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東経
2023-09-24 00:53:08
3242文字
Public
新ゲ
どちらにいくか
「あー
……
」
痒みに気がついたのはほんの数分前。
いつやられたのか。腕の内側。生白い肌に赤い斑点がぽつりとできていた。
認識すると痒みが何割も増したように感じる。
放っておこうかと思うも徐々に痒みが増していっているような気もしてきた。
自慢ではないが竜馬の自室は本当に何もない。
医務室に行けば虫刺されの薬ぐらいあるだろう。
脳内で行くか行かないか天秤にかける。
少し医務室までが遠いのが面倒くさいポイントだった。
「しゃあねぇか
…
」
ゆっくりと立ち上がり、ぼやきを溢して竜馬は医務室へと向かうことにした。
時刻はもう夜中に近い。
研究所の廊下は少し明かりが落とされ、足元の非常灯がギラギラと光っている。
日中は研究者たちや技術者たちが往来する廊下も無人だ。
平和な静寂の中を歩いて医務室に到着する。
ドアの側の機械にICカードをスキャンさせてロックを解除する。
自動ドアの先は暗闇だったがロック解除に合わせて明かりが点く。
勝手知ったる竜馬は戸棚に向かい、日常用とラベルの貼られた救急箱から市販のかゆみ止めを取り出した。
「めんどくせえところ刺しやがって
…
」
側の空きベッドに腰掛けて愚痴をこぼしながら薬を塗る。
薬の清涼感が痒みを少しだけ落ち着かせてくれた。
ここから痒みに負けて掻かなければ腫れも痒みも直に消えるだろう。
目的は済んだと、立ち上がった竜馬の目にデスクの上に置かれたノートパソコンが止まる。
早乙女研究所で広く使われているノートパソコンであり、いうなればどこにでもあるものだ。
医務室は薬品保管室も兼ねている。
竜馬が使った痒み止めから人を数滴で殺せるような薬品まで置かれているのだ。
ここに薬品管理用にノートパソコンが置かれているのは別段不思議なことではない。
だが竜馬には眼の前のものがこの部屋にあることがおかしいとそう感じている。
「
…
忘れ物か?」
眼の前のノートパソコンは隼人のものだ。
しかも当人が日々自室で使用しているもの。
ここに置いてあるのは忘れている可能性のほうが高い。
ノートパソコンにネームタグなど隼人の所有物だとひと目でわかるものはない。
だがこのノートパソコンの天板には一筋の傷がついていた。
それが天板の傷に竜馬は見覚えがあった。
というよりかその傷は竜馬がうっかりではあるがつけてしまったものだ。
ここまで大きな傷がついてるノートパソコンはこれ一台だろう。
手にしたままの痒み止めと隼人の忘れ物。それらは竜馬の脳内でもうひとつ記憶を引っ張り出した。
もう一度手元の薬とパソコンを見る。
「しゃーねえ」
ノートパソコンを掴んで竜馬は医務室を出た。
隼人の部屋の前に立つ竜馬。ドアの先から物音は一切聞こえない。
夜も更けているが隼人はまだ起きていると竜馬には確信があった。
部屋のドアをノックすると少しの間をおいてロック解除音がなる。
部屋に入るといつものようにデスクに積み上げられた紙の束と格闘している隼人がいた。
「なんだ、こんな夜中に」
「ひでえいいようだな。忘れ物持ってきてやったのに」
「なにを
…
」
そこまで言って竜馬の片手にあるものを見て、ようやく忘れ物の存在に気がついたようだった。
「
…
─助かる」
「どーいたしまして」
珍しい渋そうな表情になった隼人に半笑いでノートパソコンを渡す。
その流れで「これも」と言ってポケットに入れていた痒み止めを差し出す。
「
……
?」
だが、今度は差し出されたものに怪訝な表情になる隼人。
何故虫刺されの痒み止めを渡してきた理由がわからなかった。
「お前首のとこ蚊に食われてるの痒くねえの?」
それを見た竜馬は自身の襟首あたりを指差す。
昼間。食堂で座れる場所を探していた竜馬。
その際に研究所員と会話する隼人を見かけた。
あまり人の多いところで会話をしている隼人を見かけることがなかった。
物珍しさからか、どんな会話をしているのか気になり、そっと側を通る。
その際に隼人の襟首の腫れに気がついたのだ。
しかし竜馬にとっては小難しい会話が続いており、それを遮るわけにもいかずに話しかけられないまま。
そしてそのままそのこと忘れていたのだが、自身が虫刺されて思い出したのだ。
「───
…
これか」
隼人も自身の襟首に手を伸ばし、言われた箇所に触れる。
触れた場所からは軽い痛みが返ってくる。
「虫刺されじゃない。見てみろ」
「あー?」
そう言った隼人の声に妙に圧を感じるのは気のせいか。
怪訝な声を上げるも言葉に従い、隼人の背後に回って覗き見た。
「
…
うっわ」
思わず漏れる声。
隼人の皮膚の上をのたうち回るミミズ腫れ。
その端が丁度蚊に刺されたかのように見えたのだ。
何故背にミミズ腫れができるのか。
それは少し考えれば大体の推測は立てられる。
「
……
」
視線でミミズ腫れを辿っていくと肩にできた半円状の傷が見えた。
繋がらず途切れ途切れにできた特徴的な傷は。
それを見て少しだけ目を細める竜馬。
推測が当たっていたことに対してか、それとも。
だが、直ぐに”いつも”の表情に戻る。
「お前も弁慶のこと言えねえな」
からかうような竜馬の言葉。
隼人の背中側にいるせいで表情は伺うことはできない。
もし、先程の表情の変化を隼人が見ていたらどう感じたか。
「
…
─何言ってる」
そこまで言ってから竜馬の勘違いを理解した。
と同時に、隼人の感情の"どこかの"バロメーターが振り切れた。
特に隼人の言葉に反応を示すことなく、竜馬の足はドアを向く。
目的は果たした。
そして何故かもう部屋に戻ったほうがいいと"直感"が囁いていた。
「まあ、その辺を俺はとやかく言う気はないけどな」
それを最後の言葉にして竜馬はドアに向かって歩き出す。
「
…
待て」
「んだよ」
竜馬の腕を隼人の手が掴む。その力はいやに強い。
痛みに少し眉を潜めつつも振り払おうとはせずに動きを止めた。
「この傷、どうしてできたか分かるか」
「知るか
…
、っ!?」
言葉を発し終える前に勢い良く腕を引かれた。
不意を突かれたのもあるが想像以上に強い力で引かれたのもあり、そのまま隼人の方に倒れ込む。
「、─ッ!」
がつん、と胸板に頭をぶつけ、飛び出そうとした文句は首筋に走った痛覚に潰されてしまう。
刺さるような痛みの後に広がるのはひりひりとした痛み。
耳に触れる隼人の吐息。
「背中の傷、お前がやったんだぞ。こうやってな」
竜馬の首筋には薄っすらと歯型が残った。
まだ"手加減"をしているのだろう。赤くなる程度で済んでいる。
「いつやったんだよ
…
!」
反論するも竜馬の心の内では「もしかして」がかもたげてきていた。
初めはてっきり自身以外の人間と"そういった"ことをして相手に付けられてしまったものだと、そう思っていたが
…
。
竜馬の反論に更に眉間の皺を深くさせた。
「歯型照会でもするか?全部お前の歯型と一致するぞ」
「
……
、」
「因みにこのミミズ腫れもお前だ」
「
……
」
竜馬はもう黙り込むことしかできなかった。
そう言われれば、といった記憶がほろほろと出てくる。
噛んだ記憶はない
…
が噛んだ気もしなくもない。
そもそもだが、竜馬に基本的に夜の記憶が途切れ途切れになっている。
「なにか言うことはあるか」
「覚えてねえもんは仕方ねえだろ
…
」
「
……
そうか」
腕を掴んでいた手が離される。
その直後竜馬の視界が回り、背中に衝撃。遅れて聞こえるベッドのスプリングの悲鳴。
ベッドにぶん投げられたのだと理解すると同時にベッドが再び声を上げる。
ベッドに乗ってきた隼人はもはや無言。
少し前の「早く部屋に戻ったほうがいい」という直感は正しかった。
そして恐らくそれはもう敵わないということも竜馬は理解っていた。
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