俺の住む家の隣には、今時そうそうお目にかかれないような洋館がある。幽霊が九九九体住んでいそうな雰囲気の、古びているのにどこか美しい館だ。……もっとも、あまりにも雰囲気が陰鬱すぎてそういうプラスの印象は吹き飛んでしまうのだが。越してきた頃何とはなしに眺めていたら友達においソハヤ呪われるぞと冗談交じりに言われた程だ。こういう建物によくいそうな鴉の鳴き声すらもしない。どころかこの一帯には鴉がいない。鴉除けにしても怖すぎる。
で、その洋館の扉が不用心にも開いていた。
(……すげえ嫌な予感する……)
もしかしたら白昼堂々強盗真っ最中かもしれないし、そうでなくても大学帰りにわざわざ近寄る理由なんてなかったが、結局危機感とほんの少しの好奇心に負けた。明日は我が身かもしれないし。
門扉がギィ、と音を立てる。散って風で舞い込んだらしい、褪せた桜の花弁が張り付いた石畳の道を歩き、玄関を覗き込むと。
なんか真っ黒くてでかい塊があった。
「……っ! ……!」
悲鳴を上げなかっただけ褒めてほしい。一呼吸おいてよく見たら全身黒い服の人間だった。マジか。というかこれはもう強盗に遭った後なんじゃないか? 正直手遅れ感が物凄く漂っている。
「…………ぅ、ぐ…………」
……喋った。喋った?
(……生きてる? ラップ音……じゃねえよな)
「え……大丈夫ですかー、おーい」
肩のあたりを揺すると、確かに人の体温があった。第一発見者にはならずに済んだ……いや、この状態だとこのままなるかもしれない。とりあえず息があるなら何とかしなければ。
「……………………はらが、へった」
「は?」
何を言っているんだ? 自分の家で行き倒れる奴があるか。やっぱり強盗じゃないのか。それもかなり生活が悲惨なタイプの。
「……一応確認なんだが、家主だよな?」
「そうだ……身分証明も、できる……」
「なんでそんなになるまで飯食わねえんだよ!!」
「か、買いに行こうとしていたんだ……開けた所で、限界、が」
……俺はなんで初対面の大人を怒鳴りつけてるんだ? ちょっと悲しくなってきた。
「……分かったよ、買ってきてやるから。……あー、アレルギーだけ教えてくれ、あとは俺が勝手に決めるからな」
「ない……」
情けないくらい弱々しい声を背にコンビニへ駆け出した。……見ず知らずの奴にここまでする理由が自分でも分からなかった。
コンビニに行って帰ってきたのにそいつは一切体勢を変えずにぶっ倒れていた。
「生きてるか? 買ってきたぞ。立てるか」
「……すまない、肩を貸してくれ」
「ああ、……重っ」
こいつ、想像以上にでかい。俺の身長を優に超えている。よろよろふらつきながら洋館の中に家主を連れて行った。
玄関から廊下を歩いていき、微妙に片付いていない応接室らしき部屋に入った。ソファに置かれた本をどかして家主を座らせ、コンビニの袋をテーブルに置く。
「水とかゼリーとか雑炊っぽいのとか……食えそうなもんから食えよ」
「ああ……すまんな」
家主はペットボトルの水を一気に一本飲み干してから飲料ゼリーを文字通り十秒で片づけ雑炊だのおにぎりだのうどんだの買ってきたものを全てかっ食らってしまった。三食分くらいあったのに。食いっぷりがあまりに凄まじかったせいで目を離す隙も帰るタイミングも失ってしまった。そういえば飢餓状態でいきなり栄養を摂りすぎると最悪死ぬらしいが大丈夫なのだろうか。
「……そんな急に食ったらやばいんじゃねえか」
「大丈夫だ、多分。そこまで長く腹が減っていた訳じゃない。……ありがとう。死ぬ所だった」
「だろうな……」
そこまで長く、の信憑性が微妙に怪しいが、ひとまず命の危機は脱したのを見て無意識にしていた緊張が解ける。そして自然と家主の顔に目が行き。
(……よく見たら綺麗な顔してんな)
不躾だろうなと頭の隅で思いながらも眺めるのをやめられなかった。すっと鼻筋の通った整った顔もぼさついた暗い灰青の髪も、どこか心惹かれるものがある。さっきまでは気にする余裕がなかったが、低く落ち着いた声も聞いていると心地がいい。
不意に家主が口を開く。
「……そうだ、代金を払っていなかったな。助けてもらったんだ、好きなだけ持っていってくれ」
そう言って家主は懐から財布を出し、無造作に紙幣をばさばさと机に置いた。……見間違いじゃなければ、全部、万札。
「は!? 初対面相手に何してんだよ、金銭感覚どうなってんだ! 戻せって」
「俺なんかを助けてくれたんだからこれでも安いくらいだと思うが。……やっぱりもう少し」
「安くねえよやめろ!!」
十数分の押し問答の末、飯代合計四千円弱のみをきっちり受領した。こんな形で金を貰っても怖いだけだ。
「……あんた見てるとすげえ心配になる」
「……返す言葉がない……」
しゅん、と分かりやすくしょげる。くそ、ちょっと可愛く見えてきた。相手はでかい成人男性なのに。
「誤解しないでほしいんだが、いつも金で解決している訳じゃない。急だったからどう礼をすべきか分からなくなった」
成程、普段からああではないのか。多少は安心した。安心できる所が少なすぎる。
「……俺は小説家をしているんだが、担当にもよく注意される。もう少し体を大事にしろとかな。……言われてもつい書くのに夢中になってしまって、運ばれたことも何度か」
聞いていて頭を抱えそうになる。ここまで人間生活に向いていない奴は初めて見た。こいつを放っておいたら、近いうちにひっそり死んでしまうかもしれない。想像して、嫌に胸がざわついた。
「……なあ、こうして会ったのも何かの縁だし。たまに様子見に来ていいか」
気が付いたらそう提案していた。たまたま倒れてる所に出くわして助けただけの男に、どうしてこんなに親身になってしまっているのだろう。分からない。でも、とにかくこいつから目を離したくなかった。
「……いい、のか」
「近所で死体がー、なんてことになっても嫌だしな」
「そう……だな。よろしく頼む」
ふ、と家主の表情が緩む。……笑えるんだ、とつい思ってしまったのは内緒にしておこう。それにしても笑うと印象が変わる。どこか純粋で、美しい。
……さっきからこの男に対して妙な感情しか抱いていない気がする。出会いがあんまり過ぎてどこか狂ってしまったのかもしれない。正気に戻るべく会話の続きを探した。
「あー……まだ名前言ってなかったな。駿河ソハヤだ。大学生」
「……三池光世という」
三池光世。聞いたことがある。結構売れてる小説家のはずだ。やはりこういう仕事は何かしら変な方向で極まっていないと食っていけないものなのか。それにしたって多少の改善は必要だろう。死んだら元も子もない。
「授業もバイトもあるからいつでもって訳にはいかねえけど、呼べば来ると思ってくれていい。家隣なんだ」
「……ありがたいな。あまり世話にならないように努力はするが、よろしく」
「おう! よろしくな」
少し変わった隣人との交流はこうして始まった。忘れたくても忘れられないこの出会いが大切な記憶になることを知るのは、もう少し先の話。
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