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雪貴
2024-07-12 00:27:45
4426文字
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RotR
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曙に染む
片割れとの最終戦直後の主(性別不問)と高杉の高主
────結局、片割れを殺せなかった。
龍馬を傷付けたこと、中岡を死に至らしめたこと、策謀を巡らせ戦の火種を撒いたこと。黒船で生き別れたあの日からこれまで、片割れが成してきたことは正しく『悪』だった。
我等が共に生きられる世を作ることが出来るのだと宣った片割れ。だがそこは自分と片割れしか居らず、他者が介在する余地の無い不毛な世だ。
片割れと離れ離れになった頃の自分であったなら、その言葉に一も二もなく頷いて、共に手を取り合い戦火の中で刀を振るっていただろう。
しかし脱藩して片割れを探す旅に出て
……
それからの自分はあらゆる人達と縁を結んできた。仲間ができ、親友ができ、慈しむ相手もできた。それは、二人でいたらきっと成ることの叶わなかった因縁だった。
片割れが地に突き立てていった刀を手に取る。斬れ味は良いが無銘のその刀は、手入れは最低限されているものの、どこか歪であちこちに傷が見えた。
まるで片割れそのものだ。自分よりもずっと純粋で優しい心を持っていたからこそ、その柔らかな心根はずたずたに切り裂かれ、いつしか恨みと執着に塗れた果が実った。そんな片割れの心の内など自分は知らず
……
いや、見て見ぬふりをしながら、『我等は二人で一対』などとほざいていた。
研師に救い出された先で見下ろした、炎に包まれた故郷。繋いでいた手を振りほどき、怨嗟の言葉を叫んでいた片割れ。その手をもう一度握り直すことが出来ていたなら、また違った未来になっていたのだろうか。
夜が明け、人々のざわめきが僅かずつ戻って来る。そこで不意に、片割れとの決着を付ける前に言葉を交わした高杉の顔が浮かんだ。
『新たな世は、あんたと共に迎えたい』
『必ず戻ってこいよ、俺の元にな』
そう言って二つのうち一つを譲ってくれた翡翠の賽を取り出し、微笑みかけてくれた彼の姿が頭から離れない。
丸薬等とは別にして守袋に入れ、常に持ち歩いているもう一つの賽。指先でそっと摘み、陽の光に透かすと、深い緑が瞼に沁みる心地がした。
「ここに居たか」
後ろから勝の声が響き、はたと振り返る。
その顔を見れば西郷との会談も無事に済んだのだろう。疲労の色も多少見えたが、目尻いっぱいに皺を作り、満面の笑みを浮かべていた。
「その様子なら、もう
……
」
「ああ。これでようやく江戸も江戸に住む人々も傷付けずに済む。お前さんには本当に、何から何まで頼んじまって悪かったな。心から礼を言うぜ」
そう言って頭を下げようとする勝に、寸でのところで待ったをかける。
「おいおい、頭くらい下げさせてくれねえとこっちの気が晴れねぇやい」
「私なんぞに頭を下げる必要などない。それに
……
礼ならば鰻で返せ」
奢ってくれるという約束だろう?
そう返すと、勝は寸の間固まった後、弾かれたように笑い出した。
「お、お前、そんな
……
そんな返しも出来たとはな
……
!」
「
……
そんなに笑うことか?」
「ははは! お前もお前で随分とすっきりした顔してやがる。長年背負い込んでた憑き物も落ちたようだな」
「
……
とどめは刺せなかった。許せ」
「許すも何も、俺にはそんな権利なんて無えや。まあ、罪状を全くの無しにとは出来んだろうが
……
俺はそいつの名も容姿も知らねえんだ。今更どうすることも出来やしねえ。それに、お前さんがそれで良いと決めたなら
……
それで仕舞いよ」
「そんなものだろうか
……
」
未だに納得出来てはいない。しかし、あのまま片割れの命を奪っていたら────そう考えると身震いがする。
生かしたことを罵られるより、殺したことを褒められでもしたら、きっと自分は自分をより許せなくなる。そんな気がした。
「ひとまず俺らは屋敷に戻る。早馬は出してるが、和睦が成立したことを直に話さなきゃならんからな。お前さんも疲れただろ。しっかり休め」
「ああ」
また後で屋敷に顔出せよ、と言い置き、勝は踵を返した。
「私も帰るとするか
……
」
────今無性に、高杉に会いたくてたまらなかった。
◇
会談の場から長屋まで徒歩で帰った。何度も通った道だというのに、まるで脱藩した後、高台から見下ろした横浜へと続く道のように新鮮に映る。
日が昇り切り、人々の活気に満ちた賑わいがあちこちから聞こえてくる。その喧騒が心地よく感じられるなんて、思いもしなかった。
勝から「憑き物が落ちたようだ」と言われたが、自分でもこんなに憂いなく迎えられる朝が来ようとは思いもしていなかった。
かなりの時間をかけ、見慣れた長屋の前へと帰り着く。寄り道しなかったはずなのに、時刻は昼を少し過ぎていた。
長屋で少し休憩したら、やりたいことを済ませてしまおう。近々米国へ向かうという龍馬にはめいっぱい激励したいし、桂たちにもこれまでの迷惑を詫びたい。それに、たかや久坂の墓参りもしたいし、それよりもまず先に
……
。
そんなことをつらつら考えていると、長屋の中から微かに三味線の音色が聴こえた。
────まさか。
逸る心を抑えて戸口に手をかける。建付けが良いとは言えない引き戸はかたかたと音を立てて開き、その先には
……
三味線を手に囲炉裏端で静かに坐す、高杉の姿があった。
真っ先に会いたかった高杉がここに居る。その衝撃に立ち竦む自分に、高杉は昨日までと変わらない声音で言葉をかけてきた。
「おかえり。約束通り、無事に戻って来たな」
「
…………
なぜ、ここに
……
」
ようやく絞り出した声は、僅かに震えていた。
「言っただろう。新たな世はあんたと共に迎えたいと。
……
あんたは何よりもまずここに戻って来ると思ってた。勘がいいんだ、俺は」
知ってる。知ってるとも。賭け事に関して、高杉はとても強い。自分が生きて戻るということに自信を持って賭けてくれた。それが正に彼らしく、彼なりの愛情の示し方なのだと、今ならはっきりと分かる。
「あんたもさすがに疲れただろ。茶でも出すからとっとと中に
……
」
「好きだ」
「
……
ん?」
「お前が好きだ、高杉」
以前二人で川辺りを散策した際、衝動に駆られて口走った言葉を再度呟く。あの時の自分は、高杉が命を取り留めた安堵感とそれまでの焦燥感から、彼を引き留めたい一心で告白をした。
でも今は少し違う。
亡くなった人々のことはやり切れないが、龍馬や慶喜の傷も、沖田の労咳も癒え、片割れとの拗れた縁をたどたどしくも修復し、江戸の決戦も流れた。身近な憂いが消えた、今。
「お前を
……
愛してるんだ
……
」
片割れの背を見送って後、真っ先に浮かんだ高杉の声、仕草、三味の音色。戯れに触れてくる手の熱さ。それらを思い出す度に、胸の奥底から何かが熱く湧いてくるような、不思議な感覚。
以前龍馬が「胸の奥が、ぐわーっと燃え上がるようじゃ」と言っていた、あの気持ちをようやく理解出来た気がした。
生まれて初めてのこの強い感情を抑えることが出来ず、自然と目から熱いものが溢れ出してくる。
まるで譫言のように好きだと愛してるを繰り返すだけの木偶と成り果てた自分へと、高杉は手を伸ばしてきた。その手を握り締め、ああ高杉の手だと、あまりにも分かり切ったことに心の底から安堵した。
そこからのことは曖昧としている。
かろうじて履物を脱いで板間に上がり込み、高杉に手を引かれて囲炉裏端へと連れて行かれたのは薄らと記憶にある。何もかもがふわふわと覚束なくて、時折夢の中に居るのかと思ったくらいだ。
しかし年甲斐もなく童のようにわんわんと泣きじゃくる自分を宥めるように撫で続けてくれた高杉の手は終始穏やかで、それが一層胸を苦しくさせたのを覚えている。
今朝までの自分では決して言うことはなかったであろう、「お前と夜明けが見たい」という言葉に、さしもの高杉も限界が来たようで、彼にしては性急に事を進めてきた。
互いの口を吸い着物をはだけ身を重ねてもどこかほんの少しだけ満たされなかったこれまでとは、ずっと違う感覚。空っぽの器になみなみと注がれていっぱいになる、そんな充足感に浸されて何度も気を飛ばしその度に揺り戻されるを繰り返す内、気付けば外は暗くなっていた。
◇
「起きれるか?」
「
……
かろうじて」
「なら重畳。ほら、少し水でも飲め」
「ああ
……
」
のどがヒリつき掠れる感覚に眉根を寄せ、高杉が用意してくれた水を少しづつ口に含む。
一頻り泣いたせいか目が腫れぼったい。後で冷やさなくては。
身を起こしてぼんやりとそんなことを考えていると、高杉は手近にあった羽織を肩にかけ、自分を後ろから抱き込むように座り直した。汗をかいて冷えた肌に、人肌の温もりが沁みてくる。
「そろそろ夜が明ける。まだ眠いなら寝ちまってもいいが」
「そんなに経ったのか
……
」
「あんた途中で糸が切れたように寝入ったからなあ。目を覚ました時に飯を食うか聞いても、ふにゃふにゃと何か返事したと思ったらまたもや好きだの愛してるだの歯の浮くような科白をつらつらと
……
」
「も、もういい
……
言うな
……
」
少しだけ冷静になった頭で長屋に戻ってきてからのことを反芻する。普段の自分では考えられないような醜態を晒してばかりだったことに気付き、途端に羞恥で鳩尾の辺りがじわじわと痛んできた。
「俺は珍しいあんたが見られて役得だったけどな。
……
こうして夜明けも共に迎えられそうだし」
高杉は空いた手で縁側へと続く障子を開ける。塀に囲われた庭の菜園には赤い花がいくつも咲き、春風と共に爽やかな香りが漂ってくる。
「『暁ばかり、憂きものはなし』と歌った壬生忠岑とは真逆だな。俺には今の刻が一番幸せかもしれん」
段々と赤らんでくる空を眺めながらも、自分を抱きかかえたまま、高杉は一向に腕の力を緩めない。その独占欲と執着心が好きなのだと言ったら、この男はどんな反応をするだろうか。まあ、それはまたの機会でいいだろう。これから幾度だって、共に夜明けを見ることが出来るのだから。
それにしても。
「
……
腹が減った
……
」
痛んだのは羞恥よりも空腹か。鳩尾というより胃の腑が泣いている気がする。そういえば昨晩から何も腹に入れていなかった。
剥き出しの腹をさする自分を見て、高杉は大いに笑った。
「なら日が昇ったらどこかに食いに行くか」
「そういえば勝が美味い鰻を奢ってくれると」
「へえ? と言っても昨日の今日だ。しばらくは忙しいだろうし、すぐには連れて行ってくれまい。今日は俺が美味い店に連れて行くからそれで満足してくれ」
「わかった」
食い気より色気が勝ったと思ったが変わりないようだな、と笑う高杉につられて、口の端がふっと弛む。
いつの間にか取り出されて揃いに置かれていた二つの翡翠の賽は、曙の赤を浴びて鼈甲色に煌めいていた。
終
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