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千代里
2024-07-12 08:30:19
12421文字
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リーブラ13話
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リーブラの針は問う・13話・その26
護衛の兵士を側に置かずに街を走るなどという真似をしたのは、一体いつぶりだろうか。
お忍びで、両親にも内緒で兄のフィリベールと共に街に繰り出した頃以来か。
それとも、当主の座を譲ると兄に言われて、口論の末に屋敷を飛び出した時以来か。あの時も、供はつけていなかったはずだ。現実の何もかもが受け入れられず、一人になりたいと願っていたはずだから。
「
……
今は、そんなことを考えている場合ではなかったな」
長らく、全力で走るなどということをしていなかったために、路地を数本全力で駆け抜けただけで、肺の奥が痛んだ。
乱れた息を整えるため、ベルナールは一度足を止めて、意識的に深い呼吸を繰り返す。
自分の靴音と息せききった呼吸の音が聞こえなくなったせいか、代わりに周りの音がくっきりと耳に飛び込んでくる。
建物が焼けて、崩れ落ちる音。竜に襲われた者の悲鳴。それを迎え撃たんと戦う、騎士の剣戟や甲冑の音。木や石やーー人が燃える臭い。
「ーーーーっ」
奥歯を割れんばかりに噛み締め、ベルナールは疲労を訴え出た足を叱咤する。
今は、こんなところで休んでいる場合ではない。自分は領主だ。ならば、今の自分がするべきは、竜から逃げて、事態が収まるまでじっとしていることではない。
この襲撃は、ベルナールが帰路に就いている途中で起きた。
チョコボ車の前方に立ち塞がった人々が竜へと姿を変じさせる姿を見た瞬間、ベルナールはこの警鐘と異端者たちに何らかの関係があるとすぐに理解した。
そばに控えていた騎士は、ベルナールを守るために異端者たちを引き付けてくれた。そのおかげで、ベルナールは隙を見て、異端者に包囲されていたチョコボ車から逃げ出すことができたのだった。
しかし、チョコボ車から単身逃亡したベルナールを守ってくれる人は、今は誰もいない。
もし、平時と同数の護衛を連れていたなら、二、三名の供が随行していただろう。さすれば、竜の襲撃をそこまで警戒せずに、ベルナールは屋敷まで真っ直ぐに向かえていたはずだ。
しかし、ベルナールは己の家に直属で仕えている護衛すらも、現在は街の巡回と警備に充てていた。彼らのおかげで、異端者による被害は減っただろう。しかし、その代償としてベルナールを守る盾も失われてしまった。
「
……
いつもならば、既に到着していた頃だったろうに。領主といえども、私一人の力など、所詮はこんなものか」
駆け込んだ路地裏で息を整え、ベルナールは自分の歩いてきた道のりを振り返る。
上空を行き交う飛竜の存在や、どこから姿を見せるか分からない異端者。彼らを避けるために曲がりくねった路地裏に逃げ込んだものの、これは結果的に悪手だったかもしれない。歩き慣れない道は、ベルナールをより街の深みへと誘い込んでいた。
しかし、見晴らしがいい大通りを抜けて屋敷に向かうわけにもいかない。そのようなことをすれば、飛竜にとって格好の獲物となってしまうからだ。
幸い、屋敷の方を見る限り、そこから火の手が上がる気配もなければ、飛竜が向かう気配もない。飛竜が向かわない理由はわからないが、屋敷にいた従者たちには異端者が紛れ込んでいなかったことを、ベルナールは心底安堵していた。
小休憩ともいえない休息の時間を終わりとして、再びベルナールが歩き出そうとしたときだった。
「
……
どうした、何かあったのか」
ベルナールの耳に、ツーツーとリンクパールの着信の音が飛び込んでくる。
緊急時に、外壁に配置した騎士たちや、彼らをまとめている部隊長たちと連絡が取れるように、ベルナールは常にリンクパールを身につけている。このおかげで、ベルナールは飛竜の急襲をいち早く知ることができていた。
こうして逃亡している間も、ベルナールの元には隊長クラスの者からの確認の連絡がいくつも届いている。通常の迎撃では、ここまでのやり取りはしない。やはり、多数の飛竜というイレギュラーが現場に迷いをもたらしているようだ。
『ベルナール様、報告いたします。飛竜についてですが、何名か撃ち漏らした個体が街に侵入してしまいました。迎撃の兵を向かわせますか』
「飛竜は、外からまだ来ているのか」
『は、はい。数体が、こちらに向かってきているのを確認しています』
「ならば、そちらの迎撃を頼む。街のどちらに向かって飛んでいったか分かるか」
『東側であると報告を受けています』
「なら、東門の予備兵を動かすように指示を出しておく。街中に入られれば、迎撃は厄介だ。門の内側に入れないように、砲も射程範囲に入り次第、撃ってしまっていい。飛竜には、地を這う竜よりも素早く移動する。数を撃たねば接近を許してしまう」
砲弾や対竜用の槍弾は、決して安くない。それゆえに、地を這う竜には出し渋る場合が多かったのだが、ことここに至って、そのような倹約は意味がない。
通信を切ると、次にベルナールは東門にリンクパールを繋ぐ。先ほど話したように、控えていた兵に、街中に入ってしまった飛竜を迎え撃たせるように指示を出し終えたときだった。
リンクパールの通信をしていた兵士の背後が、にわかに騒がしくなる。
『おい、見ろ! あの飛竜、何か抱えているぞ!』
『冗談だろ、あれはまさかーー』
ざわめきと人々が走り回る足音や、喧騒が続く。その様子に不穏な気配を察知し、わざとリンクパールを繋いだままでいると、
『
…………
ベルナール様、報告いたします。先ほど、飛竜が壁向こうへと去っていったのですが
……
どうやら、その竜が人を捕獲していたようなのです』
「飛竜が、人を攫っているというのか?」
『はい。そのように見えました』
通信先の兵からは、戸惑いの気持ちが透けて感じられた。もっとも、それはベルナールとて同じだった。
竜は人を襲う存在である。そのことは、ベルナールだけでなく、イシュガルドという国に住む民なら、誰もがよくよく知っている。
彼らは高い知性を持つ個体もおり、それゆえに獣とは異なる狡猾な戦略でヒトを襲ってきた。だが、彼らは決してヒトを食べるわけではない。中には、ヒトを目の前で喰らってみせる個体もいるが、それはヒトの恐怖を煽るためであり、彼らの餌がヒトであるというわけではない。そもそも、あのような巨体を賄うためにヒトを喰らっていては、あまりにも燃費が悪すぎる。
通信を切り、ベルナールは一瞬思案する。
異端者の襲撃と、飛竜の来襲。そして街の人々を攫うという行動。これらの組織だった攻撃は、今まで愚直な襲撃を繰り返してきた竜ーーランドンが企てたとは考えにくい。
かの竜は、壁に向かって突撃する牛のごとく、真っ直ぐに突進するだけのような進撃しかしてこなかったと、歴代の領主が書き残している。
しかし、ランドンが周りの町を襲ったことで難民が生じてしまい、異端者を引き入れるきっかけとなったのも事実である。ゆえに、ランドンがこれらの襲撃に無関係とも言い難い。
「いや、今ここで考えることではないか。ひとまず、私の安全も確保しなければならないのだから」
己の立場を振り返り、ベルナールは先ほどより近づいてきた屋敷の輪郭へと視線を戻す。どうやら、通信をしながら走っている間に屋敷の近くにまでたどり着いていたらしい。
あとは、あそこに向かって只管に走り抜ければいい。そう思った時だった。
「ーー!!」
自身の体を、一瞬影が覆う。夜であってもわかるほどの濃い闇に、地を這う者の本能として身が竦む。
それでも、すぐさま首を上に向けて、自身の頭上にいるものの正体を掴もうとしたのは、かつて剣を習っていたときに身につけた条件反射のおかげだった。
ベルナールの青銀の双眸が捉えたものーーそれは、みるみる内にこちらに迫ってくる、飛竜の巨影だった。
(こんなところで、飛竜にやられている場合では
……
!)
咄嗟に、ベルナールは逃げ道を探して首を巡らせる。そして、通りと通りの隙間にある、ヒト一人が通るのもやっとな細い路地を発見し、すぐさまそちらに体を捩じ込ませた。
幸い、路地の暗がりのおかげで、飛竜はベルナールの存在に気づかなかったらしい。そのまま、屋敷の手前にある通りへと急降下した。
ベルナールの進行方向に竜が舞い降りた形にはなったが、飛竜とていつまでもここに居座っているわけでもないだろう。実際、今も急降下こそしたものの、上空で何度も羽ばたき、このまま飛び去っていきそうにも見える。
あの飛竜がいなくなってから、屋敷に向かえばいい。そう思ったときだった。
「だ、誰か
……
助けて
……
!!」
ベルナールの耳に、悲鳴が届いたのは。
まだ、年端もいかぬ子供の声だった。この辺りに隠れていたのを、来襲した飛竜が見つけてしまったのだろうか。
「
……………
」
もし、このままベルナールが路地裏に隠れていれば、飛竜が去ったあとに屋敷に戻ることができる。しかし、その場合、今聞こえた声の主はどうなるのか。
飛竜の吐く炎は、子供の体など簡単に消し炭にするだろう。
あるいは、先ほどの報告を聞く限り、飛竜は自分の巣か、あるいは襲撃を企てた張本人の元に子供を連れ帰るかもしれない。その先に待ち受ける未来が決して明るいものではないことは、火を見るよりも明らかだ。
助けを求める子供の姿が、ベルナールの視界に入っているわけではない。ベルナールの視界にあるのは、路地の暗がりだけだ。
なのに、ベルナールの目には見えていた。
自分と同じ青銀の瞳をした幼子が、助けてと手を伸ばす姿が。
『あの時』、手を差し伸べられなかった子供が、助けてと泣いている姿が。
それが幻だと分かっている。分かっていても、男の体は動いていた。
気がつけば、ベルナールは路地裏から飛び出し、飛竜のいる大通りへと走っていた。
(ーー私は今、途轍もなく愚かなことをしようとしている)
その自覚を、自嘲と共に切り捨てる。同時に、道端で拾い上げた瓦礫を振りかぶり、思い切り飛竜へと投げつけた。
幸い、ベルナールの決死の一投は、今まさに子供につかみかからんとしていた飛竜の背中に命中した。飛竜の動きが止まり、その首がこの場に新たにやってきた男へと向く。
「今のうちに逃げなさい、早く!!」
飛竜が子供から注意を逸らした瞬間、ベルナールは吼える。彼の声に突き飛ばされるように、地面に尻餅をついていた少年が立ち上がった。
ベルナールが思い描いた幻とは似ても似つかぬ、黒髪のヒューラン族の少年が、ベルナールへと背を向けて走り去っていく。
その姿を十全に見送る間もなく、飛竜の口に炎がたまっていくのが見えた。
ごう、と炎の津波がベルナールへと押し寄せる。咄嗟に身を翻し、炎の射線から外れようと横っとびに回避するも、
「
…………
ぐっ!!」
文字通り、体が焼ける痛みに思わず苦鳴が漏れた。
防寒のために羽織っていた上着は無惨にも焼け落ち、体の右半分が皮膚の全てを炙られたようにひりひりと痛む。体に引火しなかったのが、せめてもの幸いだ。
しかし、足まで届く痛みは、ベルナールから先ほどのような初歩的な回避手段すら奪っていた。護身用に帯剣こそしていたものの、このような局面で付け焼き刃の剣が飛竜に届くとも思えない。
「ここで、私は終わるのか」
そう思っても、死への恐怖は思ったより少なかった。代わりに訪れたのは、すっかり慣れてしまった諦念の感情だけだ。
「
……
フィリベールなら、もっと上手くやったのだろうか」
剣の腕も魔法の腕も、ベルナールより遥かに優れていた兄のことだ。きっと、子供一人の救出ぐらい、わけなくこなしてみせるだろう。
しかし、ベルナールにそのような卓越した技術はない。公務のの忙しさを理由に、剣の鍛錬もすっかりご無沙汰になっている。そんな自分にできるのは、こんな騎士の真似事以下の無様な振る舞いにすぎない。
飛竜の口が開くのが見える。溜め込まれた炎は、今度こそ自分を骨まで焼き尽くすだろう。
明確な死が迫るのを感じて、一瞬だけよぎった後悔。それは、屋敷に残した娘たちがこのさきどんな人生を送るのか、ということだった。できるならば、娘たちが良い夫を見つけ、連れ添うところまで見届けたかったが、それが叶う日はなさそうだ。
(
……
だが、死んでいたと思っていた息子に、出会うことができた。それだけで、もう私は十分だ)
願わくば、なるべく苦しまずに終わるように。
そう覚悟を決めて、目を閉じ、
「ーー今のあんたがするべきは、そんなことじゃないだろう!!」
狼が吼えるような激しい声。
それと同時に、ベルナールは勢いよく突き飛ばされた。
受け身も十分にとれず、ベルナールは無様に地面に倒れ伏す。しかし、危惧していたような体が焼かれる痛みは一向に訪れない。
「僕と母さんを見捨てて、あんたは自分の地位を選んだんだ! だったら、たとえ何があっても領主として生き残れ!!」
ベルナールの眼前に立つ、一人の青年。手に持つ剣に魔法の障壁を這わせ、彼は斬撃で炎を断ち切ってみせた。
ベルナールに似た燻んだ栗毛に、長身を包む茶色のコート。しかし、それは数日前に目にしたときに比べると、焼け焦げやシミでひどく汚れていた。片手に握った一振りの剣は、かなり傷みが見られる。本来ならば持つべき盾は、既に彼の片手にはない。
それでも、その青年は、物語に描かれるような騎士のように、何よりも頼れる存在に思えた。
「
…………
ノエ」
ベルナールの呟きが合図ではなかったのだろうが、飛竜は苛立たしげに吼えると、獲物との間に割って入った剣士に向かって爪を振り下ろした。
「ノエ、危ない!!」
ベルナールが危惧の声を上げる前に、既に青年はーーノエは動いていた。
盾がないために、彼は爪の一撃を剣で愚直に受け止める。タイミングを合わせて衝突した二つの凶器は、鋭く涼やかな音を立てて弾かれた。
しかし、飛竜の足はもう一つある。剣が弾いたのとは反対側の爪が、ノエの頭を抉らんと振り下ろされる。
「この程度で、引き下がれるかっ!!」
盾を持たぬ片腕が爪に引き裂かれ、血飛沫が跳ねる。だが、ノエは言葉通り一歩も引かなかった。
むしろ、爪が腕に食い込んだのを逆手にとり、飛竜をその場に縫い止める。思いがけなく逃亡の手段を塞がれて狼狽える飛竜に、ノエは強引に剣を突き出した。飛竜の腹に突き立った剣から、竜の血が溢れかえり、血に流れていく。
「逃がすものか
……
っ」
飛竜はノエを振りほどこうと暴れるが、それよりも早く、ノエが続け様に放った雷の魔法がワイバーンへと落ちる。上空からの一撃を受けて、飛竜が痙攣した隙をつき、ノエは剣を抜いて一歩飛び退った。ずるりと爪が抜け落ち、凶器により塞がっていた傷跡からだらだらと血が流れ落ちていく。
雷撃により地面に落ちた飛竜は、まだ生きていた。すぐに飛び上がることはできなさそうであったあが、恨めしげな視線で片腕から血を流しているノエを見つめている。
地に落ちても戦意は消えないのか。口を開き、その喉奥に炎を生み出そうとしたのを見て、ノエが再度構えたときだった。
ーー飛竜の喉奥に、不意に氷の花が咲く。
それは、無数の氷柱を集めた塊となり、飛竜を内側から氷づけにすると同時に、串刺しにしていった。
「
…………
」
その魔法を放ったのは、無論ノエではない。
ノエは、飛竜が完全に動かなくなったことを確かめてから、剣を片手に握ったまま、背後にいる男へと振り返る。
視線の先ーーベルナールが肩で息をしながらも、飛竜に向けて手を伸ばしているのがノエの目にも見てとれた。手の周囲に漂う冷気を纏った魔力に、ノエは眉を顰め、
「
……
怪我人は怪我人らしく、大人しく隠れていてください」
微かな苛立ちを隠そうともせずに、ノエはずかずかとベルナールへと歩み寄る。
続けて、素早く周囲に視線を巡らせてから、
「ここは見晴らしが良すぎます。どこか隠れられるところはありませんか」
「いや、今はそんなことよりも、お前の傷が
……
!!」
「こんな場所にいては、また飛竜に目をつけられるかもしれない! あなたの言う通り、こんな状態ではまともに戦うのは難しい。だから、今すぐ隠れられるところはないのかと聞いているんです!」
ノエの気迫に押されて、ベルナールは事態を正しく理解したらしい。
一瞬、ベルナールの視線が屋敷へと移る。だが、屋敷に向かうまでの道は開けている上に、先ほどの飛竜が急降下した際に風圧で瓦礫がいくつか倒壊し、怪我人を連れていくには危険な道のりとなっていた。
「
……
そこの通りに細い路地がある。そこならば、飛竜の目にもつかないだろう」
ベルナールの言葉を受けて、ノエは頷き返す。続けて、ベルナールの容体をざっと確認すると、
「あなたを背負ってそちらまで移動します。乗ってください」
「しかし、お前の傷が」
「その火傷で歩けるんですか。あなたは、僕ほど痛みに慣れていないでしょう」
言いつつ、ノエは既に上着のスカーフを破り、自分の傷をぎゅっと締め上げていた。微かに眉こそ寄せているものの、それは冒険者として傷に慣れたものの手つきだった。
続けて、ベルナールの前に屈み、ノエは自分の背に乗れと促す。ベルナールは一瞬迷いかけたが、痛む体と遠くに聞こえる飛竜の鳴き声が彼の迷いを打ち消した。
火傷に障らないように気をつけつつ、体重を預けると、存外にしっかりとしたノエの腕がベルナールのの体を支え、安全な路地裏へと彼を運んでいく。
先だって屋敷で会ったときでは知り得なかった息子の姿や、その力強さに、ベルナールは胸の内に訪れる無数の感情が湧き上がるのを押し留めきれなかった。
***
父が危ないから助けに行こう、などと考えていたわけではなかった。
ただ、この地で人々を守る最前線に立つ人の身が危ないと思ったからこそ、ノエは剣を手に取って走った。
道中、襲いくる飛竜を迎撃しながらも、ノエはずっと考えていた。
形はどうあれ、今のノエは父親を助けるために駆け出したことになる。
ならば、自分が父親に対して、何を思っているのだろうか。どんな気持ちから、自分はベルナールという男を助けに向かっているのだろうか。
「
……
僕は、父さんを助けにいくんじゃない。僕は、今も街の人を守るために戦っている領主のために行くんだ」
結論として出たのは、何やら子供じみた言い訳に似た言葉だった。
たとえ、領主が父親でなかったとしても、ノエは剣を手に取っていただろう。ただ、その時はきっとこんな苦々しい感情を噛み砕きながら急ぐ必要はなかったに違いない。
今も、父親への嫌厭の感情はノエの胸に残っている。どれだけ謝られたもしても、ノエの父が世界の全てから許されたとしても、ノエだけは父を許すつもりはなかった。
「だけど、父さんのことが嫌いだって気持ちと、あなたがこれまで皆のために尽くしてきたことを認めている気持ちは、同じじゃない。だからーー僕は、行くんだ」
時に揺れる心を叱りつけて、ノエはベルナールの屋敷の周囲にたどり着いた。
そして、彼は見た。ベルナールが小さな子供を守るために、護衛の一人もつけず、飛竜に立ち向かう姿を。
「
……
何を、してるんだ」
それを見た瞬間、ノエは駆け出していた。
父親の自己犠牲的な救出劇を目にした刹那、湧き上がったもの。
それは、怒りだった。
自分と同じくらいの子供を、今度は見捨てずに守ろうとしたから、ではない。
その振る舞いがノエには偽善めいて見えたのは事実だが、彼を駆り立てたのはもっと異なるものだ。
「今のあんたがするべきは、そんなことじゃないだろう!!」
ベルナールを守るために体を割り込ませ、ノエは叫んだ。
「僕と母さんを見捨てて、あんたは自分の地位を選んだんだ! だったら、たとえ何があっても領主として生き残れ!!」
自分たちよりも価値があるものとして、ベルナールは己の立場と地位、そして自身が負った責任を選んだ。
だったら、今更お粗末な感傷如きに流されるなど、それこそノエにとっては最も許せなかった。
父を背に庇い、再び巡り合ってしまった運命を呪いながら、ノエは飛竜へと立ち向かい、からくも勝利をもぎ取った。
そうして飛竜を撃退し、負傷したベルナールを連れて、ノエはひとまず路地裏に逃げ込んだ。ベルナールを一度座らせ、焦げたコートの隙間から見える火傷を負った皮膚に手をかざす。
「ノエ、私はーー」
「静かにしていてください。竜に見つかったらどうするんですか」
ベルナールはノエに言われるがままに口を閉ざし、沈黙を保っている。
幸い、ベルナールの元には何度かリンクパール経由で報告が届いていたので、お互い沈黙のまま気まずい時間を過ごす必要はなかった。
こんな状況でありながらも、ベルナールは火傷の痛みや飛竜の襲撃から受けた恐怖などを全く言葉に滲ませず、粛々と指示を出している。それもまた、ノエの知らない領主の顔だった。
父の新たな側面を直に耳にしながら、ノエは淡々とベルナールの体に癒しの魔法を施していく。
ヤルマルが渡してくれた錬金薬により回復していた魔力も、ここに来るまでにかなり使い果たしてしまったらしい。頭痛を覚えつつあったが、構わずにノエは魔法を施していた。
そうして、ノエの治癒魔法がベルナールの右半身の火傷を大まかに癒し終えた頃には、街はゆっくりと静けさを取り戻していった。ベルナールのリンクパールへの返答も、「負傷者の手当てをしつつ、待機せよ」と、事態の収束を思わせるものへと変わっていった。
「
……
竜は、追い払えたのですか」
通信の切れ目に、ノエが問いかける。
既に、すっかり日は暮れてしまっている。魔法の光がふつりと途切れると、ノエもベルナールも、互いの顔もはっきり見えないほどの闇に包まれた。
「どうやら、最悪の事態は免れたらしい。
……
犠牲者は、出てしまったが」
「
…………
」
だが、ベルナールは生きている。街が全て焦土に変わり果てたわけでもない。
ならば、これはまだ『勝利』と言い換えてもいいだろう。ノエが、そう思いかけたときだった。
「
……
私が、難民を引き入れていなければ
……
こんなことには、ならなかったのだろうか」
ぽつりと聞こえた言葉に、ノエは顔を上げた。
闇に包まれた路地裏の片隅で、ベルナールは火傷の痛みすら忘れたように、負傷がまだ残る片手で己の顔を覆っていた。
「もっと検問を厳重にしていれば、防げたのか。だが、異端者をどうやって見つければいい。外壁から突き落とすわけにもいくまい。
……
フィリベールなら、もっと上手くやっていたのだろうか」
難民を引き入れると決めたのは、ベルナールだ。だから、もし難民の中に異端者が潜んでいたのなら、この事態の責任はベルナールにあるとも言えるだろう。実際、彼自身、己の選択が誤っていたのではないかと、今まさに迷いの言葉を口にしている。
ベルナールの迷いの源泉を理解した上で、それでもノエは湧き上がる感情を抑えられなかった。
「
……
あんたが、それを言うのか」
「ノエ
……
?」
「あんたが、街の人たちに言ったんだろう! 誰かを信じるって決めなくては、いつか全員を追い出すことになってしまうって! だったら、あんただけは、あんたの言葉を裏切るべきじゃない。そうだろう!?」
再びノエの内側に湧き上がった感情も、やはりそれは怒りの形をしていた。
「ノエ、まさか私の話を聞いていたのか
……
?」
もしベルナールが怪我人でなかったなら、ノエは目の前の男につかみかかっていたかもしれない。それぐらいの勢いで、ノエはベルナールに迫っていた。
「ああ、聞いていた! あんたが、領主として皆の不安を拭おうと奔走していたことも、一人でも多くの人を助けようって頑張ってきたことも、時には皆に不満をぶつけられてきたことも! 皆のために自分の護衛すら使うって決断したってことも、全部全部、僕の目と耳で聞いてきた! あんたが、領主として、この街を統治する人として、皆が笑える様に頑張っていることを、ちゃんと僕は見てきた!」
見てきたからこそ、ノエは認めた。自分を見捨てた父としては認められなくても、尊敬できる領主としての顔は認められた。
感情は否定と叫んでいても、ノエの中にある理性がベルナールの奮闘を認めてしまったのだ。
「だったら、あんたは自分の選択にもっと誇りを持ったらどうなんだ! あんたが示した道を、皆が信じているのに! どうして、あんた自身があんたを信じてやらないんだ!!」
「しかし、私が選択した結果がこれだったのだ。お前が言うように、私は領民の命を一人でも救えるようにしてきた。そのつもりだった。だが、その結果、異端者を招き入れた!」
ノエの肯定が事実なら、ベルナールの否定もまた事実だ。
しかし、ノエは怯まずに目の前の男を睨みつける。
「
……
確かに、これはあなたの選択が招いた結果かもしれない。けれども、だったら、今のあなたがするべきは、下を向いて出来なかったことを数えることなんですか」
自身が認めた人だからこそ、ノエは彼が無様に足を止めることもまた、許したくなかった。
「こうすればよかった、なんて誰だって言えます。領主のことなんて、何も知らない僕にだって言えることだ。ですが、あなたが難民を引き入れなければ、街の外で凍え死んでいた人は確かにいた。あなたが住む場所と食べ物、着るものを用意してくれたおかげで、急場凌ぎでも生きながらえた人はいたんです」
大嫌いで顔も見たくないと思った男だ。だが、同時に、ベルナールが良き領主でもあるとノエは認めざるを得なかった。
だからこそ、ベルナールがベルナール自身の手で築き上げたものを否定されるなど、ノエにとっては我慢がならなかった。
「あなたは、僕の伯父上じゃない。フィリベールという人じゃない。ベルナール・ド・ラペイレットは、自分の地位と責務を守るために、妾の親子を切り捨てるような男だ」
ベルナールの瞳に、影が落ちる。
しかし、間髪入れず、ノエは言う。
「
……
そこまでして守った地位と責務の重さを理解し、人々を守るために全力を尽くしたのは誰ですか。イシュガルドの寒冷化を乗り越えるために、知恵を絞ったのは誰ですか。他の領地に救援を求められて、兵の派遣をしたのは誰ですか。竜に故郷を奪われた人のために、街の門を開いたのは誰ですか」
ベルナールを正面に見据えて、ノエは続ける。
「自分の護衛を自分から切り離して、異端者の急な出没にも被害を最小限に食い止めたのは誰ですか。自分は飛竜に焼き殺されそうになったというのに、周りに悟られまいと平静を保って、兵とのやり取りを続けていたのは誰ですか」
フィリベールは、もうここにはいない。兄ならばうまくやったなどという言い訳は、本人が望んでもさせない。犠牲者がでた責任も、そしてーー守れた人の数も、全てベルナールの選択が得た答えだ。
「別の誰かじゃない。伯父上でもない。ここにいたのはーー『あなた』なんです」
だからこそ、逃げてはならない。自分の決断の重さを分かっていたなら、なおのこと。
己の選択が齎した惨禍を前にして、下を向くことも責任転嫁すらも許さない。
酷い話だと、ノエも思う。一時的な現実逃避すら許さないなどと、可哀想だと感じる気持ちもある。
もし、これがベルナールでなかったなら、ノエもここまでのことは言わなかった。
だが、ベルナールはノエを捨てた男だ。
ならばこそ、ベルナールが後悔に嘆く姿など、ノエは見たくなかった。
己の選択が過ちだったと、後悔で足を止める様な格好悪い男が自分たちを捨てたのだ、などと、いまとなってはそんな形で過去を捉え直したくなかった。
「
……
ーーーーそうか」
吐き出された息は、重かった。立ち上がる姿には疲れも濃く、ベルナールが決して万全ではないことがわかる。
それでも、男は立った。
立ち上がり、ノエを見つめ返した。
「お前の言う通り、私は、この地を治める者だ」
「
……
ええ」
「だったら、足を止めている場合ではない。
……
ああ、そうだ。私は
……
領主であるために、お前たちを捨てたのだから」
唇を引き結び、ベルナールは耳元に指を当て、いくつかの指示を送り始める。
残党の討伐から、破損した設備の確認と補修。そして、死亡者と負傷者の確認。そのどれ一つとて、適当に扱っていい事柄ではない。
ベルナールが指示を出しているのを聞きながら、ノエは立ち上がった父に再び癒しの魔法を施そうとした。傷の痛みは思考を鈍らせてしまう。今が最も忙しい領主のために、せめて傷くらいは塞ごうと意識を集中させ、
「
……
っ」
こめかみから走る鈍い痛みに、思わずノエは額に手をやって、その場に頽れた。
かろうじて倒れ込まずに済んだものの、目眩がひどく、視界がグラグラと揺れ続けている。ぞっとするぐらい体が冷えていることに気がつき、ノエは自身の腕に目をやった。爪によって刻まれた傷の出血が止まらず、ノエが巻いたスカーフは今やすっかり赤に染まっている。
「ノエ!? 大丈夫か、ノエ!!」
ベルナールが慌ててノエへと駆け寄り、その体に手を伸ばす。
本当は、そんなことをしている場合ではないと払い除けたかったが、今は腕を持ち上げるのすら億劫だった。
凄まじい倦怠感と疲労感。緊張が抜けた反動からだけではない。先ほどから魔法を使い続けていたせいで、元々乾き切る寸前だった体内の魔力がほとんど底をつきかけている。その上で、この出血だ。体は、魔力も体力も限界を迎えてしまっている。
「だい
……
じょうぶ、です。それよりも、今は
……
」
口ではそう言ってみたものの、声は乾ききり、掠れてしまった。お世辞にも大丈夫なようには聞こえない。
「ノエ、お前、まだ傷が塞がっていないのだろう。なのに、あんなに私に魔法を使って
……
!」
そんなことは分かってる。でも、今あなたに倒れられるわけにはいかないんだ。
そう言い返したいのに、言葉一つ発する気力すらない。体に力が入らず、今にも瞼が落ちてしまいそうだ。
「あなたは
……
あなたが、するべき
……
ことを
……
」
それだけ言うと、ついに限界を迎えたノエの体は地面に倒れ込んだ。体を打ちつける前に、ベルナールがノエを支えてくれたのが分かる。しかし、今のノエでは、感謝の言葉すらも口にできない。
(昔
……
こんなことが、あったような気がする)
恐々と自分を抱く男の手。また泣かないだろうかと、母に困ったように問いかける父の声。
それに身を預けて眠りに落ちた朧げな記憶を抱えながら、ノエの意識もまた闇に落ちていった。
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