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東経
2024-06-21 00:28:03
22020文字
Public
新ゲ
罅なき緋
伝奇ものっぽいパロ
何でもあり
『ここ近年で一番の術士の秀才』
それがまだ中学生である神隼人の周囲からの評価だった。
だが、隼人当人はその評価を良いとは思っていなかった。
どちらかといえば"どうでもいい"が適切だろう。
隼人にとって他人の評価なんで折れた爪楊枝のようなもの。
欲しているのはまだ見ぬ知識、技術
…
己の知識欲を満たす方が先だ。
そして術士の一族として歴史の長い神家。
蓄積された技術も資料も日本有数だ。
だが保存こそされているものの、そこから何をするわけではない。
発展も開発もなにもしない。ただ隠すように残しているだけ。
それが隼人は気に食わなかった。
まだ見ぬものが眼の前にあるのにそれをずっと指を咥えておくことしかできないなんて。
…
そうして我慢できなかった隼人は、家の中で立ち入りを制限されている書庫の中にいた。
入口に施されていた封式は無論解除してしまっている。
むしろ、こんな簡単な封式で今まで破られなかったなと思うくらいには。
ついでに誰か近づいたのがわかるように感知式を入口近くに設置している。
逃げたり隠れたりする時間はあるだろう。
書庫は12畳ぐらいの広さで四方の壁と一体化した棚にはみっしりと和書や重そうな洋書で埋まっている。
棚を眺める隼人は珍しく年相応に好奇心に目を輝かせていた。
──これ全部が今まで読んだことの無い本だ
…
。
最初の一冊は何にしようか。
じっくりと棚を眺めていると一冊の和綴じの書籍が目に留まる。
他にも和綴じの本は山程ある。だが何故かこの本が気になったのだ。
手を伸ばし本を取り出す。
かなり古いもので表題は崩し字で読みとれない。
ここに在る以上、なんてないものではないのは間違いないだろう。
中を見ようと表紙をつかもうとしたその時。
「危ねえぞ」
聞き覚えのない男の声。
咄嗟に振り向くと入口のドアにもたれかかる和服の男がいた。
男の存在に驚きはしたものの、隼人の中で目をひいたのは男の表情。
自身が声をかけた立場なのに、隼人の目に映る男の表情は少し驚いたものだったからだ。
それと同時に本から立ち上る霊気。
「──ッ!」
本能的に身体を攀じった瞬間に何かが頬を擦過する。
隼人にはそれが何なのか、すぐに理解した。
──警護式
…
!
古来より貴重な物品などを盗むに付ける術式。
触れたり、一定の位置から動かすと自動的に起動して、起動時に触れていたものを攻撃したり大きな音を鳴らしたりするものだ。
昔のものは持ち帰った後に発動し、盗人に呪いをかけるといったものもあった。
今は物品そのものではなく収納している金庫や、部屋全体に保護や警護式を使うことが主になったため本単体に式がかかっているとは珍しい。
隼人の頬を掠めた鳥の形をとった警護式は反転し、再び隼人めがけて飛来する。
意識していれば気づけたはずだろう。
自身の油断を悔やみつつ、ポケットに仕込んでいた札を取り出す。
一目した判断だとそこまでレベルの高い式ではない。
ならば事前に用意した札で対応できるはずだ、と霊力を込めて起動する。
起動した札はナイフの形をとる。
それをそのまま飛来する警護式に投げつけ
…
粉砕した。
「やるじゃねえか。坊主」
砕けた警護式をみて、和装の男はどこか楽しげな声を上げる。
「お前
…
」
神家に出入りする人間の顔は隼人は全て把握している。
だが眼の前の青年
…
紺碧の着流しに少しボリュームのある黒髪。目つきは少しきつく見えるが敵意などは感じない。
今のご時世和装だと目立つ。もしくは普段和装ではないのかもしれない。
どちらとしても隼人の記憶にはない。
この場所を知っているということは神家の血筋の人間だというのは確実。
なのに覚えがない。
もしかするとあまり本家には来ない親族なのかもしれないが
…
。
警戒するに越したことはないと警戒心を隠さずに男を見つめる隼人。
鋭い視線を軽くいなすように手を軽く振りながら、男は笑う。
「睨むなよ。ただ"散歩"してたらここが開いてたから来ただけだ」
嘘だと、心の内で隼人はぼやく。
入口は巧妙に隠されているし、開いてるとバレてはいけないからきちんと閉めたうえに偽装式をつけている。
「
…
警報式は」
「あんなもん、感知されないように抜ける方法ぐらいあるぞ」
「
…
!」
男の言葉にどうやってやったんだ。と言葉が出てきそうになるが飲み込む。
「坊主こそ、こんな場所で盗みか?」
青年の視線は隼人の手元の和本に向いている。
「借りるだけだ」
「は、いうねぇ」
隼人の返答にからからと笑う男。
「坊主に良いこと教えてやる。この屋敷にはまだ書庫があるから頑張って探しな」
「
…
知ってる。2階東廊下と西の蔵だろ」
「なんだよー」
少ししょげた青年をよそ目にひとつ、この家の"伝統"が隼人の脳裏によぎる。
"御影様"
神家の初代が契約したと言われる人ならざるもの。
そして初代以降、継いだ者が当主になるという決まりが受け継がれていた。
だが、ある時代から"御影様の継承"が途絶えてしまう。
それ以降"御影様の伝統"だけが残った。
元より秘匿されていることが多く、隼人が知っているのはそれぐらいだった。
この伝統がただの"御伽噺"なのか、それとも"本物"なのか。隼人はそれが知りたい。
眼の前の男は伝統を信じているのか、それとも"御伽噺"と笑い飛ばした他の人間と一緒なのか。
「
…
あんたは、」
「ん?」
「
………
」
「あんだよ。別にお前のこと誰かに言ったりしねーよ」
「そうじゃ、なくて」
「
…
なんだ?」
青年からの声はどこか優しく聞こえた。
「"御影様"はいると思うか」
「
…
──、
…
"御影様"か」
青年の返答が止まったことに少し胸がざわめく隼人。
「いるかもしれねえし、いねえかもしれねえ」
思っていたのとは違った回答に少しだけ胸がすく隼人。
「どっちだよ」
「わかんねえな。俺は"会った"ことないからな」
「
……
そうか」
「いない、って決まったわけじゃないからな」
隼人の直ぐ側に来た青年が、持っていた和本を軽く指で叩く。
「まあ。この本を読めるようになったら何かわかるかもな」
言われてページを捲るとそこにあったのは同じ日本語とは思えないもの。
内容を理解する前にまずは文字そのものの解読から始めないといけないようだ。
急に眼の前に現れた難題に胸が震える。
これを解けばまだ見ぬ情報に触れられるということに。
そこで隼人の思考にひとつ引っかかるものがあった。
先程の青年の言いぶりはこの本がなにについて記述されているのか知ってるかのような口ぶりだった。
──やっぱり、この人は"御影様"について知っているのでは?
「なあ、あんた
…
」
そう思ってもう一度問おうと顔を上げると、青年の姿は消えていた。
現れたときと同じように煙のように空気に解けてしまったのかのように。
「
……
」
和本をしっかりと握り締め、隼人は青年がいた入口を暫く見つめていた。
それから数年経ったある日。
この日は神家でとある儀式が行われていた。
儀式といっても大層なものではなく、神家の子供達が一定の年齢を迎えた報告を先祖や"御影様"にするといったものだ。
広間奥に作られた祭壇に儀式服を着た現当主が祝詞をあげている。
その背後には一族が集まり、当主の祝詞を聞いていた。
その中で隼人は「人生の無駄だ」とでかでかと書いた表情で眺めていた。
──ここにいる人間、皆御影様なんてどうでもいいと思っているくせに。
結局あの日以来着流しの青年とは出会うことはなかった。
家の人間にもそれとなく聞いてみたがそれらしい情報は出てこなかった。
そしてあの日手に入れた和本。
年単位にはなってしまったが判読が終わった。
判読が終わっても内容の解読はまだ終わっていない。
どうやら当時の専門用語と思われる単語が多く、言葉がわかっても意味がわからない。
ただページの最後にこの本の著者らしき名前があるのはわかった。
ふたり居るようだが紙の劣化により名前の殆どが読み取れない。
片方には"神"、もう一方には"流"の文字が読み取れる。
神家の誰かが書いたものと見ていいだろう。
もうひとりについてはさっぱりだが。
完全解読まではまだ時間を要するが、先に進んでいるのは確かだ。
短いため息を吐いて顔を上げる。
当主と祭壇の先には祠が見える。
今いる広間は別名御影の間といい、文字通り御影様を祀った祠が一番奥に設置されている。
普段は施錠されているためこうして祠を見るのは久しぶりだ。
あの日からできる限り"御影様"について、調べた。
今解っているのは、
・御影様を継ぐためには『竜脊阯盤』という仕掛け盤を解いて『御影様の屋敷』に向かい御影様に会わなければならない。
・江戸末期あたりで流行り病で当代の当主が急死するも、御影様の加護は続いていた。
・その後も戦争や病気などで当主や次期当主有力者が死去することが度々起きる。
それでも御影様の加護は有り続けたため『きちんと祀っていれば継がなくともよいでのは?』という考えが広まる。
・それから継承自体がなくなっていくが、御影様の伝承は残り続けた。
・御影様とのやり取りは当主が行うため、それ以外の者には滅多に姿を見せることはなかった。
・そのため姿の情報は残っていない。
この事を初めて知ったとき、近代に入ってからの神家の人間が非常に腹立しく思えた。
自分たちの利益しか見ていない。
楽をして加護を手にしようととしか思えなかった。
それでも尚、この家を守り続けてくれている御影様はどれだけお人好しなのか。
……
ただ、隼人はもう一つ重要な情報を手に入れていた。
あの祠の中に御影様継承に必要とされている『竜脊阯盤』があるという。
近い内に忍び込んで中を確認してやろうと広間の鍵や術式を仕掛けるならどこが良いかを周りに気づかれないように探していた。
その時、そよ風が隼人の頬を撫でる。
心地よさを感じると同時に疑問が浮かぶ。
神家は山の麓に建てられている。
そしてこの御影の間は屋敷の最奥、山の中に建てられているのだ。
故に風が吹くというのは少し不自然だ。
風が吹いてきた方向
…
正面を向いたとき隼人の口から思わず叫び声が飛び出しそうになった。
「──ッッ!!?」
正面の祠の上に何者かが座っているのだ。
そして身にまとっている"色"に隼人は見覚えがあった。
──あの日の
…
!
数年前、書庫で出会った和服の青年。
彼が祠の上に座っていたのだ。
青年も隼人に気がついたようで、「久しぶり」と聞こえてきそうな子供のような屈託のない笑みを向けてきた。
その笑みで間違いなくあの時の青年だと確信すると同時に横目で周囲の様子を確認する。
誰もがあんな目立つところにいる
…
というより罰当たりレベルのことをやっている青年に気がついていない。
慌てふためいている隼人が面白いのか青年は笑顔のままだ。
だが、じっと隼人を見つめる青年になにかを感じたのか彼に目線をあわせた。
「────」
「
……
ぇ
…
?」
青年の唇が言葉を形作る。だがそれは音にはならなかった。
けれども隼人にはなんと言ったのか不思議とわかったような気がした。
目的はそれだったのか青年はひらひらと手を振り、その瞬きの間に姿を消した。
その刹那隼人の眼に映ったのは"二本"の獅子緋だった。
二度目の遭遇から更に月日は経って、隼人は成人を迎えた。
そして、この日神家の屋敷の最奥に位置する御影の間に隼人はいた。
あの日からふたつの疑念がずっと隼人の脳裏にはあった。
ひとつは、彼こそが"御影様"ではないかという疑念。
そしてもうひとつ、彼は"鬼"ではないかという疑念。
ひとつ目は二度目の遭遇時とさほど変わらず御影様に関する情報は得られていないのでわからないまま。
ふたつ目、青年が消える間際に見えた二本の角のようなもの
…
。
世間一般的には角が生えてる人型の生き物=鬼を結びつけるだろう。
今、この世でも妖は人知れず生きている。
隼人を含めた一部の人間は同じように一部の妖と結託して今の世を裏から支えている。
そういったところにいるから言えることだが"鬼は存在しない"
正しくは、遥か昔に姿を消してしまった。
今残っているのは伝承のみで、実際にどういうものだったのかはわからないのだ。
だから、彼が鬼だということも確証がないままだ。
──だが、御影様に会えば全てがわかるはずだ
…
。
そして儀式の日に隼人に言った聞こえない言葉の意味。
それもわかるはずだ。
だが、もし隼人が青年の言葉を間違えて認識していなければ、急いだほうがいいのかもしれない。
祠にかけられていた錠式を解除して、戸をそっと開ける。
中にあったのは古びた円盤状の石版。それこそが『竜脊阯盤』だった。
手に取るとずしりとした重みがあるが、盤内のピースはするりと軽く動く。
神家の優れた術士何人もが挑んで敗れていったという難問。
いわゆるスライド式のパズルの様になっているが個々のピースには何かしらの図柄があり、それを適切な位置にはめ込まないとならない。
そして適切な方向で尚且つ順番で動かないといけないつくりになっている。
図柄が一体何を示しているのか。
それが隼人には理解できていた。
それらを教えてくれたのはかつて書庫で手にした和本。
判読にようやっと成功したのだが、あの本は作られた時代での術士の術や製薬などの基礎知識をまとめた教本だ。
当時の常識と現代の常識は別物だ。全てが全て後世に伝わったわけじゃない。
隼人も、この和本の情報が解法に繋がるとは思ってなかった。
何度かピースを動かしているとカコン、と小気味のいい音が鳴る。
「
………
は、」
手先の感触に思わず隼人は息を漏らす。
動かなかったピースが動き出したのだ。
──自分の考えは、解法は間違っていなかった
…
!!
物言わぬ称賛に身体の奥が震えた。
目下の盤から提示される謎がするすると糸を解くように解けていく。
取っ掛かりができればこの手のものは解けたも同然だ。
──これが百年以上前に作られたものか
…
。
ただっぴろい御影の間に隼人の呼吸音だけが響いている。
現在よりも技術も、術式研究もまだ産声をあげたばかりの時代に"こんなもの"が生み出されていたなんて。
人間の心理を、術師の特性を理解しきったうえでこの術盤は作られている。
──うちの"ご先祖"もやっぱり意地が悪いな。
そう思ってしまうほどに"良く"できている。
盤のピースは隼人の思う通りに動く。
そうして最後のピースをぱちんと小気味良い音を響かせてはめ込む。
ほんの少しの間を置き、ひとつ残してバラバラと繋がっていたピースが外れて床に散らばる。
隼人の手に残ったいちピースを裏返すと先程までには無かった凹凸が出来上がっていた。
これこそが「屋敷」への扉を開けるための鍵だ。
部屋の奥に置かれている、小さな社の戸を開け、置いてある小さな像をどかすと出てきたのは"なにか"を嵌めれそうな窪み。
手にした鍵をそこに嵌めると社の先の壁の奥から地響きじみた音が響きだす。
長らく、動くことのなかった仕掛けが大きな音を立てて動き出した。
この音で家の人間の一部は気がつくだろう。
下手したら百年ぶりに正当後継者ができたことに。
けれども隼人は別に神家を継ぎたいわけではない。そんなものには全く興味はなかった。
かつての神家の人間が数しれず敗れ去った『竜脊阯盤』を解きたかったのもある。
そして、幾度か遭遇したあの青年
…
。
子どもの頃に見たあの"姿"が未だ隼人の脳裏に焼き付いてくっきりと残っている。
今回隼人が導き出した『竜脊阯盤』の解法はこの和本の情報が大いに役に立ったのだが、そこでかつての青年の言葉が蘇る。
──アイツはそれも見越していたのか
…
?
考えてもその答えはわからない。
でもこの今、開こうとしている扉の先に答えも、その存在もあるはずだと。
そんな根拠のない考えがあった。
薄闇の廊下を隼人は歩く。
念願の『屋敷』にたどり着けたはいいものの、見事に誰もいない。
ここが人の世界から切り離された場所であることはわかっているつもりだったが、想像の上を行っていた。
──ここは、時間が止まっている。
少なくとも1世紀は人が『屋敷』には立ち入っていないはずだ。
それなのに建物そのものはどこか朽ちたり、崩れている箇所は見当たらない。
ホコリも殆どないが、それと同様に人の気配がまったくない。
隼人の心には焦燥が広がっている。
もしかしてもう既に『御影様』が消失してしまっているのではないかという、そんな疑念。
──あの時の、アイツにもう一度会うためにここまで来たんだ
…
。
ショルダーバッグの中には術具以外にも何度も何度も何度も開いて、読んで、解析したあの古文書が入ってる。
一歩進むごと肩の重みが増していくような気がする。
まだ探索していないエリアは姿こそは見えていた蔵だった。
蔵の入口を見つけ、その前まで行く。
蔵の重厚な金属製の扉の前には鍵はかけられていないようで、片手で取っ手を掴んでぐっと引いてみると軋んだ音を立てて僅かに動いた。
明かりにしていた灯札を宙に浮かせ、両手で力を込めると観音開きの扉は低い音を立ててゆっくりと開き出す。
扉が開くに連れて外の空気よりも少し冷たい空気が足元に流れ込んでくる。
灯札の灯りだけでは中の様子はあまり見えない。
いざ、と蔵の中に一歩足を踏み入れた瞬間だった。
「──ッ!?」
ぞわり、と背筋が泡立つ感覚。
それと同時にブッと短い音を立てて灯札が千切れて消える。
──術避けの結界か
…
。
構造的にこの蔵が重要な場所ではないかと推測していたがその通りのようだった。
幸い術避けの結界と言っても隼人自身には大きく影響はでなさそうではあった。
一度蔵から出てバッグの中から懐中電灯を取り出す。
念のために持ってきておいて正解だったと、スイッチをいれて蔵の中に入る。
壊れること無く先程の灯札よりもはっきりと内部を照らしてくれた。
改めて中を見ると非常に中が乱雑だ。
桐箱のようなものがあちこちに積まれている。
現代で言うなら整理が行き届いてない倉庫のような印象もある。
だが現代の段ボール箱たちとは違い、この箱にはどれも札が貼られており"開けてはならない"という雰囲気を出していた。
ライトを動かして蔵の奥へを照らすと光が反射する。
入口にあったようにこの蔵にも鉄格子があるようだ。
鉄格子に先になにかあるような気がして、足を前に進める。
うっかり体を当てて箱を動かして何か起きても困るので、少し慎重になりつつ先に進んだ。
箱の山々を抜けようとしたその時、前方に転がっている箱の影から布が見える。
連鎖的に考えが迷走して、心臓が急に跳ね上がる。
まるでずっと頭の片隅にあった疑念が姿を表したようだった。
早足で鉄格子の側に近づき、その場をライトで照らす。
「──ッ
…
!」
隼人の眼前に現れたのは脳裏に焼き付いてる"あの姿"とはまるで違った。
桐箱にもたれかかるように横たわるその姿は、例えるなら破棄される直前のマネキン。
着物から覗く肌や腕は灯りのせいもあるだろうが生気を感じさせない。
脚に至っては床に叩きつけられた陶器のように割れて原型をとどめていない。
唯一表情だけが、穏やかに眠るようなものなのだが、身体の惨状とのアンバランスさが余計に異物感を増やしている。
『待ってるからな』
あの日、声にならない声はそう言ったように見えた。
──もう、持たないのか
…
!
もっと早く、盤を解いていればこんな状態にはなってなかったかもしれない。
後悔してもなにもならない。
駆け寄って無事そうな腕にふれるも、触れた途端に「ビシリ」と嫌な音を立てて罅が入る。
すぐに手を離して、術式を組み始める。
これが一定の条件下に陥った妖霊に起きる現象だと隼人は知っていた。
そしてここからの回復方法も知ってはいるが、ここまで酷い状態か復帰できるかどうかはわからない。
やろうとしていることは、隼人の霊力と生命の一部を分け与えるようなことだ。
眼の前の妖霊が復帰に必要な霊力をどれだけ要求されるかわからない。
そこらへんの妖霊とは格が違うのは間違いない。
もしかすると隼人自身の生命に関わってしまうかもしれない。
だが、ようやくここまで来たのになにもできないまま終わることだけは嫌だった。
「待ってるといったのはお前だろ
…
!」
そんな言葉をこぼして組んだ術式を解放した。
■□■□■
重く、古い鉄製の扉が悲鳴のような音を立てて閉まる。
内側からそれを見守り、手を扉に触れると錠の落ちる音が響いた。
金属製の扉はとても冷たく、触れた指先の熱の大半を持っていかれてしまったようだ。
「はぁ
……
」
思わず漏れた溜息は白い塊となってすぐに霧散する。
今日は今年一番の冷え込みになると天気予報は言っていた。
身体の向きをかえ、眼前にあるのは青白い光が漏れる洞窟。
いつ作られたか判らない古い石畳の上を音を鳴らして進む。
洞窟故に温度がさほど変わらない。
夏場は涼しくて快適なのだが冬場は少し困る。
自然的な寒さに加えてここには特有の"冷気"に満ちている。
隼人はもう慣れてしまっているが、適性のない人間がここにくるとこの"冷気"にやられるだろう。
そもそもここまで来れる人間がどれだけいるのか、という話になってしまうが。
それにこの"青白い灯り"も寒さを増長させているような気がした。
壁をくり抜き、そこに蝋燭が置かれている。
火が灯っているがその火の色は鮮やかな青だ。
青の光によって照らされて洞窟を異なる世界のように見せている。
霊力を練り込み、火の消えにくい蝋燭の作り方は術師の修行で誰しもが教え込まえれることだ。
この廊下に置かれている蝋燭はこの廊下の先で待っている"やつ"が暇つぶしに作ったもの。
規格外の霊力を注がれて作られた蝋燭は呪物認定を受けてもおかしくはないだろう。
そんな蝋燭に灯された火はどうやったら消せるのだろうか。
そんな事を思ってはいるが実行には移したことはない。
入り口付近の灯りは青白いのだが、洞窟の終わり際になると灯りの"濃さ"は増している。
今隼人の側で揺れる炎は鮮やかな藍色だ。
目指す『屋敷』はもう少し先。
そうして薄暗い廊下を抜けると出迎えるのは大量の札が貼られた鉄格子。
古めかしい金属は錆にまみれていても堅牢さはそのまま。
札も古びた札の上から重ねて新しい札が貼られていき壮観な光景になっている。
異様な鉄格子に隼人は手を伸ばす。
隼人の指が札に触れる寸前、札の文字が淡い光を放ち意志を持ったようにハタハタと音を立てて動き始める。
札の下から現れたのは人が一人通れそうな戸。
それと同時に格子の向こうからカコン、と閂が外れる音がした。
勿論この空間に人間は隼人ひとりだけである。
伸ばした手でそのまま戸を軽く押して格子をくぐり抜けた。
隼人が通り抜けると再び閂がかかる音と札たちが動く音が背後で聞こえた。
ここを過ぎれば「屋敷」の入り口はすぐそこだ。
──ここまで遠いのも考えものだ。
ようやく「屋敷」にたどり着き、廊下を歩きながら隼人はそんなことを考える。
神家も大概大きい。隼人は慣れてしまっているが世間一般的には屋敷と呼ばれる大きさだ。
この「屋敷」への入り口が神家の屋敷の奥にあり、尚且つ隠されている。
まずスタート位置に行くまでがすでに遠い。
そして先程隼人がたどってきた長い青い廊下、侵入者防止用の仕掛けを抜けてこの「屋敷」に到着する。
神家屋敷の裏手にある山の中にこの「屋敷」が建てられているのだが、外から見ればただの山であり内部に屋敷が立っているとは全くわからない。
この「屋敷」の役割を考えれば理解できることだが、日々の不便さも相当なのだ。
大きな「屋敷」には人の気配も無ければ、灯りもない。
灯りは無いが、外が薄明るいお陰で灯りを付けずに歩くことができる。
その中で、唯一の明かりが漏れる部屋があった。
障子の先にあるのは温かさを感じる光。
開けると八畳ほどの和室とその真中に置かれたこたつ。
そして寝転がる紺碧の着物を着た黒髪の男。
丁度背を向けていたが、ごろりと隼人の方を向く。
「おかえり」
この『屋敷』の唯一の住人である竜馬が迎えてくれた。
「
…
ただいま」
既に家には戻っているわけで、少し違和感があれども返事をする。
竜馬は隼人の返事に少し嬉しそうに目を細めた。
入口の結界を通過したとこで竜馬には感覚でわかっていた。
だが、こうして眼の前に来てくれていることが嬉しい。
隼人に感づかれるとなにかイジられそうなので表情には出さないようにしているつもりだ。
「頼んだことやっといてくれたか」
「おうよ。急に式飛ばしてくるもんだから何事かと思えば、なんだよ鍋に水入れて昆布入れとけって」
「晩飯いらないのか」
「いるからやっといたっての」
着ていたコートを掛け、バッグを置いて隼人もこたつに入り冷えた身体を温める。
そこまで大きくないこたつに大人ふたりが入れば当たり前だが狭い。
こたつに入れた隼人の足が竜馬の足に当たる。
はじめはお互い、足を動かして当たらないように距離を取った。
竜馬はうたた寝でもしているのか身動きはなく。
隼人はタブレットを取り出し、仕事の報告メールなどの確認をしていた。
そうしていると。
また隼人の足先に竜馬の足先がこつん、と当たる。
はじめは身体を動かして当たってしまったのかとそう思った。
また暫くすると、再びこつん。
まるで様子見をしているかのようにこつこつと当ててくる。
ここまで来れば意図的なもの、恐らくはただのじゃれ合いなのだろう。
見かけの年齢は隼人と竜馬は然程変わらなくみえるが実際のところは文字通り"桁"が違う。
自身の倍以上生きているのにも関わらずどうしてこいつはこんな子どもじみているのか。
竜馬と関わるようになって何度も隼人の心のうちに出できた言葉だ。
無論それが竜馬の一側面に過ぎないこともよくわかっている。
「つめてー足」
何度目かの小突きのあとに竜馬がそんな言葉を漏らす。
靴下を履いていようが冷たい廊下を延々と歩いて来たのだから仕方のないことだ。
一方竜馬の足は触れた靴下越しでも暖かさが伝わる。
無言で同様に冷えた手をこたつ突っ込み、竜馬の片足を掴んだ。
「あ゛ッ」
対面から届く短い悲鳴。
竜馬は素足。しっかりと温まった足から熱を奪うことにした。
「ッ
…
めてっ
…
!離せぇ
……
!」
絞り出すような竜馬の訴えは無視して、掴んだ片足を引っ張り腕で抱え込む。
動かせないようにがっちりと固定して、そっと足裏に指を這わす。
「~~ッ!!」
声にならない声が聞こえる。
こたつの向こうで見えないが、その声で悶える竜馬の姿が安易に思い浮かべることができる。
「っ、あ
…
っ
…
!」
くすぐったさを必死に堪え、声を押し殺す。
握りこぶしで畳を叩いても隼人の攻めは止まらない。
足を引こうにも体勢の問題で力を入れにくく、隼人の手から脱出できない。
「んんっ
…
、」
「別に我慢する必要ないだろ」
「っ、あ
…
のな
……
!」
竜馬が言葉を漏らした直後、掴んでいた足が文字通り"霧散"した。
瞬間部屋に霧が広がり、それは意思を持って隼人の側に集まって次第に竜馬の姿となる。
隼人の側に現れた竜馬の頭には先程は無かった二本の角があった。
猩々緋をした角はあまり長くはなく、軽く湾曲しており、ほとんどが黒髪に埋まっている。
「何しやがる
…
!」
「しょうもないことをしてくる鬼退治だ」
「こんなのが鬼退治であってたまるか」
むくれる竜馬を横目に隼人はタブレットをテーブルの上に置いて立ち上がる。
「晩飯作るぞ。手伝え」
「
…
あいよ」
まだ文句を言いたげな表情ではあったが、食欲が勝ってその感情は流した。
といっても今晩のメニューは「屋敷」に来る前に竜馬に頼んだとおり鍋だ。
具材を切って、鍋に入れて煮込めばできあがる。
隼人の目下の少し焦げた土鍋には野菜と肉団子などがぐらぐらと湯気とともに揺れている。
「コンロ持って行ってくれ」
「おう。あと器か」
「ああ」
まずはカセットコンロをこたつまで持っていく。
続いてふたり分の器やお玉や菜箸。
隼人から「待っていろ」と言われたので大人しくこたつに入る。
冷えた足をこたつに突っ込めば程よい温かさが迎えてくれる。
隼人と出会うまでこの場所には「こたつ」なんてものはなかったし、竜馬もその存在を知らなかった。
それよか暖房器具すらもなかった。
寒さなんて気にしていなかったのに、今やこたつ無しの生活は考えられない。
眼の前のカセットコンロもそうだが人の技術の進化とは目まぐるしいものだ。
竜馬が暫く世間から離れているうちに人間は様々なものを生み出していた。
竜馬が外を歩いていた頃なんて火をつけるにも火打ち石、もしくは術式で起こしていた。
今やひと動作。労力も霊力も術式もいらない。
「(とんでもねえ時代になったもんだ)」
進化を喜ぶ反面、"忘れられたもの"があることも竜馬はよく理解っている。
自身の手をこたつから出して指を擦るような動きをすると、青色の小さな火が灯った。
揺らめく青に少し目を細めていると廊下から足音が聞こえる。
指を一振りして火を消し、手をこたつの中に戻した。
直ぐに湯気揺らめく鍋を持って隼人が現れる。
「おー」
コンロの上に置かれた鍋を覗き込んで嬉しそうな声を零した。
「あと、これも」
「おっ!!」
部屋の角においてあった荷物から長細い瓶を取り出し、それを見た竜馬は目を輝かした。
ラベルの貼られていない一升瓶。
中身が日本酒であることは竜馬はすぐに気がついていた。
「新酒か
…
!」
「大江の家からだ。『御影様から味の感想を聞きたい』と」
「ずっと新酒を供えてくれたけど飲めなかったからな
…
」
受け取った一升瓶をきらきらとした目で見る竜馬。
"眠っていた"時間があまりにも長かったが故に現世との乖離がある。
知識もだが、こういった味覚についても知らないことが多い。
「隼人も飲むよな」
「この後仕事をするから止めておく」
「えー
…
」
「別にお前だけで飲めばいいだろ。お前にと贈られたものだ」
「酒は皆で飲むもんだからなぁ
…
」
少し唇を尖らせていた竜馬だが、酒の魅惑には勝てなかったようで「後で飲もう」と部屋の端に一升瓶を置いた。
「隼人の分残しておくけど、どのくらい飲むんだ」
「全部飲んでいいぞ」
「いいのか
…
?」
「美味かったらまた買えばいいだろ。お前が美味いと言えば間違いないだろうからな」
「おう、わかった」
食後の楽しみを横に置いてまずは鍋を箸を伸ばす。
□■□■□
竜馬が住む『屋敷』は山の中の洞窟に建てられている。
陽の明かりは遥か上方に空いた中からわずかに差し込むぐらいだ。
だが洞窟全体に刻まれた術式の効果で夜明け前のような明るさが保たれいる。
薄闇に包まれた『屋敷』の中で唯一明かりが灯る居間では静かな夕食が進んでいた。
「温泉行きてえなぁ」
「なんだ急に」
しめじとえのきを口に運びつつそんな言葉をこぼす竜馬と少しだけ怪訝な表情になる隼人。
「お前は行きたくねえの?」
「好き好んで行くことはないが」
「じゃあ嫌いって訳じゃないな」
「終わらせないとならない仕事が多すぎるから温泉に行く暇はない」
「なにをそんなに慌ただしく生きてんだよ」
「お前が壊した建物の修復手続きが主だが
…
?」
「
……
あれってもう数ヶ月前の話だろ」
「昔と違って修復完了までやらなければならないことは山程あるんだ」
隼人の言葉にすこし萎れた表情をしつつ、箸を動かす。
そんな会話をしながら鍋の中身も減っていき、殆どなくなった頃。
そういえばと、竜馬が口を開いた。
「なんか"鬼の仕業"って事件起きたみたいだな」
「
…
初耳だが」
「あれ、知らねえのか」
仔細を聞くと、どうやら今日は霊体で神家の中をふらついていたそうだ。
霊体の竜馬の姿を見れるのは恐らく神家の人間でも隼人ぐらいだから、誰にも咎められることなく放浪していた。
休憩中と思われる使用人が何かしらの記事をスマホで読んでいた。
気になった竜馬はひょいと覗き込こめばにそんな言葉があったらしい。
だが詳細を見る前に画面を変えられてしまって読めなかったそうだ。
「
…
ちょっと待ってろ」
少しだけ眉間の皺を深くしつつ隼人もタブレットで検索を始める。
まずは人妖の間を取り持つ機関『協会』の情報サイト。
『協会』側で把握している事件やざっと見ても"鬼"の文字は見当たらない。
事件性が無かったり、未調査の項目にもない。
他のデータベースをあたっても見当たらず。
ここまでくれば情報の信頼性は一気に下る。
世間一般的に使われている検索エンジンで調べてみるとアニメやゲームのタイトルや記事に紛れて雑誌記事のタイトルが引っかかる。
その記事を表示させると、隼人の表情がどこか納得したようなものになる。
そのまま、タブレットを竜馬に差し出した。
「これか」
「
……
、確かこんな感じだった」
タブレットを受け取って記事を読む前に竜馬は顔を上げて隼人の顔を見る。
「あんだよ、その顔」
「別に」
そのことを横に置いておいて竜馬はタブレットに向き合う。
操作自体は非常におぼつかないものだ。
竜馬に「精密機器」なんてワードは分からない。
以前、急に音が鳴ったタブレットに驚き、ぶん殴って壊したことがある。
その際に隼人に相当"言われた"のが聞いたのか画面をなぞる指も慎重だ。
そこはかとなく微笑ましい光景を横目に立ち上がる。
竜馬の視線はタブレットに釘付けだ。
大きな見出しには竜馬ですらひと目で怪しいと思える言葉が並んでいる。
今この世界では"鬼"という言葉があちらこちらに在る。
それらの殆どは比喩的な意味で鬼そのものを見たことがあるのはこの世でも片手で数えるしかいない。
「
…
うどんと雑炊どっちがいい」
「うどん」
視線はそのままだが言葉はちゃんと聞いていたようで即答だった。
黙りこくった竜馬に気を使ってか、隼人はそっと立ち上がり台所に向かった。
『・深夜に突如鳴り響く轟音! 謎の人影と建物の破損と飛び散るガラスの破片
…
鬼が蘇ったのか!? 恐怖の真相に迫る!!
14日〇〇市の商業施設Aで、深夜に建物壁の破損とガラスの破損事件が発生。
犯人は未だ見つかっていない。
複数の目撃証言によると、真夜中に突如大きな音が聞こえ、外に出てみると建物壁に大きな穴が開き、ガラスが散乱していたという。
〇〇市の事件では監視カメラも破損しておりデータのサルベージはできなかった。
◯◯市の事件から3日後、近隣の商業施設Kや□□市の商業施設でも似たような被害が報告されている。
・監視カメラに映ったものと秘匿された伝承
□□市で起きた事件では監視カメラには、角のようなものが生えた人影が映っていたという情報が有力筋から複数寄せられている。
◯◯市には世間一般には知られていないが鬼の伝承がある。
〇〇市と□□市にまたがる×××山に鬼が住んでおり、人々を襲っていたという。
それを納めたのがかの有名な武将だという。
鬼のたかどうかは不明であり、見間違いの可能性も高いとされている。
・鬼伝説と現代の恐怖が交差する
…
真相は闇の中
今回の出来事が、単なるいたずらなのか、それとも本当に鬼の仕業なのかは、まだ誰にも分からない。
しかし、いずれにしても市民にとってこれは決して笑える話ではない。
・今後の展開に注目が集まる
警察は捜査を続行すると発表しており、捜査が進み真実が明らかになることを期待したい。
「
………
胡散臭ぇ」
そういった記事を読み慣れた現代人には胡散臭さが目立つきじだが、竜馬にもそう感じたのだろう。
締めくくりの感想を零して、タブレットをテーブルの上に置いた。
溢れた言葉は笑い飛ばすようなものだったが、表情にあるものは別のものだった。
身体を横にして竜馬は天井を見つめ、その先に何かを探している。
そうしていると廊下を歩く音が聞こえ、竜馬は自身の表情を隠す。
部屋に入ってきた隼人の眼に、テーブルの上のタブレットが映る。
それには触れずに持ってきた冷凍うどんを水を鍋に入れて、カセットコンロの火をつける。
凍っていたうどんが溶けて、出汁を吸っていく。
次第にぐらぐらとした音と湯気が立ちだした時、竜馬が顔を上げた。
「できたぞ」
「ん」
竜馬はタブレットを隼人に渡し、隼人は出来上がったうどんを器によそって竜馬に渡す。
「ありがと」
「感想は」
「鬼生の無駄だった」
竜馬の返事に思わず吹き出しそうになるのを堪らえる隼人。
当の竜馬は美味しそうに締めのうどんを啜っている。
うどんを啜る竜馬の返答もある意味予想通りといえばそのとおりだった。
なにも言うことはないだろう。
あの記事からわかるのは真夜中に建物の破損事件が起きたということ。
残りの部分は確証はどこにもない。
ひとまずは鍋の中身を空にしようと隼人もうどんと向き合う。
締めに入れたうどん二玉はあっという間になくなった。
「はぁー
…
」
満足げなため息が竜馬から漏れる。
満足げな表情なまま文句を零す。
「なんでもかんでも鬼のせいにするなっての」
「世間に浸透した妖怪だからな。鬼は」
「誰も"鬼"を知らねえのにな」
「
…
今この世界に鬼はお前しかいない。だがお前と同様に何かしら生き延びていた"鬼の仕業"だったら?」
「俺以外の生き残りに関しちゃ無くはないが
…
もしこれが鬼の仕業としてもだ、これをやる理由がわからねえな」
「ほう」
隼人は興味に満ちた眼で続きを促した。
付き合いそのものはあまり長くないが隼人は知識欲が底なしだと竜馬は感じている。
それこそ文献もほぼ残っていない"鬼"という存在が目の前にいて当時の情報を持っているのだ。
隼人が鬼について知りたがっているのはよく分かるのだがその割にはがっついて話を聞きに来ない。
きっとそこが隼人の気遣いなのかもしれない、とそう思っていた。
「なんでこの街なんだ?鬼の仕業にしたいなら鬼の伝承がはっきり残ってる地域でやればいい。それに破壊は鬼じゃなくてもできるしな」
「本当に鬼がやるなら本来ならどうする?」
「こんな半端にはやらねえ。"跡形もなく"やる」
さらりといったがそれだけをやってのける力があることを隼人は知っている。
「まあ、そうだろうな」
「気になってるならパッと俺が行けば判るぞ」
「お前ひとりでは現地に行けないだろ」
「そりゃあ、隼人も一緒で、だ」
空の鍋の向こうで竜馬がにやりと笑う。
先程の会話でも感じたが竜馬は外に出たがっている。
確かにずっとこの『屋敷』に閉じ込められているようなものだ。
『協会』などから何かしらの重大な依頼が来た場合は戦力として出てもらうこともあるが基本的にはこの『屋敷』で完結している。
「家の神をほいほい外には出せん」
そもそも出歩く家の神とはなんだろうか。
それでも竜馬は食い下がる。
「『協会』はなにか言ってきてねぇのか」
「言ってきてない」
「なぁんだ」
そう言って竜馬は身体を横にした。
今回の件はともかく、外に連れ出しても良いかもしれない。
だが、外に刺激に慣れていない竜馬はリードを付けていない大型犬のようなもので。
振り回されるのは眼に見えている。
はしゃぐ竜馬を見るのは良いのだが、振り回されるのは勘弁だった。
□■□■□
夕食から暫くして。
隼人の姿は『屋敷』の最奥の蔵にあった。
電気はこの蔵には通っておらず、小型のLEDライトを机の上に置いて明かりを得ていた。
はっきりとした明かりに照らされるのは古文書。
変色した頁や、紙面を埋めるうねる文字が書籍の古さを表している。
複数の辞書を横に置いて文字の解読をゆっくりと進めている。
蔵は入口から見て両サイドの壁に天井まで届きそうな棚が置かれている。
その棚には様々な大きさの木箱が収納されているが、その全てにびっしりと札が貼られている。
棚自体は隼人が設置したものであり、初めて隼人がこの蔵に入ったときには床に箱が散乱していた。
入口から見て正面には『屋敷』までの道中にもあった札まみれの鉄格子がある。
道中のものよりか札の数が多く、こちらには紙垂付きのしめ縄がつけられていた。
鉄格子の向こうはなにか目立つものはない。
天井近くの窓から入り込む薄明かりになにもない牢が照らされている不思議な光景。
だが隼人は「何かが在る」と胸の底で本能的に感じていていた。
竜馬に聞いたが「さあな」と明確にはぐらかされた。
竜馬のことだからいつかは話してくれるだろうと思っているが
…
。
今の隼人にできるのは、この蔵に封じられた呪具の数々の詳細を解き明かすことだ。
解読を試みてるこの古書が呪具たちのリストと収容手順が記されている
…
のだが。
完全に崩された文字は判読が難しい。書いた人間が悪筆だったのか、当時がこれが普通だったのか。
「
……
、」
一度あくびをしてぐっ、と身体を伸ばす。
文字そのものの判別も付きづらい上に当時の専門用語が混ざるとわけがわからなくなる。
何とか文脈で読み取ろうとしてはいるが
…
。
今は竜馬の力で呪具たちは大人しくなっているが、これから先何かがある可能性が無いわけではない。
先の為にも、そして自身の欲を満たすためにもこの作業は必要なものだ。
持ってきていた水筒を手にして中の水で喉を潤す。
視線は自然と奥の空の牢に向く。
この蔵は初めて竜馬を見つけた場所でもある。
この鉄格子にもたれ掛かり、眠っていたのだ。
あの時は死体かと思うくらいにあった儚さは今となれは霧散してしまって跡形も無いが。
今、牢の中にはLEDライトに照らされてできた鉄格子の影がある。
「
…
!」
その影が揺らめいたように見えたのだ。
蝋燭ならまだしもLEDライトの光源が揺れるなんてことはない。
なら考えられるのは
…
。
「
………
」
ひとつ言葉が出そうになったが、寸でで飲み込んだ。
恐らくこの言葉が言えるようになるのはもっと先だろうとそう思ったのだ。
もう一度机に向き直り、解読作業を再開した。
■□■□■
「よっと」
器用に足で蔵の扉を開けて、竜馬が入ってくる。
両手には先程貰った一升瓶と、ふたつのグラス。
「あいつは俺に変なところで寝るなっていうくせに
…
」
ぶつくさと文句を言いながら鉄格子の方へと進む。
そのまま鉄格子のすぐ側で腰を下ろし、持ってきていたグラスに先程隼人に渡された日本酒を注ぐ。
「ほれ」
そしてうちのひとつを鉄格子の向こうへと差し出した。
透明なグラスの中に揺れる液体は少し昔を思い出す香りを漂わせてる。
『
……………
』
鉄格子の向こうより、何か金属が軋むような音が鳴る。
「大江の新酒だってよ」
竜馬の耳にはそれが「声」として認識できているのだろう。
竜馬の声に応じたのか虚空から黒いもやのようなものが現れる。
それは手のような形になってグラスを掴む。そしてグラスごと消えた。
それが受け取ったということのようで、竜馬も注いだ日本酒を一口、口に含んだ。
竜馬は目が"覚めて"から何度か日本酒を含めたアルコール類を口にしてきた。
飲み明かしてきた時代から精錬された味に満足していたのだが、やはり大江の酒は違う。
日本酒の香りがかつてを呼び起こす。
舌の上の辛さはかつての味と少し違うように感じる。
けれども飲み込んだ後の余韻は間違いのないものだ。
「
…
ん」
唇に残った雫を舌で舐め取る。
『
……………
』
ギギィと音が鳴る。
鉄格子の向こう側からも似たような感想が来ていた。
「俺らの時代とは製法も容器も変わってるだろ。でも大江の味だ」
そう言う竜馬の表情は喜びが滲んでいた。
そのままグラスの残りを一気に煽り、喉を鳴らす。
「は
…
、うめぇ」
満足そうに息と言葉を漏らすと、そのまま一升瓶に手が伸びる。
そこに「自分も」と言いたそうに空のグラスが虚空から現れた。
「勿論」
それを受け取って竜馬はまたふたつのグラスに酒を注ぐ。
傍から見れば不可思議な静かな酒盛りはしばらく続いた。
勢い良く一升瓶の中身があっという間に底をつく。
鬼にはどうにも足りなかったようだった。
「隼人に頼んで買ってきてもらうかな
…
」
まだまだ足りないという表情で、最後の一杯を口にいれる。
『
…………
』
なにか強く"言葉"を発したようで今日一番大きな音が鳴る。
「そういうなよ。久しぶりの外は結構楽しいぜ?」
その剣幕を意にも介していないようで、飄々とした表情で竜馬は返す。
「
……
」
鉄格子の向こうになにかを言おうとしたが、喉のあたりで止める。
わざわざ言葉にしなくてもこいつは理解るだろうと、そう思ったのだ。
久しぶりに飲んだ酒の影響か思考がいつもよりか過去に引きずられそうになっている。
郷愁に浸るのはあまりよくないと残りの酒を飲み干した。
僅かにグラスに残った日本酒に外の光が鈍く反射していた。
『
………
』
軋む音と共に虚空より空のグラスが差し出される。
「ん」
竜馬が手を伸ばし、グラスを掴んだその時。
黒いもやが竜馬の手首をがっしりと掴んだ。
『竜馬』
今までの金属音とは違いその"声"ははっきりと言葉になった。
表情は竜馬からでもわかりはしない。
それでも声に先程まではなかった苦しい感情がくっきりと出ていた。
「
……
」
もやに掴まれていた竜馬の手が、弾けるように霧散する。
なくなっていた竜馬の片腕が元の形に戻る。手には先程受け取ったグラス。
「おめえの言いたいことはわかるけどよ。
…
まだこのままで居たいんだ」
鉄格子の向こうから返答はない。
だが竜馬は言葉を続ける。
「俺達にすれば100年ぐらい対した時間じゃねえだろ」
『
……
』
「
…
そうさ。あいつが俺にとって"最後"なんだ」
『
……
』
「じゃあな。また酒、手に入ったら持ってくる」
持ってきた一升瓶とグラスを持って竜馬は立ち上がり扉へと向かう。
蔵から出る前に振り返って牢の方を見る。
そこにあるのは誰もいない牢だった。
■□■□■
「
………
」
何か良くない夢を見た。
夢の詳細までは思い出せなくて、ただ嫌なものをまざまざと見せつけられたようなあやふやな不快感だけがあった。
目を開けるといつもの薄明かりに照らされている天井。
そして横から聞こえる健やかな寝息。
外の光は変わらないため朝か夜どうかわかりにくいが、感覚的に朝だ。
手を伸ばしてスマホを取ろうとしたが、いつもの位置にない。
そこでようやく隼人は昨晩の記憶を呼び起こす。
『屋敷』に来て、竜馬と晩飯を食って、しょうもない記事の話をして、蔵で解読作業をして
…
。
そこで記憶が途絶えている。
どうやら蔵で寝落ちしてしまったようだった。
そして寝室まで運んでくれたのは今、隼人の隣の布団で気持ちよさそうな顔で寝ている竜馬だ。
鬼にかかれば成人男性のひとりくらい文字通り軽いものだろう。
だが、普段は隼人が竜馬を布団に運ぶことのほうが圧倒的に多い。
その際竜馬を抱え上げるのだが、見た目より軽いのだ。
それでいて常人の何百倍の力を出すのだからまさに鬼と言えるだろう。
ちなみに竜馬も隼人に抱き上げられるのに慣れたのか寝ぼけつつも肩や首に手を回して隼人に負担がかかりにくいようにするようになった。
部屋を見れば隅に半開きのバッグがあった。
身体を起こしてバッグからタブレットを取り出して時間と、何か連絡が来ているか確認する。
予想通り時間は午前6時。特に重要そうな連絡も入っていない。
今日は特に仕事という仕事はないので竜馬の相手をしつつ蔵の整理かなにかをしようか。
そんな事を思いつつも、眠気がまだ残っているので二度寝もいいかもしれないと布団に逆戻りした。
身体を横にして隣の竜馬をなんとなく見る。
眠気の残滓にひかれたのか、夢の一部が微かに蘇った。
昔、初めてこの『屋敷』に訪れた時の記憶だ。
蔵で出会ったあの時の竜馬は今思い出してもぞっとするような姿だった。
あそこで強制的に契約を結び、霊力供給を行わないと竜馬は消失していた可能性が高い。
隼人はゆっくりと手を伸ばし、竜馬の頬に触れる。
外気に触れているためひんやりとした感触だがその下にははっきりと生の温かさを感じ取ることができる。
こうしていられることが間違いなく良いことなのだろうとそう思っていると、竜馬が寝返りをうつ。
すると髪の隙間から二本の角が顔を出していることに気がついた。
鮮やかな猩々緋の角。
何故かわからないが竜馬は角を触られるのを嫌がる。
特に隼人が興味津々で触ったり観察してくるので普段は角を出すことは殆ど無い。
だが眠っている今無意識に出てきてしまったのだろう。
隼人の胸のうちに広がる"竜馬の角を触りたい欲"。
だが、先程の夢の影響か好奇心がいつもよりか元気がない。
触ってみるものいいがどうしたものかと迷っていると隼人を別の手ががっちりと掴んだ。
勿論、掴んだのは竜馬だ。
「
…
お前、」
布団の向こうからいつもより低い声が聞こえる。
「また俺の角触ろうとしただろ
…
!」
「"まだ"触ってない」
「ということは触る気だっただろ!」
「なんだ、触ってほしかったのか」
「どこをどう取ったらそうなるんだよ
…
!」
布団を頭から被り防御態勢を取る竜馬。
隼人はこれ以上騒ぐ気にもならないので白い亀を少し楽しげに眺めている。
「お前ら、本当に俺の角をいじくり回しやがって
…
」
ぽろりとこぼれた竜馬の言葉に朝飯の支度をしようかと立ち上がろうとしていた隼人の身体がビタリと止まる。
「
…
お前"ら"
…
?」
少し錆びついたような動きで再び白い亀に視線を向ける。
神家において竜馬の姿を見ることはできても、触れることができる人間は隼人だけだ。
隼人当人は気がついていないが普段より険しくなった表情になっていた。
「あー
…
お前以外の継承者もやたら俺の角を触ってくるんだよ
…
特に初代!」
数百年前の事を昨日のように思い出したのか「あのやろう
…
」と愚痴をこぼしている。
「────
…
そんな昔から触られてるなら、もう慣れただろ」
その言葉が言い終わる前に亀の甲羅をはがしにかかった。
「慣れるか!!」
布団を奪われないように掴む。
が、純粋な力勝負ではどう考えても隼人に勝ち目はない。
ので、ぴたりと攻撃を止めて竜馬の行動を待つ。
そうしていると、隼人が諦めたと思ったのか、そっと布団を持ち上げて様子を伺う。
その瞬間を隼人は見逃さなかった。
「油断したな」
「あ゛っ!!」
あっという間に布団を奪われた上に、マウントを取られてしまう。
薄明かりに照らされる隼人の表情は、見上げていることもあるだろうが変な凄みがあった。
「っ
…
!」
隼人の少し硬い指先が角に触れる。
少し様子見の様にそっと触れたあと、親指の腹で角の形をなぞる。
肌よりかは冷たいが温もりは確かに感じる。
「別に触られて痛むわけじゃないんだろ」
「痛くは、ねえ、けど
…
」
「じゃあ、いいだろ」
「う
…
、よくない
…
」
そうは言いつつも本当に嫌ならば隼人を引き剥がすことも、この場から逃げることも可能なはずだ。
だが、竜馬はそうすることはせず、ある意味好きなようにさせている。
「
…
ッ!やっぱ駄目!」
それでもなにかの限界を迎えたようで、そう叫び思いっきり身体を捩る。
「何が駄目なんだ」
隼人もここで引き際だろうと竜馬の上から退いて、自身の布団の上に戻った。
「お前の触り方が駄目」
「普通に触ってるだろ」
「スケベっぽくて嫌だ
…
」
「お前
…
そんな単語どこで覚えた」
横文字に殆ど親しみが無いはずなのに竜馬からそんな言葉を向けられたことよりが出てきたことに驚いている。
「
…
ということは、お前
…
角が」
「そういう考え方がスケベだって言ってんだろ
…
!」
今度は触られてたまるものか、と臨戦態勢に入る竜馬。
その姿が落ち着いてきていた悪戯心に、燃料をくべる。
この『屋敷』でどれだけ騒ごうが誰にも迷惑をかけることはないので、気の済むまでぎゃあぎゃあと騒ぐふたり。
まるで中学生の修学旅行かという賑やかさの隅で隼人のタブレットが一通のメールの着信を告げていた。
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