米田
2024-05-27 06:10:50
3363文字
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歌会カーケンメテオル 米田の読み

2024年5月26日に行われた歌会カーケンメテオルでの、各首についての米田の読みです。

①ぬかるみにとられるものはそのままに麦穂の束が小雨を撫でる

小雨が麦穂を撫でるのではなく、麦穂が小雨を撫でるというところに、詠まれている人の能動性みたいなものが出ているような気がします。
ぬかるみにとられるものはそのままに、という部分だけだと少し冷たいような感じがするのですが、後半があることによってなんだか暖かな印象になっているのが不思議ですね。
自ら行動していくところ、ぬかるみにとられていった人々がいて、それを助けられなかったこと、まっすぐに長く伸びる麦の穂のように豊かに育ち、雨を優しく撫でること。
レノックスの歌かなあと思いましたが、あまり自信はありません。


③手の中の獣に餌を餞を手向けを(いつか喰い殺してよ)

リズムがすごく良くて獣に餌を餞を手向けを、って言い募るように言葉を重ねていって、比較的具体性のある言葉が続いたあとに、「いつか」という抽象的な言葉に繋がるのも良くて。
それで最後が「喰い殺してよ」なのが、なんかすごくグッと来るというか、この歌に詠まれている人にとっての重要性というか、願いの強さみたいなのが表れているような気がして、すごい語の並びだなと思います。
これは違うかもしれないですが、オーエンの歌かなと思いました。オーエンからカインに向けた歌。オーエンは、手のひらの中でカインというまだまだ若い逸材を育てていると言えるかもしれなくて、それでその人が最後に自分のことをぺろっと食べてしまっても構わない、これは本人が自覚していないと思うのですが、心のどこかではそう思っている。そういう風に育てたことを、どこか誇りに思っている。そういう歌かなと思いました。



④最後のさえずり一滴フェルマータ落ちる一滴すべてをゆるす

水が落ちる時の、水面もしくは地面に着地する瞬間のスローモーション、が見えるような気がする歌だなと思いました。
最後の、という語が、さえずりにもかかっているし一滴の水にもかかっているのかなと最初思ったんですが、一滴が二回出て来ていることから水は断続的に落ちて来ているのかもしれないですね。
フェルマータという語のチョイスがすごくよくて、音楽用語で音符や休符を伸ばす時に使われるんですけど、それがスローモーションみたいに感じるんですが、この語によって、この歌全体がスローモーションのように聴こえる効果があるような気がします。
表面張力で保っている水面に最後の一滴が落ちてくる、その瞬間を見ているような気持ちになって、すべてをゆるす、と言っているんですがすごく緊張感のある歌だと感じました。
すべてをゆるす、という最後の句もよくて、すべてをゆるす、ってずるくないですか。
ずるいっていうか、本当に許しているのかどうか、わかってもわからなくても、なんかその人のことがちょっと怖くなってしまうと言いますか。
でもこういうところに鷹揚なキャラっぽさが出ていて、鳥や音楽の要素から、ラスティカの歌かな、と思いました。



⑤雪靴を出す前にもう春が来る街を今年も寒いだなんて

寒いだなんて、というところは、この程度の寒さを寒いと言うなんて自分もすっかりここに慣れたな、みたいなことなのかなと思って、これは冬の雪の寒さを知っている人の歌なんだなと思いました。
ネロかフィガロだと思ったのですが、街、と都会の方の街の表記になっているので、東の国に住んでいた頃のネロの歌なのではないかなと思います。
冬の厳しさを知っている、だからこそ自分は今まで生きてこられたと思っている、だけどそんな自分も、雪靴すら出さないで済むような温かいこの国の冬に慣れて、寒いだなんて言っている、それがなんだか寂しいような嬉しいような、そして少しおかしく思う。
そんな少しの自虐がある、この少し温かくて寒いこの国のことが好きな人の歌、として読みました。



⑥満ち欠けのたびに生まれる横顔に焦がれるように緞帳に火を

全体で見ると、舞台のイメージ、ステージの様子が浮かんでくるような歌だなと思いました。
まず、満ち欠け、という、最初の句で月のことだな、とわかる語のチョイスがすごくいいです。その上で、月の満ち欠けによって生まれる月の月齢、三日月のことを横顔と表現しているのもおしゃれで素敵だなと思います。
そして焦がれるように、が来た時、すごくドキッとすると言いますか、ムルだなあ、と嬉しくなるんですが、次の瞬間には、緞帳に火を放っているわけですよ。
すごく、一連の流れがセンセーショナルと言いますか、ハッとする作りになっていて、私は個人的にすごくドキドキしたんですけど。
愛しいのに火をつけちゃうの?という驚きもあるんですが、これは、愛しいからこそ、燃え上がるような恋のように火が付いた、と読むべきなのかなと思います。
たしかにムルって月に対して情熱的で、魂が砕けるくらい惹かれていて最終的に破滅するくらい入れ込んでいた彼のステージが燃え上がって崩れていくような光景が思い浮かびました。



⑦はじまりの遠さはそれほどでもなくてたとえば舟から生まれてもいい

歌の簡潔さ、それと反比例する哲学性、断定の語から来る強い人だなという予感があって、これはミスラさんの歌じゃないかなと思いました。
北の人って、親が誰でも関係なかった、みたいな人が多いなと思っているんですけど、ミスラさんってその中の最たるものかもしれなくて、ミスラさんは多分本当の親との記憶がほとんどなくて、だからこの歌の後半の「たとえば舟から生まれてもいい」になるんだと思うんですけど、それって強さがなければできない生き方だとも思っていて。でも強い人が強い人であるからこそ言える理屈を、弱い人に向けて言うのって残酷であるようで、でも希望があるのかもしれなくて。
道を教えてあげるというか、こういう生き方だってなんだってできますよ、って言ってる風に聞こえるというか。ミスラさんがミチルにそう言っている歌なんじゃないかと思いました。
すごく励みになる歌だなと思います。


⑧讐(あだ)あまたあきらめてこそ常軌なれその跡形に咲く金銀花(すひかづら)

誰の歌かっていうのが絞れなかったんですけど、北っぽい歌だなと思います。
あと言葉の選び方がいい感じに堅くて、古式ゆかしい感じがしてかっこいいです。
常軌なれも、跡形もかっこいい。
でも常軌に軌道の軌が入っているし跡形って銃槍のことかなと思うのでブラッドリーの歌なんでしょうか。確信は持てませんが、とにかく音としても文字としてもかっこよくて見惚れるような歌です。







自作
②砕かれて減る石でなく月ならば欠ける時でさえ影は満ちるため

ムルは月のどんなところに魅力を感じていたんだろう?と思って、それの答えを探そうとしたのがこの歌です。
マナ石に限らず宝石も石も、年月を経るごとに使われたり研磨されたりして砕かれて小さくなっていく、でも月は見た目上は欠けても、それは影を落としているだけで、本当はいつだってまんまるのままの星で。
多分この「欠けて満ちる」ことの繰り返しで時を刻んでいる、というところがすごく魅力的に見えたんじゃないかと思ったんですね。
いわば、少しの羨ましさというか、憧れというか。憧れているんじゃないかと思ったんですよ。
欠けても満ちることができる、もしくは欠けてもそれは欠けていない、みたいなところ。
完璧性、完全性、もしくは欠けるという欠損すらも正しいということ。
それを、ムルとしては受け入れて、愛したかったんじゃないかと。だからムルは月に恋をしているんじゃないか。
月と人は地続きで、ムルは人を愛するように月を愛して、欠けて満ちる様を観測し続けている。
そしてそれが本編のムルの処遇に対しても反映されていると思っていて、彼は実際に魂が砕けて欠けて、現状それが厄災の傷であり、欠損のような感じになっている。でもそれは欠点ではなくて、それすらも彼の個性であるということ。
ムルの考えというよりは私の願望みたいな感じになってしまいましたが、そうであったらいいな、と思っています。



歌会、とっても楽しかったです!参加者の皆様、ありがとうございました!