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あさかわ
2024-07-12 23:24:18
6308文字
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てんてこ舞い
鬼水成立後の居酒屋の小話。二人いるバージョン
一
なんぞ、うまい話でもないか。
その程度、風呂場の軽石より軽い思いつき。天狗の御燈は居酒屋でひとつ向こうのカウンター席で飲んでいる男に声をかけた。
「あんた水木さんでしょ。ほら、鬼太郎のところの」
左の耳と目の傷が分かりやすい目印だ。小指を立てる下世話なことはしない。恋人、情人、イロ。言いようは何だってあるが濁すのが一番だ。
「確かにそうだが、あんたは?」
訝しげな顔に御燈は目尻を下げてへらりと笑う。見た目は喜寿でも過ぎた爺なので人間には無害に見えるはずだ。
「俺は昔鬼太郎に世話になったもんだ。天狗の御燈
……
だと長いから、『みあかし』から取ってアカシとでも呼んでくれ。人間との諍いを納めてもらって助かったよ。鬼太郎はどうしている。息災か」
おばけに息災も何もないが、ご機嫌いかがと問うのが人間の作法。知った名前に水木は少し警戒を解いたようだ。強張った肩が緩んだのが見て取れる。
「相変わらず頑張っているよ。俺から見れば頑張り過ぎなくらいだが、あいつの決めたことだから」
「見守るあんたも立派なお人だよ。どうだ、一杯奢らせてくれないか」
「いや、俺は」
「ホントは鬼太郎に奢りたいが本人がいない。だったら親しい者に僅かばかりだか報いさせてくれないか」
片手を立てて頼むと言えば、水木が眉を下げ一杯だけと答える。掴みは上々。しめしめと心中で舌なめずりをして、女将に追加の酒を頼んだ。
「水木さん、お好きな酒は?」
「飲めればなんでも。でも、天狗の仕込んだ酒が一等旨い」
「そりゃうれしい。俺は天狗に縁があるもんだから、親戚を褒められた気分だよ」
御燈の懐具合は寂しいので、上等な日本酒の代わりにウーロンハイを頼む。
この水木という男。どうにも鬼太郎のイイヒトらしい。適当に酔わせて気持ちが大きくなったところで、鬼太郎に関するネタの一つを漏らしてくれれば万々歳。そのネタをそこらの妖怪に売れば、少しばかりの小遣い稼ぎになるだろう。
「安酒で申し訳ないが、俺のおごりだ。ぐっとやってくれ」
貂の女将から汗をかくジョッキを受け取る。人間に渡す前に袖口に隠しておいた種を一粒忍ばせ、何食わぬ顔で差し出した。御燈の山で薄い酒でもとっぷり酔えるようになると人気の種だ。これで一杯だけのおごりでも十分酔ってくれるはずだ。
見た目は好好爺、中身は小遣い稼ぎで一杯の悪童。御燈は嬉々として水木が酒に口をつける瞬間を待つ。
「アカシさん、悪いね」
「いいの、いいの! ささ、ぐいっと!」
ウーロンハイを受け取って水木が笑う。飲みかけのビールを空にしてから、ウーロンハイのジョッキに手を付けて、思い出したように胸ポケットを探った。
「煙草、吸ってもいいかい?」
「勿論、構わないよ! 気軽に吸える場所も随分減ったよなぁ。久しぶりの人界で俺はびっくりしたよ」
水木はズボンのポケットを探り、首を傾げた。もしや火がないのか。ならばと御燈は身を乗り出して、水木の前で指先に火を灯した。
「火が見つからないなら、俺の鬼火でっ
……
!!」
バチリ、と稲妻が走る。狙いすましたように御燈の鼻先を掠め、水木がくわえた煙草の先端にたどり着く雷撃。チリっと皮膚が焼ける匂いと熱が走り赤くなった鼻先。それでいて、心臓が凍り付いている。
御燈がギシギシ振り向けば、ギョロリとした右目の子供の姿。氷点下の冷えた目がこちらを睨み、擦り合わせた親指と人差し指の間でパチパチと弾ける音がする。
「煙草、火ぃ
……
いるんでしょう?」
床を這う鬼太郎の声を気にすることなく、水木は上機嫌だ。ウーロンハイに手を付けず、席を立つ。
「ああ、助かったよ。アカシさん、お迎えも来たしお暇するわ」
水木が煙草を吸って、数拍の後に煙を吐いた。その匂いは一般的な煙草と違う抹香臭い
……
そう、妖怪が厭う匂い。思わず椅子ごと後ろに下がると、水木が財布を取り出した。
「ご馳走様。女将さん、お勘定」
「いらないよ。迷惑料と相殺で構わないだろう。コイツ、田舎から出てきたばっかの世間知らずのバカなんだ。鬼太郎も悪かったね」
「もう少し気を付けてくれないか」
鬼太郎に咎められ、女将は両手を合わせる。
「ごめんねえ。万が一の時は止めるつもりだったんだよ。でもほら水木さんと鬼太郎なら大丈夫だと思ってサ」
御燈だけが置き去りで、女将が申し訳なさそうな顔をしている。
御燈が煙にやられた鼻を押えると、水木がにこやかに手を振って、鬼太郎はお前の顔を覚えたぞ、と凝視してから店を出て行く。
帰りがけ、鬼太郎はさらっと水木の腰に手を回した。水木の方もそれが当たり前らしく、先ほどと違う煙草を取り出すと、鬼太郎がまた指先から雷撃を飛ばし火を付ける。
御燈は全身脱力して目尻の涙を拭う。あのまま席で水木に一服されたら、煙で涙がとまらなくなっただろう。鬼太郎のおかげで助かったと言える。しかし、結果的に鬼太郎に睨まれたので一切の得はない。どうにか得た情報と言えば、鬼太郎が連れ合いの専属マッチを務めているということだけ。この情報を買ってくれる奴はいないだろう。小遣い稼ぎの算段は瓦解して散々だ。
「何だ、あれ。どっちも、おっかねえ
……
」
右から金槌を振り下ろされて首を掠める衝撃か。はたまた、左から刃物で撫でられる恐ろしさか。御燈が首を手で触って、ちゃんと繋がっているか確認する。女将はアンタ、バッカだね! とケラケラ笑って頼んでもない天狗舞を枡に注いで出してきた。上等な酒で喉を潤し、うまい話はどこにもないのだなと考えを改める。
酒代はきっちり取られ、天狗の御燈の財布はすっからかんになった。
二
今日は天狗のひやおろしの解禁日だ。人里より更に寒さが厳しい飛騨の山で天狗が丹精込めて仕込んだ極上の生酒。その酒が飲めるのは伝手のあるわずかな店に限られる。
水木はカレンダーに丸を付け、目玉と共に解禁日を指折り数えて待っていた。鬼太郎は毎年楽し気にカレンダーを眺める二人を微笑ましく見守っている。解禁日は二人ともやけに早起きをする。一日中ご機嫌に今日じゃ、今日だと互いに確認しあって、ふわふわと過ごしていた。
さて、夕方になりいつも世話になっている貂の女将の店に鬼太郎、目玉、水木の三人は連れだって向かった。鬼太郎は途中、商店街の時計を見て時刻を確認する。開店には少々早い時間だが、店先で待つつもりなのだろう。
「あっ女将さん! 今年もひやおろしは入りましたか」
女将が暖簾を持って店から出てきた。水木が上機嫌に声を掛けると、女将が眉を寄せる。
「ああ、入っているけど
……
水木さん、悪いがアンタは出禁ね」
瞬間、水木は笑顔のまま固まった。鬼太郎が見上げると、彼はすっと息を吐いて顔を斜めに俯ける。
「
……
そうですか。とても残念です。せめて至らぬ僕に理由を教えてくれませんか。もしも僕に直せるところがあったら」
「泣き落としは効かないよ。こっちは三人子供を育てたカカアだ。甘ったれの末っ子に、どれほど泣き落とされたことか。一番泣き落としが効く角度に、顔を傾けるのはやめな」
水木の顔から悲しげな表情がすとんと落ちる。図星だったらしい。
「アタシだってねえ、良客を出禁にするのは心が痛むんだよ。しかし、店のことを考えたら甘いこと言ってられなくてね」
「仕方がないのう。水木の出禁の理由は追々聞くとして、まずは天狗のひやおろしを一杯
……
」
浮かれる目玉が鬼太郎の頭の上ではしゃいでいる。水木は目玉をむんずと掴み、シャツの胸ポケットに入れた。
「何をする、水木!」
「お前だけ美酒にあり付こうとは、いい度胸だ。連帯責任でお前も出禁だ」
「横暴じゃあ! 自分が出禁になって悔しいからと儂まで巻き込むな! 鬼太郎、ガツンと言ってやれ」
「いえ、僕はそこまでお酒に執着していないので」
三人で飲みくる楽しさの方が、新酒に勝る。しかし、鬼太郎の答えに実父と養父は大層傷ついたらしく鬼太郎に向かって抗議の声を上げる。
「な、なんという暴言! 天狗のひやおろしの旨さが分からんとは恥ずかしいぞ」
「そうだ、そうだ! こうなったら一蓮托生。俺と一緒に鬼太郎も出禁にしてやる」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ二人から視線を外し、鬼太郎は女将に問いかける。
「それを決めるのは女将だと思いますよ
……
なあ、理由を聞いてもいいか」
女将は額に手を当ててため息をついた。
「春はあけぼの、夏はバカ、秋は夕暮れのちバカって人間の言葉だろ。自分で言うのもあれだが、うちの店は良心価格で敷居も高くない。庶民派なもんだから、田舎から出てきたお上りさんも御用達。で、お上りさんと一緒にバカが集まる。旧鼠に天狗の御燈
……
これから水木さんにちょっかいを掛ける輩がわんさか増えるんだよ。バカの最盛期を迎えるところに水木さんを放り込んでごらん。バカの祝祭見本市だ」
女将は一息に五回もバカと言った。真に迫る表情から偽りはないのだと伝わってくる。
「水木さんは悪くない。しかし、鬼太郎の縁者の中で一番唆せそうに見えるのも事実だ。ここらの連中は弁えているけど、余所のバカには分からないんだよ。アリがたむろす場所に角砂糖を置いておけないだろう。
……
それにねえ、たまにクセになっちまうバカもいる」
「クセになる?」
鬼太郎が首を傾げると女将が水木をちらりと見やる。
「水木さんに冷たくあしらわれて、殴られたみたいな感覚がイイってバカがね
……
いるんだよ」
瞬間、鬼太郎の髪がぶわりと膨らむ。自分が知らぬところで、大切な人に入れ込む妖怪が増えている。性根の腐ったバカは袖にされても、煙に巻かれて涙が止まらなくなっても、涎を垂らしよろこんで水木に纏わりつくだろう。
「そうか
……
それは、良くないな」
女将が牙をむいて鬼太郎に吼えた。
「鬼太郎っ! アタシの店吹っ飛ばしたら、ひやおろしもおじゃんになるんだ! 連れ合いと親父を泣かせたくないなら、物騒な妖力引っ込めな!」
「オイ
……
鬼太郎。ひやおろしを一滴でも無駄にしたら離婚も辞さない」
鬼太郎の肩を水木が掴み、ギロリと見下される。普段はここまで己を見失うことはないのだが、年に一度の楽しみを奪われて自制心が緩くなっているらしい。
「
……
それは、酷くないか?」
もとより女将に店を吹き飛ばす気はなかった。暴力は良くない。水木にちょっかいを掛けたバカを全員白根の湯釜で一晩漬けこみたい気持ちはあるが、ぐっと我慢する。
「うるせえ。贔屓の店を出禁にされて、深く傷ついてるんだ
……
」
鬼太郎はしょぼくれた水木の右手を握って優しく撫でる。目玉は水木の肩によじ登って励ます様に叩いた。その様子に女将も良心が痛むのだろう、暖簾を持ったまま目を逸らし気まずそうにしている。
「女将さん、せめて鬼太郎と一緒の時は店に入れてくれませんか。こいつの側にぴったり寄り添って離れたりしませんから」
そう言いながら水木は鬼太郎の手を握り返す。指を絡めて俗にいう恋人つなぎにして切々と訴えた。
「俺一人なら人間の店に飲みに行っても構いません。しかし、大切な伴侶と親友と気兼ねなく飲めるのは女将さんの店だけなんです。連れ合いと一緒に出掛けても、人間の目にはただの親子にしか見えないでしょう。それどころか、子供を飲み屋に連れてくるなと詰られる始末。この店だけが、唯一本当そのままに過ごせる場所なんです」
水木が泣き落としの種類を変えた。より断りにくい方向に持ってきて切々と訴える。
「っ
……
そう言われても、店の秩序ってものが」
「儂からも頼む。鬼太郎と一緒に月に一度だけでも通わせてはくれんか。それが難しいならせめて今日だけでも
……
人間の店では水木はいつも一人きりになってしまう」
目玉と水木の哀願を女将は振り払えずにいる。水木は鬼太郎の手を軽く引いた。女将を説得するまであと一押しだ。鬼太郎はじっと女将を見上げて言った。
「僕からもお願いだ。絶対に水木の側から離れないと約束する。もしもちょっかいを掛ける輩がいたらすぐに店から出て行くよ」
女将は深々と息を吐いて暖簾を店先に掛けた。カラカラと引き戸を開けて三人と手招きする。
「はあ
……
分かったよ。とりあえず今日一日は許してあげる。鬼太郎、アンタがちゃんと見張っているんだよ」
「勿論だ」
頷く鬼太郎。目を輝かせる水木。小躍りを始める目玉とそれぞれの反応を返し、さっそく店内に入った。
カウンター席の端を鬼太郎と水木が陣取っている。目玉はテーブルの上で、器用に猪口の酒を啜っている。水木は煮物に箸を付けて上機嫌で、目玉の方は秋ナスを齧っては酒を飲んで幸せそうに息を吐いている。
「ほら、こっちの冬瓜の煮物も出汁が染みてうまいぞ。鬼太郎、口をあけてごらん」
水木は箸で冬瓜を摘まみ、鬼太郎の前に差し出す。
「あーん、しろ。
……
な?」
程よく酔いが回った目元が赤くなっている。鬼太郎は顔を寄せて冬瓜を口に含んだ。
「本当だ。芯まで染みてる」
「だろう? ふふふ、旨い酒とアテがあって、旦那様と親友まで側にいるとあっちゃ、俺は果報者だなあ」
鬼太郎は冬瓜を呑み下し、徳利に手を付ける。
「水木、猪口が空だ。もう一杯飲むだろう?」
「ありがとな、鬼太郎」
ゆるゆると笑って水木が猪口を差し出す。鬼太郎が徳利から酒を注いでやると、ふっと口元を緩めてそれを受け取る。澄み切った水面を恍惚と眺めてから、くっと煽り顎の下から喉元が晒される。融けた瞳を伏せ、悦をたっぷり含んだ息を吐き出した。
「ああ
……
旨い。良い気分だ」
水木は鬼太郎に笑いかける。遠巻きに見る者の中にいくつか嫉妬と羨望が混じっているのだが、酩酊した父と水木は気が付いていない。
「水木。僕にも注いでくれないか」
鬼太郎がするりと水木の腰に手を回して体を寄せると、酒が回って上がった体温が伝わってくる。水木は鬼太郎にぴたりと寄り添って、徳利を捧げ持って注いでくれた。
「お前ももっと、天狗の酒の良さが分かるようになればいいのになあ」
くふくふ笑う水木の側で目玉も頷いている。こちらも随分できあがっていて、身体に対して大きな目玉が左右によろよろと動いて不安定だ。鬼太郎は酒を嚥下する。口内を満たすやわらかな香りと喉を滑る感触のよさ。何よりこちらを熱心に見つめる水木の視界に自分しか映り込んでないのが心地よい。
「
……
おいしい」
「だろ? もう一杯注いでやろう。四合は空にするぞ」
「ちょっと待ってくれないか。唇に酒が付いてる」
下から覗き込むようにして鬼太郎は水木の唇を拭った。一滴たりとも無駄にしないという約束なので、拭き取った指をぺろりと舐める。本当は直接唇から舐め取っても良いのだけれど、次に取っておく。
「うん、去年よりずっと好きになれそうだ」
鬼太郎の言葉に水木は目を輝かせ、酒を注ぎひやおろしの良さを語り始める。
低く優しい声に相槌を打ちながら、鬼太郎は水木の背中を労わるように撫でた。
出禁騒動で、はからずも一番得をしたのは自分だ。
風が吹けば桶屋が儲かる。バカが増えれば鬼太郎が得をする。そう考えるとバカの最盛期を言うのも悪くない。
「
……
なあ、ちゃんと聞いているのか?」
「聞いているよ」
拗ねたような甘えが見え隠れする伴侶の声と羨望の眼差しをアテに、鬼太郎は猪口を煽った。
「ああ、おいしい」
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