が印字された薬袋を机に置いてくれた。時刻は十七時五分。代わりに取りに行ってくれたらしい。その手つきとは逆にすごい剣幕で小言を始めるので、薬は何日分か余裕があること、他の医師の協力もあって調整も上手くいっていることは口にせず飲み込んだ。一通り聞いてしまった方が早く終わるし、そんなことはペンギンだってわかっているからだ。それでも彼らが一言言わなければ気が済まないほどには、ローは過去の行いが良くないことを自覚していた。この分だと前回の採血を飛ばしたことも当然ばれているだろう。
ダイナミクスに関連したホルモンの不調を抱える患者の中には、内視鏡や外科的な処置を必要とする疾患が潜んでいることがある。そういった急患の場合は迅速な対応が必要であり時間もかかることが多い。採血室も十七時までだ。仕方なかった、という状況はどうしても起こりうる。それでも、ローだってDom性を持つ一人の人間であり、医者は体が資本でもある。彼らの心配と主張に異論はない。ローは諦めてカルテを閉じ、目の前と電話口の両方から投げかけられるありがたい叱責を最後まで聞いた。
二回目の診察はスモーカー一人だった。髭は整えられているが、変わらず頬は粉を噴いている。天気のせいか、髪は湿気を帯びて重そうだ。付き添いはと聞くと、あいつにも仕事があると返された。四十手前のれっきとした成人だ、絶対に必要というわけではないが、病識のないことは前回の問診でわかりきっているので、できれば同席者がほしいところだった。
「結果を共有するような、誰か家族はいるか?」
「いねぇ。一人もんだ。親は片方他界、もう片方は施設だ」
スムーズに会話が成り立つあたり前回よりマシと思うほかない。ローは患者の手元にも記録を残すべく、話しながら手書きの解説を作成してやった。内臓に問題はなさそうなこと、血液、尿と脈に異常があるのでしばらく内服調整が必要なことを順を追って話す。スモーカーは、コマンドを使われないという安心を得たおかげか、机に肘をついてローの書いたものを覗き込み、素直に聞いていた。
「薬を変えてから一週間、調子はどうだ?」
「受診した火曜日はなんでかよかった。久々に頭痛が軽くなったのは薬が変わったからかと思ったんだが、木曜から元に戻った」
一週間前を思えばめざましい進歩だ。症状を申告できている。姿勢のせいで距離が縮まっている分、煙草臭さが鼻についたが顔には出さない。
「薬は毎日飲んだか?」
「飲んだ。今朝できっちり空っぽだ」
「約束を守ったんだな」
「診断書をもらえなくなったら困る」
印籠の効果は絶大だ。思わず笑ってしまいながら、ローは重ねて約束を守ったことに感謝を述べる。すると大きな体が息をひとつついて、背もたれの方へ傾いた。またしても支えきれないとばかりに椅子が悲鳴を上げる。
「どうかしたか?」
「いや
……
?なんでもねぇ」
癖なのだろう、胸ポケットに手を伸ばし、中をごそごそとやったがすぐに膝の上に降ろした。それを見なかった振りして、ローは問診を続ける。
「ほかに変わったことは?足の浮腫みが出たりはしなかったか?」
「ねぇな」
「触るぞ」
許可を取って確認する。以前と変わりない。そのまま聴診のためワイシャツを上げてもらうと、つられてめくれた肌着の下に、前回なかったものがあった。
「あんた、痒いんじゃないのか?」
「あ?ああ、そう言われればそうだな」
呆れた。脱がせた腹に発疹ができていた。肌は全体が赤くなっており掻いた跡もある。寝ている間にやったのは確実だ。出していた薬は二種類。うち片方は以前から飲んでいたものでこちらは問題ではないだろう。もう一つが原因である可能性が高い。十代の子どもにも出すメジャーなもので、初回のため一番低い用量にしていたが。
患者の椅子をまわして背中を診る。肩甲骨から腰まで筋肉質な広い面はかさついてはいるが、まだ発疹はない。
「何かアレルギーはあるか?食べ物や花粉症は?」
「ねぇな」
「これまで飲んだ薬や注射、点滴でアレルギーが出たことは?」
「点滴なんかしたことねぇよ」
まったく何のアテにもならなくていっそ潔い。ローは皮膚科の医師に連絡を取った。まだ午前中だ、運が良ければすぐに診てもらえる。皮膚科医とやり取りしている間、スモーカーは爪の丸い指先で見つかったばかりの赤い点を黙って掻いていた。爪のまわりは依然荒れて、硬く立った皮膚が腹に白い線を作る。
「いいか、こういうことがあるから内服調整には頻回の来院が必要だ」
「ああ」
「酷い副作用の場合、呼吸困難になることもあり得る」
「あァ」
自分に限ってそんなことはない、はどんな人間でも持っている共通の油断だ。だいたい酷い目に合ったり取り返しがつかない状態になってから自らを猛省するのだが、この唐変木は皮疹くらい物ともしないだろう。ドロップしない精神力はたいしたものだが、それは過信に繋がる。診察の中断と、皮膚科への受診を指示した。直した服の上からなお掻いていたスモーカーが口を尖らせる。
「診断書は書いてもらえねぇのか。海に出てぇ」
病院から発行する書類はすべて数値と根拠が必要な上いくつかの手順を踏まなくてはならないし、社会人ならそれくらいのこと推して量るべしと怒鳴ってやりたいところを嫌味に留める。
「今書いたら、症状に改善なく勤務不可、になるが」
「海上勤務可能って書いてくれ」
「いいか、繰り返すがこっちも仕事だ。免許を持ってやってるからにはデタラメ書くわけにいかねぇんだよ」
机に置いていたボールペンを取る。てっぺんのクマがボアでできていて、ローはむしゃくしゃした時にこれを頬に押し付けてぐりぐりやるのが癖だった。早くこの男を皮膚科に追いやろう。
「仕事は何をしている?」
「あー
…
船に乗ってる」
「重い荷物を運んだりするか?」
「荷物を運ぶこともまぁある。あとは人間を運ぶことも、まぁ」
人間を?運ぶ?船で?
人に言えない仕事でもしているのかと思ったがカルテの保険欄は至って普通だ。
「救助ってやつだ」
「救助?
……
あんたもしかして」
「
……
まぁ、そうだな」
気まずそうな顔は正解だろう。閃いた職業を打ち込んで見せると、スモーカーが尻の位置を変えた。
「ますます今は書いてやれねぇな。乗船を止められるほど悪くなるまで放っておいて、一度や二度検査を受けたくらいで許可は出せない」
「いつ出るんだ」
「その頭痛と不眠と食欲不振が治ってからだ。そのために、まず皮疹を診てもらってこい。塗り薬を出されたら用法に従え、場合によっちゃ記念すべき初めての点滴だ」
なぜ一人で受診させたんだと、女に怨み言を言ってやりたかった。カルテに付き添い必須と書いてやろうか。まだ何か言いたそうな下唇は突き出されたせいで真ん中が割れて赤みが滲んだ。ついでに保湿剤も処方してもらうといい。退出を急き立てると渋々といった様子で重い足を動かしたスモーカーにローは畳みかけた。
「諦めろ、仕事に戻りたいならな」
看護師たちの、降り始めた、という会話を聞きながら外の音の届かない診察室で順に診療を続けていたところへ、皮膚科から戻った男はひとまわり小さくなったようだった。来院時より顔色が悪いのは皮膚科で詰られたのか、気圧のせいか。急な捻じ込みの診察は待ち時間も通常より長い。採血の追加があり、今日二度目の穿刺も受けたようだ。溜飲を下げてはいけないと、椅子をすすめる。
「待たせて悪かった。ちゃんと診察を受けたな」
「
……
くそ」
小さく零した音を聞き逃さなかったがローは無視した。塗り薬の処方箋が登録されたカルテを横目で見る。幸い点滴は必要なかったようだ。痒みがあると自分で申告したことは記載でわかった。
「皮膚科でも聞いたと思うが、おそらく薬のアレルギーだ。同じものは使えない。系統の薬が全部だめなのか、この薬だけなのかは、追加の採血結果を見ないとわからねぇ。だから今日は出さない」
さっき書いた解説の続きに薬の名前とバツ印を書く。スモーカーは覗いてこない。その代わりに歯と歯が薄く擦れた。一瞬開かれた目で字を追っているようだが何も捉えられていないようにも見える。虹彩だけを無理やり下に向けるものだから顎の下に肉が寄る。不貞腐れたといった類いとは違う、もっと嫌な感じの顔つきに変わっていく。
Subの調子が目の前で落ちていく様はDomのローにもいい影響を及ぼさない。
「焦るな、違うものを試す。ダイナミクスの薬は今や両手で数えきれないほどの種類が承認されている。必ず、合う組み合わせがあるはずだ」
スモーカーの手が持ち上がってまた胸元にゆく。ビニールの音がして、拳になる。下ろされようとして、重苦しくまた持ち上がる。ローは眉間に皺を寄せた。似た動きをこの男はさっきもしたが、あれは戸惑いだった。ポケットの入口で開かれたり閉じられたりする手の平と、つまむ真似をする二本の指。唇が歪んで、強まった顎の音にがさりとビニールのよれが混じる。ソフトパッケージだなと思った。
「調整には根気が必要だ。それはどんな病気にもいえることで、Subだからじゃない。手帳を見るとこれまで種類はあまり変えていないようだが市販を試したことは」
「おれは病気じゃねぇ」
口は唐突に開かれた。黄ばんだ歯を剥き出して唸り声を上げ、びたりとローを見据える。燃える赤い色の底には泥濘。内に飼ったままの暴れる欲求を踏みつけたのは理性ではない。最初に感じた、どんなコマンドも受け付けないという強固。
ああもう。ぴくりと動いた手を戻す。人差し指が目指したかったのはボールペンだ。これでは煙草を確かめる患者と同じになってしまう。男の発した言葉を肯定も否定もせず、ローは机の引き出しを開けた。ダイナミクスについての最も基礎的なことがかかれた薄いパンフレットをつまみ、美しく書けていた×を隠した。
「そうだ、病気じゃない」
「だが、合わない薬を続け、ホルモンバランスの乱れをそのままにしたことで引き起こされている、仕事に障るほどあんたを悩ませている病態は体が発している救助信号だ。転覆した船はSOSを出すな?」
「
……
」
「まだ転覆しちゃいない。ドロップしてねぇ。見事なもんだ。だから、転覆する前に、救助する」
「救助」
「そう、救助だ」
寄せられた眉間がわずか緩んだ。この調子だ。些細なことであちこちに振れるこの安定のなさはまさしくダイナミクスの乱れなのだが、このスモーカーという男、自身がぐらぐらしていることをわかっていない。「調子悪いな」止まりということだ。精神科の併診も検討するべきかもしれないが、来院頻度を増やすことは男のストレスに直結する。
「だから来週も来てほしい。薬は変える。ロープが切れたら替えるだろう」
海難救助の知識など欠片もない。大昔に大好きだった人と観た映画を手繰り寄せる。そういえばあの人も同じ職だったんじゃないか。はぐらかして教えてはくれなかったから、確かかはもうわからない。
「
……
切れたら替える。薬も変えるのか」
「そうだ。変える。転覆してからじゃもっと大変だ」
「
……
わかった」
肩にかなり力が入っていた。ローは一度立ち上がって、部屋の隅、どの診察室にも必ず設置されている手洗いで手を洗った。それだけで頭が切り替わる。手洗いは医療現場の基礎中の基礎であり、時にこうして空気を変える儀式になる。
改めて腰を掛け、スモーカーを正面に据える。
「ここは総合的な観点で治療に当たれるがな、待ち時間がどの患者にも不評だ。治すために来ているのに診察にたどり着くまでに疲弊しちまう。しんどかったろ。手を貸してくれるか。脈を取る」
手のひらを上に向けて差し出す。煙草を取り出す姿勢で固まっていたスモーカーの肘が間接の硬いフィギュアのようにぎちぎちと開いて、分厚い手が、ローの手に乗せられた。手首に親指を当てると太くしっかりした血管が触れる。ところどころ飛んでいるが心電図と矛盾しない。
看護師を呼ぶと、ベテランの女性看護師が血圧計を持って来た。
ここに配属されるのはダイナミクスの特性がほぼ発現していない者に限られている。医師やカウンセラーにはダイナミクス性を持つ人材が多いが、身体的な接触が最も多い職種である彼らは患者を刺激してしまう可能性があるからだ。制御のきかなくなったDomがGlareを出すこともある。いまだ女性の多い現場で、男性性のDomがそれを彼女らに向けることは想像に難くない。それ故に男性看護師の勤務も多い。
「想定外の受診も重なって顔色も悪くなっている。血圧を測るが、いいか?」
「構わねぇ」
正直ほっとした。看護師に手動で測ってもらわずとも、待合室にある電動の血圧計を使うことの方が多い。特にこの女性はレトロなタイプを好んで使う。今はそれがよかった。ゴムの収縮に押される空気の音を聞き、カルテには『都度丁寧な説明が必要』と書いた。
診察途中で呼ばれることの意味をよくわかっている彼女はたっぷり時間をかけて血圧を測った。触りますよ、伸ばしてください、息を吐いて、力を抜きましょう、ひとつひとつの声かけは、豊かな経験に基づいている。数値は小さな紙に書いて渡してくれた。
看護師が退室してから、処方する新しい薬を説明する。今度は全身に異常があらわれないか気を配ること、ひとつでも疑問に思ったことがあったら病院に電話をかけることを勧めた。
「いつでも先生につながるのか」
「おれじゃないこともある。だが電話を受けたスタッフから、必ずおれに伝わるようになっている」
電話番号を付箋に記して、患者が持って院内をまわるファイルに貼ってやった。第二性総合神経科に直接つながる番号だ。どんな小さなことでも電話していいと伝えて、糊の部分を何度も押した。
「先生の名前は」
診察が終盤であることを察した男がほんの少し不安をのぞかせる。最初に顔を合わせたとき、名札を見せながら名乗っている。新規の患者には必ず行うルーティーン。スモーカーにもやったし、診察室の外には名札がかけてあるはずだった。今の今まで見てさえいなかったのだろうが、ようやくロープとして興味を持つのか。
ローはぶらんと首から下がっていたプレートをスモーカーの目線まで上げた。
「トラファルガー・ローという」
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