compound_dashi
2022-09-01 16:47:41
2784文字
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欠けた二人は砂糖漬け

記憶喪失刀剣男士の典を拾って飼う現代転生記憶なしソの典ソハ の序章 まだ全年齢(R18予定) きっとハッピーエンド(のはず)

 ──頭が痛い。
 目を覚ました男はただそれだけ自覚していた。

 ぐらぐらと歪む視界はやがて静かにその形を定め、同時に男の頭痛も治まっていく。星の見えない夜闇の中、点々と立つ街灯が子供用の遊具たちをぼんやりと照らしている。背中に当たるごつごつとした感触は恐らく樹皮で、腰を下ろしている所は石か何かで舗装されている。どうやら夜の公園で行き倒れていたらしい。じっとりとして温い空気に時折涼しい風が吹く。コオロギの鳴き声も聞こえてくる所からして、今は夏の終わり頃か。
 男はひとまずそこまで状況を把握し、何故こんな所に来たのか考え始め──突如大きな欠落に行き当たった。

(……………………俺は、誰だ)

 思い出せない。自分の名前も、これまでの人生も。
 物の名前や人らしく生きる道理は欠けずに残っているようだ。ただ自分の存在を証明する記憶だけがすっぽりと抜け落ちていた。
 男は自らの体を見る。傷はなく、体に痛みもない。身に着けているのは黄色い襟が付いたグレーのジャケットと同色のスラックス、黒いシャツ、体の各所に取り付けられた赤い紐と防具らしきもの。革靴。そして、ベルトで吊り下げられた、刀。
(……何だ? 俺は……どういう人間なんだ?)
 目の前の風景や遠くに見える電波塔の形から見て、今は概ね二〇一〇~二〇年代であろうと男の中の知識が弾き出す。刀を使って戦う時代ではないはずだ。それなのに、携えた刀の重みは模造品とはとても思えない。よく見たら服装だって微妙にずれている気がする。
 これでは思い出せるものも思い出せない、自らを語る物証のちぐはぐさに男が頭を悩ませていると。

……あんた、こんな所で何してんだ?」

 ふっと街灯の光が遮られて視界が暗くなり、頭上から声が降ってくる。引っ張られるように男はそちらを見上げ、そして息を呑んだ。

 襟足を伸ばした金髪がよく似合う、綺麗な顔の青年だった。大きな紅い目は不思議そうに男を眺めている。元気そうな印象と共にどこか色気も感じさせる雰囲気で、夏に合わせた薄着から覗く少し汗ばんだ肌も何故か男の目には酷く艶めかしく映る。
……おーい。大丈夫か?」
「っ……ああ、すまない。……実を言うと、全く大丈夫ではないな」
 見惚れた視線を何とか逸らし男は返答する。それを受けて青年は首を傾げた。
「見た目は元気そうだけど……どっか悪いんじゃないよな?」
「体調は多分いい。ただ自分についての情報が全くない。記憶喪失という奴だろう」
……本気で言ってんのか?」
 青年は困惑を露わにする。フィクションのような出来事が実際に目の前で起きてすぐ信じられる方が少数だろう。
「ああ、名前も……、っ! ぐ……
 だが悲しいことに事実なのだ、と男が努めて冷静に説明を続けようとした、その時だった。
鋭い頭痛とノイズめいた思考の混濁が男を襲った。脳を直接掻き乱されるような不快感が数瞬続き、そして不意に治まる。嵐が去った脳内にはほんの僅かな欠片が残された。……今の男にとっては、小さな欠片であっても輝いて見える。
「おい、本当に大丈夫か⁉」
 額を押さえて俯いた男の体を青年が慌てて支える。本心からの心配が垣間見えて男は少しだけ喜びを得た。それをすぐに振り払う。人の厚意を何だと思っているのか、と。
……は、あ……、大丈夫だ、終わった」
「それならいいけど……やばそうだったら病院行くぞ」
「問題ない。何となく原因は分かった」
 その言葉を聞いてもまだ不安げな青年がまた口を開く前に、男はぽつりと呟いた。
「光世」
「え?」
「思い出した、名前。光世と言うらしい。……もう少し長かった気もするが、それ以上は」
 音にすればたった三文字。それでも口に出して確かめればその男──光世の確かな拠り所になった。
「そうか。いい名前だな」
 ほっとしたような青年の笑顔に光世は心臓を跳ねさせる。会ってまだ五分ほどしか経っていないのに、この青年が見せる顔全てが愛おしい。
(……一目惚れ、か)
 これからどうすべきかを考えなければならない状況で恋などしている場合ではない。それは光世にも分かっていたが、心はそう簡単に止まらないのも不思議と知っている。光世がもやもや一人考え込んでいると青年は口を開いた。
……あのさ。本当に記憶とか色々ないんだったら、家来るか」
……え」
「大丈夫、金ならあるし誰の邪魔も入らねえよ。あんただって、ここで野垂れ死んだり警察の世話になるよりはいいだろ?」
 コスプレだとしてもそれはやばいよな、と青年は光世の刀を指差す。
「大丈夫」
 光世の肩に置かれ、腕を滑る手に妙な色が混ざり込む。

「悪いようにはしねえからさ」

 に、と微笑む青年の表情はそれまでの何よりも妖しく、危険で、──惹き付けられる。密かな囁き声が毒のように染みていき、鼓動がばくばくとうるさくなる。
 顔が熱い。首筋を汗が伝う。正常な判断力が奪われる。否と言えるはずもなかった。光世は考えるよりも先に頷いてしまっていた。
「決まりだな、近くだからついてきてくれ」
 青年に肩を貸されて光世は立ち上がる。自分より少し低い背を可愛らしいと思った。そんな感想がばれたら彼はどんな顔をするだろうか。
「あ、俺の名前言ってなかったな。三池ソハヤだ」
「みいけ、そは、や……
 鸚鵡返しに呟くと、光世はまた不快な混濁に襲われた。痛い、目眩がする、しかしこれを耐えればまた──。

 希望を持った矢先、光世の胸の奥がぎちりと痛んだ。

「っう…………?」
 引き裂かれるような痛みだったが、どこか実体がない。死に至る病とは根本的に違うと直感したものの、それでも何故か冷や汗が背を伝っていく。やがて頭痛はかき消され、濁流は何も残さずに去っていく。胸の痛みもすぐに引いたが肌の表面が酷く冷たい。
「あ、また……! ごめんな、無理させたか」
……い、や……、歩ける」
「駄目そうなら正直に言えよ。着いたらとりあえず寝てくれ」
 そう言って、ソハヤは光世を気遣いながらゆっくりと歩みを進める。いい人に拾ってもらえたものだ、と冷静さを取り戻してきた頭で光世は幸運を噛み締めた。……何故名前を聞いてあの頭痛が起きたかまでは分からないが。そしてあの、遮るような胸の痛みは。
(……まるで、思い出したくない、ような)
 思い出したくない記憶など自分にあるのだろうか。真実がどうであれ、今は全て取り戻さなければならない。失った記憶が悍ましかろうが狂っていようが、なければ自分の足で立つことさえままならないのだから。

 未解決の不安、仮の拠点を手に入れた安堵を共に抱えながら、光世はソハヤの家に連れられて行った。



 その先に何が待つのかも知らぬまま。