視界に広がる鈍い白にぼんやりとした驚きを覚える。曇り空にしてはのっぺりとした、ペンキをぶちまけたような平坦な灰白色が広がっている。
地上に目を向ける。日常とそう変わらない至って普通の街の風景だ。……人間も、鳥も、虫の一匹でさえ存在しないことを除けば。その代わりに黒く透き通り輝く結晶がそこら中に生え、或いは転がっている。それがかつて何であったかは容易に想像がついた。
何故こんなことになってしまったのかと思考を巡らせ、そして唐突に思い出した。
この引き金を引いたのはそういえば自分であった、と。
(……本当にいなくなってしまった)
普段周りにいる人間のことは大して気にしていなかったつもりだが、いなくなってみると存外寄る辺ない心地になる。いきなり一人で放り出されたら誰しもそうなるのかもしれない。ふわふわした頼りなさが心を占めていて、悲しさや罪悪感は不思議と湧いてこなかった。俺の世話を焼いていた者たちが俺を愛していたのか嫌っていたのか、それすらも分からない程度に興味がなかったものだから、いなくなった所で悲嘆に暮れるようなこともなかった。
不吉な力がどうとか何とかで遠巻きにされたり、蔵の中から出してもらえなかったり。側から見ればあまりいい人生ではなかったのかもしれない。普段は何も感じていなかったが。それすらも逃避だったのかは今となっては判然としない。
だからだろうか。ある日突然現れた男に一言ぽつりと溢してしまったのは。
「どうだい? 光世。今の世界は」
背後から突然そいつの声がした。振り返ると、そいつは相も変わらず人好きのしそうな笑顔を浮かべている。そいつ──ソハヤと名乗った男は馴れ馴れしく肩を組んできた。
「……思ったよりも、どうもしないな」
「反応薄いな……俺頑張ったのに」
わざとらしく口を尖らせる顔はどこか可愛らしさがある。命ある全てを呪い尽くした後とは思えない。
「……鳥も死んでいる」
「嫌か? ま、除外は契約になかったからな」
「……」
昔読んだ漫画の失敗みたいだ、などとひっそり落ち込んでいると。むに、と両頬を軽く引っ張られた。
「んぁにふる」
「望みが叶ったのに暗い顔してるから」
「……」
あの一言の呟きは望みと言えるラインなのだろうか? そんな疑念も頬をつねられているとうまく発せない。ソハヤの指を引き剥がし微妙にじんじんと痛む頬をさすってから文句を行ってやる。
「……ちょっとした愚痴、というかそれ未満のつもりだったんだが」
「でも叶っただろ? あんたは心のどこかでこうなるのを望んでたってことだ」
"いっそのことみんないなくなってしまえば"、なんて。
「……どうだろうな」
「素直になっちまえよ。どうせ誰も咎めやしないんだ」
寸時考える。望み。望みとは。
回想する。何が嫌で、何がそうではなかったのか。苦しみはなかった。憎しみもなかった。楽しみは……少しはあっただろうか。しかし他には、何かあったか。何の味もしない人生に価値はあったのか。その価値は今、本当に変わったのだろうか。
ぐるぐると思考を巡らせ──やがて結論が出る。
「……自由になりたかった」
「ふうん?」
「しがらみなんてなければいいと思った。だからあんなことを言ってしまったのかもな。だが……何もいない世界も、思ったより自由じゃない。あとは死ぬだけだ」
人は一人では生きていけない。飽きるほど使い古された言葉がこれほど強く沁みるなんて思ってもいなかった。
あの蔵に戻りたいとは思わない。だが、このまま一人で死ぬのはあまりにも──
「……対価としては十分だな」
黙って聞いていたソハヤが突然口を開いた。
「対価?」
「そりゃ無償で世界滅ぼしてなんかやらねえよ。今の後悔で元は取れたってことにしてやる」
ソハヤは笑っている。大変楽しそうに、いい玩具を見つけたとでも言うように。
「……だから何だ。その契約ってのはもう終わったんだろう」
「この世界、作り直してやってもいいぜ」
……何と?
「……できるのか、そんなこと」
「鶏を卵に戻すのと同じだ。あとはあんたが対価を支払うかどうかだな」
「何を出せと? 今度は先に言ってくれ。公正じゃない」
にこり、ソハヤは美しい笑みをさらに深くする。
「あんたが欲しい。俺と同じ悪魔になって、俺と一緒に生きてくれよ」
今時聞かないような直球の台詞をぶつけられ、しばらく惚けてしまった。言葉の意味を理解し、ようやく返事を捻り出す。
「……人間やめろと。そういうことか」
「ああ。あんたは霊力も十分だし、ヒトを弄ぶのも得意そうだからなぁ」
「褒めていないな?」
「最大限の賛辞だと思ったんだが」
目の前の悪魔はふと表情を柔らかくする。
「……なんか、昔の俺に似てる気がするんだよな。だからついサービスしちまった」
思わず凝視してしまう。この男が、俺に?
「……お前も、似たような目に?」
「さあどうだか。あんたを好いてるってことだけ覚えてればいい」
柔らかな雰囲気は一瞬で消え、食えない調子に戻ってしまった。扱いが難しい、思わず顔を顰めてしまう。
「……そういうことにしておいてやろう」
「ここはちゃんと信じろよ! ……で、どうする?」
不満顔を見せた後、打って変わって真面目な顔でソハヤは言葉を続ける。途端ぞくりと背筋に寒気が走った。答えてしまえば、もう戻れない。
「契約するか、しないか」
「……勿論、」
答えは決まっていた。
目まぐるしく光が舞い、巻き戻る世界の中でどこまでも落ちていく。これまでの全てに別れを告げ、そしてもう一度出会う。
一人ではなかった。俺を抱き締める男は、これからずっと側にいる。それがいいのか悪いのかはまだ分からない。
騒がしい永遠も悪くない、なんて思った時点で取り返しはつかないのだ。
「これからよろしく頼むぜ、兄弟!」
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.