小椋
2024-07-07 00:20:02
3711文字
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【kiis】スウィーティ・スウィーティ

kiis版ワンドロライに参加したもの。
BM所属未来if。恋人なふたりの甘いお話。
第2回目のお題「傘」「ろうそく」「チェリー」をお借りしました。執筆時間は約1.5hです。



 おいしいと評判の日本食レストランを見つけた、この日時にディナーの予約を入れたから、と告げられたのが数か月前。スポンサー関連でどうしても断れない仕事が舞いこんできた、レストランの予約をキャンセルさせてほしい、と実に苦々しげに打ち明けてきたのが一週間前。撮影を伴う取材がトラブルの連続で押していると連絡が届いたのが五時間前。ようやく仕事を終えた後、半ば強制的に参加させられた会食がようやく終わった、いまから帰る、と知らせてきたのが一時間前。Uバーンの遅延に巻きこまれた、とだけ送ってきたのが三十分前。
 ミヒャエル・カイザーらしからぬ弱音が透けて見える文面を眺めながら、それきり音沙汰のないスマートフォンを弄んでいた潔世一は、ふとかすかな雨音を鼓膜で捉えた。ソファから立ち上がって窓の外を窺う。分厚い雲に覆われた夜空から滴る雨粒が、ガラスを伝って幾筋も流れ落ちていく。
 迎えにいくから駅で待ってろ。そうメッセージを送信すると、合鍵とスマートフォンをポケットに差しこんでから、玄関先に置かれていた傘を二本掴んで外に出た。
 徒歩十分の距離を進んでUバーンの駅にたどりつけば、軒下の端に佇むカイザーの姿を見つけた。特徴的な髪をまとめて帽子で包み、淡い色のサングラスでサファイアブルーをくらませ、一度見たら忘れられない青薔薇の刺青タトゥー をフードで覆い隠している。普段なら、そんな変装では誤魔化しきれないほどの存在感を放っているというのに、今夜ばかりは覇気がないせいか夜気に溶けこんでいるように映った。
 ひとまず、メッセージはきちんと届いていたらしい。間に合うかどうかは賭けだったが、運がいいのか悪いのかカイザーは相当なダイヤの乱れに翻弄されたようだ。
 濡れた足音に気づいたいのか、カイザーが顔を上げる。目元がほのかにゆるんだのを認めて、潔はなんともおもはゆい気持ちになった。すくなくとも、迎えにきたのは無駄ではなかったようだ。
「お待たせ」
 目の前で立ち止まって、手にしていた傘を差しだす。いや、と首を振ったカイザーが受け取ったのを確認してから、潔は踵を返して帰路をたどっていった。
 無言のままカイザーの家に到着する。濡れそぼった傘を畳んでから玄関のドアを開けて中に入ったところで、後ろからぎゅうと抱き締められた。
「カイザー?」
 くしゃ、とセロハンが軋む音に、潔は胸元に回されたカイザーの手元を見やる。その右手の中には、一輪の赤い薔薇が収まっていた。
 意図が掴めず首を傾げたものの、ここで問答を重ねるのは悪手だ。とりあえず中に入ろうぜ、と自身を抱き締める手を軽く叩いて促しても、カイザーは一向に離れようとしない。仕方なく、潔はカイザーを背中にくっつけたままリビングルームを目指した。
 電灯に照らされた場所で、潔はそっとカイザーの腕をほどいていく。その最中に薔薇を受け取れば、カイザーがちいさく息をついた気配がした。さすがに観念したのかおとなしく拘束をゆるめたカイザーを、潔は窺うように見上げる。
「これ、どうしたんだよ」
 顔の前に薔薇を差しだせば、カイザーがきゅっと柳眉を寄せた。
「今日で、俺たちが付き合って一年になるだろう」
「え」
 思ってもみなかった言葉に潔は目を丸くする。
 お前、俺のこと好きなの? 好きだって言ったら、どうする? えーと、付き合う、とか? 疑問形かよ。お前だって質問に質問で返しただろうが。
 意をけっして投げかけた問いは、気を抜けばいつもの応酬に行き着いてしまう。そうして脱線しそうになった会話をなんとか軌道修正して、ふたりは恋人同士になったのだ。
 徐々に距離を縮めていって、相性を確かめあいながら、だんだんとそういう関係になっていく。
 どうやらここドイツではそんな流れが自然らしいのだが、経験も知識も乏しい自覚のあった潔は、まどろっこしい順序と段階を踏まずに言葉で互いの意思を教えあうことを選んだ。
 そうしてふたりの関係性に新たな名前を加えたのが、ちょうど一年前の今日であるらしい。正直なところ、潔はすっかり忘れていた。
 もしかして珍しく数か月前から外食の約束を取りつけていたのも、一年の記念日をふたりで祝うためだったのだろうか。
 ていうかカイザーって、そういうの気にするタイプだったんだ。
 恋人の新たな一面を知った潔が驚きを越えて感銘すら覚えていると、カイザーがわざとらしい微笑みを浮かべてみせる。
 間違いない。覚えていなかったことなど、とうに見透かされている。
 そしていま、ここからなにをどう言い繕ったところで、カイザーの不機嫌を加速させる結果にしかならないことは目に見えていた。
 ひとまず、潔はカイザーにシャワーを浴びさせることにした。迎えにいったおかげで駅からは濡れずに済んだものの、長らく外を出歩いていたカイザーの身体は夜気をまとってひんやりとしている。
 お前も一緒に入れ、と要求して憚らないカイザーを、はいはいまた今度な、と適当になだめすかしながらバスルームに押しこんだ。
 水音が聞こえだしたことにほっと息をついた潔は、リビングルームに引き返す。キッチンに足を踏み入れると、いそいそと準備を始めた。
 必要なものを取りそろえて用意が整ったところで、入浴を済ませたカイザーが戻ってくる。テーブルに置かれたものに怪訝な顔をしてみせた恋人を、潔は向かい合う形でテーブルにつくよう促した。
「なんだこれは」
「チェリーパイ(キルシュタッシェン)」
「そりゃ見たらわかる」
 潔とカイザーの前に置いた皿の上には、チェリーパイ(キルシュタッシェン)が一ピースずつ鎮座している。幾重にも折り重ねられて綺麗に焼き上げられたパイ生地の中には、カスタードクリームと大粒のダークチェリーがたっぷりと詰まっているのだそうだ。
「あそこの角にあるお店の新商品なんだって。あー、正確には改良品? すげーおすすめされて、気になったから買ってみた」
「こんな時間から食えって?」
「いいだろ今日くらい。一年の記念日なんだから」
「忘れてたくせにずいぶんと強気ねぇ」
「うるせぇな」
「この、突き刺さってんのは?」
「せっかくだからろうそく立ててみた」
 世一、と溜息とともに名を紡がれて、なんだよ、と唇を尖らせる。
「これ、お前の誕生日のときに買ったやつの余りだろ」
「あ、バレた?」
 悪びれもなく開き直れば、再び溜息を浴びせられる。
 アラビア数字の1を模したろうそくを、どちらのパイにも差してみたのだ。どうせいつかは使うだろうと、多めに買っておいたのが功を奏したといえる。
 ライターでろうそくに火をつけた潔は、いったんリビングルームの照明を落とした。ふっち息を吹きかけて火を消してから、お前もやれよ、とカイザーに催促する。もう一方の火がおざなりに吹き消されたところで、あらためて照度を上げた。
 一周年おめでとう、と拍手をしながら口にすれば、誕生日じゃねぇんだぞ、と苦言を呈される。
 潔は皿に添えていたフォークを手に取ると、自分のではなくカイザーのパイにその先端を差しこんだ。目を丸くするカイザーをそのままに、切り分けたひとかけらを口元に運んでやる。
「ん」
 押し当てる勢いで近づければ、ようやく唇が開かれた。そのまま食べさせてやると、カイザーはおとなしく咀嚼をはじめる。
「ど? おいしい?」
――甘いな」
「ええ? お店の人は、甘酸っぱくておいしいって言ってたんだけどな」
 自分でも食べてみようとしたところで、ずいと視界に向かい側から手が割りこんでくる。いつの間にかフォークを手にしていたらしいカイザーによって、さきほど潔がしたようにパイを切りわけられた。
「ほら」
 促されるままに口を開ける。
 もしかしなくてもずいぶんと恥ずかしいことをしているのでは、といまさら気づいても手遅れだ。ことさらにゆっくりと噛み締めているうちに、頬が熱を帯びていくのがわかる。
――確かに、甘い、かも」
「だろ?」
 ちらりと窺った先で、サファイアブルーがやわらかく細められている。愛おしくてたまらない、と訴えかけるようなまなざしに、潔は二の句が継げなくなった。
「なぁ、世一」
 味を占めたらしいカイザーが、にやにやと意地の悪い笑みを隠しもせずに自身の唇を指し示してみせる。とん、とん、と指を押し当てて、ふたくちめを催促してきた。
 今度はからかうような煌めきを宿す双眸を、潔はきっと見据えてやる。どうせ羞恥に負けた潔が匙を投げることを期待しているのだろうが、そう簡単に思い通りになってたまるものか。
 前々から約束していたディナーを味わえない代わりに甘いものくらい一緒に食べたくて、わざわざ用意しておいたものなのだから。
 図らずもふさわしい口実が得られたのをいいことに、潔は次のひとくちをカイザーに切り分けてやる。
 これからもよろしく。そんな願いにも似た思いを込めた大きなひとかけらを、潔はカイザーへ嬉々として差しだした。


小椋@OgrYtk