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ふるさと さくら
2024-07-08 23:48:05
10277文字
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神様はおしまい
最後は幸せになる竜空短縮版💍
主従、ニュっと生えてくる夜の番人、独自設定、監禁要素あり
フレオル企画のリクエストです!以下内容
・竜空ハピエン
・監禁
ヒマワリの咲き乱れる青い夏。木枯らしが戯れる黒い秋。
この身のごとく凍てついた白い冬。そして────私の生まれた東雲色の春。
果たして今はどの季節なのか、それすら私にはもう知る由はない。この薄暗い部屋に染み付いた苔と鉄錆の匂いだけが、今の私に感じ取れる全てだ。暦の感覚も、季節の巡りも分からない。ゆえに、ここに閉じ込められてどれほどの時が流れたのかさえ、私には数えることができなくなっていた。
それでも、唯一今でも思い出せるのはあの輝き。かつて私が焦がれた、もはや手の届かぬ場所へ行ってしまったであろう流星のきらめき。あの人の美しい焔のような瞳が、あの人の凛とした横顔が、いつまでも私に朽ちることを許してはくれない。もう会えないのに、会えないからこそ朽ちぬわけにはいかない理由になってしまっている
……
それが残酷なことだと気がついてしまえば、すぐにでも狂ってしまいそうだった。けれども、そうして自己を喪失できないでいるのも、またあの人への執着のせいなのだ。
「竜
……
」
久方ぶりの呟きが漏れる。声帯を震わせるだけで、身体に絡みついた鎖がじゃらりと音を立てた。そのせいで、鉄格子の向こうにいる見張り役が厳しい表情でこちらを警戒するのが分かってしまう
……
あぁ、安心するといい。逃げるつもりは毛頭ない。お前は私を見張るという退屈な仕事を、日が暮れるまで果たせばよいのだ。私はしばらくの間、思い出に浸るつもりだからな。
(今日は、地上が騒がしい
……
)
誰かが、何かを言い争っているのか。今日の地下牢に流れ込んでくる空気は、やけに落ち着きがなかった。だが、人々の諍いなど私にはもう関係のないことだ。民のことなどどうでもいい。私という神を奉り、慕ってくれるかつての楽園の民は
……
もう、どこにも存在しないのだから────
目を閉じる。また、あの夢が見たいと、眠りの世界に自分を突き落としていく。そうして再び永い夢を見るために、空は呼吸をするだけの神体に戻ることにしたのだった。
かつて、私はこの楽園を統べる神だった。
全ては幼き頃の私が犯した罪を償うため。あの日私が招いた災いによって、焦土にされたこの地を再建するために────私は人の身を捨てることを決意した。欲望の悪魔と表裏一体になることを選び、人ならざる神としてこの地に君臨する
……
そうすることで、二度と誰にも害されぬ楽園を作り上げようとした。もしその願いが叶うのならば、もう誰も悲しまなくて済む箱庭を実現できると思ったのだ。
意外にも、夢への旅路は過酷なものにはならなかった。かつての惨劇を生き抜いた先住の民らは、私の贖罪と決意を受け入れてくれたし、僅かな民だけでは守りきることのできない島の平和に関しては、海の向こうから同調者を招いて警備にあたらせることもできた。この外界の戦士らというものが想定以上に頼りになって、私は彼らが華々しい戦果を持ち帰るたびに嬉しくなって、度々自邸に彼らを招いた。そして誉ある成果を労い、その大義に見合った報酬を授けることも多々あった。
特に、その頃の私には一等気に入りの戦士がいた。彼は誰よりも勇ましく、いつの日だって最も多くの侵略者を退けていたにもかかわらず常に殊勝な態度を崩さない、いわゆる騎士道を重んじる戦士だった。紅の外套を羽織り、何者にも刺し貫かれたことのない鎧を纏った彼の名前は。
「竜狩人、こちらへ」
玉座より、その名前を呼ぶ。そうすると、跪いた兵団の中から一際眩い輝きを放つ者が立ち上がる。謁見の間には、彼が身を動かすたびに重苦しく鳴る鎧の音が響いていた。
数多の戦士が平伏す中で、顔を上げているのは私と彼だけだ。長い防衛戦の果てに日は落ちかけて、ステンドグラスからは夕陽のオレンジが燦々と降り注いでいる。燃えるような空気は、真っすぐにこちらを見つめる彼に相応しいとさえ思った。太陽は竜の血を引く彼にこそ似合いであり、他の誰にもその象徴は奪えないのだと。
玉座の前で、彼が立ち止まる。私はゆっくりと跪く彼を見下ろすと、ため息をつくように言葉を紡いだ。
「此度の戦でも、お前はとりわけ多くを屠ったと聞く。その忠誠、その献身を特別に褒めて遣わそう
……
大義であった」
そうして、空は己の指から青い宝石のついた指輪を外し────竜狩人の差し出された手にその装飾を落とした。たとえ形式的な一言一句であっても、秘めた響きは揺るがない。だから、本当にお前の働きには敬意を表す他ないのだ、という思いを込めてはいる。しかし竜狩人は、私の熱のこもった言葉に同じ感情を返してくれることはなかった。いつもいつも、そうなのだ。
「
……
楽園の神に仕える不肖の身には、有り余る賛美と宝です。畏れながら、拝領致します」
そんな言葉が聞きたくて褒めたつもりはないのに。我ながら、顔つきが曇っていくのを自覚してしまう。それでもなお竜狩人の目には従者以上の光は宿らず、私はついに痺れを切らして神らしくない指示を下してしまった。
「もう、よい。労いの儀は終わりだ。戦士たちよ、今日はその羽を休めて次の戦に備えるがいい」
私の命令に、戦士たちは顔を上げてざわざわと喋り始めた。今回の謁見が普段より短いことに違和感を覚えたのだろう。ゆえに、お前たちを蔑ろにしたいからではないと示すために、私はわざと腕を組んで不機嫌そうな表情を浮かべてみせる。
「そう不安がるな、私の戦士たちよ。単にそこの竜狩人に話があるだけだ。居残りをさせられて個人に対する小言を聞くくらいならば、家に帰って酒を呷る方が有意義だろう?」
すると、戦士たちは「あぁ」と合点がいった顔でおもむろに立ち上がり始めた。なるほど竜のやつめ、空様の不愉快な音の鳴る弦にうっかり触れたのだな。不運なやつだな、今日の宴会に来なかったらお前のワインもまとめて開けるが恨むなよ。そんな声を口々に残して、有象無象の兵士たちはぞろぞろと広間を去っていった。
「
………
」
さて。しんと静まり返った夕暮れの間には、私とかの竜狩人だけが残されたというわけだが。実のところ、何を言おうかということについて、私はあまり深く考えていなかった。だから凍りついたように動かない表情筋の自覚があってよかったと思った。内心はみっともなく狼狽えているなどと、目の前の竜には悟られたくなかったのだ。
しかし、思いがけず彼の方から沈黙を破ってきたので、私はやむなくこの心地の悪い静けさを抜け出すことになった。
「空様、私の振る舞いに何か不敬がありましたか」
竜狩人の問いかけは至極冷静だ。私が何を言えばいいのか迷っているのに、彼の方は用意したかのように淡々と攻め立ててくる。彼の方にその自覚がなくても、私にとって彼との対話は危険な駆け引きにも等しいものだった。
「
……
分かっているくせに、聞くのは野暮だろう。竜狩人
……
いや、竜」
そう呼ぶと、途端に竜狩人の表情は険しくなった。私が何を求め、何を表明しようとしているのか察したのだろう。それは彼にとっては都合の悪いことであり、また神であり王である私にとっても許されざる禁忌でもある。
「お前と二人きりになりたかった。それだけの理由すら、許されないのか」
絞り出すように問いかける。何もかもを氷と引き換えにした私が、唯一感情を乗せることのできる声で彼に縋る。彼を困らせるだけだと分かっていてもなお、止められなかった。
「竜。私はやはり、お前と」
「いえ、空様。それだけは受け入れられません。どうか諦めてください。あなたのために」
「っ、嫌だ。私は、お前がこの島にやって来たときからずっと
……
!」
思わず手を伸ばし、竜狩人の腕に触れた。冷えた蛇の鱗のような彼の腕は硬く、私の非力な指先など一瞬で払ってしまえそうなほどだった。しかし彼は、力に任せて私を拒むことはできない。統治者である私の意思を、仕える者である彼が無遠慮に払うなど
……
それこそ不敬に等しい。
触れている竜狩人の手の甲からは、どくどくと忙しい鼓動が伝わってくる。顔には出さないが、それだけで彼が本心では何を思っているのか分かってしまう。竜狩人が私と同じ思いを抱えていることは、とっくの昔に知っている。だが、それでもなお彼は主従という枠組みから外れることを拒んでいるのだ。互いにどれだけ求めていても、叶わぬことだと分かっているから。そういう点で、わがままを言い続ける私に比べて彼は幾分か大人だと言えた。
「
……
離してください、空様」
「いや、だ」
「分かってください。私とあなたは結ばれることなどできない。神王たるあなたと一介の戦士である私とでは、到底天秤は釣り合わないのです。その思いはどうか、胸の内に殺してください。私もこの思いは、あなたの揺るがない治世が続く限りは伏せ続けるつもりですから」
だから空様、と。竜狩人の押し殺した声に、私はすっかり気圧されてしまった。そして、権威さえ振りかざせばいくらでも繋ぎ止められるはずの手を、力なく離していく。そうでもしなければ、彼の僅かな誠意すら主従に上塗りされて見えなくなってしまうような気がしたのだ。
何も言わずに項垂れる私を撫でて慰めることすら、竜狩人には許されない。居た堪れないような目をしながら、それでも彼は踵を返す。青紫に染まり始めた天井の下を、竜狩人は何かから逃げるように去っていく。
「
……
もう、このようなことはなさらないでください。私はあなたを守る剣でありたい。その切っ先を、鈍らせたくはないのです」
あぁ、その言葉すら。私には、偽りの宣誓に思えてならない。
彼がいなくなるまで、私はずっと佇んでいた。そうして日が完全に落ちて、夜闇が私を染め上げ始めた頃。私は静かに目を閉じて、自らの過ちをどうすべきかと思案するしかなかった。
私は、一介の従者である彼に恋をした。しかし神と竜、ひいては王と兵が寄り添うなどとはあってはならないことだった。身分違いであるがゆえに、私たちはそうした関係を結ぶことはできない
……
しかしそれでも、その夜に私は決意を固めた。
竜がそこまで言うのならば、私もそれに応えようと。すなわち、主従であっても構わない。ただ同じ楽園の歯車として、目の届く範囲で互いを密かに想い合えるならそれでもいいと、心に蓋をすることに決めたのだ。
だが────それすらも、運命は許さなかった。
火の粉が、赤い空へ舞い上がっていく。
悲鳴と罵声、鳴り止まぬ剣戟の音色。両腕を押さえつけられながら、私は煤と灰だらけの顔で、その悪夢のような光景を見せつけられていた。
「火を絶やすな、全て燃やせ! 虚妄の文明を打ち壊し、旧き時代を終わらせろ!」
名も知らぬ指揮官の高らかな声と共に、撃ち込まれていく火薬によって村の残骸はさらに爆ぜた。燃え上がる住処には、もはや人の影などない。無垢の民らが、潰されていく。私の楽園が、壊されていく。
「脆弱なものだ。抗う力もない神が、何も施せぬ王が、こんなところで無様に我々の手に落ちるとは。全く気骨のない防衛線よ
……
せいぜい手を焼いたのはお前の半身たる鴉の悪魔と、今も我が同胞を屠り続けている竜騎士だけだったな」
一人、私に向かって話しかけ続ける敵の主────高塔の国王に応える余裕はなかった。この身を刺し貫かれる痛みはなくとも、私がこうして敵の前に引きずり出されたということは、すなわち半身が陥落したことと同義である。もう一人の私は、鴉の淵は────あぁ、きっと討たれてしまったのだ。全身から抜け落ちていく力が、その証左だった。
「喜べよ、哀れな旧為政者。ここに楽園の栄光は陥落した。お前はこれより捕囚となり、我々の新しい時代を見ることもなく地下に押し込まれるのだ。本来なら刑に処してしまいたいが、呪われた不死者を害してしまえば何が起きるか分からない
……
まぁせいぜい、永久の時間を享受することだな」
「
……
賢明なことだな。淵から聞いたのか? 私が決して朽ちぬ不死の祝福を受けているということを」
「あぁ、せめてもの悪魔の慈悲というやつかは知らないが。お前を殺せば、せっかく奪取したこの地の全てが無に帰すと聞いた。欲望の化身の言葉を信用するわけではないが、かと言って無下にして予言が当たるのであればここまでの侵略も徒労に終わる。爆弾を幽閉する程度で危険を封じられるならば、安いものだ」
なるほど、ただの蛮族ではなく戦の矜持は心得ている敵であったか。行いは野蛮であったとしても、理性的な言論には僅かばかりの希望が垣間見える。ならば、私の振舞い次第でこれ以上の戦火を抑えることができるようにも思えた。
「では、問うが。私が敗北を受け入れれば、お前たちは生き残った私の民を生かしてくれるか? もはや主たる私が落ちた今、抗うことは愚策だろう
……
ならば最後の願いくらいは聞き届けてくれ。淵の忠告を聞けるのならば、私のささやかな懇願を聞いてくれたっていいんじゃないか?」
すると、高塔の王は冷ややかな目を私に向けた。
「敗北の為政者が、情けなく臣民の命乞いとはな」
「何とでも言え。お前の目的は天に通ずる塔を築き上げることだろう。諸皇族ならば必ず処刑するほどに苛烈なお前が、この私を見逃すと言ったんだ
……
そこに付け入らぬ道理はない。だから願いを聞き入れてはくれないか。私のことはどう扱っても構わない。だが、どうか生ける私の民らを無下に殺すことはしないでくれ
……
ネブカドネザル」
そう呼ぶと、王は嘲笑うような表情を浮かべてみせた。紅に染まった雲は、彼の勝利を賛美するように私たちを見下ろしている。未だ舞い散る炎の熱が、地面を焦がさんと焦土の楽園に渦巻いていた。
「ハハ
……
亡国の主よ、その愚者たる姿勢は嫌いじゃない。ゆえにその命乞い、聞き届けてやろう。非力な女子どもも、未だ抗うあの竜狩人も、まとめて僕の奴隷として扱ってやる。それがお前の願いというならばな」
あぁ、充分だ。私は力なく頷きながら、偽りの太陽を見上げて平伏を示した。勝敗は決したのだ、あとは私が囚われの身となることを宣言すれば────彼の命は、助かる。
背中を小突かれながら、砦の端に佇む。ぼうっと眺めた先に、血に塗れた彼が愕然とこちらを凝視するのがよく見えてしまう。竜、もういい。もう戦わなくていい。それ以上傷つくな。私のためなどに、もう仕えなくとも構わないから。
「
……
聞け、楽園の民よ。抵抗をやめ、武器を収めよ。私は高塔の王に下ることにした
……
王はお前たちの命を保証すると仰せだ。ゆえにこれは、無様に負けた私からの最後の命令だ」
戦場に風が吹く。生温い調べが、竜狩人の振り絞るような制止の声を私に運んでくる。空、空様と、やめてくださいと唇から血をこぼして訴える姿は、あまりに痛々しくて見ていられない。
そんな顔をするな、竜。私はただ、お前に生きていて欲しいだけなのだから。これだけが王たる私がお前に施せる、最後の思い。淡い恋慕を振りほどくための決意なのだから。
「私を忘れて生きるのだ、我が臣民たちよ。今は苦しくとも受け入れるのだ
……
落ちぬ太陽はなく、崩れぬ塔はないのだから。いずれ日を蝕む者が現れるまで、雌伏に耐えろ。この言葉を胸に、未来を歩け────ッ、ぐ、うっ
……
」
そこで私の言葉は途切れた。頭部に走る痛みが、私のなけなしの抵抗を咎めたのだ。それはそうだろう、手向けのついでに不穏な予言を残してやったのだ。王が怒りに駆られるのも無理はない。
「おい、お前。太陽たる僕が堕ちると言ったのか? 殺されないからといってあまり図に乗るなよ」
「
……
は、不可抗力とはいえ火種を摘まないからこうなるんだぞ、高塔の王ネブカドネザル。今にお前の栄華は裏切りと叛逆によって廃れる
……
」
そう言いながらも、私の意識は次第に崩れていく。兵士の剛腕に殴りつけられたのだから、当然と言えば当然だが。
「ふん、弱き王が偉そうに
……
もういい、連れていけ。誰にも知られぬ深い地の底に、鎖で繋いでおくんだ」
「承知致しました」
それが、私が最後に見聞きした外での光景だった。
その日を境に、楽園の時代は終わった。私は神でも王でもなくなり、かつてのエデンは高塔の王ネブカドネザルの従属地として存続していくことになったという。だが、その後どのようにして世界が続いていったのかは知らない。外界との接触を閉じられた私には、もう地上での出来事を知る術がなかったからだ。
それゆえに、不死のまま。あの日から時が止まった状態で、私は静かなる地下の牢獄に押し込められ続けた。その理不尽を理不尽だと認識できなくなるほどの永い時を、植物のように────昏々と。
夏。秋。冬。春。
夏。
冬。
春。
秋。
夏、秋、冬
……
春、春、幾度もの、春────
まぶたが上がる。あの日までの夢に微睡んでいた空は、目覚めとともに緩やかな息を吸い込んだ。そうするだけで、手首に嵌め込まれた鉄の拘束具が微かな金属音を奏でる。蔦の絡まった鎖を見上げるたび、途方もない年月が過ぎたことを自覚するばかりだった。
(
……
我ながら珍しい。眠ればその日のうちに目覚めることは、まずなかったのに)
やはり、地上から漏れる喧騒がいつにも増して騒がしいせいだろうか。どういうわけか、見張りの兵士の警戒もいつも以上に厳重に思える。こんなことは今までなかったはずだ
……
何があったのかと問おうとしたが、もう何年もまともに喋っていなかったせいで上手く声帯が震えなかった。
「お、い。地上で何があった」
「黙れ、飲まず食わずで生き続ける化け物め。お前には関係のないことだ」
「戦では、ないのか。声が聞こえる
……
太陽を堕とせと、日を蝕めと叫ぶ叛逆者たちの声が
……
」
「口を開くな! ネブカドネザル様の栄光は消えない、世迷いごとを言うな!」
見張り役はそう叫んだが、空の耳には依然として幻聴のような音が聞こえ続けていた。苦悶の声、雄叫び、火薬が爆ぜる音。それらの中に、妙に引っかかる言葉が浮かんでは消えていく。
……
私の役目も、ここまでのようです。一時とはいえ仕えることができて光栄でした、ヘレル王子よ。
……
えぇ、私が日を蝕む叛逆に手を貸したのは全てこの時のため。私は塔の最上部に用はありませんから。
……
ひとりで平気なのかと? 無論、問題ありません。仮にも私は竜族の端くれ、あの時は彼のためにネブカドネザルへ下りましたが、そうでなければ取るに足りない兵士など敵ではないので。
……
では、どうか息災で。我々の戦いが崇高たる理念ではなく、私利私欲のための足掻きだったとしても、勝ちさえすれば何者も我々を咎めることはできないのだから。
……
空。今こそ、あなたの元へ────
「!」
がしゃん、と鎖が騒々しい音を立てる。幾年も身を繋いだ拘束は、それだけで空の全身に過ぎた痛みを招いていく。だが、空にとってそのような苦痛など今更どうでもよかった。何せ聞こえたのだ、あの声が。もう耳にすることは叶わないとさえ思っていたあの竜の声が、遠く微かに聞こえたのだから。
「竜、竜
……
!」
掠れた声で、彼を呼ぶ。様変わりした空の様子に、剣を抜いた見張り役は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。そして面倒だと言わんばかりに囚われの旧神を睨みつけて叫ぶ。
「黙れ、叛逆者が来るだろうが! それともそのうるさい口をこの剣で切り裂いてやろうか!」
がん、と乱暴に牢の扉はこじ開けられ、武装したままの一般兵は無遠慮に停滞した空間に入り込んでくる。久方ぶりの他者の気配だ、そう感じ入る空だったが感嘆している余裕はない。何せ、目の前の兵士は自分を害する気でいるのだから。このままでは死にはしないにせよ血を伴う痛みを加えられるのは確実だった。
「は、はは
……
どうせ地上はクーデターでめちゃくちゃなんだ。最期くらい、神の端くれを辱めて死んでやる
……
」
もはや、目の前の兵士は追い詰められて正気ではない。戦場の経験のない空であっても、それが分かるほどに一兵卒の精神は混乱に陥っていた。しかし鎖は千切れず、牢の暗闇は依然として囚われの神を包むばかりだ。ゆえに逃げ道などなく、空は戦慄することしかできなかった。
刃が迫る。空を傷つけ、痛めつけるために。実感すればするほどに、空の心には捨てたはずの感情が芽生えた────我ながら未練がましくて笑えてしまうな。楽園を統べられなくなった自分がどうなろうが、もうどうでもよかったはずなのに
……
しかし、名もなき兵士の蹂躙が空を襲うことはなかった。
「が、ッ
……
」
軽やかな足音と、きらめく鎧の擦れる気配。誰かが颯爽と遠い階段を駆け下りてきて、舞うようにこの牢獄に飛び込んできたのだ。それは飛翔する翼竜のように鮮やかに、無防備だった獲物の背中を一撃で仕留めてみせる。
その輝きに、空は狂おしいほどに焦がれていた。
「
……
お前ごときが、楽園の神に触れるな」
そう告げて短剣を引き抜けば、物言わぬ塊と化した兵士は瞬く間に崩れ落ちていく。そうして背後からの刺殺という目論見を成功させた侵入者は、ぎらぎらとした黄金の瞳を輝かせて空の方を見つめた。
「遅くなり、申し訳ありません────空様。不肖竜狩人、あなたを助けるため馳せ参じました」
血まみれのまま、こちらに歩を進めるその人は紛れもなく。
「竜」
……
やっと。
やっと、会えた。
私の竜、恋焦がれる狩人よ。
思いのままに、繋ぎ止められた手を伸ばそうとする。しかし、すんでのところで矜持が空の心を追い越した。
「
……
待て。それ以上、こちらへ来るな」
「空様? なぜです」
冷たい鎖が空を締め付ける。思えば今の自分がどのような姿であるかなど、考えもしなかった。竜狩人という存在がこの場に足を踏み入れて初めて、いかに自分が化け物じみた出で立ちに成り果てているのか理解したのだ。
首元にまで絡みついた蔦を払うこともできないまま、空は自嘲気味に竜狩人に笑いかけるしかなかった。
「お前に、このような醜態を見せたくなどはなかった。客観的に私を観察できるお前が一番分かっているんじゃないか? 今にも蔦に飲み込まれる目前だというのに、飲まず食わずでここで浅ましく生き続けた私の姿が」
竜狩人は応えない。ただこちらを射抜く視線が、空を融かし尽くしてしまいそうなほどにつらく、苦しい。
「竜狩人よ。とうに楽園は滅び、私は神ではなくなったのだ。お前の王はここにはいない。もしも権威の再興を考えているならば、ここから立ち去れ。私はもう神にはなれない、お前の主人にはなれないのだから
……
だから、私を気にかけるのはもうやめろ。散々にお前を縛った主従は、ここで終わりにする」
だから自由になれと、空は続けた。そうだ、その方がいい。竜狩人は従者として、楽園の神のわがままに付き合っていただけなのだから。ゆえに、もう何者でもなくなった空を救う義理などない。彼は自らの人生を歩んでいくべきだ。
少なくとも、空はそう思っていた。だが────
「
……
竜狩人、歩を止めろ。こちらへ来るな、立ち去れと言っている!」
返り血に塗れた竜は、表情ひとつ変えずに空の方へと進み続ける。なぜ、どうして。言うことを聞いてくれ、竜。お前は、私に囚われるべきではないのに
……
!
しかし、それを竜狩人は聞き届けるどころか。
「一体、何を言っているんですか? 空『さん』」
「ッ」
軽薄で、見たことのない邪悪な笑みを浮かべて。
「私はもう、王ではないあなたの言うことなんて
……
聞きませんよ」
空を雁字搦めにしていた鎖も蔦も全て、そのきらめく双剣で切り裂いてみせた。
「
………
」
はらはらと、鉄くずと茎の欠片が落ちていく。身を縛っていた拘束が解けたことで、空の身体はくたりと前に倒れかかった。剣を返した手で竜狩人に受け止められると、途端にどっとした疲れが押し寄せてくる。空は、自らが想像以上に弱り果てていることを自覚した。だが、今はそんなことはどうでもいい。
はく、と呼吸にも満たない音なき声が空の喉から漏れる。竜狩人は「無理をしないで」と腕の中の空を慈しむように見つめながら、力の抜けた手を取った。
「あなたが神の名から堕ちてくれたからこそ、ようやくこの秘めたる想いを伝えられるのです」
掠れた視界の中でも、嫌というほどによく分かる。緩く持ち上げられた指先に、冷たい金属の温度がはめ込まれていくのが。
それはかつて、彼に報酬として賜ったお気に入りの指輪。ただしそれは馴染んだ人差し指ではなく、慣れない左の薬指に差し込まれていく。
「ずっと、あなたを慕っていました────空さん」
あぁ。
ようやく応えてくれるのか、お前は。
私の身がここまで擦り切れても、否。擦り切れたからこそ、ようやく
……
「さぁ、手を取ってください。ここを出て、共に空を見に行きましょう────宵の明星の光る、本物の空をその目に映すために」
その言葉を拒む理由はなかった。空はぼやけ始めた視界に熱を感じながら、竜の言葉に何度も頷くのだった。
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