吾妻
2024-07-15 12:37:30
7381文字
Public アークナイツ
 

Save you

ムリ博♀。できてる。直接的描写はないですが、やることやってる仲の気配があります。
Xで募集した性癖四大奇書、④「ラッキースケベ」です。楽しかった!

 ベッドの上に放り出されている個人端末が、無機質な呼び出し音を鳴らし始めた。
 ムリナールは、新聞から顔を上げて、ちらりと無人のベッドを見やる。シンプルな通知音ではあるが、一向に鳴り止む気配がないので、おそらくメールではなく通話の呼び出しなのだろう。
 シーツの上で振動を伴って暴れている端末をしばらく眺め、しかし、ムリナールは新聞に視線を戻した。別に、会社員時代にしたくてもできなかった〝シカト〟をしているわけではなく、今鳴っているのが他人の端末だからだ。
 そして、持ち主であるこの部屋の主人はというと――
 ムリナールの視線が、今度は造り付けになっている浴室の扉に向いた。コンパクトな部屋に見合った狭い浴室は、ムリナールが貸し与えられているオペレーター用船室のものと全く同じで、仮にも組織のトップを張っているはずの〝誰か〟の我欲のなさが透けて見えるようだった。そもそもこの組織のトップはいずれも、私生活をほとんど顧みない人物ばかりなのだが。
 ともあれ、鳴り続けている端末の持ち主は、今その扉の向こうにいる。
 業務時間もとっくに過ぎ、既に床に就いている者がいてもおかしくない時間帯だ。たとえ仕事の連絡だとしても、知らせてやる必要はない。ただでさえ〝彼女〟は働き過ぎなのだから、無事に終業できた日くらいは休息を優先させたい。
 ゆえに、ムリナールは着信を無視した。本当に緊急なら、誰かしら部屋まで訪ねてくるだろう。放っておけばよい。
 と、改めて新聞をめくったところで。
 シャワー音が唐突に止み、間を置かずに浴室の扉が勢いよく開かれた。
 流石に驚き、紙面から顔を上げたムリナールの視界に飛び込んできたのは、辛うじて下の下着だけ身につけ、首からバスタオルを下げた、ほぼ裸同然の女の姿だった。
「な――
 何かを言いたかったが、言葉が出てこない。ムリナールが動揺と戦っているうちに、この部屋の主であり、ロドス・アイランド製薬が誇る戦術指揮官であり、ムリナールにとっては恋人でもある〝ドクター〟は、諦め悪く鳴り続けている個人端末を拾い上げた。
「もしもし」
 あられもない、と評するのも躊躇うほどの格好で、ドクターは個人端末を耳に当てた。会話の断片を聞けば、やはり仕事の連絡らしく、応じるドクターの表情は業務中と同等に凛々しい。
 ……が、表情に反して格好が酷すぎる。よくよく見れば、髪の毛の先からは今も大粒の雫がぽたぽたと垂れ、床に小さな水たまりを作っている。
……いや、早めに気がついてくれて良かった。明日の朝イチで対応すれば問題ないよ。……うん。再提出用の書類の作成は任せても大丈夫かな。……わかった。明日の朝に執務室まで持ってきて。じゃあ、また明日」
 どうやら、取引先に提出する書類に不備があったらしい。漏れ聞こえてくるスタッフの声は半泣きで、それを優しく宥めつつ次の指針を与えるドクターには、有能な管理者の風格がある。ほぼ全裸でなければ、であるが。
 やがて、通話を終えたドクターは端末を耳から離し。
……なに?」
 当惑した表情でムリナールを見て、そう言った。
 〝なに?〟――とは。こちらのセリフなのだが。まさか本当に、自分が何故見られているのか、思い当たる節がないというのか。元々危機感の薄い女だと思っていたが、まさかここまでとは。
…………なんだ、その格好は」
 様々な葛藤の末、ムリナールはようやくそれだけを絞り出した。
 ドクターは、端末を片手に、自身の体を見下ろす。裸同然の格好と、床に広がる水溜まりを確かめ、ムリナールが渋い顔をしている理由を一応は理解したらしく、少々居心地が悪そうに顔を背けた。
「仕方ないだろ。電話が入ったんだから」
「業務時間外の連絡に、即座に応じてやる義理が? 後で折り返せば済む話だろう」
「緊急の連絡だったらどうするんだ。今、この瞬間だって、外勤任務に当たっているオペレーターはたくさんいるんだし」
「非常事態の発生時は、まず司令部に連絡が行く認識だが」
「ああ言えばこう言う」
「いいから早く服を着ろ。はしたない」
 日頃の敏腕指揮官と本当に同じ人物なのか。ぷうと頬を膨らませて拗ねるドクターの様子に、ムリナールは眉間の皺を深くする。ドクターはなおも唇を尖らせながらも首に下がっていたタオルで髪の毛を拭き始めた。
 もはや新聞を読む気も失せてしまった。深々と嘆息しつつ新聞を畳むムリナールの耳に、今度は、
「君ってたまに、父親みたいなことを言うよね」
 聞き捨てならない言葉が飛び込んできた。
……ほう?」
 片眉が自然と吊り上がる。
 自身のだらしなさを棚上げにして恨み言とは。しかも、よりにもよって〝父親〟などと。
 ムリナールは、傍のデスクに畳んだ新聞を置き、静かに立ち上がる。億劫そうに髪を拭く女に歩み寄ると、細い片腕を掴まえた。
「ん?」
 タオルに埋もれたままの頭から、間の抜けた声が聞こえてくる。まったく、触れられるほど傍に近づかれても気が付かないとは。戦場に立つこともあるだろうに。無防備に過ぎる。
「なるほど、あなたは――
 ぐい、と掴まえた腕を引っ張って、体幹がふにゃふにゃの体をベッドの上に押し倒す。うわっ、と情けない声を上げ、半裸の女はあっけなく天井を仰ぐ羽目になった。頭から離れたバスタオルが、水滴の散った床に落ちる。
「父親とこういうことをする趣味が?」
 ぐっと顔を近づけて囁けば、ドクターが小さく息を飲む。
 が、すぐに気を取り直した様子で、覆い被さる男を睨み返した。
……そんなわけないだろ。さっきのは、君が私の顔を見れば小言を言うからで」
「小言を言われるようなことをしている自覚がないのか?」
「君しか見ないと思ったから……。そもそもこんな状態の体を他人に見せられるわけないし……
 こんな状態? 改めて血色のあまり良くない肌を見下ろせば、なるほど首筋や胸元に鬱血の痕がたくさん散らばっている。確かにこんな格好は、おいそれと他人に見せられたものではないだろう。その程度の理性と羞恥心は残っているようで安心した。
 正直に言えば、自分に対してもあまり無防備になりすぎないでほしいのだが。これでも自制心を総動員しているというのに、努力を無碍にされてはたまらない。
「別に、痕を残されるのは好きだからいいんだけど……。あ! でも来週末は定期健診があるから控えて欲しいんだ。またケルシーに怖い顔で睨まれるのは、嫌――、ッ」
 思わず唇で唇を塞いで黙らせてしまった。まったく、口を開かせると碌なことを言わない。男を煽るとどうなるのか、その身に直接教え込む必要がありそうだ。
「こ、らっ! また、首噛ん……、痛っ!? なんですぐ怒るんだよ、もう……
「怒ってなどいない」
「嘘を、つくな……! どう見ても、怒って……――っ」
 確かに腹を立ててはいる。
 彼女は自身が周囲に及ぼす影響に無自覚すぎる。
 だが、一番苛立たしく思っているのは、そんな彼女の一挙一動に翻弄されっぱなしの自分自身――なのかもしれない。
 薄れかけている痕を刻み直すように耳の後ろ側に歯を立てる。今夜はこれ以上、意味のある言葉を言わせるつもりはなかった。


            *


 数日後。
 単身での外勤任務を終え、ムリナールはロドス本艦に帰着した。
 定時を過ぎた居住区画には、どこかゆったりとした空気が流れている。おそらくは、一日の労働を終え、食事や余暇を楽しむ者たちの発する気配なのだろう。
 悪いものだとは思わない。混ざりたいとも思わないが。
 ロドスの就業規則や福利厚生は、カジミエーシュの企業と比べても遜色のないものだ。その周知徹底ぶりまで含めれば、大企業に勝るとも劣らない。問題は、本来それを遵守すべきトップの人間が、まったく規則を守っていない点にある。
 そもそも、年端もゆかぬ少女をCEO最高責任者に据えている時点で、問題があると言えばそれまでなのだが。
「あ、ムリナールさん」
 そして今、廊下の向こう側から歩いてきたのは、件の最高経営責任者だった。
「今戻られたんですか?」
……ええ」
 アーミヤは、相手によって態度を変えることがない。
 感染者、被感染者はもちろん、出身や種族、年齢や性別で他者を差別も区別もしない。
 その徹底ぶりは、ムリナールに空恐ろしさを抱かせるほどだ。二人の姪よりも幼い彼女の毅然とした振る舞いは、妙な凄味さえ漂わせている。
 ――のだが、今晩顔を合わせたアーミヤは困った顔をしていた。
 声をかけてきたのも、ただの挨拶などではなく理由があるようで、いつもはぴんと立っている耳も、どこか勢いがない。
……何か」
 いくら姪二人の面倒を見てきたとはいえ、少女の扱いに慣れているとも言い難い。かといって、何も気づかなかったふりで通り過ぎるのも気が引けて、結局ムリナールのほうから話を切り出してしまった。
 アーミヤは、少し躊躇したのち、眉を八の字に下げながらムリナールを見上げた。
「すみません、ムリナールさん、ドクターがどこにいるかご存知ありませんか?」
「は?」
「ここ数時間ほど連絡がつかないんです。大した用があるわけではないのですが、ドクターが電話に出ないのはとても珍しいので、どうしても気になってしまって……
……申し訳ありませんが」
 流石に思い当たる節がない。力になれない旨を少々遠回しに伝えると、アーミヤはぎこちない笑みを浮かべた。
「そ、うですよね。ムリナールさんは今戻られたばかりですし……。どうか気にしないでください。本艦の中にはいるはずなので、寝ているんだと思います、きっと」
 どこか自分に言い聞かせているような言葉を呟いて、アーミヤはしなだれた耳を揺らしながら会釈をする。それが、会話の終わりの合図だった。
 お疲れ様でした、と普段と変わらない笑顔を残し、CEOは去っていく。その背にはまだ、拭いきれぬ不安が見て取れた。
 彼女がドクターに対して強い敬慕の情を抱いているのは周知の事実であり、日頃の振る舞いはやや過保護と言えなくもないのだが、流石にムリナールも少々引っかかりを覚えた。
 何しろ、浴室から飛び出してまで電話に出るような人間だ。あれほど可愛がっているアーミヤからの連絡を無視するなどありえない。
 疲労がピークに達して寝落ちしている可能性もゼロではないものの、数時間も連絡がつかないとなると話は別だ。
……
 逡巡の後、ムリナールはドクターの私室に向かって歩き出した。


            *


 見慣れた扉が横滑りに開く。
 こういうとき、自分がドクターの私室の鍵を勝手に開けられる立場であることを思い出す。扉のパスキーを共有され、プライベートな空間に土足で踏み込む権利を与えられているのだと知らしめられる。
 それは、どこかむず痒い感覚だ。

 室内の明かりはついたままだが、肝心の部屋主が見当たらない。
 ベッドの上には先日と同様に個人端末と――脱ぎ捨てられた見慣れた衣服が散らばっている。
 彼女だって人なのだから、防護服以外の衣服を身につけることもあるだろう。だが、個人端末を放り出して外出するなどありえない。
 よって、おそらくドクターは、この室内にいる。
 服を脱ぎ捨てているということは、浴室にいるのかもしれず、連絡に応答できないということは倒れている可能性だってある。
 嫌な予感に抗えず、ムリナールは大股に室内を横切り、浴室の扉にノックと言うには乱暴な拳を叩きつけた。
「おい、いるのか。いるなら返事を――
「あ、ムリナール。戻ったのか。おかえり」
……
 やけにはっきりとした言葉が返ってきた。
 その声音からは苦痛は微塵も感じ取れず、どこか呑気ですらある。
…………何をしている」
 体を支配していた焦りがすっと冷えて、代わりに苛立ちが込み上げてくる。低く唸るような声を絞り出せば、扉の向こう側から深い溜め息が聞こえてきた。
「見なくても、君がどれだけ渋い顔してるか想像がつくよ」
「ふざけているのか」
「違うよ! これには事情があって……その、開かないんだよ、扉が」
「何を言っている」
「本当に開かないんだってば! 少し前から建付けが悪い気はしていたんだけど、ついつい後回しにしていたら、とうとう開かなくなっちゃって……
……
 どうやら嘘ではないらしい。記憶を辿れば、確かに彼女が浴室の扉をガタガタ言わせていた記憶もある。だからといって――
「それで、数時間助けも呼ばず、浴室に閉じこもっていたと?」
「このへん、あんまり人が寄り付かないだろ。端末はベッドの上だし、ずっと大声を出しているわけにもいかないし……。それに、今日は君が部屋に来ると思っていたから」
……私が来なかったらどうするつもりだったんだ」
「流石に明日の朝まで連絡がつかなければアーミヤあたりが部屋まで来るだろうと思っていたし……なにより……
 滔々と言い訳を並べ、そこでドクターは唐突に口籠った。
 やがて、これまでよりも随分とトーンダウンした声で、
……君以外に見せるのは、やっぱりちょっと。タオルも持って入ってないから」
 と、言った。
………………
 複数の感情がないまぜになり、咄嗟に言葉が出てこなかった。
 まず、タオルも用意せずに、浴室を出た後はどうするつもりだったのか。また床に水溜まりでも作るつもりだったのか。どうしてそう不用意なんだ。頭ごなしに叱りつけたい気持ちと。
 自分以外に裸体を晒したくなかったと告げられて、あまりに正直に高揚を覚えてしまった自身を情けなく思う感情と。
 今すぐ。そんな発言をしている女の顔を見てやりたいという欲望と。
 すべてが混ざりあって混沌とした胸中のまま、ムリナールは。
……扉から離れろ」
「え?」
「扉から離れて下がっていろと言った」
「えっ、いや、まさか君……
「早く」
「は、はい」
 ドクターの気配が遠ざかるのを確かめたあとで。
 役割を放棄した扉を思いっきり――蹴り飛ばした。


            *


「君ってさ……時々、暴れんぼうのスイッチが入るよね……
 ベッドの縁に腰掛け、ドクターは乱暴に洗い直された髪をもたもたと拭いている。
 まるで無理矢理風呂に入れられた小動物のようにしょぼくれた佇まいながら、大きく襟ぐりの開いたシャツから覗く首筋や肩には先日刻んだ痕が見え隠れしており、悩ましげでもある。
「人を呼んで開けさせたほうがよかったと?」
 嫌味を返しつつ、ムリナールはちらりと浴室の扉に目をやる。
 何らかの暴力によって、強引に破られ、ひしゃげた姿を晒している扉を。
「そう言われると困るんだけど……
 蹴破った扉の向こうにいた女は、本当にタオルの一枚も被っていなかった。このあたりが比較的温暖な気候の地域かつ、室内の空調がしっかりと効いていたからまだいいものの、それでも体はすっかり冷え切っていたため、もう一度温かいシャワーを浴びせかける羽目になった。
「来ていた連絡には折り返してやれ。あなたの安否を気に掛けていた」
「取り急ぎ、メールを返しておいたよ。……まったく、君はまた父親みたいな――
 横目で睨みつける前に、ドクターは自発的に口を噤んだ。先日どんな目に遭ったのかを思い出したらしい。学習能力があるのはいいことだ。
 居心地が悪そうにぷいと背けられた細い顎を、捕まえる。
 ドクターはしばらく、うろうろと視線を逃がしてはいたものの、やがて観念したのか、挑発的な視線をムリナールに向けた。
「なに? 温めてくれるの?」
 どうやら開き直ったと見える。
 その切り替えの早さを褒めるべきか、腹を空かせた獣の前に無邪気に飛び込む無防備さを咎めるべきか。
……お望みとあらば」
 掴んだ顎をしっかりと固定したまま顔を近づけ、生意気なことばかり言う唇を塞いでやろうとした――ところで。
……くしゅっ」
……
 ムードもへったくれもなく、女がやたらと可愛らしいくしゃみをした。
 数時間、裸のままでいたのだから、当然の帰結だ。このままさらに服を引っ剥がしてしまえば、ほぼ確実に風邪を引くだろう。
 暴れ出そうとしていた獣性が急激にしぼんでいく。
……今日はもう寝なさい」
「えー」
 〝えー〟ではない。元はと言えば、室内設備の不備を、面倒くさがって管理部に報告しなかったお前が悪いのだ。くどくどと説教をしそうになる口を真一文字に結んで、ムリナールはドクターの手からバスタオルをひったくる。
「来週末は定期健診だと言ったのはそちらだろう」
「ムリナールさんがあんなに噛まなければ何の問題もないんですが……
「それができれば苦労はしない」
 ぴしゃりと跳ね除けると、ドクターが「うぐ」と押し黙った。
「それともあなたは、また健診の場で白い目で見られたいと?」
 ようやく大人しくなった気配に、ムリナールは浴室の扉だったものの方へ足を向けた。髪を乾かした後にベッドに押し込まなければならない。
 しかし、部屋を横切ろうとしたムリナールの袖口を、そっと掴むものがあった。
「なんだ」
 まるで幼子のように袖口を掴む女を見下ろし、意図を問えば、
……私を寝かしつけたあと、自室に戻るとか言わないよね」
 拗ねた顔で、ドクターがぼそりと呟く。
 つまりそれは、帰らないでほしいという意味だろうか。
……添い寝をしてほしいなら、素直にそう言え」
 絶妙に甘えるのが下手な恋人に向けられたムリナールの声は、呆れこそ含んでいるものの、決して冷たいものではなかった。
「君が来てくれて助かったよ、ムリナール」
……ふん」
 あなたが助けを求めているのに、手を差し伸べない道理はない。
 それがたとえ、どんな窮地であっても。
 ただし、それを真正面から伝えるのは気が引けて、ムリナールは結局何も言わずに浴室へと向かった。


【終わり】