ヨジ🔞
2024-07-12 16:02:25
3986文字
Public logh
 

【双璧】友情/軽蔑

ロイエンタールが母親の墓参りをする話。

 この日は、なるべく家を空けるようにしていた。母の命日だ。
 世の中には体裁というものがあり、肉親の墓参りをするということも、そのうちの一つである。血の繋がりとは厄介なもので、その内実がどうあろうと、親の死というものは悼むべきものらしい。だがおれは母の墓参りを、極力避けるようにしていた。
 墓参りに行かぬおれの親不孝も、母の不貞も、どちらも世間体は悪いが、表で囁かれているロイエンタール家の醜聞は前者だけだ。もしおれの行為をみとめてくれる者があるとすれば、それは後者の事情を知っている人間だけである。けれどもそれは父が金の力でもみ消し、また流れる時間が廃れさせた。ゴシップを囀る旧貴族も、尽く滅んだ。母の自殺とその理由は、今や葬り去られるのを待つばかりである。
 愛人の瞳の黒が、おれの右目に宿ったとでも思ったのだろう。母は愛人との不貞が夫に知られることを恐れた。それで、生まれて間もないおれの右目を抉りだそうとしたが未遂に終わり、母は毒をあおって自殺した。残されたおれは、父からなじられて育った。
 そんな母親の墓参りなど!
 ところが今年は運悪く、オーディンへの帰還とこの日が被ってしまった。わざわざ別の星系での用事を入れたにもかかわらず、想定よりも早く片付いたのだ。
 父が死んでからは一度も母の墓を訪ねていないはずだが、幼い頃には一人で墓地を散策したこともある。ごく稀に、墓参りに連れられることもあったが――思い出して気分のよいものではない。
 母の墓は、鬱蒼とした森に囲まれた広大な墓地の一角にあった。金だけはあったので、格の高い場所に、立派な墓を建てることができたのだ。仰々しい墓碑銘もろくに読めなかった時分、花樹の植わった石畳の道を、父と並んで二人で歩いた。父は不機嫌そうに黙ったまま、さっさと済ませてしまいたいと言わんばかりの早歩きで、おれは駆け足気味で上がる息を押し殺し、細く長く吐き出していた。
 花を供えるのは、おれの役割だった。一挙手一投足まで刺すような視線を感じたが、そのとき父は背後にいて、どんな表情をしていたのかも、そもそもおれを見ていたのかも、わからない。実は嫌がらせが目的で、息子が自分の言うことを聞いていれば、それで満足していたのかもしれなかった。祈りが終わると、またあの長い道を歩いて、家へと帰るのだ。

 使用人が見繕った花を抱えて、おれは何年かぶりに、母の墓へと向かっている。オーディンの気候はやや寒冷で、この頃には本格的な冬に入るが、今日は比較的暖かいようだ。当時は陽のささないじめじめした場所だと思っていたが、木漏れ日は芝生にまだら模様を作り、整然と並ぶ大理石にはまばらに花が供えられていて、色鮮やかだ。枯葉も定期的に掃除されているのだろう。よく管理されている印象を受けた。何やら有名な詩人や画家の墓があるとは聞いているが、ここから離れた区画なので、このあたりは人気がほとんどない。
 あのとき永遠にも感じられた道は、軍人の足では、いともあっけない距離だった。周りの墓からは少し離れて、ひっそりとした場所にあるのが、母レオノラの墓だ。
 そこで、思いもよらぬものを見た。
……まさか」
 花束だ。

 母の墓に花を供える人間は、父と自分の二人のみ。その事実に気づくまで、さほど時間はかからなかった。
 おれと血がつながっているのは実は母の愛人の方で、今目の前にいる男は、父ではないのではなかろうか、と思っていたときがある。物事の分別がついていない、ごく短い間のことだ。
 今ではわかっている。母と愛人の関係は、父の財産をあてにした火遊びにすぎない。そこには愛などというものはなく、ただ享楽と浅はかな楽観だけがあったのだ。
 だが、本能的に両親の愛情を欲する子供は、夫婦というものに夢を見る。父は自分の妻を寝取られた敗者だ、という厳然たる事実を前に、しばしばおれは空想したものだ。母は、父ではなく、黒い瞳の男を愛していた。おれは彼ら恋人たちから生まれた子なのだ、と。
 その頃のおれは家が苦しいとき、母の眠る墓地へと逃げ込んでいた。そして、ひょっとしたら“誰か”が迎えにくるかもしれない、というささやかな期待を胸に、墓石の前で本を読んだり、居眠りをしたりした。
 待ち続けて、やがて糸がふつりと切れるように真実をさとったおれは、父に連れられる以外では、その場所へ一切寄りつかなくなった。
 それ以降しばらくは、母の愛人については考えないように過ごしていた。だが、士官学校に入るか入らないかのとき、どういうわけかその男についてもっと知るべきだ、知らねばならぬ、と思い立った。名前は、顔は、職業は……と、調べられるだけ調べつくしたが、現在どうしているかはついぞわからなかった。そして、父が莫大な遺産を残して死んだときも、おれが帝国軍人として名を馳せた今も、まったく連絡がないときた。きっと、どこかで死んでいるのだろう。
 だから、まだみずみずしい花束は、おれには幻ではないかと思われた。
……ありえない」
 冷静になれ。行方知れずで、生死も不明、いっそ死んでいる可能性の方がよっぽど高い人間だ。今更ここに来る理由もない。そもそも、この場所を知るはずがないではないか。
 だが、花束はたしかに目の前にある。一体、誰が置いていったというのだろう。

「ああ、それはおれだな」
 家に戻ると、いつの間に訪ねてきていたのか、ミッターマイヤーが客間に通されて待っていた。
「今日帰還と聞いていたから顔を見にきたのだが、生憎まだ留守でな。今日は卿の母君の命日で、墓参りと聞いたから、おれも花を買ったのだ。入れ違いになってしまったようだが」
 なぜ命日のことを彼に伝えたのか、なぜおれが一度花束を取りに戻ったときそのことを伝えなかったのか等々、わが家の使用人への文句はいくらでも出てきた。だがその一方で、この機敏な友人に何と言うべきか、上手く返事が思いつかなかった。
……供えられていた花は、普通だったな。結婚の申し込みに黄色のバラを選んだ男とはとても思えなかった」
「またその話か」
 茶を濁したおれにミッターマイヤーは唇を尖らせたものの、ふっと真面目な表情になる。
「こんな職業だ、供花なんてしょっちゅうだからな」
 視線で促され、おれも友の隣に腰掛ける。そのまましばらくは互いに無言だったが、ふたたびミッターマイヤーが口を開いた。
「それに、おれも反省して、主な花言葉には目を通したのだぞ」
「覚えたのか」
「ほとんど忘れた」
「だろうな」
「だがどうやら今回は、卿よりもおれの方が、花言葉に詳しいと見える」
 そう言うとミッターマイヤーは、彼が普段しないような笑みをひらめかせた。あえて表現するなら、邪悪、とでも言おうか。あまり珍しかったので、つい面食らう。
 おれもさほど花や花言葉に詳しいわけではない。黄色いバラの花言葉は、「嫉妬」「気ままな恋」そして「薄れゆく愛情」。このくらいは知っているが。
 ミッターマイヤーが選んだ花は、カーネーションだった。葬式ではごく一般的な花であり、色も白と黄色の二種類で、特におかしなところはない。白いカーネーションは亡くなった母親へ贈られる習慣があるというので、これも場をわきまえていると言えるだろう。
「黄色のカーネーションか。どんな花言葉なのだ」
「いまだに六年前のことで揶揄ってくるような友に教える花言葉などないな」
「おい、つれないことを言うなよ」
 慌てたような反応からして、どうやら気恥ずかしい部類の言葉らしい。気の置けない親友であろうと、面と向かっては言えないこともあるものだ。例えば、素直な友情表現だとかがそれである。年を重ねると、酒の力を借りでもしなければ、若い頃のように率直な言葉で語ることは難しくなるのだ。
 本音を伝えるには、計り知れないほどの勇気がいる。だからこそ人はその想いを花に託すはずだが、この男の場合、花言葉を失念していたり、自分の口から思わせぶりに言ってしまったりして、どうも上手くいかないようだった。
 短い攻防の末、ミッターマイヤーは口を割りこそしなかったが、どうやらほかに、おれに言っておくことがあるらしい。
「なあ、ロイエンタール。こう言っては、かえって卿を困らせるかもしれないが……
 そこで一度言葉を切り、蜂蜜色の髪の友はしばし俯いた。それから顔を上げると、何かを決意したような、意外にも真剣な面持ちで、まっすぐにおれの目を見た。
「おれは、卿に仇なす者を赦せんのだ。たとえそれが、何者であろうと」
 なんだ。もったいぶっておきながら、花言葉を教えてくれるわけではないのか。と、おれは言おうとした。
 だが、物怖じしないグレーの瞳が、この世の正義を象徴するがごとくきらめいて、おれは言葉を失ってしまったのだった。
……ミッターマイヤー」
「ところで、今夜はこのまま泊まっていってもいいか? 卿とゆっくり飲みたい気分でな。急な申し出だから、断ってくれても構わないが」
「ミッターマイヤー、卿は……
「何だ、泊めてくれるのだろう?」
 わが物顔でソファにふんぞり返ったわが友は、万事承知している、とでも言いたげな顔だった。おれももう三十路なのでやらないが、昔はこんな良い笑顔をされると、意味もなく喧嘩をしたくなったものだ。
 ああ、どうしてミッターマイヤー、卿は一陣の風のごとく、爽快におれの心を思い切り吹き荒らして、次の瞬間にはこの手をすり抜けてしまうのか。
……卿には敵わんな」
「おう」
 何か酒でも出そうと立ち上がったおれの背に、ミッターマイヤーは声をかけた。
「そういえば、まだ言ってなかったな。お疲れ様、ロイエンタール」