修行。謂わば限界突破であり、避けられない通過儀礼である。思い出したくもない想い出に晒されるかもしれぬ。見たくもない自らを見るかもしれぬ。そういうものである。
とはいえ気負いすぎて調子を崩してもよろしくない。という訳でソハヤノツルキは修行前夜もいつも通り、零時を回ろうかという時間に寝ることにした。あまり早く寝過ぎても起きてしまう。
寝ることにした。
寝ることに……した……。
「寝れねえ」
瞼が全然下りてこない。ついでにちょっと胃の辺りが気持ち悪い。出立も近いし甘い物も油物もきちんと控えたのに。ソハヤがもそもそ寝返りを打ちながら眠気を呼ぼうと一人頑張っていると、机で本を読んでいた大典太光世からちらと視線を送られる。
「……お前も人並みに緊張するんだな」
「な、俺としても意外だった。もうちょっとこう、すっと行けるもんだと思ってたのに」
寝入るのを一旦諦め、ソハヤは大典太の前にどかりと座った。大典太は何を言うでもなく湯呑みを取り茶を注ぐ。軽く礼をし、渡されたそれに口をつけ、ソハヤはふうと息を吐いた。少し胃も落ち着いた、気もする。おそらく。たぶん。
「……歯医者に行く前日ってこんな感じなのかな」
「思ったより緊張の規模感が小さいな」
「そうかぁ? 未知の感覚っていつでも少しくらいは怖いもんだと思うぜ。機械で口の中ガタガタされる感じとかもそうだし。されたことねえけど。……あー、酒はいいから。今日は」
「そうか。……まあ、そういう感覚があるのは否定できんな。……ん、この饅頭明日までだぞ。いいのか」
「いいんだよ兄弟食ってくれ」
大典太に差し出される酒や茶菓子をかわしながら、何でもないように話をする。明日の予定はいつも通りの出陣であるかのような、普通の調子。
「逆に兄弟はどんな緊張だと思ってたんだ?」
「……遠足とか、楽器の発表会とか」
「あ〜、何となく分かるな。つっても俺でかい外出で楽しい緊張なんてしたこと……」
「……」
口を噤む。そういえば自分達、そういう類の緊張とは無縁であった。揃って深窓の霊刀であったが故に。
「……今のなし!」
「ああ」
一つの話題が歴史の狭間に消えた。
「はあ……にしても極めたらもう少し気楽っていうか、たまに見つかる引っかかりって奴を気にしなくてよくなったりするのかねぇ」
「……それは修行に行く者次第、ということなんだろうな」
「だよなぁ。政府や審神者が内容指定する訳でもないし」
こくこくと二口飲み、ふと湯呑みの底を見る。
茶柱が倒れて沈んでいる。これは立っていただろうか。
「……正直、変わりたいと思ってるのか自分でも分からねえ」
「ほう」
「もう言っちまったし今更やめるつもりもねえけど、……そうだな、何にも掴めずに帰ってきちまったらって思うと」
そこでソハヤは茶を飲み切った。急須から注ぐ。温かかったが、中途半端な量で仕舞いになった。
「しかもそれがどうやっても俺のせいにしかならないって思ったら。……寝れねえなって」
茶飲みすぎて余計に寝れねえけどな、などとおどけて見せつつ、息を吐くように笑う。すると、黙って聞いていた大典太が口を開いた。
「……お前は嫌でも掴んで帰ってくる」
「……そうか?」
「兄弟は聡いからな。見えているものを取りこぼすのは不得手だろう。犠牲にしなくていいなら尚更」
ソハヤは目を逸らす。追いかける。
「怖いなら一緒に行ってやろうか?」
にやり、笑って寄越された言葉にソハヤははたと瞬きし。やがて治安の悪い笑みで返す。
「……は、嫌だね。心配すんなよ、兄弟に御守りされなくたって行って帰ってきてやるから」
ふん、と意地を張って茶をぐいぐい飲み、……盛大に咽せた。
「お゛、!!……っふ、ごほっ、……かは、ぅえ……」
「大丈夫か」
すかさず背後に回り背中を摩ってやる。人間の弟を相手する時はこんな気持ちになるのだろうか、などと大典太は思考をあらぬ方向へ飛ばしたりもした。そうして撫で続けるうちにソハヤの呼吸は落ち着いていく。
「……そうやって虚勢を張れるなら大丈夫だろう。あれこれ悩まずに寝ろ」
「うぅ……だなぁ、そろそろ寝る……」
「……意識の落とし方なら知っている。寝れなかったら最悪それで」
「自分で寝る」
恐ろしい予感からソハヤは逃げた。まだ調子が戻りきらない体を洗面所に引きずって歯磨きをし直し、その工程を経てなお微妙に本調子でないままの体を布団でくるんだ。
「なーんかなぁ……格好つかねえなぁ、ぎりぎりまで」
「俺の前でまで格好つける必要もないだろうに」
兄弟だぞ、と少し拗ねた風に言ってやればソハヤは気が抜けたように笑った。
「……はは、そうだな。お望みとあらば自然体で」
最初こそ緩く薄めの笑いであったが、それは次第に確かな輝きを持っていく。起き上がり、体を改めて大典太に向けた。
「でも……兄弟だからこそいっぺん格好いい所見せたいってのはあるな!」
先程までの翳りはどこへやら。その笑顔は確かに普段通りの頼れるソハヤノツルキのものであった。ある種の仮面であり、しかし確かにソハヤそのものでもある、責任感のある男の顔。
それならば、何も心配する必要はない。
「……楽しみにしているぞ」
「おう!」
そしてその日は終わる。電気を消し、おやすみと言葉を交わした後に大典太も寝る身支度をした。大典太が布団に入る頃にはソハヤはすやすやと眠りに落ちていた。
(──無事を祈る)
ついぞ直接言わなかった言葉をそっとソハヤの寝顔に添え。大典太も穏やかな眠りに沈んでいった。
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