国境近くの街は、独特の混沌が漂っている。周辺諸国を渡り歩く商人、故郷での暮らしに嫌気がさした流浪人、先の戦禍で一切を失い流れ着いた者、そういった弱者を狙うならず者。それを取り締まるべく巡警する、街の警護隊。種々雑多な人々が行き交うこの街は本来この地に招かれざる者達にとっても、紛れやすかった。
大通りから離れた薄暗い裏路地に入り、奥に佇む古びた扉を開ける。現れたのは地下へと続く階段で、それはぎしぎしと軋む音をさせた。降りきれば再び扉があり、それは入り口の扉と違って朱で塗られた異国の装いだった。
獅子の頭を模した取っ手を握りゆっくりと開ければ、内部も朱と金を中心とした華美な調度品を揃えており、近隣の国でよく見るそれに近い趣である。中では如何にも訳ありといった雰囲気を纏わせた者達が杯を交わしている。扉が開き鳴り響いた小さい鐘の音に彼らは一瞬こちらへと視線を向けたがすぐに興味を無くし、連れとの会話に戻っていった。
ざっと見渡して店内の隅に空いた小さいテーブルを見つけ、丁度いいとそこに座る。
「注文」
やってきた給仕の女がぶっきらぼうに聞いてきた。
「清酒はありますか」
向かいに腰掛けた月香が丁寧に問いかける。食に関することは彼に任せておけばいい。
「ない。あるのは黄酒、白酒、葡萄酒、甜酒……でも珍しいもの、ある。花を入れた酒」
彼女が話す言葉はこの国の言葉ではあるものの、東方の国特有の訛りが強い。
では甜酒とその花酒を。肴は――と月香が注文する傍らで、桜花は店内の喧噪に耳を傾けていた。
「また国境の締め付けが酷くなるらしい。東の国の者は特にだ。見つかったら問答無用でしょっぴかれるらしいぞ」
「おいおい何度目だ? そんなに御上は東の国が怖いのかよ」
「しょうがねえさ、あの国は技術が進んでいるし、考え方もここでは中々受け付けられねぇもんだろうぜ」
「は、ちげえねぇ。しっかし、そのせいで俺らも“仕事”がやりにくいのは、なあ」
ここの言葉ではない、自分達にとってはもっと馴染みのある言葉で交わされている。
こういった会話はたいてい、周りには言葉が分からないであろうとあけすけになるものだ。
「やはりよ、礼の『教会』か?」
一人が発した言葉に、密かに桜花は目を細めた。目の前の月香は何ごともないかのように振る舞っている。
「そうらしい。同胞の何人かが目をつけられてる」
「は、神の代理人なんて聞こえの良いことを言っちゃいるがどうだか……まあ何にせよ近づくのは勘弁願いたいね」
ことり、と杯と皿が目の前に置かれた。それもやはり東方の様式の、馴染みのある意匠である。杯にはそれぞれ酒が、器には挽き肉を小麦の皮で包んだもの――水餃子を入れた汁物が満たされ、皿には鶏を蒸して甘辛いタレを掛けたものが盛り付けられている。香辛料の匂いに食欲をそそられつつ、さて、と桜花が手を合わせ、箸をとる。しかしそれを制止したのは月香だった。
「待ってください」
その言葉にまたか、とうんざりした顔で桜花が渋々と頷けば月香の箸が水餃子を摘まみ、自らの皿へと運んでいく。
そのまま湯気をたてているそれを、ふうふうと冷まし一口食べた。むっちりとした皮が破れ、肉汁がじわりと口に広がるのを感じて月香の色素の薄い色をした目がとろりと蕩けた。そのまま咀嚼し、飲み込む。それから蒸し鶏を一口――。
「おい」
「はい、どうぞ。美味しいですよ」
「……」
月香曰く、こんな場末の酒場だろうと、毒味は必要だという。大体の場合は第一の側近である彼がその御役目を担っている。
「毎回思うんだがよ」
「はい?」
月香が取り分けた水餃子の汁物と蒸し鶏を眺めながら桜花が箸をとり、ぼやく。
「毒味…………いるのか?」
「当たり前です」
ご自分の立場を自覚なさってください、と側近がぴしゃりと言うのを聞き流しながら、蒸し鶏を一口囓る。蒸して柔らかくなった鳥肉に甘辛いタレが絡んで、美味い。
「……あいつらにも持って帰ってやるか」
「ええ、そうですね。あの、すみません。蒸し鶏を二人前ほど持ち帰りたいのですが……」
丁度席を通った給仕に声をかけ、注文する。あい、と応えて立ち去っていく彼女の傍ら、食事を続けた。
「この街で一泊、早朝に出て北部地域に向かう、だったか?」
「はい、僕達の協力者よりそこで先に待っていると知らせがありました。ここから四日か五日、途中で大きな森を抜けなければいけません。ただ……」
「……ただ?」
二杯目の花酒を飲み、月香は軽く眉を寄せる。
「少し難所のようです。よく鬼が出るとか」
「ほう?」
鬼、という単語に桜花が軽く身を乗り出す。鬼――この国では悪魔と呼ばれる異形の者達。
人を誑かし、喰らう存在に道中出くわすのは確かに厄介だ。
「恐らく距離からみて森で一夜を過ごすのは避けられないでしょう。季蝶と陽風にはしっかり準備するように伝えています」
「いっそのこと俺達がその鬼を潰してやるってのはどうだ。ここの鬼がどの程度のもんなのかを知れるいい機会じゃねえか」
クク、と桜花が喉で笑いながら酒をちびりと嘗める。その言葉に大真面目な顔で月香が首を振った。
「いけませんよ、あまり目立ったことをしては」
「へいへい」
桜花の窘める声に曖昧に頷くと同時、入り口の小鐘が揺れた。入ってきたのは、くしゃりとした象牙色の髪に一房の蒼色を垂らした青年だ。
「こんにちはぁ」
「おう、銀。いつものやつでいいか」
「うん、いつも通り二人分ね」
カウンター席に腰掛けた青年はこの店のルーツと同じ国の民族衣装を身に纏っている。左右で色の違うレンズをつけた色眼鏡の奥にある瞳は眠たげだ。手の空いた給仕の女と一言、二言と言葉を交わしてからふわ、と小さく欠伸をする姿を見るに、どうやら常連客のようだ。
「おい」
場末の酒場に似合わぬ年頃の彼を観察していると、不意に声をかけられた。この国にはまだ知り合いという知り合いはいないはずだが、とそちらに視線をやればやはり見知らぬ男が五人ほど、席を囲もうと歩み寄ってきた。
「なんだお前ら」
桜花が目を細めて五人を眺める。明らかに友好的ではなさそうな彼らの様子に、表情は動かさなかったものの月香もいつでも動けるといった気配だった。
「てめぇら、この国のモンじゃねえな」
「……この町じゃあ珍しいことでもねえだろ?」
この国の言葉で桜花が答える。男達のうちの一人が嫌悪を隠さず舌打ちをした。ただならぬ様子を他の客も感じ取ったのか店内がざわつき始める。
「てめえらがさっき喋っていた言葉、東の国のだろ。何しにきやがった? 今はあの国のモンはあまり歓迎されてねえのを知らねえのか? あぁ?」
「……商売だよ。どうりで町の空気が良くねえと思ったらそういう事か。ここはまだ美味い酒が飲めるようだが……で、お前らは何が言いたい?」
「桜花」
挑発する桜花を月香も一応は窘めるがどこか本気ではない。どう転んでも荒事は避けられないことを悟っているからだろう。
「つまりだ……お前らを警護隊連中に渡しゃあ、オレ達が美味い酒を飲めるってことだよ!」
男の怒鳴り声と共に連れ立っていた仲間が二人、
椅子から動こうともしないよそ者にそれぞれ殴りかかった。
カン、と勢いよく杯を置き、つい先ほどまで蒸し鶏が盛り付けられていた皿を引っ掴む。それに微量の巫を流し込み、目の前に翳せばぐしゃりと何かが砕けた音と共に、桜花に殴りかかった男は拳を押さえて悶絶した。男の拳を受け止めた皿は傷一つすらついていない。隣に座っていた筈の月香も、襲ってきた男を音も無く組み敷き、その首筋に暗器を添えていた。
「あー、悪い、聞こえなかった。俺達をどうするって?」
金色の目を冷ややかにさせ、桜花が足下で悶える男を見下ろす。その様子に残る三人は怯んだのか、低く呻いている。
「喧嘩なら外でやれ!」
「うるせえ!」
どこかの席から飛んできた野次に吠え立て、男達は三人がかりでならといきり立つ。その様子に桜花は小さく息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
「お騒がせして申し訳ありません。こちらはほんのお詫びです。それと店の皆様にお酒を振る舞ってさしあげてください」
月香が困ったように微笑み、店主に革袋を差し出す。ずしりと重たいそれを受け取れば、店のあるじは頷いた。
つい先程までの乱闘騒ぎはすっかり忘れ去られたように、店内は平和な賑わいを取り戻している。店主に命じられた給仕が客に上等な酒を振る舞いだしていっそ僥倖と喜んでいるようだ。 喧嘩を売ってきた男達は店の端で伸びている。しばらくはそのままだろうが、彼らが目覚める前に退散すべきだろう。
「おにーさんたち、強いね」
支払いをしている月香の傍らで佇んでいた桜花に、カウンターから柔らかい声が呼びかけてくる。
あの象牙色の髪の青年が緩く、微笑んでいた。
「まあな。騒がしくして悪かった」
「ううん、見てて楽しかったよ。……おにーさんたちは本当に東の国の人?」
色眼鏡の奥の瞳がすっと細められる。曖昧に濁せば、再び扉の小鐘が揺れて鳴った。
「あ、金」
「おまたせ!」
入り口からやってきた、自らとよく似た姿に青年が手を振る。
どこか儚げな印象の青年とは正反対の、賑やかな片割れが隣に座ったのに笑って、それから再び桜花を見やった。
「最近物騒だから気をつけなよ?」
「……ご忠告どうも」
支払いを終えて去って行った二人の男の背中を見送りながら、振る舞われたシードルを一口飲む。
店主が気を利かせて二杯分用意してくれたものだ。
「なんかあったの?」
金と呼ばれた片割れが春巻きを箸で摘まむ。
「ちょっと面白いこと。金もすこしだけ遅かったね」
「えー、なんだよそれ!」
くすくすと銀が肩を揺らす。あのね、と内緒話をするように肩を寄せて、つい先程見たものを語り出したのだった。
国境近くの町は混沌で溢れていて、油断すれば足下を掬われる。しかしこの双子にとってはそれが何よりの糧であった。
*
夜は、人間の為の時間では無い。
獣がねぐらから這い出でる時間、人の道を外したものが笑う時間。人でも獣でもならざる、闇に跋扈する鬼の時間。
不用心に一歩踏み出せば、たちまち餌食になる。暗闇から手を掴まれ、引きずり込まれるのだ。
そういったもの達を故郷でも幾度となく見てきた。そこに貴賤の差はなく、迂闊なもの、運のないものから鬼はその腕を掴む。故に恐れられ、時には崇め奉られるのだ。
「桜花、そろそろ」
「ああ、ここいらで止まるぞ。分かってはいたが……集落にたどり着けなかったのは惜しいな」
季蝶が桜花の言葉に頷き、ブレーキをかける。そして抜けるに至らなかった深い森、永遠に続くかと錯覚するほどの木々を見上げた。
「やれやれ、本当に一日中走っても抜けられないなんてね」
「ええ、まったくです。さ、野営の準備をしますよ、陽風」
後部座席に座っていた陽風も頷き、扉を開けて外に出る。ほうほうと梟の鳴く声を聞きながら、周囲を見渡した。
停まった場所は少しばかり開けていて、野営にはもってこいだ。
「僕は少し離れた所にこれを停めてくるよ」
三人と荷が下りたのを確認した季蝶が告げ、エンジン音と共に愛車と茂みの奥に消える。車から出した野営道具を広げ、陽風が準備をしだした。月香も、開けたその場所を、なにやら唱えながらぐるりと一周回る。いつもの魔除けの儀式である。
巫の力を使い、鬼が近寄らないようにするのだ。
「桜花、こちらへ」
月香が組み立てた腰掛けに桜花を誘う。旅を始めた時から、月香はそうしている。桜花が今はそういった、位うんぬんを意識しなくてもいい、と苦い顔をしてもこの懐刀の男は頑なに首を横に振るのだった。
とは言っても。
「火をつけて米を炊きます。番は頼みましたよ」
ちゃっかりと炊飯の番を主君に押しつけるのがこの男である。いつものことと頷き、火にかけられた飯盒を眺めていると。
「なあ、猪がいたぜ」
陽風が大きな猪を引きずってきた。こんなにも大きな猪、どうやって全て食べるのですかと月香が困り果てた声を出す。
いいじゃねえか、と桜花は笑った。
火を囲んで食事を取る。
余った米は握り飯にした。丁度五つ。明日の道中の飯になるだろう。炙った猪の肉の余りはどうするか、明日の取り分にしても余りある。そんなことを考えていると。
「……静かに」
季蝶の声が低く、鋭くなれば四人にさっと緊張が走った。陽風も武器を手に、目を細める。月香と桜花の顔色は変わらない。
季蝶の視線の先で、茂みが揺れた。
「ラジエル! 待て!」
「こらサマエル! 押すなって!」
「だ、だめです……!」
「落ち着いてみんな、こういう時は慎重に……」
ガサガサと派手な音と共に現れたのは、五人の子どもだった。橙色の髪をした少年を一番下に、重なりあうように倒れている。金髪の少年は巻き込まれるのを免れたのか、傍らで四人が倒れている様を困惑したように見つめている。
「ぐえ……重……」
「ご、ごめん! サマエル、ハニエル、どいてくれ!」
「ごめんなさい!」
「悪い、すぐに……!」
「あ……」
こちらに気づいた金髪の少年に季蝶が暗器を向ける。陽風も、同じく四人にそれを向けていた。
「動くな」
「ひゃっ」
リラ色の髪をした少年が顔を青ざめさせる。その下にいるベレンスの短い髪をさせた青年も、ムーングレイの髪を結った青年も目の前の人間の様子をみとめ、さっと顔色を変えた。
「つぶれる……」
未だに顔をあげることの出来ない橙色の髪の少年だけが事態を把握出来ずに、呻いている。
「季蝶、陽風」
「……両手をあげて、ゆっくりと立つんだ。何かをしようとすれば……分かっているね」
低い季蝶の声に金髪の少年が頷く。サマエル、ハニエル、ザドギエル、ラジエル、と四人に呼びかければまず三人が手を上げ、ゆっくりと立ち上がった。
「なんだってんだよ……!」
「ラジエル!」
少し不服そうな橙色の髪の少年がぶつくさと顔をあげれば、金髪の少年の声が飛ぶ。すぐにただならぬ気配を察し、そして目の前で刃物を突きつける者の姿を見れば黙って両手をあげた。
まずいといった顔で、五人が横一列に並ぶ。
「なんだ、お前ら」
桜花が口を開き、問いかける。
人の姿だが、この国ではそれが人であるという証左にはならない。更に言えば人であり、子どもであっても無害であるという証左には、ならない。
それにどこか違和感があった。いやに落ち着いている。
このくらいの年端の子どもなら武器を突きつけられれば命乞いをしながら泣き喚くなり、恐怖に駆られて逆に見境なく反撃に出たりしてもおかしくない。
……そういった芝居を打つこともせず、自分たちが置かれている状況を理解して、振る舞っている。
「……オレ達は神学校の生徒です。巡礼の旅をしています」
金髪の少年が落ち着いた声で答える。どこか余裕さえ見えるその様子に桜花が目を細め、口の端を上げた。
「ほう、ガキのみでか」
「はい、そういった修練ですから」
「巡礼の旅、にしちゃあ物々しげだ。お前は剣を四本も佩いてやがるし、そこのでかいのは殺気が隠し切れてねえ」
桜花の指がす、と一番背の高い青年を指差す。
その指摘にも反論せず、青年は沈黙を貫いていたが、その青い目は冷ややかに桜花を睨み付けている。
「……残念なことですがこの国はまだ荒れています。神学校の者でもいくらかの護身はしますよ。……ご存じないということは他の国から来た方ですか?」
金髪の少年の、飴色の双眸が細められる。
彼らが鬼の類いではないとしても、神学校、つまり『教会』の関係者ということは迂闊に情報を出すことは出来ない。
「……そうだな、行商人ってやつだ。神学校のボンボンどもは見たことがないか?」
沈黙が降りる。これ以上、互いの腹の内を明かそうとはしないようだった。五人を見据えどうすべきか、瞑目すれば――。
ぐう、と誰かの腹が鳴った。
「……ラジエル」
「だってさぁ、しょうがねえじゃん! 腹減ったんだし!」
ベレンスの髪の少年の盛大な舌打ちに反論するように、ラジエルと呼ばれた橙色の髪の少年が情けない声を出す。
張り詰めていた空気が一気に緩めばもう一度、くるる、と誰かの腹が鳴った。
「……す、すみません」
恥ずかしそうにリラ色の髪の少年が涙声で謝罪する。隣に立っていた銀髪の青年は殺気を潜め、心配げに彼を見やった。
武器を向ける手は下ろさないものの、陽風がちらりと桜花を見やる。同志が見せたどこか気の毒そうな表情についに桜花はため息を吐いた。
「なんだお前ら、腹減ってんのか?」
*
「なにこれ」
「おむすび、というものです。初めて見ましたか?」
目の前に差し出された、丸く白い塊を見つめ、ラジエルがオムスビ、と鸚鵡返しする。一人一個ずつ、手渡されたそれを、少年達は訝しげに眺めている。見た目は白パンに近いが、それは沢山の艶やかな白い穀物の粒が集まってできていた。
初めて見る食べ物に警戒をしているのが見て取れて、月香はくすりと笑う。
「コメという穀物を炊いて出来たものを手で丸くして食べやすくしたものです。おいしいですよ」
「ふーん、どれどれ……」
ラジエルが手の内の握り飯を一口囓る。リラ色の髪をした少年がラジエル、とか細い声を上げたが構わずに噛みしめ、咀嚼した。穀物のほのかな甘みに、保存と味付けのために軽く振りかけられたのだろう僅かな塩の味が合わさっている。毒の味もしない。もう一口、無言で齧りつく。
「猪肉を炙ったものもありますよ。一緒にどうぞ」
陽風が焚き火で軽く炙り直した肉を持ってきたのを見て、月香が促す。一口大に切られたそれを食べれば、先程まで悲鳴をあげていた腹が満たされていく心地がした。
「……食べねえの?」
唇についた肉の脂をぺろりと舐めて、ラジエルが食べ物に手をつけない四人を見やる。
その言葉に金髪の少年が頷き、手に持ったそれを一口囓った。そしてそれを見た銀髪の青年が、ベレンスの髪の少年が、暫く悩んだ後リラ色の髪の少年が、手の内の食べ物を食みだす。
それからは早かった。
全員、腹をすかせきっていたらしい。一人一個ずつ手渡された握り飯と、つい先程まで余らせたと悩んでいた猪の炙り肉はみるみるうちに消えていった。
「これなら俺にも作れる気がする」
「やめとけってサマエル、お前ポリッジも作れないだろ」
ベレンスの髪――サマエルと呼ばれた少年が大真面目な顔で呟いたのを聞いたラジエルが盛大にため息を吐く。
「ぽりっじって、乳に麦を入れて煮立てたものだろう? 失敗することってあるのかい?」
「あれは……少し火加減を間違えただけだ」
「火加減を間違えただけじゃ紫色にならねえんだけど?」
「……紫?」
ラジエルとサマエルの会話に季蝶が加わっている。
一見無愛想に見えた少年も、今は警戒を解いて料理に関して熱弁しているのを見ると年相応に思えた。
その隣では銀髪の青年とリラ色の髪の少年が話していた。
「ハニエルは腹一杯になった?」
「は、はい、ザドギエルさん……おいしかった、です……あの、さっきはお腹が鳴っちゃって……すみません……」
銀髪の青年――ザドギエルがリラ色の髪の少年、ハニエルを気遣うように声をかければ、ハニエルがこくりと頷く。相変わらず不安げな表情のまま謝る仲間に笑って、ザドギエルが頭を撫でれば、陽風が二人の目の前に腰を下ろした。
「食ったか」
「ああ、美味しかったよ。ありがとう」
「よかった」
陽風はまだこの国の言葉に慣れていない。それを感じ取ったのかザドギエルもややゆっくりめに話しているようだった。その隣のハニエルは、はっと息を飲み ヴェールを目深い位置に引っ張りそしてつい、と顔を逸らした。それを見て陽風が眉を寄せる。
「お前は……美味しく、なかったか」
「あ、えっと……そんなこと……」
陽風の問いに小さく首を振り、俯いてしまったハニエルを見やり、ザドギエルがああ、と助け船を出す。
「彼は人見知りなんだ。許してあげてくれ。……さっき美味しかったって言っていたよ。腹も減っていたしね」
「そうか。すまない。怖がらせた」
無礼をした、と陽風が頭を下げる姿をハニエルがちら、と視線をあげて見つめたが、陽風が顔を上げると同時に再び目を逸らす。その様子に自分がいては休めないかと陽風が腰を上げた。
「あ、あの……」
先程よりは大きな声でハニエルが呼び止める。首を傾げて陽風が動きを止めれば、少し逡巡した後。
「ありがとうございます、その、美味しかったです……」
俯いたままだったがそう告げられて、陽風が笑う。それから座り直し、二人に向き直った。
「もう少し、いいか? お前達の……言葉の練習、したい」
陽風が再び二人と話し出したのを見たのち、桜花がちらりと隣に座る金髪を見やる。握り飯や炙った肉を食べる所作はよく言えば品があり、意地の悪い見方をすれば隙がなかった。
「サンダルフォン、と言ったか」
飯を食べ終わり、桜花と同じように仲間を眺めていたサンダルフォンに声をかける。
なんでしょう、と柔らかい笑みを湛えて少年が首を傾げれば桜花はふん、と鼻を鳴らし月香が淹れた茶を一口飲んだ。
「結局、お前達は何者だ?」
「……神学校の者であるのは嘘ではありませんよ。これ以上はご容赦を。……ただの行商人である貴方がたの敵ではないことは確かです」
「ふん、飯をくれてやったのにつれねえな」
「感謝しています、ただ……お互いにそうである方が良い気はしませんか」
「違いねえ。物わかりがよくて助かるよ、お坊ちゃん」
桜花が笑えば、木々の向こうからヒョー、ヒョーと不気味な、鳴き声のようなものが聞こえてきた。
「げっ」
ラジエルが小さく呻くと同時に、ザドギエルが傍らの剣を掴む。季蝶や陽風もその様子に身構えた。
「皆、落ち着くんだ」
サンダルフォンの凜とした声が仲間を制止する。桜花も目で二人を制せば、すぐに頷く。
「なんだ、この音」
「……おそらく、夜鳥の鳴き声でしょう」
「へえ、あいつは鳥の声にビビったってわけか」
「野盗がよく使う合図がそれに近いのです。この国で旅をしていると、どうしても警戒心が勝ってしまいますから」
サンダルフォンがそう答えると、へへ、と恥じらうようにラジエルが頭を掻く。ふうん、とどこか腑に落ちずにいれば、鳴き声が止まり、再び静寂が訪れる。暫く話し込んでいればさて、とサンダルフォンが桜花に向き直り、微笑んだ。
「食料を分けていただいたお礼と言っては何ですが、今夜の見張りをオレ達に任せていただけませんか。慣れない国の野宿では中々疲れもとれないでしょう。貴方がたがよければ」
そう提案をするサンダルフォンを桜花が見定めるようにじっと見つめる。本来ならば断る所だが。
「なら、お言葉に甘えるとするか。朝まで火は絶やすな、何かあればすぐに起こせ。おい、休むぞ、お前ら」
腰を上げながら桜花が三人を促す。季蝶と陽風が顔を見合わせたが、何か考えがあるのだろうと頷き、おやすみ、と少年達に告げてテントに入る。もう一つのテントに入った桜花に、月香がそっと耳打ちをした。
「いいのですか」
「いい。俺が決めたことだ。ただ月香、一つ頼まれろ」
月香の小さなため息が暗闇に落ちた。
*
「悪魔かい」
声を落としてサンダルフォンがラジエルに問えば仲間が頷く。そう、と小さく頷き返して、他の三人を見た。ラジエルほどではないにせよ、皆、気配を探っているようだ。
「弱くだが加護の力をこの周囲に巡らせている。皆、彼らが寝付くまで少し待つんだ。動くのはそれから、いいね」
サンダルフォンの言葉に、声無く応える。
小さくはぜる火の粉の音を聞きながら、五人は静かにその時を待った。
――夜が更けていく。
ラジエルが目を瞑り、“視る”。
瞬く間に、この野営近辺の状況が脳裏に浮かんできた。獣除けの焚き火の灯りが届かない木々の向こうまでつまびらかに。
「――いる」
野営から然程遠くない場所、開けた獣道にそれらはいた。こちらをぐるりと囲むように悪魔たちがいる。奇妙なのはそれらはまるで行進のように列をなしていることだ。まるで、この野営に立ち入れずにいるのを口惜しいと言いたげに。
「詳しく教えてくれるかい」
「……ちょっと待ってて」
集中し、悪魔の行列を注視する。
木々よりも大きな骸骨が乾いた音をたてて、四つん這いに這っている。空洞である筈の眼窩には赤い光が瞬き獲物を探し求めているようだった。
次に続くのは蛇の尾を持つ虎で、しかしその頭は赤ら顔の猿である。それがヒョー、ヒョーと不気味な、風のすさぶような音で鳴いていて、先程聞こえた音はこれらしい。
その後ろでは、牛の頭を持つ蜘蛛がごそごそと足を蠢かせながら、黄色い目を暗闇でぎょろつかせている。
そういった巨大な悪魔の足下では、鼠、野犬、鼬の頭を持った小さな悪魔が、火をつけた葦を持ってちょろちょろと走り回っていた。
「大きい骸骨に……マンティコアみたいなのと、でかい蜘蛛と、あと小型が何匹か。――ぶっちゃけ、見たこと無いやつだ」
軽い頭痛に顔を顰めつつラジエルがどうする? と問いかける。返ってくる答えは一つだろうけれどといった視線を、サンダルフォンに向けた。
「主の御名において討伐する……彼らは眠っているかい?」
「はい、ぐっすりです」
テントの中を軽く窺ったハニエルが頷き、ザドギエルが懐から血の入ったカートリッジを取り出す。サマエルも既に準備を済ませているようだった。
「夕食、美味しかったです。道中お気をつけて。……貴方達にも御身の加護が吹き渡りますように」
サンダルフォンがしたためていた羊皮紙を、火の小さくなった焚き火の傍らに置く。
恐らく火が消える頃に、朝日が昇るだろう。
「行こうか」
森の奥へと駆ける五人の影はすぐに闇に紛れていった。
暫くして、仄かな灯りの中でひとつ、影が揺らぐ。
淡い色の双眸が五つの影の先を見つめ、そして灯りの傍らの羊皮紙を見下ろした。
少年達は剣を振るう。
がしゃがしゃと音をたてながら彼らに手を伸ばし、握りつぶして喰らわんとする髑髏の腕を落とす為に。黒雲纏い跋扈する獣の、蛇の尾を断ちその胴に悪魔殺しの血を注ぐ為に。人を害そうと群がる魑魅魍魎たちの悪しき魂を見抜き、屠る為に。鬼の首を持つ蜘蛛が敵対者を貫こうとその足を振り上げても神の毒を以て封じ、その眉間に切っ先を刺し貫く為に。
木々の間、暗がりでひととき、人と魔の影が踊る。
*
梢から柔らかな朝の光が差し込むのに目を細め、桜花は大きく欠伸をした。野営の片付けをする季蝶と陽風をみとめてから、月香に視線を向ける。
「それで」
「ええ、貴方の見立て通りでした、桜花」
月香の答えに満足そうに桜花が笑う。その手には少年達が残していった羊皮紙があった。
「おそらく昨晩、彼ら――教会の使徒と戦ったのは我々の国から流れてきた鬼でしょう。いったい何故こちらに来たのかは分かりませんが」
「それを難なく祓ったってわけか。若えのによくやる」
「未熟な所もあったように思います。それでも『教会』側の戦力として充分です。見逃してよかったのですか、桜花」
月香の言葉に桜花が肩を竦める。
「何も知らねえガキを殺す趣味はないんでな。それに俺らの目的はあくまで『教会』そのものだ」
「……それを聞いて安心しました」
また試されていたか、と桜花が苦笑いする。羊皮紙に綴られた字を眺めて目を細めた。
「だが、俺らに剣を向けた時は――」
消えかけている焚き火にそれを放り込む。瞬く間に火の付いたそれは、書かれた言葉を灰燼にしていった。
「準備が出来たよ。行こうか」
季蝶が鍵を手に呼びかけてくる。陽風も隣で伸びをし、主の命令を待っているようだった。
「おう、とっとと森を抜けるぞ」
立ち上がり、最後に羊皮紙を燃やし尽くした焚き火を消す。隠した愛車に乗り込むべく、歩き出す。
自分たちの成すべき事を成すために。
――未だ四人は、道中である。
************************
読まなくてもいい思い出話。読まんほうがいいまであるかもしれない。
参加申請したときに教会側多そうなんでいっちょ無銘で書くか~と思い、プロットを立てたのが無銘のグルメでした。
最初は序盤の酒場での話だけの予定だったんですけど、ちょっと絵面的に地味じゃね?と考え抜いた末にIBちゃんにおにぎり食べさせよう。同じ釜の飯と一期一会、無自覚呉越同舟。みたいなノリで後半のプロットを組み、ヒイヒイ言いながら書いたのを思い出しました。
序盤の酒場のシーンは、雰囲気的にはカンフー映画で料理屋で敵をボコボコにするアレを書きたいなぁと思いつつ、無銘――東の国から見た西の国、とはいえ国境近くなので文化的にも治安的にも混沌とした所で漂う教会の不穏な影を書きたかったんじゃないかな。
餃子は力を入れました。飯を食う人間に生命を見出すオタクなんで……。
無銘のグルメとは茶化しつつ、文化の違いが分かりやすく出るのが飯だと思っている人間です。後半のおにぎり食べるIBちゃんも、己の文化とは違う飯を食うことで己にある意味東の文化に毒されることなく使徒でいられるのは難しいよねという意図が二割、おにぎり食ってるIBちゃんが可愛いのが十割の心で書きました。
後半はまだ詰めの甘いIBと、単身四人で敵国潜入している無銘のやりとりに緩急を持つことが出来て気に入っています。
料理練習被害者の会とか、寺組とか、一部のお風呂クイズ組とか……ほっこり会話をお楽しみいただけたら幸いです。
最後に討伐された鬼ないし悪魔ですが
大きい骸骨=がしゃどくろ
マンティコア=鵺
でかい蜘蛛=土蜘蛛
と一応東の国というか日本の妖怪で統一してます。鬼と悪魔が同一視されている様子が表現できたらなぁと思いつつ。
ちなみに裏話的にはこの鬼たちは東の国を追われて西に流れ着いたものたちです。ダーククロウさんが一枚噛んでるんじゃないかな。
あんまりだらだら書いてもアレなんでここで締めます。改めて参加させていただきありがとうございました!
反省点:もうちょっと血みどろってもよかったかもしれない(日和った)
くろてら
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