雨宮水月
2024-07-01 19:23:05
1644文字
Public 探索者の日常
 

太陽の沈殿物

氷室絵里とよその子の話
よその子をお借りしています。
(2023年1月の作品)

 ずっと、音の響かない世界でさまよっている。

 ジリジリと肌を焼く太陽光は容赦なく降り注ぎ、木陰に避難していようとも斑な木漏れ日の日焼け跡がつきそうな真夏日。そんな過酷な夏の陽射しをガラス窓越しに眺めながら、冷たい空調のかかる食堂で、これまたひやりとしたドリンクを啜りながら向かい合う男女が一組。
 大学のカフェテリアに気分転換でもしに行こうとそれぞれの研究室から出てきた二人は、券売機の前で鉢合わせてそのまま休憩を共にしている。女はアイスティーを、男は夏限定のレモンソーダを頼んでいた。
 カラコロとアイスティーに沈んでいくガムシロップを混ぜながら、今進めている発掘調査の資料について疑問を口にする絵里。その声は目の前に座る陽の耳に入っているが、どうにもごぽりごぽりという水中にいる時のような音が聴こえてくるようでどこかうわの空だ。それでもそんな様子など一切悟らせずに彼女の一言一句は逃すことなく、ひたすらその単調な音色を拾って、自分は弾んでいくような音を返す。ちゃんと響いているのか、震えているかすらもよくわからないまま、それでも、彼はずっと同じことをしてきたように言葉を紡ぐ。
 彼女がいる場所で、いつも彼は水中にいるような心地があった。
 夏の陽射しが注がれる水の中で漂う彼は、柔らかい陽だまりのような笑顔を浮かべながら頬杖をついて、時折目を閉じて、もう一度つい、と深海の瞳に視線を合わせる。
 平穏な、どこにでもある真夏のカフェテリアの休息。冷たいドリンクを一気に啜って顔を顰めた絵里に、彼はくすくすと笑った。
 「エアコンも効いてるんだし、そんな一気に飲むなって。アイスティーは逃げないし」
 「氷が溶けたら薄まるじゃない」
 「そうだけどさ。ていうか、気持ちはわかるけど、あんまり体冷やさないようにしないと」
 体育会系のサークルも休憩時間になったのか、穏やかなカフェテリアがざわざわと賑やかになっていく。
 「陽ってたまに親というか……ちょっとした先生みたいよね」
 目の前の氷は全く溶ける様子がない。レモンソーダを啜れば、シロップの溜まった底に辿り着けないストローがレモンの苦味だけを吸い上げる。カラン、という湿った音とセミの鳴き声がやけに耳に響いて。
 (にがいな
 ジリジリと照り付ける陽射しを直に浴びているわけじゃないのに、外はあんなに遠いのに、セミが耳をつんざくように叫び続ける。
 「もう教えられることは何もないでーす」
 ずっと、ずっと、叫んでいる。
 届かない叫びが、自分の耳を支配し続けている。
 ようやく氷を避けてたどり着いた底に沈殿するシロップをくるりと回して、今度は、その甘ったるい夏を喉に貼り付けて飲み干した。
 (ああ、これだけうるさいなら)
 ぼそりと口にしたその甘さも、どろり、と足元に沈んで。
 目の前の彼女はその重さに気づくことなく、また、海の向こうの世界へ視線を移していった。
 二人が飲み干したコップの中には、溶けることのなかった氷が積み上がったままだった。


 ずっと、宇宙の中にある深海をさまよっている。
 ずっと、あの遠くに見える光だけを追い求めている。
 光が差し込まないその世界で、ずっとずっと、その存在だけを追いかけていた。
 思いの丈を叫んでいても、虚しく泡になって消えていくだけ。音にはならず、振動もせず、ただ、空気を無駄に吐いて苦しむだけ。
 そんな世界に、ずっと、さまよい続けると決めてしまったのは。

 他の人がどんなに馬鹿げていると言っても。無駄なことだと言っても。
 その青い光だけは、どうしても、諦められなかったんだ。
 諦めないということは、苦しみ続けるということだ。
 苦しみ続けるということは、生きるということだ。
 生きるということは、きっと、愛するということだ。

 愛を抱えることは、溺れることと似ているのを、痛いほど知っている。

 氷の深海に、深く、永く、溺れ続けている。