雨宮水月
2024-07-01 19:22:00
4403文字
Public 創作
 

マジョリティへの収束運動

紫月雨と図書館の話
(2022年9月の作品)

 嗚呼、かくもこの世はいきづらい。

 先生から受け継いだ図書館と併設された迷宮のような居住区に住もうと決めたのは、ちょうどこんな風にじめじめとした曇り空が語りかけてくる日だったように思う。大学院という楽園を捨てる準備は、麗らかな春の午後。何度も同じ主張を拳をきつく握り締めて語り続ける教授の研究室で、本を整理している時に思いついた。先生が亡くなって、あの大きな遺産を手にしてから3年ほど経っていた。
 本居先生はレイニアモンデルスラントの研究者だった。
 あの国の文化史はなかなかに面白い。お世辞ではない。独特の気候と、それ故にキリスト教に染まることのなかった月信仰、独自の生態系、そういった特異な場所で人々が育んでいったある意味で宗教的な、ある意味で利便性のある文化形態は紐解いていけば行くほど「当然だ」と思うと共に、人間がどのような環境の中でも文明を築ける知性体であることを実感する。置かれた場所で咲く花ではないが、人は、極限の環境の中でも確かに「生き延びること」を最終目標にして命を繋げていける。人間の強みであり、弱さである。
 はっきり言って、哀れだ。
 だからこそ私は、憐憫の情と猫のような好奇心によって本居先生の研究室へ入ったのだが。
 先生はいたく私を気に入ってくれたが、私は恩師だと思っていると同時に、とんでもない呪いをかけられた恐ろしい魔女であると認識している。人間は、生きている中で関わっていく他者との間に多くの約束(のろい)を生み出していく。酷い話だ。恐ろしい生き物だ。それが意図的であれ、無意識的であれ、結果としてその『言霊』に縛られた人間はたまったものではない。かく言う私も、呪われて縛り付けられた魔女の弟子である。

 そもそも、この図書館は本居先生によって細かい注文をつけられながら建設された個人用の図書室のようなものだ。図書室を通って裏へ向かえば居住区域があり、かなり広い空間が用意されている。先生が自分の老後に住む別荘のような感覚で建てたものだそうだが、真相はわからない。
 当の本人が早くに亡くなってしまったからだ。御歳57であり、まだやりたいことがたくさんあるのだと目を輝かせていたのは記憶に新しい。
 彼女はガンを患っていたらしく、全く周囲にそのことを伝えないまま逝った。驚いた。ガン患者はあれほど楽しげに研究を続けたり講義をしたり出来るのかと、彼女の生きる力と知識欲に脱帽した。
 しかし、問題は先生が亡くなったことではない。その後に見つかった遺書が散々私を悩ませた原因である。
 遺言書というものは効力とか遺留分とか、どうのこうのと複雑なものらしい。しかし結局のところ、公正証書として公務員が正しい書式で作成したものが法律上有効なものとして扱われるとか。随分前のことなので細かいことは忘れたが、とにかくその『法律上有効な公正証書』の中に何故か『紫月雨にこの図書館の土地、建物、運営、管理など全ての所有権を、本人が死ぬまで贈与する』と書かれてしまったのだ。他にも色々指定があったがここは割愛しよう。正直どうでもいい。
 レイニールの研究機関、史学会、関係する一般社団法人などなど。この図書館を寄贈され、自分たちが本居先生の偉業や研究成果等を並べた記念館を作ろうとしていた者たちが一斉にこちらへ刃を向けて来たのだから溜まったものでは無い。最初は穏便に買い取ることで交渉を続けていたが、私が彼らを一切相手にしないとわかると容赦がなかった。紆余曲折あったが、運営資金は雀の涙ほどしか出さないが一人で図書館を運営しろという話に落ち着いた。
 何故私が手放す気がなかったのかは簡単だ。俗世から離れて一人であの図書館と居住区の中で過ごせることが、なによりも魅力的だったから。その一点に尽きる。
 普通に社会に出て人と一緒に仕事をするなど御免だった。だから院を選んだのだ。だから狭い世界で生きる道を選び、周りから不満を買い、孤独を好んだ。
 ある程度人と交流せねばならないのは、生きている限り仕方のないことだ。それは割り切っている。だから、会員制の図書館にすればある程度自分が許せるような、狂わないでいられる環境が整えられると考え、私はその遺言書通りにこの図書館を受け取った。
 そういうこともあり、最初は自分の身を守るために。今は小遣い稼ぎの一環として、情報を仕入れ、必要とする者に売りつけ、ある時は逆に買い取り、と。いつの間にか裏の顔は情報屋として名乗るようになった。面白いことに、法人や史学会の人間どもは未だにこの図書館を諦めていないようで、私をどうにか説得するか陥れようと画策しているらしい。今も定期的に来館しては直接かおをあわせ、説得と嫌味とをぶちまけて帰っていく。夜道に一人でいた日には始末されかねん。ここは一体どこの国だったのだろうか、と笑ってしまう。先生も先生だ。私が死ぬまで、なんて文言を入れたばかりに。呪いに呪いを重ねて何になるのだ、我が魔女よ。
 そら、今日も来た。カランカラン、と乾いた音色が響く。恭しく、丁寧過ぎるほどに扉を開けて、まずは服に着いたホコリなどを払ってから革靴の音を響かせる。さぞかし立派なブランドのものなのか、キュッキュッと微かな靴の悲鳴と共にレザーソールの重厚な音が規則的にこちらへ近づいてくる。半年に一度くらいは来館する一大イベントの開幕だ。まずは上辺だけの挨拶。続いて建物自体を褒め、しっかり維持できていることへの賞賛をつらつらと。そして気が済んだところでチクチクとした嫌味の言葉が降りかかる。
 「いやしかし、相変わらず蔵書のラインナップが偏っていますね。公平な知の提供者としては如何なものかと思いますよ、紫月くん」
 「お気に召しませんでしたか。なに、人気のあるものは借りられていてね。一般的な読者が多いもので。当然の帰結だ。需要と供給はしっかり一致している」
 「そうか。だがね、単刀直入に言わせていただくと、やはり君の図書館の運営は杜撰だ。このような、我が国の未来を担う子どもたちが入れぬ図書館など!」
 「貴様の言う理想的な図書館はそこらに腐るほどあるだろう」
 この問答にも慣れてきた。何度やれば気が済むのか。そもそも、まだ脅迫をする方がマシな人間に対して世間体を気にして説得から入るこの馬鹿馬鹿しい形式的な会話に嫌気が差している。自然と言葉も悪くなってしまうというものだ。誰も見ていないところを狙って来るのだからそんなもの、気にせず喚き散らせばいいものを。
 「私は精度の高い知識とその取っ掛りを、基礎学力が出来上がっている高校生、大学生諸君らに提供し、また社会に出た後にも再度学びたいと向上心を持ち続ける素晴らしい社会人諸君にも、気軽に学ぶきっかけ、場所としてこの場を開放している」
 はぁ、と一息置いてから本題へと移る。早く帰っていただくには一度だけ。軽く叩けば醜い音が出る、簡単なことだ。
 「で、今日はおいくらで譲って貰おうなどと考えてきたのですかね。毎度毎度、似たような罵詈雑言を聞くのにも飽きてきたので多少はお勉強されたんでしょうか。成長していることを切に願いますがここに来ているという時点で何も学んでないということですかね」
 みるみるうちに真っ赤になっていく背の高い、仕立てのいいスーツを着た男を見上げながらにやにやと意地の悪い笑みを浮かべてやる。外面が良い社会で上手く生きている人間が、コーティングされた完璧な顔を崩していくのを見るのは愉快で仕方がなかった。
 しかし今日は、その情けない大声を聞くことは無かった。

 「館長様。例の子どもの本、ありますか? 取っておいてくれたって聞いたます。どこ?」
 
 ぎこちないカタコトの日本語に、男は思わず振り向く。教会のシスター服を着た赤髪褐色の女が何も見ていなかったかのようにぽつねんと、彼の真後ろに静かに立っていた。
 ごほん、と咳払いをした男はなにやら早口で遠回しな嫌味と、また来るという内容の言葉を吐き捨てて去って行く。なんだ、つまらん。去り際に靴はそろそろ手入れをしておいた方がいいと助言しておいたが、恐らく聞いてないな。乾いた鈴の音を合図に、シスターが貸し出しカードを取り出してカウンターに頬杖をついてくる。
 「館長様、あれなに? 間男?」
 用意していた、孤児院の子供たち用の児童書を奥から持ってくる。カードを受け取りながらそんなことを聞かれて思わず眉をひそめた。
 「どこで覚えてくるんだよそういうの。ただの来客だ」
 「おきゃく。とってもぶれいこー? あれももてなす?」
 「こー、はいらん。無礼なやつな。別にもてなしてないし」
 「困ってる思ったので、助け舟。いらなかった? お礼?」
 「あー、はいはいどうも」
 正直第三者に助けられるのは非常に腹立たしかったが、思っていたよりもあっさり撤退したところを見るにやはり世間体というものは大切にしているらしい。次からは誰かしらを配置しておくか。報酬は用意せねばなるまいが、まぁそこはあまり大きな金額を強請らないやつを選んでと考えつつ本をまとめていると、目が完全に前髪で隠れているシスターがずい、と顔を近づけてきた。なんでこいつは一々距離が近いのだろうか。
 「お礼。ちゅー?」
 「は? なんでだよ。強請るなら別のものにしてくれ」
 「つまらない。じゃあこれ、重いから持ってくの手伝いください。孤児院遠いです」
 「えぇ、そんなに重くな……………まぁ、いいか」
 幸いこの後に来客予定は無い。小さなことでもこの女に借りを作るのも嫌だった。孤児院に行って帰ってくるだけならすぐ済むだろうと踏んで、パソコンをスリープモードにする。一時閉館の準備のために鍵やプレートなどを奥から取り出して、言われるがまま児童書の山をバッグに詰めて外へ出た。
 「さっきの人、偉い方。図書館潰れる? きんゆーきき?」
 「いやまぁ、資金は比較的少ないが。潰れんよ。この建物が先生と私のものである限りは」
 「せんせー?」
 「元の持ち主。問題ない、まだまだ運営は続けられる」
 事実、図書館の運営維持費は一般社団法人や学会などから仕方なく援助されている。他にも好意で支援金を貰っているため、しばらくこの図書館の運営に家計簿を見て頭を悩ませる必要はないのだ。
 頭が痛くなるのは、だいたい、人間たちの言葉や思惑の雨の方だ。
 低気圧が近づいてくると頭痛がする、気象病のようなもの。
 「館長様、こわいかお」
 「ほっとけ」
 ああ、かくもこの世はいきづらい。
 死ぬことも生きることも難しい、人間に溢れた世界だ。
 呪いによって縛り付けられたこの場所で、語り部として漠然と生き続けるしかない。