桐子
2024-07-15 23:59:26
3429文字
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大嫌い(父水)


「お主のそういうところが、わしは大嫌いじゃ」



三人で暮らし始めてから、始めて聞くゲゲ郎の「大嫌い」に動揺してしまったが、そんなことで動揺していると思われたくなくて、水木はキッとゲゲ郎を睨み付けた。
「俺はお前らのためを思ってやってやってるのに、なんだその言いぐさは」
「やってやってる、か」
ゲゲ郎は水木の言葉を鼻で笑い飛ばした。
「偉そうに、さすがは人間様じゃの」
「おい!」
さすがにそれは看過できない。ゲゲ郎も、言いすぎたと思ったのか、一瞬まずいという表情を浮かべた。だが、水木に謝ろうとする様子もなく、ふいっと顔を逸らすと、そのままスタスタと出ていってしまった。
「なんだよ……
一人部屋に残された水木は、ゲゲ郎の言動に腸が煮えくり返る思いだった。
「みじゅ?」
父たちの喧嘩を、ぽかんと口をあけて見ていた鬼太郎が、心配そうに声をかけてきた。
「ああ、ごめん。なんでもないよ」
「とーしゃん」
「お前の父さんも、そのうち帰ってくるさ。ほら、俺とねんねしような」
水木があやしてやると、鬼太郎はむずかりながらも、やがて寝息をたて始めた。水木は鬼太郎をそっと抱え直し、ゲゲ郎の出ていった戸を見つめた。
「なんだよ……俺は、お前らのために……
水木のつぶやきは、誰にも聞かれることなく消えていった。




始まりは、たまには服を新しく仕立ててはどうかという話だった。デパートで新しい着物でも洋服でもいいから、何か買いに行こうと誘ったのだ。これはボーナスが入って懐が暖かいからこその提案だったが、ゲゲ郎は静かに首を横に振った。
「いらん」
「え?」
断られるとは思っていなかった水木は、一瞬驚いて、すぐに聞き返した。
「なんでだよ」
「わしらの服なんぞに金をかけてどうするんじゃ」
「そりゃあ……お前にはいつも同じ服着てるじゃないか。たまにはそういうのもいいんじゃないかと思って」
「これは特別製じゃからのう」
「でも、これから冬だろう。見てるこっちが寒いんだよ。だから……
最初は、服を買ってやる、いらない、という話だった。それが段々と、普段の暮らしぶりから水木の働き方、鬼太郎の教育方針にまで飛び火していった。
「俺はお前らのためを思って」
「押し付けがましいことを言うな。お主はもっとお主のことを考えろ」
多分、お互いにお互いのことを思って、自分の言い分を押し通そうとしたのがいけなかったのだろう。
ーーー大嫌い、か。
その言葉に思ったより動揺している自分に気づいて、水木はふっと自嘲気味に笑った。
「お前らのためを思って」なんて、結局自分の考えを押し付けていただけだ。別に水木は、新しい服を仕立てて、感謝してほしかったわけじゃない。でも、喜んでくれると思っていたのだ。
『いつもありがとう、水木』
そう言って笑ってくれるだけでよかった。ゲゲ郎はきっと、こんな浅ましい心のうちを悟っていて、そんな人間は嫌いだと言ったのだ。
ーーー俺はただ……お前らと仲良く暮らしたいだけなのにな。
鬼太郎の寝顔を見ながら、水木はそっとため息をついた。




朝になってもゲゲ郎は帰ってこなかった。会社に行くため、近くの老婆に子守りを頼んで慌ただしく家を出た。
会社では、いつものように誰でもできるがみんな嫌がる仕事が回ってきた。昼食の時間も返上して働き続け、身も心も疲れはてながら定時に出ようとしたら、「今日中にやっといてくれ」と残業を押し付けられた。
「すみません、子どもが待ってるので……
「そんなこと言っていいのか。君の代わりはいくらでもいるんだよ」
「そんな」
抗議しようと顔をあげると、上司は虫でも見るような冷ややかな目でこちらを見ている。
「なんだ、文句でもあるのか」
……いえ」
水木はぐっと唇を噛んで、渋々残業を引き受けることにした。
終電がそろそろなくなろうかという時間になって、ようやく会社を出られた。どっと疲れが押し寄せてきた。早く家に帰りたい。子守の老婆も困っていることだろう。
ふと、ゲゲ郎はどうしているだろうと思った。さすがにもう帰っているだろうか。まさか鬼太郎を連れて出ていった、なんてことはないだろうか。昨夜の喧嘩を思い出しながら、水木は重い足どりで家路を急いだ。
家に帰り着くと、玄関に電気がついていた。
「ただいま……
「おかえり」
出迎えてくれたのは、鬼太郎を抱っこしたゲゲ郎だった。いつもと変わらぬ様子に、水木は少しほっとした。
「みじゅー!」
鬼太郎が嬉しそうに手を伸ばしてくる。その体を抱き上げてやると、柔らかい温もりにひどく癒された。疲れきってた水木を見て、ゲゲ郎が呆れたように言った。
「随分遅かったのう」
「残業だ」
水木はそう答えてから、鬼太郎を床に下ろして、靴を脱ぎ始めた。
「そうか」
ゲゲ郎の返事は素っ気なかった。水木が靴を脱いでいる間に、ゲゲ郎は居間に行ってしまった。その後ろ姿を見送りながら、水木はため息をついた。
ーーーなんだよ……
なんだかひどく馬鹿馬鹿しくなってきた。別に自分だって好きで残業したわけではない。それなのに、まるで責められているような気分だった。
「みじゅー!」
夜中だというのに鬼太郎は元気だ。水木は重い足どりで居間に向かった。
「あ……
居間に入った水木の目に飛び込んできたのは、ちゃぶ台の上に置かれたおにぎりだった。
形がいびつで大きさもまちまちだが、確かにそれはおにぎりだった。誰が作ったのかなんてーーーそんなの一人しかいない。
「子守のご婦人に作り方を教えてもらったが……うまくできんかった」
ゲゲ郎はどこかしょんぼりした様子だった。
なんだ、そうだったのか。
思わず口元がほころぶのを感じた。昨夜あんなに怒っていたのに、わざわざおにぎりを作って待っていてくれたのかと思ったら、なんだか気が抜けたのだ。
「ありがとう」
素直にそう伝えると、ゲゲ郎は少し照れたように「うむ」と言った。
おにぎりは形はいびつだが、塩がきいていてうまかった。昼を食べていなかったのもあり、水木はあっという間におにぎりを完食してしまった。
「ごちそうさま。……うまかったよ、ありがとう」
「そうか」
手を合わせてそう告げると、ゲゲ郎は嬉しそうな顔をした。そしてすぐに、申し訳なさそうな顔をして頭を下げてきた。
「昨日はひどいことを言ってすまなかった」
「俺こそ、押し付けがましいことを言って悪かったよ」
腹が満たされたら、心も満たされていた。二人で謝りあってから、顔を見合わせて笑いあった。
「よくよく考えると、わしは少し言葉を間違えたんじゃ。わしが嫌いなのは、お主をこんなに疲れさせる世の中であって、お主ではない」
ゲゲ郎は、水木の目元をすっと撫でた。
「ひどい顔色じゃ。子守のご婦人も、お主の帰りが遅すぎると呆れておったぞ」
「はは、そうか……
水木は小さく笑った。だが、働かなければ食っていけない。もう自分一人の生活ではないのだ。
「わしは、新しい服もうまい物も、なにもいらん。それよりもお主が笑って元気に過ごしてくれる方がよほど嬉しい」
ゲゲ郎はそう言うと、水木の頬をそっと撫でた。
「だから……あまり無理をするでないぞ」
ああ、そうかと水木は思った。ゲゲ郎はただ、自分のことを心配してくれていたのだ。
「わかったよ」
水木がそう答えると、ゲゲ郎は安心したように微笑んだ。
「本当じゃな?」
「ああ。まだしばらくは働くけど、近いうちに転職活動でもしてみるか」
「それが良い」
水木の言葉にゲゲ郎は嬉しそうに頷いた。いつの間にか鬼太郎は父親の腕の中ですうすう寝息をたてている。きっと父たちが仲直りをしたのを見て安心したのだろう。
「寝かせてくる」
「ああ。俺は風呂に入ってくる」
そう言ってから、水木は下を向いてぼそぼそと続けた。
……一緒に入るか?」
「!」
目を丸くしたゲゲ郎は、次の瞬間、激しい勢いで首を縦に振った。
「すぐ寝かせてくる!」
その言葉に、水木はほっとして笑った。
「そうか。待ってるよ」
「承知!」
小さな声で返事をしたゲゲ郎は、鬼太郎を起こさないように丁寧に、しかし素早く寝室へと運んでいった。

さて、あの狭い風呂にどうやって入るかなと思案しながら、やっぱりもっと広い風呂のある家に住みたいなと考えてしまうのは、人間の性なのだろう。