呼吸を止め、指を離す。矢は弧を描いて草原の上を飛び、百五十メートル先のガーディアンの胴体を撃ち抜いた。青い光が破裂し、そして収束する。
後には骸だけが残っていた。
「どうじゃ?」
隣でスコープを覗き込んでいたロベリーが、その目を覆う丸いゴーグルでリンクを見上げる。弓を下ろした彼は、んー、と少し考えるような素振りを見せると、唯一露出したその唇を開いた。
「見えすぎるかな」
「ホワッツ!? これでも出力を半分に落としとるんだぞ!?」
驚愕したロベリーの悲鳴にも構う事なく、リンクは次の標的を探し始めている。
彼の特徴的な青い瞳はほとんどが硬い兜に覆われていた。けれど彼の目には肉眼で見える以上の情報が映り込んでいる。遠くの物は近くに見え、上下左右も、背後さえも今の彼の視覚には収まっていた。
リンク専用に誂えたその防具には、人間の感覚器を補助する機能が付いている。視覚、聴覚、嗅覚、そして触覚に至るまで強化された彼の知覚には、数キロ先の樹上でオタテリスがどんぐりを齧る様が、まるで掌の上にいるかのようにありありと感じ取れた。
それだけの情報量に慣れ始めたリンクは、しかしまだ納得のいかない様子で周囲を索敵している。
「脳にかかる負荷はかなり抑えたはずなんじゃが……」
ロベリーはがしがしと禿げあがった頭を掻く。リンクはその音にうるさそうにしながら、視線を一点に留めた。
先の標的から北東に八十メートルほどの位置に歩行型がいる。距離は更に離れて、二百メートルはあるだろうか。
「範囲が広いのは良いんだけど」
静かに矢を番える。強化皮膜によって補助された筋力で限界まで引かれた鋼鉄製の弦が、ぎちり、と音を立てた。千切れる寸前の弓はかなり上を向いている。けれど、同じく上空を見つめる彼の眼には、遥か下方にいるはずの標的だけが見えていた。
「遠くのものに集中すると、周りが見えなくなるのはどうにかならない?」
「周りが見えない……ズームの事か?」
「ズーム?」
彼は意識をほんの少しロベリーに傾けた。視界の中央には徘徊している標的を収めたまま、その片隅にロベリーの顔だけが映る。顎を撫でさする彼は、どう言えばリンクに伝わるか考えているようだった。
「ウツシエを撮るとき、被写体を拡大したりするだろう。あれがズームだ」
リンクは使い慣れたシーカーストーンを思い浮かべた。言われてみれば、拡大しすぎて被写体以外のものが画面に入りきらなかったことが何度かある。今の状態はまさにそれだった。
「ああ、それだ。それだけ抑えて欲しい」
言いながら、移動するガーディアンの目を狙い続ける。ロベリーは足元に置いていたカバンからたくさんのつまみが付いたシーカーストーンのようなものとコードを取り出すと、リンクの兜の背面へと突き刺した。
「ズームの倍率を下げる……なるほど。じゃがいいのか? 遠くは見えにくくなるぞ」
そう言いながらロベリーの手はせわしなく動いている。ロベリーがつまみをいじると視界いっぱいに広がっていた標的の姿がどんどん小さくなっていった。
ある程度周囲の状態がわかるまで視点を引く。すると他の感覚もつられるように拡散して、まるで世界が広がっていくようだった。
「止めて」
人間にはありえない知覚を、最も自然に感じられる距離に置く。
獲物の脚が草を踏む音。上空の風が地面近くの風とぶつかる感触。そして、空には矢の通る道が見えた。
「うん。こっちの方が――中る」
言うと同時に矢を放つ。先程よりも気軽なそれは、しかし正確に獲物の目を貫いた。
「グレイト」
再びスコープを覗いて、矢の当たった先を確認したロベリーが言う。その声はどこか安堵したような、大きな荷を下ろせたような響きをしていた。
「これで調整は終わりじゃな?」
見上げてくるロベリーに頷き返すと、彼は兜からコードを抜き、カバンに荷物を詰め込んでいく。短い撤収準備をするロベリーの背を見ながら、リンクは突然自分を包んでいる感覚の正体を理解した。
「ロベリー」
「うん?」
振り返った小さな姿は、まるで百年の重みに縮んでしまったようだった。
けれど、彼はそれでも潰れずに、耐え切ったのだ。
「ありがとう。おれを守ってくれて」
リンクの、笑った口元だけが見えたのだろう。ロベリーは震えそうな声を誤魔化すように、もう一度彼に背を向けた。
「……それはミーのセリフじゃ」
ハイラルの草原を、暖かな風が吹き抜けていく。
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