左肩と右の腰骨が薄らぼんやり痛い。
墓のの手持ちの中で一番強い鎮痛薬、もうほとんど麻薬すれすれの代物を突っ込んでコレということは、多分、僕の怪我はそんなに軽い部類じゃなかった
――ってことだろう。
「全く、医者の真似事ばッかり上手くなりますヨ」
墓のがぼやくその一言に、僕は辛うじて、面目ない
……とだけ呟いた。
――あのあと、僕はゲタ吉たちと一旦別れて、沢城くんと合流しにいった。
主犯が人間の術師なのは、ほとんど最初から分かっていたことだ。ちいさいのを狙った目的は、その血か肉を妖怪への『報酬』か、もしくは何らかの術の対価にする為だろう、ってことも予測がついていた。だから沢城くんは、まずは説得してみる
……と、言っていたけれど。
正直なことを言えば、僕は最初から、説得は無理だろうって思ってた。神格を失ったこの世界で、人間の術師というのは、僕や沢城くんの世界とは少し違った『力』を持っている。単に霊力だけの問題じゃない。人間の間で通用する権威とか、特権とか、地位とか、そういうやつ。
真っ当な術師の方が多いのは分かってる、でも、ちいさいのをさらって生け贄にしようと企む奴が、マトモである確率はだいぶ低い。それで何らかの『力』を持っているような状態なら、多分、『生け贄』側から話をしようとしても無駄だろう。
そして案の定、交渉は決裂した。予想外だったのは、その人間が非常に強かったことだ。いくら術の力で身体能力を底上げしているとはいえ、沢城くん相手に一対一で、互角に殴り合える人間が存在したとは。
結果的に僕が割り込んで、その人間を止めることには成功した。その直後に墓のが追いついてきて、その人間を『説得』したらしい
……とは、後から聞いた話。そのとき僕は気絶していたので、墓のが具体的に何をしたのかは知らない。より正確には、聞いたけど教えてもらえなかった。僕は知らない方がいい、らしい。
薬箱の中身を片づける墓のの背中を、布団の上に座ったまま眺めていると、不意に足音が聞こえた。襖を開ける前にもう分かる、沢城くんだ。
「
……高山先輩、その、」
部屋に踏み込むなり、沢城くんは気遣わしげに声をかけてくれた。襖を開けるその腕と首元、寝間着用の浴衣から覗く右足に、包帯の白が覗いている。あの人間にやられた傷だ。
「沢城くんも、怪我、大丈夫だった?」
「先輩ほどじゃ、だって、
……だって、あのとき」
それきり言葉が出ないという風に、沢城くんの唇が硬く引き結ばれる。
僕の前まで来て、彼はぺたりと座り込んだ。
その脇を、薬箱の蓋を閉めて立ち上がった墓のが通り過ぎていく。
「
……済みません。僕はちいさいのを、もう一回見てきますンで」
墓のの視線は、明らかに僕らの様子も気がかりだ、と言っていた。でも、ちいさいのの傷がかなりの深手なのは事実だし、実際に手が必要なのはあっちだろう。結局、墓のは振り向かずに部屋を出て行った。
数秒の沈黙。耐えきれなくなったのは僕が先だった。
「別に
……薬効いてるから、あんまり痛くないし。そんなに心配しないで」
「そうじゃない
……!」
うつむいたまま、沢城くんは辛うじて、その一言を吐き出したらしかった。
再び訪れた沈黙の中、僕は必死に頭を巡らせる。最初に思いあたったのは、僕は思いっきり叱られているのではないか、ということだった。
徒手の殴り合いなら、僕より沢城くんの方が数枚上手だ。僕の怪我は無謀な横入りの結果だと言われたら、それはもう、否定のしようもない事実で
――でも、それであの人間を止めることはできたんだから、とも思う。
「
……だって、あのとき。
……先輩、針を、自分から」
「放さなかったら、殺してたよ」
やっぱり彼の目はごまかせない。あのとき、毛針を突き刺せば、あの人間は確実に死んでいただろう。確かにあそこで殺していたら、僕は怪我をしないで済んだだろうけど
……やっぱりこれ、叱られてるんだろうか。
僕の口からこぼれ出た言葉は、やっぱり、どこか言い訳じみていた。
「僕の腕じゃ、人間を殺すか、自分が怪我するかのどっちかだった
……それくらい、きみに分からないはずがない、と思うんだけど」
少し意地悪な言い方だっただろうか。でも事実だ。技量の問題も、僕が自分から武器を落としたことも、彼の目なら分かるはずだ。
「だからって、そんな大怪我
……」
「あのときも、言ったけど。
……あそこで殺していたら、きみは二度と、僕に笑ってくれないよね」
仮に僕一人だったとしたら、殺していたかもしれない。
でも沢城くんは、僕には異様と感じられるほどの強く固い意志で、人間を守ろうとしている。その彼の目の前で人間を殺したら、絶対に許してはもらえないだろう。だったら、大怪我した方がマシだった。
だって、好き、だから。
この墓場の世界で出会ってそろそろ半年、親しく感じるのは同じ『鬼太郎』だからって思ってた。でも同じ『鬼太郎』のはずなのに、彼は何故こんなにもきれいなんだろう。いつも静かで、横顔から目が離せなくて、静かに笑う声に引き込まれて
――好き、という一言にたどり着くまで、そう時間はかからなかった。もっと話したい、笑ってほしい、もっと側に行きたい、
……元の世界の仲間、ねこ娘やねずみ男たちに感じるどんな感情とも違う、引きずり込まれるような好き、だった。
今だって、ほら
――顔を上げた沢城くんは、僕に小さな声で語りかけてくる。
「そんな理由で
……死にかける、なんて、」
涙にぬれた目も、噛みしめられた唇も、なぐさめたいよりも先にきれいだと思ってしまう。じわりと湧いた後ろめたさを背中に隠すような気持ちで、僕は笑った。どうやら沢城くんは、僕を叱りたいのではないらしい。
「そんなにもろくないって」
「でも、痛いでしょう
……」
「きみに笑ってもらえなくなる方が、痛いよ」
自然と手が伸びる。彼の頬に伝う涙も、やっぱりきれいで、少しもったいないような気もした。沢城くんは動かない、ただ呆然としたような顔で僕を見返している。
「体の怪我はそのうち治るけど、きみの心は取り返しがつかないじゃないか」
頬の上で止めていた僕の指先の上に、また涙が流れ落ちてくる。
「
……高山、先輩」
涙を拭っていた僕の手を、沢城くんの手のひらが覆った。少し震えているのが分かった次の瞬間、その手を引っ張られる。
怪我をしていない方の肩の上に、沢城くんの額が押しつけられた。
「ごめんなさい。
……こんなひどい気持ち、知りたくなかった
……」
「ひどい、って?」
「今
……嬉しい、って思ったんです。先輩が、怪我をしてでも、って
……僕のこと考えててくれたんだ、って
……」
それは、沢城くんの心の底からこぼれ出た音に違いなかった。
無事な方の腕で彼の体を抱き寄せる。胸の奥で、気持ちがそわりと動く。
僕の心の奥からも、言葉がこぼれ出た。
「だって僕は、
……きみが好きだから。笑って欲しいし、僕も笑いながら一緒にいたいよ。だからちょっと怪我するくらい、どうってことない」
「
……馬鹿、なんですか」
涙声な上に、僕の背中に腕を回しながらじゃ、馬鹿の一言だって罵倒にはならないだろう。しかも、怪我には触れないように、って慎重な動き。
「いいよ、馬鹿でも。
……本当のことだから」
そのまましばらく、沈黙が落ちる。二人だけしかいない部屋の中、ずっとお互いの体の重みを感じていた。まだ怪我は痛むけど、その痛みの辛さは、沢城くんの気配が打ち消してくれる気がした。
同じくらいの体温と微かな肌の匂い。もっと深く触れあったら、と頭の奥で何かが揺れて、その揺れが沢城くんに伝わったのか、それとも彼の揺れを僕が感じ取っただけ、なのか。
少しだけ体を離す。今度は額を重ねて、沢城くんが呟いた。
「
……僕も、好きです」
「そっか」
額の間に挟まれてしまった二人分の髪が、少しくすぐったい。僕の明るい茶色と、彼の栗色が混ざり合うように
――
唇で、そっと触れあった。
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波箱
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