雨宮水月
2024-07-01 19:08:23
4820文字
Public FTN
 

受胎告知

Fate Table Night アサシン陣営の前日譚
(2021年11月の作品)

 故郷から随分遠くまで旅をしてきた。
 山奥で育った彼にとって、バルカン半島まで遥々自分の足で旅をするという経験は初めてのことで、それこそ巡礼の旅のようにも思えた。アナトリア半島あたりまでは巡礼者などと適当に身分を誤魔化しながら、信心深い者たちの慈悲ある贈り物によって空腹を紛らわせていたため、ちょっとした盗賊とも言えよう。
 満月の夜。ブルガリア南部の山間にて腰を下ろし、床に盗人たちの血をインクのようにして魔法陣を描いていく。ルーマニアが目と鼻の先になった今こそ、サーヴァント召喚の儀を執り行うべきである。本来であれば故郷で召喚するのが一番良かったのだろうが、彼には思惑があった。
 (うまく混ざればいいが、さて)
 先程自分の全財産と身包み全てを取り上げようと躍起になっていた者たちに突き刺した、使用済みのナイフではなく、古い呪術用のナイフを手にする。見てくれの切れ味は悪そうだが、旅に出る前に刃を研いできたから問題ないだろう。さらに言えば、これは通常のナイフとは違う。魔力が凝縮されている、いわばちょっとしたアーティファクトのようなもの。元々は悪魔召喚の儀式で、先祖代々使用されてきた家宝にも近いものだ。切れ味が悪くともその犠牲者の存在を認識すれば、刃は忽ちその血を求め鋭く月光に輝くことだろう。
 そのナイフを、彼は、自身の右腕に滑らせた。スッ……と音もなく皮膚を切り裂き、命の泉がこんこんと湧き出でる様を見て、こんなものか、とナイフをしまう。そして代わりにばさり、と懐から取り出したものを右腕に巻きつけた。
 それは月光に鈍く反射して輝く、獣の毛皮だ。それは銀色、いや灰色。それとも空の色だろうか。そのような不思議な色味を帯びた、なんとも神秘的な品であった。
 てらてらと光り流れていく血をそのままに、傷を覆うようにして毛皮を巻き付ける。
 その腕を伸ばし、歪な赤黒い血の魔法陣に手をかざした。
 「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
 魔法陣が活性化していく。その怪しげな光は、山間に潜んで様子を伺っていた野生動物たちの眼光をより一層輝かせる。それはまるで、無数の満月。
 「閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)……。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
 静寂がキィン、とアイクの耳を劈く。ここからだ。
 ここから、彼の大きな実験が始まるのだ。
 「――――Anfang.(セット)」
 ゆっくりと瞼を上げていく。その動きに合わせ、気だるげに風が魔法陣の中心を舞い踊る。
 巻き付けた毛皮と自分のローブがバサバサと揺れ、掻き上げていた前髪はもはやどうなっているのかすらわからないほど乱れていく。
 そんな些細なことに、彼は全く目を向けない。
 深い翡翠の瞳は、ただ蒼い月を待っている。
 「――――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の牙に。聖杯の寄るべに従い、この意、この血、この理に従うならば応えよ」
 ばさり、と巻き付けていた毛皮を剥ぐ。真っ赤な血で汚れた腕には、横に長い令呪が刻まれる。その鈍い光は、生贄を象徴していた。
 「誓いをここに。我は常世全ての善と成る者、我は常世全ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」
 瞬間。昼間のような眩い光が辺りを包む。砂塵が舞い上がり、思わず目をつぶった。生物として、粘膜が剥き出しになっている部分を異物から守るための行動。自分は他と変わりなく、人間なのだという証明。
 目を閉じれば、他の感覚が研ぎ澄まされる。特に聴覚はより鮮明で細かい音を捉え、距離感さえも掴むことが出来る。
 何もなかった魔法陣の上。砂煙の向こう。小さな息遣いに確信する。
 ああ、獣ではない。人でもない。
 「召喚に応じ、参上いたしました。サーヴァント……………アサシン。真名をアセナ、と」
 目を開ける。パラパラと落ちていく砂の音が遠ざかり、月明かりに煌めき反射する蒼銀の毛皮がふわりと影を作った。ざり、と攻撃的な鋭い爪が地面に食い込み、警戒の色が明らかに見て取れる。
 砂埃が鬱陶しい。もう一度目を閉じ、開く。
 そこに獣はおらず、狼の頭部の剥製を仮面のようにして目深に被っている女性が、恭しく頭を垂れて膝をついていた。
 彼女は顔を上げる。その目は仮面の毛皮の向こうに隠され、アイクにはよく見えない。
 「問いかけに応じなさい、人類よ。貴方がわたしのマスターであるのか」
 アイクはその答えにはすぐに応じなかった。
 一応、成功と言えるのだろう。本来であれば狼の姿のままだったろうに、瞬きのうちに人型へ姿を変えた。この土地の霊脈を選び、なおかつ触媒にもうひとつの触媒とも言えない雑縁を配合したことによる、召喚術式への干渉の成功と言えるのではないだろうか。
 「及第点か。……ああ、オレがマスターで相違ない」
 「……では、もうひとつ問いましょう」
 目の前のサーヴァントにまともな挨拶さえせず、早々に召喚陣や触媒を片付け始める彼に、狼は低く唸るような声音で問いかける。
 「わたしに何を混ぜたのですか?」
 獰猛な獣と同様の威嚇にも似た問いかけにアイクは特に狼狽えることもなく、じっと彼女を見つめた。狼の世界の中では、目を見つめるということは敵対の意味を示す。
 しばらくその瞳を覗き込みながら、ふっと視線を逸らした。『敵対する意思はない』とアイクが示したのは明確で、それは聖杯戦争への参戦の為にも対立することは無意味であり、足枷になるということを理解している上での行動だった。
 「人狼だ。スラヴの方では人狼と吸血鬼は同一視されている。その伝承を、この土地の霊脈に染み付いた魔力として召喚の際に利用した」
 獣は黙ってマスターの言葉に耳を傾ける。本来持ち合わせている魔力量よりも遥かに少ないそれも、継ぎ接ぎだらけでデタラメな魔術回路も、全てこの男のせいなのか。召喚されて瞬時に理解は出来たが、本人の口から肯定の言葉を聞かない限り、彼女は納得できなかった。
 どういう意図があって、彼女に異物を……異端を混ぜたのか。
 「そのまま召喚するのも芸がない。また、戦闘能力もある程度抑えつつ、自己回復による耐久値を上げることで生存率を上げる。その為にもアンタには人狼を混ぜるのが良いと判断した。色々言ったが、まぁつまり。アンタはオレの貴重な実験体……それも成功例のひとつだ」
 哀しいかな、彼の言い分は概ね正しいのである。
 本来であればキャスターで召喚されるアセナは、その逸話によって蘇生の宝具や治癒に長けた耐久力のあるサーヴァントだ。他者を癒し、守り助けるといった性能が目立つし、それこそが彼女の力である。
 しかし、これは戦争。戦争とは、同盟を組んだり休戦協定を結んだりしない限りは周り全てが敵であり、また何かしら不可侵の契りを結んでいたとしても、最終的に聖杯に辿り着けるのはひとつの陣営のみ。つまり、結局はマスターとサーヴァント一組だけの、孤独な戦いに他ならない。
 他者を助ける性能は、ここでは命取りになりかねないのは否定出来ないのだ。確かに情が湧いたり、交換条件としてその性能による利益を相手に与えることは出来るが、裏切られたら終わり。戦とはシビアなものだ。人と人の繋がりにもよく似ている。
 通常よりも敵意が出しやすい自分の身体に納得のいく説明をされ、聖杯戦争という戦場の中で生き延びるための強さを与えられたという点を理解し、彼女はゆっくりと威嚇をやめていく。そしてアイクの足元に膝をつき、恭しく頭を下げた。
 「わかりました。現在の状況、マスターの判断、自分が持ち得る力を理解し、受け入れましょう。では、我が子孫であり此度のマスター……このアセナ、あなたのために存分に戦い抜くことを誓います」
 その仕草や言葉、誠意に対してアイクが満足気に頷くことはなく、心底どうでも良さそうに一瞥した後に顔を上げてそこに座るように促した。
 言われた通りにその場でペタンと座り込んだ彼女を確認してから、アイクは岩に腰かける。空中に魔力の微粒子を寄せ集め、トルコ語と図を描きながら講義を始めるように口を開いた。
 「では、今後の計画について話す。意見や質問は最後に発言しろ」
 「Evet, tatlım(お望み通りに)」

 アイクの戦略と計画について、小一時間は経っただろうか。まだ夏は続いているとはいえ山間部は夜になると気温が下がる。寒くないのかと気を揉んでいたアセナに気づいたのか、アイクはひとつ区切りをつけて話を終えた。実家はもっと寒いから慣れていることを告げ、計画は以上だと締めくくった。
 「なるほど……人狼事件。……正直気は進みませんが、場を掻き回すという点では良い発想でしょう。しかし、二点ほど要望が」
 アセナ自身の気配遮断スキルを応用し、マスターに成りすまして不意打ちを食らわせる。その為にも、敢えて早い段階から仕込みをする必要がある。
 善は急げ。早速明日から彼の提案する人狼事件を起こす運びとなったが、アセナはやはり苦虫を噛み潰したような顔をしていた。弱きを助け、癒す逸話を持つ彼女が見境なく人間を襲う獣となるのは嫌がるであろうと踏んでいたアイクは、次の提案を用意し始めていた。
 しかし、その準備は徒労に終わる。うんうんと唸り揺れていた銀糸のような長い髪が突如跳ね、むっと自分の方へ真っ直ぐ向き直る。そして、まるで人間がやるように人差し指だけを立てて要求してきた。
 「ひとつ。わたしは無駄な殺生は嫌います。狼は弱いものから狩ったりしませんので。ですから人狼として襲う場合、その対象は襲われても文句が言えない人物……悪人を希望します」
 百歩や千歩譲ってもこれくらいだ、と顔を顰める。いいですね、と念を押すようにアイクの鼻をつんつんと指でつつく。やめろ、と手で軽く払ってから了解の意を告げると、満足したようにアセナは頷いた。
 「そしてもうひとつ。マスターの振りをするのであれば、わたしはあなたの人生を知らなければなりません。ということで、マスター」
 ずい、とアイクの方に身を乗り出し、彼女はどこか楽しそうに、柔らかく微笑んだ。
 「あなたが生まれてから今まで経験してきた全てを、是非わたしにお聞かせ願いたい」
 それは、計画を上手く進めるためという大義名分の形をとった興味。自分を喚んでくれたマスターが、子孫が、どのような半生を送ってきたのか。どのような家族がいて、どのような仲間がいて、どんな風に育ってきたのか。それを知りたいが為のこじつけに過ぎない。
 当の本人であるアイクはその要求に対して、少しばかり疑問を抱いていたが、やがてなにか自分の中で納得する答えを得たのか。ゆっくりと縦に首を振った。
 「計画を実行する上で、長期的に見ればその方が確かにやりやすいか。了解した」
  表情を一切変えずにアセナの前で胡座をかき、先程と同じように月光のような微粒子を集め始める。
 すんなりと受け入れられたことに今度はアセナが驚いたが、キョトンとした顔はすぐに見た目年齢には些か幼く無邪気な笑顔へと変わった。
 このような笑顔は今後、時折見られるのだが。如何せん、なにか思い詰めたような表情が増えることとなる。
 黒魔術師の半生を。黒魔術師による召喚儀式への介入を。混ぜられた人狼の恐ろしさを。彼女はこれから、読んで字のごとく身をもって体験することになるのだから。
 その身に宿した小さな命たちが腹を空かせ、グゥグゥと唸り声を上げるまで、あと少し。
 その夜は、確かに運命の夜であった。