compound_dashi
2022-07-26 15:59:25
4208文字
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潜水情景

典ソハ(まだ未満) 悪夢を見る典と兄感の強いソ
※大部分夜中に書いたので大分雰囲気

 水槽の夢を見る。
 俺を縛るものは何もなく、きらきらと輝く景色が周りに広がっていて。どこへでも行けそうだと思った、それなのにいつも透明な硝子に阻まれる。少し屈折した向こう側にいつも行けないままやがて息が苦しくなる。肺に満ちる水のせいか遠い昔の恐怖のせいか、或いは両方か。半狂乱で硝子を叩き、ごぼりと空気を泡にして吐き出した所で、
 目が覚める。
 この夢を見た時はいつも冷や汗で全身びっしょりと濡れているし、時折涙が頬を伝っていることもある。そしていつも兄弟は先に起きていて、荒く息を吐く俺をただ静かに抱き締めてくれた。
「大丈夫だ、兄弟。苦しいことは何にもないからな」
 本当かは分からない。それでも、兄弟の優しい声を聞けば早鐘を打つ心臓は段々と静まっていく。
 そうして今日も、兄弟なしでは生きられない。

 夜が来た。
 いつものように布団を敷き身支度をする。眠らないと体が動かないから、あの夢を見る恐怖は抑え込まなければならなかった。その癖すぐ眠れてしまうのが嫌だ。寝付けなければきっとあんな夢を見る時間もないのだ。
「あ〜……疲れた。兄弟今日凄かったらしいな、誉何回も取ったって」
 兄弟は布団の上で大きく伸びをしながら俺の働きを褒めた。その拍子に下りた金色の髪がさらりと揺れて煌めく。
……ああ。ここにもそろそろ馴染んできた」
「お、そうか! 兄弟も早く俺と同じくらい強くなってくれよ? せっかくこうして揃ったんなら一緒に出陣してえからな!」
 先に顕現した兄弟の方が早く練度上限を迎えていたものだから、少しだけ生活の形も違っていた。これから先強くなれば自然と一緒にいる時間も増えて、そんな日々がずっと続いて──
 嬉しい、のではないのか。
…………
……兄弟?」
……いや、何でもない。……楽しみだな」
 取り繕ったつもりだったのに、兄弟の顔は忽ち表情を失っていく。駄目だった。根拠が霊力か表情かは分からないが、とにかく兄弟に隠し事をすればすぐにばれてしまう。
……嘘はいけねえなぁ、兄弟」
……
 言葉を探して視線を彷徨わせているうちにまた兄弟は口を開く。
……夢か?」
「え……
「時々魘されて起きるだろ。……多分、それが原因なんだろうなって。話してくれねえか、何が兄弟を苦しませてるのか」
 こちらを見る兄弟の目は真剣そのもので、一歩も退きそうにない。
 共有すれば少しは薄まるだろうか。微かな期待と恐れを抱きながらぽつりぽつりと話し始めた。

 苦しみを言葉にするのは思ったより難しい。話せば話す程胸の内にどろどろと重いものが溜まって喉につかえる。説明し終わった頃には目覚めた時のような冷や汗に塗れていた。
……はぁ……ぅ、う……
「ごめんな兄弟。辛いことさせたな」
 息を乱す俺の背を兄弟の手がゆっくりと摩る。優しい感触が沁みて涙が出そうになる。
……俺は、思うんだ、兄弟」
「ん」
……刀であっても。人の身を得ても。俺はどうしたって、自由にはなれないんじゃないか、と」
 手足があればどこへでも行けると思った。言葉にして伝えられたら許されるとばかり考えていた。あの形でなくなれば解放されると信じていた。
 しかし、違ったのだ。こうして刀剣男士として呼ばれた以上禁則はついて回るし、そうでなくても肉体には限界がある。そして形を変えた所で、逸話からも過去からも逃れられはしなかった。
「今生でも封じられたままなら……俺は、どうすればいい?」
 他の刀が聞けば、みっともないと叱られただろう。俺らしくないとも言うだろう。兄弟もそうだと思っていたのに、しかし兄弟は黙して何も語らない。ただ俺を見つめている。
……すまんな、らしくなく弱音など吐いて」
「海行こうぜ、兄弟」
……………………は?」
 遮るように放たれた台詞はどう考えてもこの場に似合うものではなかった。海?……海?
……お前、ひとが真面目に話してるのに」
「俺だって大真面目だぜ? 答えはきっとそこにある。確証はねえけどな」
……はぁ……
 先までと打って変わって明るい声音の兄弟にすっかり毒気を抜かれてしまった。追いつけない俺をよそに兄弟はどんどん話を進めていく。
「つー訳で今から行くぞ、支度しろ兄弟!」
「今からって……夜だし、許可は」
「大丈夫だ怒られるのは俺だけにするから!」
「何を言っているんだ」
 こちらの言い分はまるっと無視して兄弟は鞄に荷物を詰め着替えを寄越す。兄弟がこんなに強引になるのも珍しい。抵抗するだけ無駄、そう感じてのろのろと服を着替え始めた。

 支度の後、足音を控えて深夜の廊下をそろそろと二人歩いていく。酒盛りをしていた刀たちも今は寝静まっているようだ。ゆっくりと気づかれないように、転送ゲートまでの道を進んでいく。
 寝ずの番をする近侍にどうしても気づかれる距離になった所で兄弟は俺を引っ張り駆け出した。
「すまねえな、説教は帰ってから聞く!」
 止める声も聞かず揃ってゲートに飛び込んだ。

 意識が一瞬揺らぎ、そして定まる。

「ん……
 ざざ、と波が打ち寄せる音が穏やかに耳を刺激する。目を開けば、疎らに星が瞬く夜空とどこまでも続く海が広がっていた。遠くの方に都会のものと思しき明かりが幾つも見える。それでも海を照らすには足りない。夜空よりも暗く、黒々と佇む海に呑み込まれてしまいそうだった。
「よし、着いたな。合ってれば主の時代の海だ。……まあ、時代は正直どこでもいいんだが」
 兄弟の声ではっと我に返る。割ととんでもないことをしてしまった、ような。
……あの、兄弟」
「こら、帰るとかなしな。必要なことだからやってんだ」
 兄弟は砂浜にシートを敷き、隣に座るように促す。ほら酒、と酎ハイの缶を渡され、仕方なしに缶を開ければ隣からも同じ音がした。
「乾杯」
……乾杯」
 こんな状況でも酒は美味かった。とても酔えそうにないが、慣れ親しんだ味で多少は落ち着いてくる。
「なあ兄弟」
……何だ」
「多分どこにいても苦しいんだと思うぜ」
 からりと乾いて心地いい兄弟の声は、この場の雰囲気に絡め取られることはない。
「この海をずっと歩いて行ってもいずれ溺れて死んじまうし、主の所から離れたって人の身じゃ他に居場所を作りづらい。誰かの決めた縛りなんかなくても、どうしようもないことは沢山ある」
……
 俺が理解するのを待ってから兄弟は話してくれる。
「でもな。自分で自分を縛る必要はない。そうしなきゃいけない理由もないだろ? もうちょっと兄弟はのびのび生きていい。生きた証が物語なら、ちょっと元から逸れたって誰も文句なんか言えねえだろ」
……そういう、ものか」
 好きに生きてもいい。言葉は無意味ではなく、伝えて許されることもある。枷が少しずつ外れていくようだった。今はまだ取れなくても、いつかは。
「そんなこと言っといて俺もまだその通りにできてねえんだけどな! ま、いつか何とかなるだろ」
 からからと笑う兄弟につられて微かに笑みが漏れた。
「やっと笑った」
 こちらを向いた兄弟の目には、酷く愛おしそうな色が浮かんでいた。

……兄弟は、この海どう思う?」
 どちらからともなく伸ばされた手を繋いで、ただ海を眺めている。波音は変わらず穏やかで、水面は底を見せてはくれない。
……怖い」
「だよなぁ。俺もだ」
 握られた手に力がこもる。
……本当に自由になったら。多分こうして兄弟の手も掴めなくなる」
……ああ」
「独りでこの海を歩くのは、嫌だ」
……俺もそうだ」
……兄弟は、俺に縛られてくれるか?」
 笑った顔が少しだけくしゃっと歪む。
「兄弟が同じ行いを許してくれるなら」
 そう答えるなり抱き締められた。朝のそれとは違ってぎゅうぎゅうときつく、肺から空気が押し出されんばかりだった。
「きょ、兄弟、くるしい」
「ごめんな兄弟! ……すげー、嬉しい」
 ありがとな。
 一言囁かれた言葉は、震えていた。

 しばらく飲み食いして他愛もない話をして、きっちり荷物をまとめて本丸に帰れば案の定審神者からの叱責が待っていた。悪いのは完全にこちらなので何も反論できない。叱る声は厳しかったが、その裏には心配と安堵が見え隠れしているのが分かった。私欲でも支配でもなく純粋に案じてくれているのが嬉しくてつい口元に笑みを浮かべると説教がまた延びた。
「結局兄弟も怒られちまったなぁ」
 説教、そして正座による足の痺れから解放された兄弟が声を潜めつつこぼす。静かな廊下を進む度に、昇り始めた朝日にその髪が照らされて白金のように煌めいた。
「それはそうだろうな」
「いけると思ったんだけどな。難しかったか」
……許しが出る時間帯でもよかっただろう。実際主から離れすぎても危ないし」
 遠慮がちに述べてみるが、兄弟は緩く首を横に振る。
「いいや、あの時じゃなきゃ兄弟また夢見ちまうかもしれねえだろ。なるべく早いうちに何とかしたかった」
……そうか」
 兄弟もまた、俺のことを想ってくれている。もしかしたら主よりも、などと考えれば胸の中がぽわぽわと温まるような感覚がした。やがてぽわぽわした何かが体に収まりきらなくなって、我慢できずに兄弟に抱き着いてしまった。
……
……ん? 兄弟、随分甘えたになったな……?」
……言うな」
 兄弟の体温も霊力も馴染んで心地いい。重い重いと言いながらも抱き着きながら歩くのを許してくれた。
……また、海に行きたい」
「聞いて喜べ兄弟。明日から海の戦場だ」
「本当か」
「勿論! ……せっかくならさ、一緒に出れるように掛け合ってみよう」
「それがいい、な」
 楽しみを見つけてくすくすと小さく笑い合いながら、二人で自室に歩いて行った。

 水槽の夢を見る。
 透明な硝子はどうやら随分遠くにあるらしい。駆けても駆けても遮るものはなかった。
 水槽の中で、踊るように駆け回る。
 どこかに終点はある、でもそれでいいと思えた。
 やがて踊り疲れたら、兄弟の隣に座る。休んで話をして、元気になったら今度は兄弟を連れて、どこまでも歩いていく。

 あの日から、水に濡れて目覚めることはなくなった。