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千代里
2024-07-02 08:20:45
14249文字
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リーブラ13話
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リーブラの針は問う・13話・その23
街に竜の襲来が告げられてから三日が経った。
噂によると、今回の警鐘の理由となった竜そのものは、街からかなり離れたところに目撃されたのみだったらしい。おまけにその数も少なく、人間でいうところの小部隊に過ぎなかったそうだ。
全てを討ち果たすとまではいかなかったが、小さな個体は巡回に出ていた騎士らと街から派遣された騎士たちが協力して、無事に討伐できたらしい。
ならば、なぜわざわざ警鐘を鳴らしたのか。その理由は、小部隊の中には『ランドン』と名を与えられた、かの竜がいたからだ。
大柄で鈍重な姿は、見張り台に立っていた騎士からも十分に確認できた。見張り役の新人騎士は、それを目にして、これは一大事だと警鐘を鳴らしたのだ。普段ならば、もう少し大規模かつ更に街に迫っていなければ警鐘は鳴らされなかっただろうとのことだった。
「だけど、それが結果的に功を奏したわけだな。何せ、ドラゴン族の眷属が街のあちこちで姿を見せたんだから」
ガチャリと扉を開く音がして、宿の談話室に人影が滑り込む。それが買い出しに出ていたルーシャンだと気がつき、ちょうど先だっての竜襲撃の話をしていたヤルマルとオランローは、そちらへと顔を向けた。
ルーシャンのそばにいつも陰に日向に寄り添うサルヒの姿は、彼の隣にはない。無用な混乱を避けて、今日の彼女はオデットと共に荷物の整理をしつつ、主人の帰宅を待っていた。
ルーシャンが姿を見せると、サルヒはすかさず立ち上がり、彼から荷物を受け取ろうとしてーーそこで一度立ち止まる。
「竜の眷属の出没に、街の人々はすっかり怯えています。誰が連れ込んだのか、などという話が嫌でも耳に入ってくるのが現状ですね」
「おや、アランさんじゃないか。何かこっちに用かい?」
サルヒが立ち止まった理由。それは、ルーシャンの背後にアラン司祭がいたからだ。
ヤルマルは軽く手を挙げて、教会の管理者であるアランに挨拶をしてみせる。
今のアランは、オデットのことを気遣ってか、司祭服を脱いで身軽な装いをしている。こうしてみると、彼も一人の町人にしか見えない。
「こちらの資材の備蓄が足りてるか、確認に来たのですよ。薪はまだあるようでしたが、食料品は後で教会の者に買わせておこうと思っています」
「何から何まで助かるよ。それで、誰が魔物を街に連れてきたのかわかったのかい?」
空いている席に座るようにアランを促しつつ、ヤルマルは問いかける。アランは椅子に腰を下ろすと、ゆるゆると首を横に振った。
「今のところ具体的な犯人は掴めていません。偶発的な侵入とは考えにくいということだけは確かなのですが、それ以上は」
「偶然、魔物が入ってきたことがあるのか?」
「ゼロではありませんよ。この街は外壁で囲まれていますし、厳重に検問もしていますが、それでも商人らの荷物に紛れていたり、外壁そのものを乗り越えてきたり、という例はあります」
オランローの質問に、アランはいくつかの前例を示してみせる。それらの侵入経路は、街という存在を確立する以上、避けることのできないイレギュラーだった。
「それに、エーテルの偏りによって生じる魔法生物には、侵入経路なんざそもそも関係ない。それこそ、虚空から生まれ出ることもある」
「この前、黒衣森のお屋敷で見かけたドルヴァもそうですよね」
「ああ。エーテルが偏ったり、自然な状態から逸脱した結果、魔法生物になってしまうってのはよくある話だ」
オデットとルーシャンの口にした内容も、魔物の出没法としてはそこまで珍しいものではない。スプライトと呼ばれる魔物のほとんどは、獣や人間とは異なり、自然に『発生』するのは、冒険者なら誰でも知っていることだ。
「だけど、問題はノエたちが出会ったドラゴンフライも、ボクらが退治したアルケオーニスも、そういう自然発生する魔物でなければ、フラッと街に入り込みそうな小粒の魔物でもないってことだね」
ヤルマルが厳しい面持ちで、自分が今確保している情報を改めて説明する。
ドラゴンフライの飛翔能力なら、たとえ壁を越えられても、騎士が見つけてたちまちのうちに撃墜するだろう。彼らは小柄な体と虫のような翅こそ持つものの、飛翔スピード自体はそれほど速いわけではない。
アルケオーニスに至っては、間違いなく『ふらっと入ってこられる』ような小柄な体をしていない。家屋一つぶんはありそうな巨体がどこから出てきたのか、遭遇した全員が不思議に思っていた。
「ドラゴンフライが出没した場所については、先日ノエさんが報告されていた空き家で間違いないでしょう。アルケオーニスに関しては、教会に来ていた騎士様によると、街の東端にある小屋から出てきたのではないかとのことでした」
アランの話を聞いて、ヤルマルは机の端に丸めていた地図を広げる。それは、先日の襲撃の際に、巡回に必要だからとアランが渡してくれたものだ。そこには、ヤルマルとノエがアルケオーニスとドラゴンフライを目撃した地点が書き込まれていた。
「東の小屋というのはどれだい?」
「この辺りにあるものですね。普段は騎士の余った防具や、壊れて修繕に出す前の砲などを格納していた場所だとのことでした。とはいえ、ランドンが覚醒したという知らせがあってから、ほぼ全ての砲が出払っている状態で空き倉庫も同然になっていたとか」
「それなら、アルケオーニスの寝床としては、使えないということもないってわけか」
ルーシャンは小屋を指さし、次いで近くにある城門を指す。
仮に、誰かがアルケオーニスを連れ込んだとして、この距離ならば人目につかず一時的に倉庫に押し込んでおくことは可能である。
「ですが、アルケオーニスもドラゴンフライも魔物ですよね。竜が来るタイミングまで、魔物を大人しくさせておくことはできるのでしょうか」
「熟練の魔獣使いなら不可能じゃないだろうが
……
まず無理だな」
オデットのもっともな質問に、オランローは、かつて自分が所属していたガレマール帝国軍で見聞きした情報を、頭の引き出しから取り出す。
魔物を制御し、己の手足のように操る力や技術自体がないわけではない。事実、帝国軍にはそのような魔獣使いだけで構成された部隊があるほどだ。彼らは魔物や魔獣と呼ばれるような凶暴な存在と絆を結び、自身の手足のように操ることもできるらしい。
しかし、それはある種の特殊技能があるからこそ為せる技であり、一朝一夕に身につくものではない。
「イシュガルドに、魔物を操る伝統的な技があるなら話は別だがな。そのような例はあるのか?」
「いいや、少なくとも俺は聞いたことがない」
「私も。せいぜい、チョコボを躾ける方法ぐらいしか思い当たらない」
すぐさま首を横に振ってみせたのは、ルーシャンだった。イシュガルドについて妙に知識が明るい彼は、イシュガルドで長く傭兵として働いていた時期があるらしい。その彼と、彼の同行者であるサルヒが言うのなら、間違いないだろう。
「私もそのような前例は聞いたことがありません。ですが、魔物を制御したのが人でなければ、可能性はあるかもしれません」
「人以外の存在が、魔物に言うことを聞かせるのですか?」
驚いた様子のオデットに、アランは静かに首を縦に振る。
「彼らは、ドラゴン族の眷属とも言われている魔物です。ならば、自分たちより強いドラゴン族の言うことなら聞くのではないでしょうか」
オデットがぱちぱちと瞬きを繰り返して、困惑を交えてサルヒを見やる。
オランローも、やや驚いた様子をみせつつ、
「ドラゴン族というのは、知恵が回るものなんだな。眷属とした魔物を、自身の手足のように使うということか。まるで、人のようだ」
「実際、建国神話に出てくる邪竜ニーズヘッグは、自分を一度倒した人間たちへの復讐として、数多の竜を従えて今も戦いを続けている
……
となっている。自分を傷つけたものに対して、千年に至るまでの憎悪を持てるのは、それなりに知恵があるからこそだろう」
ルーシャンの説明は、神話が折り重なった作り話めいた話ではある。だが、ひとまずは二人の疑問の説明にもなっていた。
「実際のところはともかく、ドラゴン族の中には人の知将もかくやの策謀を巡らせる者もいるようです。私も、かつて異端審問官であったときに、何度か悪知恵を働かせる竜に出会った経験があります。
「じゃあ、アランさんの言うとおり、竜が近くにきて人々が混乱する隙をぬって、竜が魔物らに覚醒を促したとしよう。あるいは、覚醒を促すためにわざと近づいたとも言えそうだね」
「それなら、魔物が突然動き出した理由にはなる。けれども、じゃあ、どうやって魔物が街の中に入ってきたのか、という問題は残ってしまう」
ヤルマルが言うように、魔物が突然暴れ出したのは、司令塔である竜が「暴れろ」と命じたからかもしれない。しかし、中に入れるところまで竜が手助けすることはできない。竜が街に魔物を入れようとしようものなら、それこそ騎士が気づく。
「
……
あまり考えたくないことだが、内通者がいたという可能性はあるか」
オランローの問いかけは、疑問の形をした確認だった。
状況を並べれば、推測はあまりに容易だ。暴れる魔物を中に引き入れるのは、人の手ではまず不可能だ。必ず人目を引いてしまう。
しかし、もし竜が入念に手懐け、然るべきときまで大人しくしているように命じられた魔物ならどうか。
ドラゴンフライは決して大きな魔物ではない。荷物の中で大人しくしていれば、街中に運搬するのは可能だ。アルケオーニスも、通用門近くの小屋に連れ込む程度ならできるかもしれない。
もっとも、それを可能とするには、検問を通し、魔物を街中まで案内する協力者は欠かせない。
アランも、オランローと同じ可能性に至ったのだろう。厳しい顔で、小さく首を縦に振った。
「すでに、街の者の中には同じ結論に至り、誰が裏切り者かを炙り出すべきだという過激派の声も大きくなっています」
「その場合、真っ先に炙り出されるのは、ボクらのような外から来た人間だろうね」
ヤルマルは何てことのないように肩をすくめてみせているが、彼女の言うとおり、事態がよりきな臭い方向に進めば、ヤルマルたちが非難の対象になる可能性は否めない。
もっとも、元々長居するつもりではなかったので、出て行けと言われれば大人しく荷物をまとめて出ていけばいいだけの話だ。しかし、そのように身軽に動ける立場でない者もいる。
「問題は、私たちと違って戦う術もなく、帰る家もない人たち」
「領主が引き入れた難民たちだな。彼らを追い出せって声がでかくなると、領主としては頭が痛いだろうよ」
サルヒがつぶやき、ルーシャンが付け足したとおり、今この街にはたくさんの難民が保護されている。
ランドンによって住む家を失い、領主が庇護の手を差し伸べなければ、雪原を彷徨って凍死するのを待つばかりだった彼らは、今追い出されたら行く場所がない。
「ええ。領主様も、民衆の不満が難民に向けられることを危惧して、被害が発生した場所には直に赴き、人々の声に耳を傾けているようです」
話しつつも、アランは机に置いてあった羽ペンを手に取り、いくつかの場所に丸をつける。数は多くないが、居住区の一角や商業区内に記された丸印は、現地においては甚大な被害が齎されている証でもある。
「皆さんが倒した以外にも、数匹のドラゴンフライの存在が確認できています。幸いにも、すぐに巡回の騎士が奴らを見つけてくれたので、人死が出るような被害はありませんでしたが、家屋の破損や数名の町民の負傷は免れませんでした。他にも、魔物の出現でパニックになった人により、逃げようとした人々が衝突して怪我をした事例もあります」
「それら全部となると、見舞いといっても一筋縄ではいかないだろう。その一方で、ランドンに向けた警備も緩めるわけにもいかない。
……
領主様も大変なこって」
しみじみとつぶやくルーシャン。彼の言葉に、アランも重々しく首肯する。
「あの、もしかして
……
そのランドンというドラゴン族は、このような事態になるのを見越して、内通者の人と協力して魔物を運んだのではないでしょうか」
オデットの発言を受けて、皆の視線が一斉に彼女に向かう。全員分の視線に圧倒され、緊張から体に力が入ってしまったものの、オデットは言葉を続けた。
「既に今、アランさんが言うように皆さんが不安がって、街の人同士で嫌な空気になってしまっているようですし
……
そうしたら、指揮を出すはずの領主様も、たくさん疲れてしまいますよね。その隙に、もっと街に近づいてくるつもりなんじゃないでしょうか」
「オデットさんの言うことも、一理あるとは思います。ただ
……
」
何か奥歯にものが挟まったように、アランは言葉を濁す。数秒の間を挟んで、彼は続ける。
「領主様から、歴代領主が覚醒したランドンと相対したときの記録を見せてもらっていたのですが、奴は愚直なまでにまっすぐに街に攻め入っていました。竜の眷族をいく匹か従えていることはありますし、周囲の村を襲うような場合もあるようですが、決定的な戦果を出さずに騎士と小競り合いを続けているうちに、大人しく眠りにつく場合がほとんどでした」
「つまり、オデットが言うような搦め手は、『らしくない』攻め方ということか」
ルーシャンの要約に、アランは肯定を返す。
「ランドンは長く空を飛ぶこともできず、歩きは陸上歩行に限られる。もちろん、それも十分脅威ではあります。今まで戦ってきても容易に討ち取れなかったのは、防御に特化した頑丈な鱗や、頭抜けた体力のおかげでしょう。しかし、ランドンの脅威は、あくまでランドン単体が持つ圧倒的な破壊力だけであると、私は思っていました」
そして、アランがそう思ったということは、領主もそのように感じていたはずだ。
ランドンは何十年、あるいは百年以上の周期をあけて訪れる、目に見える形の厄災だ。しかし、その脅威は人に御せる範囲のものであり、被害こそあるものの、街そのものや領地全域に住まう人々の滅亡には至っていない。だからこそ、この地は未だ人のものであり続けていられるのだろう。
「だけど、此度覚醒していたランドンは一味違う。ってことは
……
」
「入れ知恵をした奴がいるんだろうな。しかも、竜にあれこれ吹き込んだ上に、人の内通者までいるってなるとーー」
「
……
異端者」
ルーシャンの要約をさらに一つの単語に収束させて、サルヒが口にした単語。それを聞いて、アランはその存在そのものを受け入れまいとするかのように、ゆっくりと首を横に振った。
かつて、竜と化した女を、よりにもよってその息子の前で殺害することになったアランにとって、『異端者』という単語は本来持つ意味以上の苦々しさを与えるものだったようだ。
「サルヒさんがおっしゃるとおり、この街に異端者が紛れ込み、魔物を引き入れ、人々に混乱を招いたと考えるのが妥当でしょう」
「近頃は、異端者の活動が活発になってるって話があったな。今回の件も、その一端かもしれないな」
「ええ。魔女シヴァの復活を謳う者が現れたそうですね。明確な旗印を得て、異端者も調子づいているのかもしれません」
アランの説明に、ルーシャンは理解し難いと言わんばかりに眉を寄せた。
重苦しい雰囲気を察したのか、あるいは純粋に話に対して思うところがあったのか。沈んだ空気の中に、不意に白い小さな手が挙がる。
「オデット?」
「あの
……
異端者というのは、竜の血を飲んで、竜の味方になるって決めた人のことですよね。前に、兄さんがそう教えてくれました」
ノエの話によると、竜の血を飲んだ人は竜へと変じることができるようになるらしい。人の姿を維持したままの者もいるようだが、竜に変化する力を持つのは確かなようだ。
「この国にきて、わたしは竜と戦っている人や、竜に苦しめられている人の話をたくさん聞きました。皆さんは、きっと竜のことが怖いし、嫌いなんだろうって思いました」
ゆえに、異端者の話を聞くたびにオデットは自然にこう思う。
「どうして、それなのに、竜の味方をしようとする人が出てくるのでしょうか」
少女の純粋で何気ない質問。
異端者がいなければ、傷つく人が少しでも減るのに。どうして、異端者になる人はいなくならないのか。
優しさから生まれたその問いかけに対し、かつて異端審問官だった男は、言う。
「
……
それを、私も知りたいと思っているのですよ」
それは、拭いきれない諦念が宿った声だった。
***
胴体に迫り来る、木でできた切先。それを体を半歩ずらして回避して、ノエは次の一手を待つ。
(今度は
……
左かっ)
片手持ちの剣よりもさらに短い木製の剣先は、ノエに迫らんと愚直なまでに攻撃を続ける。今度は自身の木剣を振り、切先を払う。軽い衝突音と共に、相手の影が自分から離れる。
(今のは、少し危なかったな)
相手が自分の死角に迫ると、どうしても細かい誤差が生じてミスが生まれやすくなる。いくらか油断していた部分もあるかもしれない。何せ、今、ノエが相手をしているのは、
「ーーグレンさん。まだやりますか」
数日前にスリを働き、その少し後には剣の鍛錬にも付き合った少年ーーグレンが、ノエの問いかけに小さく首肯した。
先だっての襲撃の影響もあり、孤児院に隣接している広場に子どもたちの影はない。今にも雪が降り出しそうな重苦しい鈍色の空だけが、原因ではないだろう。
竜によって故郷や家族を失った子どもたちにとって、先だっての魔物の襲撃は心の傷を刺激するものだったからだ。あの天真爛漫なコーディでさえ、今は言葉を控えて静かにしているほどである。
「では、もう一手。今度は僕から行きますね」
ノエの呼びかけに、グレンは再び頷く。
怯える子供たちとは対照的に、グレンは平素とまるで変わらぬ表情で、愚直なまでに剣の鍛錬を続けていた。最近は、ノエのアドバイスを聞いて、短剣の修練を重ねているようだ。グレンが、竜の襲撃に対して無頓着なのか。それとも、これも彼なりの気を紛らわす方法なのか。どちらにせよ、一人で鍛錬を続けるグレンに、ノエは「自分も付き合う」と声をかけたのだ。
(ただの遊びかと思ってはいたけど、存外に筋がいい)
一歩踏み出し、わざと隙を見せつつノエは剣を大きく振るってみせる。すると、グレンはすかさずノエが用意した隙に木製のナイフを突き入れてきた。
得物を剣からナイフに変えたことは、グレンにとって良いように働いたらしい。小柄なグレンに懐に潜り込まれて、ひやっとしたのは一度や2度ではない。
一人で鍛錬をするよりも、気晴らしになるのではないかと手合わせを申し込んでみたが、子供と大人とは思えない良い駆け引きができている。
グレンも、人を相手にして戦うのは新鮮だと感じているようだ。ノエが提案をしてみせたときも、グレンの瞳には純粋な興味が覗いていた。
ノエの大ぶりの一手を、グレンは転がり込むように回避する。自然と立ち位置が逆転し、ノエが振り返るより先にグレンのナイフが迫る。
無論、ノエとしてその一手を予想していなかったわけではない。相手の挙動を予測して、最低限の動きで身を翻す。
「
……
!?」
「危ないっ!」
勢いをつけて突っ込んできたグレンは、ノエに回避されて前につんのめる。
このままでは地面に倒れ込んですまうと、ノエはすぐに剣を放り出し、少年の体を受け止めようと手を伸ばした。
幸い、すぐに子供一人分の重みが腕の中におさまる。無事にグレンの体を受け止め、ほっと一息したとき、
「
…………
」
ぐい、とノエの胸のあたりに何か固いものが押し付けられる。視線をやれば、ノエが支えたグレンが、転びかけても手放さなかった木製の得物を、ノエの胸に押し付けていた。その先端は、ノエの上着に深々と食い込んでいる。
もちろん、この剣に刃はない。なので、あくまで木の棒を押し付けられた程度の感覚しかない。
だが、もし、これが実戦だったなら。
間違いなく、ノエはこの時点で重傷を負っていただろう。
「
……
試合中だから油断するな、ということですか?」
ノエが苦笑い混じりで尋ねると、グレンはおずおずと頷いてみせた。
もし受け止められなかったら、転んで怪我をしていただろうことは、グレンとて重々承知している。ノエが自分の面倒を見る立場にある者である、ということも。
それでも、見つけた隙を攻めの機会とすべしと、少年の体は動いた。正攻法ではないと分かっているからか、グレンは少し申し訳なさそうに俯いている。
「確かに、君の言う通りですね。もし、君が僕の敵だったとしたならば、今の一手はとても有効です。今のは、試合中なのに油断した僕が悪い」
抱き支えていたとしても、グレンが攻撃してくる気配を察知してすぐに身を引いたり、急所が外れるように動くことはできた。そうしなかったのは、やはりどこかでグレンを『ただの子供』と一段下に見ていたからだ。自分への反省をこめて、もう一度試合を始めるかーーそう思っていると、
「おや、もういいのですか」
グレンは首を横にゆっくりと振ると、続けて広場の隅にあったベンチを指差した。
少し休みたいのだろうかと、ノエはベンチに降り積もった雪をどかしてやる。
「グレンさん、どうぞ」
グレンはノエに促されるままに、少し湿ったベンチに腰を下ろした。ノエも、彼の隣に腰を下ろす。
空を見上げると、今日もどんよりとした曇り空が続いている。おそらく、近々雪が降るだろう。
「グレンさんは、ナイフ使いが上手ですね。実は、何度も負けそうになっていたんですよ」
ノエの素直な感想を聞いて、グレンは手近な木の枝を拾い上げ、雪の上に文字を綴る。それが、彼の声の代わりとして少年の意思をノエに伝えてくれた。
『本当に?』
「ええ、本当です。グレンさんは体が軽く、しなやかな身のこなしを得意としているようです。だからこそ、大ぶりな剣よりナイフの方が動かしやすいのでしょうね。手足の一部のように扱っている、と感じました」
『今のは、剣より重くないから』
「慣れていないと、剣は重いですよね。僕も苦労しました」
自分の子供の頃を思い出し、ノエは苦笑する。いくら子供用といえども、材木を削り出して作った剣は相応に重い。小さな頃は、ただ剣を振り回しているだけで筋肉痛になったものだ。
ノエも剣を持つのが重かったと打ち明けたからか、グレンの頬に微かな笑みが浮かぶ。今まで、頑なに表情をこわばらせ続けていた少年が、ようやっと見せた笑み。雪のかけらのようにささやかなものだったが、それは年相応にあどけないものだった。
『どうして、ノエさんは』
グレンは雪の上にそれだけ書くと、一度手を止める。しばらく、雪の上を枝が這っていたかと思うと、
『ノエさんが、僕に優しくしてくれるのは、アラン先生やプリシラさんに頼まれたからですか』
そこまで綴ってから、グレンはじっとノエを見つめる。出会った頃は、感情のかけらすら見えないように見えた紫の瞳。しかし、グレンと数度の交流を経た今のノエは、そこから幾つかの気持ちを読み取れていた。
不安。諦め。同時にーーわずかな期待。
きっと、少年は、母を失った日からそんな気持ちばかりを抱えて生きてきたのだろう。
「
……
アランさんやプリシラさんに頼まれたから、というわけではありませんよ。もちろん、今の僕とグレンさんのやりとりを見ていたら、二人は同じようなことを僕に頼むでしょうけれども」
では、なぜ自分はこの少年のことが気になるのか。ノエは自分に向けて問いかける。
最初に鍛錬に付き合ったきっかけは、グレンが一人でいたからだ。子供が一人でいたら危ない。だから付き添っていよう。それは、グレンよりも年上のノエが持つ、至極当たり前の感覚ではあった。
だが、それだけが理由ではないとノエ自身が思っていた。己の感情を深く掘り下げ、ノエは真剣に考える。適当な耳障りのいい答えを、目の前の少年は望んでいないと思っているからこそ。
「
……
グレンさんと初めて出会った時、君はすごく僕のことを嫌っているように見えました」
グレンの無言を受けて、続けていいとノエは判断した。
「僕はグレンさんのことを犯人だと思って追いかけたわけですから、グレンさんが僕を警戒して嫌うのは当たり前だろうと思いました。ですが、あの日、君が他の子供たちに注意されている姿をたまたま見てしまって
……
あなたの態度は、きっとそれだけじゃないのだろうと思い直したんです」
同年代の子供からの、頭ごなしの説教を受けてもなお、グレンは淡々としていた。
淡々とーー変わらない、整えられて滑らかになった激しい感情を抱えていた。
怒りというほど荒れ狂っているわけでもなく、悲しみというほどに柔らかくもなく。ただ淡々と、世界中の何もかもに向けて拒絶と否定を向け続けていた。
「
……
グレンさん。今、あなたの母親の話をしても良いでしょうか」
念のため確認を取ると、グレンの肩が跳ねた。彼にとって母親の話題は触れてほしくないものだとは、すでに知っている。だからこそ、ノエは許可をとった。
グレンが抱いた疑問を解消する説明を、ノエは行う。その代わりに、グレンが触れてほしくないと感じる話題にも抵触するが良いか、と。
『うん』
雪の上に書かれたのは、肯定の返事だった。
「アランさんから、君の母親のことを聞きました。それで、君があんな風に何もかもから距離を置き、何もかもを嫌っているように見えた理由が、僕にはわかった気がしたんです」
『同情?』
シンプルな単語ひとつの質問。瞬間、グレンは声を発していないはずなのに、ノエは確かにグレンの声を聞いた気がした。
今まで年上の剣の師匠として尊敬していた少年からは、無邪気な信頼が注がれていた。
だが、それが、一転して警戒をむき出しにした声へと転じる。
なのに、どこかに、この人は信頼できるかもしれないと期待してもいる。そんな二律背反を抱えた声が、ノエの心の耳に届いていた。
「同情
……
とも言えるのかもしれません。でも、単純に気の毒だと思ったのとも違います」
では、ノエ自身は何と思ったのか。なぜ、あの雪の日に一人で素振りをしている、頑なな少年に声をかけようとしたのか。
「僕は、君の母親のことを聞いて、かつての僕自身を思い出していたんです。
……
僕の母も、その
……
異端者、とされましたから」
厳密には、ノエの母は異端者ではない。しかし、世間的にはノエの母は竜血を飲み、夫や国を裏切った者とされている。
グレンが、微かに唇を開いた。驚きの形をしたそこから、わずかに白い息が煙のように溢れる。
「異端者であろうと、母は僕にとって大事な人でした。だけど、周りは皆、異端者の母が死んだことを、死んで当然であると受け入れていた。僕にとっては、あんなにも悲しいことだったのに、世界中の誰もが僕の母の死を悲しんでくれなかった。そんな風に思ったんです」
それは、まるで世界が自分の大事なものを『要らないもの』として扱ったかのようだった。自分が異端審問にかけられるよりも、ひょっとしたらその現実の方がノエを長く苦しめたかもしれない。
「そんな風に思ったとき、僕は今のグレンさんと同じような気持ちになっていたんだと思います」
自分の父親だけでなく、自分を取り巻く何もかもが許せない。認められない。受け入れられない。被害妄想だと頭のどこかで分かっていても、感情が追いついてくれない。
『ノエさんは、だから僕に声をかけたんですか』
「
……
それも、理由の一つだって思っています。正直、自分でも、うまくこれが理由なんだって説明できはしないんです」
誰かの心に寄り添いたいと思う前に、ノエはすでに行動してしまう。それは、ノエがこの十五年の間に身につけた習慣であり、習い性となっていることだ。だからこそ、どうして助けられたかを問われ、改めて考えても、一つにまとまった返答ができない。
「もう一つ、理由があるとしたら
……
僕が辛かった時は、寄り添ってくれた大人がいました。それが僕の助けになったから、今度は僕がそうする番だ。そう、思ったからなのかもしれない」
それもまた、一つの答えだ。だが、これでも全てには至らない。
「あるいは、僕自身の存在を君に重ね合わせて、君に世話を焼くことで僕が満たされたかったのかもしれない。
……
これは恥ずべき理由だと思いますけれどね」
かつて、自己救済のために正義を振り翳していたと気がついた瞬間を思い出し、ノエの表情に苦いものが混じる。
しかし、グレンはゆっくりと首を横に振る。
『僕は、嬉しいと思いました。多分、少しだけ。お母さんが変わってしまったとき以来だと思います』
グレンがガリガリと雪に文字を綴っていく。恥ずかしいのか、書いたと思いきやすぐに足で消してしまったが、ノエはしっかりと目に焼き付けていた。
『僕は、可哀想と言われたくないです。母親が異端者で可哀想と言われるのは、すごく、嫌な気持ちになります。でも、悲しく思っていないみたいに思われるのも嫌でした』
つらつらと書かれる言葉は、ノエが思っていた以上に饒舌だ。この無口に見える少年には、きっと大人たちの想像以上の言葉が渦巻いているのだろうとノエにも伝わってきた。
だからこそ、コーディはグレンにあれほど熱心に話しかけるのだろう。彼には、グレンの言葉が聞こえているに違いない。
『ノエさんは、剣の話をしてくれました。剣を、見せてくれました。僕がしたいことは何だろうって、気にかけてくれました。僕の悲しい以外の気持ちを見てくれました』
それが、ノエと周りの大人たちとの違いだとグレンは綴る。
母親が異端者となり、居場所を失った子供として憐れむのではなく。
自分の中にあるはち切れそうな怒りや悲しみの存在に気がつきながらも、今まで言葉にせずに、ただそばにいて、グレンの練習に付き合ってくれた。
『僕は、それは好きだ、と思いました』
そんな何気ないやり取りを当然のようにこなしてくれるからこそ、グレンはノエに多くを語ってくれたーー綴ってくれた。
『コーディと一緒にいる時とは違う、好きを感じました』
友情というには、ぎこちなく。
かといって、親を慕う情とも違う。
『ノエさんのそばにいるのは』
雪の上を数秒枝が彷徨ってから、グレンは辿々しく書く。
『僕にとって、楽なんです』
淡白なような思えて、かけがえのないもの。ただそこにいるというだけの、安心感をくれる場所。それは、友人や親から与えられるものとはまた異なる。
簡潔にいうなら、まるで空気のようなものだ。自然にそこにあり、そこにあるということだけを、ただ許す存在。
「
……
光栄です。そう言ってもらえて」
まずは、与えられた言葉への感謝をノエは口にする。まだ両の手で数えられるほどの回数しか語らっていないのに、これほどの信頼を向けられるというのは、身に余るほどの栄誉だ。
「ですが、残念ながら、僕はずっとここにいることはできません。期待させるようなことを言っておいて、あなたを置いていくことを先に詫びさせてください」
グレンは、これにも小さく頷きだけを返した。
歳と比較すると、この少年はひどく大人びている。母親が異端者だったことが、彼に成長を余儀なくさせていたのかもしれない。その在り方は、やはりノエには自分自身を思わせるものがあった。
「でも、僕以外にもグレンさんが楽になれる場所を作ってくれる人はいると思います」
そうだろうか、とグレンは目線で問いかけてくる。彼が問題児として振る舞っていることも、ノエは知っている。だが、それは、彼が世界を拒み続けているからだ。
「グレンさんがそのような場所を望んでいると知っていれば、君が息苦しくない場所を用意してくれる大人はいると思いますよ。この孤児院にも、教会にも」
「
…………
」
それが、プリシラやアランのことを指していると、グレンも悟ったのだろう。
グレンにとって、アランは母親を殺した相手だ。許しがたい相手に気を許せとは言いづらいのは、ノエも知っている。
だが、知っているが故にノエは言う。
自分のように、十五年間も燻らせ続けていた怒りを、あとから「その気持ちを十五年も抱え続けて本当によかったのか」という気持ちと共に振り返るなどという、回りくどいことを避けるためにも。
『
……
ノエさんは、時々難しいことを言います』
「ごめんよ。君の思うままにいる方が気楽だと言うなら、今はそれでもいいですから」
グレンは、ぎこちなく首を縦に振る。首に巻いてた襟巻きに顔が埋まり、紫の目だけがノエからは見えた。
グレンが目を瞑り、じっと考え込んでいる様子を、ノエは黙って見守っていた。あまりジロジロ見るものでもないかと、わざと視線を外し、空へと向ける。鈍色の重苦しい空からは、音もなく白い欠片が落ちてきていた。
はらはらと風に煽られて右へ左へと揺れる雪片が、ノエの鼻先に落ちる。ひやりとした冷たさに、小さく体を震わせていると、
「グレン、それにノエ様も。まだ外にいたのですね」
ざくざくと雪をかき分けて、広場にいる二人に駆け寄ってきた者。それは、二人を探しにきたプリシラだった。
厚手のコートに上着と帽子姿の彼女は、雪降る中でのんびりベンチに座っている二人に向かって走ってくると、
「さあさあ、雪も降ってきたのですから、早く中に入ってください。ノエ様もそのような薄着で外にいたら、風邪をひいてしまいますよ」
どこから取り出したのか、上着をグレンにかけ、ノエの頭には毛糸の帽子をのせ、ついでに襟巻きをぐいっと首に巻きつける。あまりの勢いに首が締まった感覚がして、ノエは「うぐっ」と呻いた。
プリシラにテキパキと防寒具を着せられながら、思わずノエは目を細め、ふっと吹き出すように笑う。
「ノエ様?」
「ああ、いえ。何だか少し、懐かしい気がしたんです。昔もこんなことがあったような感じがするなあと」
「それは気のせいではありませんよ。お小さい頃のあなた様は、それはもう、こちらの言うことなど聞かずに薄着で外に飛び出しては、熱を出して寝込んでいましたから」
思いがけなく己の恥ずかしい幼少時代を知ることになり、ノエは恥ずかしさと懐かしさを混ぜた苦笑を顔に浮かべた。
プリシラに駆り立てられるようにして、広場を出た二人は、そこで今一度足を止めた。
これから、グレンは孤児院に戻り、ノエは隣接してる宿に戻る。今日の鍛錬はこれでおしまいだ。
「じゃあ、また明日。もしよかったら、声をかけてください」
グレンは、無言で頷いた。プリシラに手を引かれて、彼は孤児院の中へと消えていく。
チラリと振り返ったグレンの瞳が何を言っているのか、ノエにはもうはっきりとわかった。
ーーありがとう。
少年の口の端に残っている僅かな笑みは、雪よりも淡く、すぐに溶けて消え失せるものではあったけれども。
ノエは確かに、彼の穏やかな声を心で聞いたのだ。
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