いを
2024-07-07 21:27:24
2109文字
Public 刀神
 

濡れた獣の足音

雪魄桂木刀・伍号。
・ポラリスさん【EN_Hot_water】
お借りしています。

 血液にしては鮮やかな液体だった。
 それがなにか、葡萄酒と呼ばれる神の血というべきなのだろうか。そういうものに見えた。
 外の国では唯一神と呼ばれるその神は、人間になにかを与えているのだろうか。日の元つ国、日本では数え切れないほどの神がいる。その神々も同じだろうか。
 あるいは刀神と呼ばれる神は、生気をもらうために人間に力を貸す。それはそれで対等なのかもしれない。容もさまざまだ。声なき神もいる。声なき人も、いる。ただ折れなければ生きるだけの、命――、命。刀神にははたして「命」というものがあるのだろうか。桂木の答えは「是」だ。
 人間がいるからすべてのものに命がある。いずれくる終わりがあるから生と死があり、命という概念が成立する。
 と、雪魄桂木刀は、思っている。

 三つ編みにまとめた髪の毛がかすかに揺れた。白い外套マントには汚れひとつない。
 足もとに白い皮膚をした腕が見えた。
 人間の命の終わりがそこにあった。
 桂木は直接、人間に手をくださない。ポラリスがその手でくだす。ヒトからヒトへの断罪のように。もっともそれは桂木が考えていることだから、彼女がなにを思っているのかは桂木にも分からない。
 刃佩流、ひいては天照に食われたその人間の処理はおそらく時の流れでなんとなくおこなわれ、なんとなくうやむやになり、そしてなんとなく忘れ去られてゆくのだろう。
 誰からも忘れられることが刃佩流にとって一番都合がいい結末なのだと思う。
 二度と掘り起こされないくらいに、奈落や地獄くらい深い場所に記憶の墓場みたいなものがあるのかなと、外のどこかで蝉が鳴いているビルの中で思った。

 あごからぽたりと雫が落ちる。
 それが黒い足袋に落ちて、布に吸収されてじわりと広がり、消えていった。
「桂木様、暑いですか」
 落ち着いた声が隣から聞こえてくる。
「いや。ああ、でも、そうだな。暑いのかもな」
 ぼんやりとした言葉に、彼女は視線をまっすぐにしたままくちびるを閉じた。
「まあ、夏だしな。暑いのは当たり前だ」
 今思ってもそれ・・が、人間の――いわゆる汗、と呼ばれるものであったのかは分からない。刀神が汗をかくのかも分からない。個体によるのでは、と思うくらいだ。
「夏は暑いし、冬は寒い。それくらいで俺はちょうどいいよ」
 そうですか、というようにポラリスが頷く。
「では、行きましょう」
 外はもったりとまとわりつくような空気が流れていた。街灯がてんてんとついている。すっ、と通りかかった男から似たにおいを感じた。同業者だろう。あの人間の処理をおこないに来たのかもしれない。
 ポラリスの視線は動かない。
 だから桂木も、なにかを言うことはない。
 太陽は沈みかけている。微妙な暗さの空は、夕方と夜の区別を曖昧にした。
 しゃり、という桂木の衣ずれの音と、車が走る音が合い混ぜになって、桂木自身の存在もかき消えそうになる。それでも星があるかぎり、今の桂木は消えない。
「たぶん俺よりお前のほうが暑いはずなんだから、無理はするなよ」
……私のほうが?」
「いや、なんとなく。俺の経験に基づいた結果」
「そうですか。適切に対処していますので大丈夫です」
「ならいいけど」
 ぼりぼりと髪の毛をどかしてうなじを掻く。皮膚片のようなものが落ちたと思ったら、氷だった。異能の使いすぎということではないと思うが、この蒸し暑さに無意識に異能を使っていたのかもしれない。その氷は地面に落ちた瞬間に蒸発して消えた。
 目をこっそりと細める。
 こんなふうに、自分も消えていくのだろうかと考えた。
 ――星が、落ちたら。
 思ってもみないことを思う。
 彼女は強い。とても、強い。今までの主の誰よりも。
 けれどポラリスは人間で、桂木は人間ではないが現世に存在している。
 存在するもののすべては――人間であろうと刀神であろうと、いずれ滅びる決まりになっている。
 それがこの世のルールというものだ。
 今の氷のように。
 そこに意味があるのかないのか。それくらいだ。違いというものは。
「はやく冬になんないかな」
「寒い方が好きですか」
「好きか嫌いかっていったら、そうだな。異能も使いやすい」
 ハハ、と笑ってみせる。テレビでよく最近いっている、熱中症なんていうものに刀神が患うのか分からないが、暑すぎて体――容れ物がおかしくなるのはよくはないだろう。
「俺がうまれたところが寒いところだったからかな」
「そうでしたね」
 桂木が生まれた場所くらい、天照のデータベースにのっていてもおかしくはない。バディならばなおさらだ。
「四季は自然なものだけど、こう極端になっちまったらなぁ。お前たちも大変だよ」
……
 さら、と妙に清らかな風が吹いた、気がした。

 ぜんまいの
 のの字ばかりの
 寂光土

 そういった俳人がいた。
 寂光土というのは仏がいる浄土という意味らしい。
 どちらにせよ今いる場所は浄土なんかではないから、死ぬまで生きるしかない。
 
 奈落や地獄といった場所は、今宵のように暑いのだろうか。