雨宮水月
2024-07-01 19:03:42
5899文字
Public 探索者の日常
 

タイムスリップ・バレンタイン

月見里天音と恋人の話
よその子をお借りしています。
(2021年2月の作品)

 (バレンタインに恋人と予定があるって、こんなに優越感に浸れるのか……すげぇな)
 去年までのバレンタインはイルミネーションで彩られた街も、寄り添い合うカップルも、どこか羨ましいような妬ましいような気持ちで眺めていたが、今ならしっかりとこう思える。「大切な人」と過ごす特別な日は、どんな理由であれ台無しにされたくないのが恋人たち、家族がいるものたちの想いだろう、と。そんなことを思いながら隼人は寒空の下、大きな包みを持ってピンク色に染まりきった街を歩いていた。
 だがそうも言ってられないのが芸能人というものだ。否応なしに仕事は入って来るし、ドラマや映画の撮影は計画通り進めるのが当然。プライベートも大事だが、こういった仕事に就いているとそれもなかなか難しい。交際について公表していないなら尚更である。
 何が言いたいかというと、付き合って初めて迎えるバレンタインデーのデートは天音が仕事を終えてから。つまり夜になる。一日中デートをして彼女を独り占めすることは叶わなかったが、仕方ない。だがこの日に共演している連中は男だろうが女だろうが羨ましい、とただでさえチンピラっぽく見える目つきを尖らせながら舌打ちをする。通りがかったОLたちがぎょっとするが、隼人は気づいていない。この男はこういうところで勘違いされることが多い。
 夜のデート。しかも天音から「家に泊まりに来て欲しい」とあれば期待するのが男の性だろう。今までそういうことがなかったわけではない。むしろ向こうの方から声をかけてくることが多かったが、今日はいつもより気合を入れようと昼間から無駄に入念に準備していた。美容院では「彼女さんとデートですか」と聞かれて少し舞い上がってしまった。しっかりバッチリ決めてもらったので、問題はないはずだ。ショーウインドウに薄く映り込んだ自分を見て眉を顰める。張り切りすぎた気がするが、まぁ良いだろう。
 また、プレゼントになにか買っていこうとデパートに行けばバレンタインムード真っ盛り。店員には「彼女さんにプレゼントですか」と口々に聞かれる。今まで彼女持ちの男はこんな気分だったのかと、数分ほど隼人はその言葉を険しい顔で噛み締めていたため、店員から少し引かれていたのは言うまでもない。
 店員からアドバイスをもらいながらなんとか選んでラッピングしてもらう。気に入るだろうか。あまりこういうのは慣れない。欲しいと言われたら、ああそうか、それが欲しいのかと理解して買ってやれるが、どうも天音は自分の欲しいものをあまり言いたがらない。以前聞いたら「隼人がいてくれたらそれでいいわ」と笑っていたので、その言葉を信じている。しかしあのセリフは本来こちらが言うものではないか、と未だに思う。
 本来は与えられる役柄通りのクールでSっ気がある天音だが、あれでいて可愛いものは好きだ。何故か動物に嫌われがちだが、一度は可愛い動物に触ってみたいと言っていた。恐らくその願望は満たされないだろうが、少しでも癒しになれば良いと思いうさぎのぬいぐるみを選んだ。何故うさぎなのかと問われても隼人にはよくわからない。ただ、これを抱きかかえて笑う天音の姿を想像してみたらいつの間にか会計をしていたようだ。そのため本当に喜んでもらえるのか、隼人は気が気でなかった。
 そんなことをぐるぐると考えながら歩けば、いつの間にか彼女のマンションに着く。フロントで部屋番号を入力し、インターホンを鳴らせば何も言わずに扉が開いた。料理をしていたのだろうか、タイミングが悪かったなと少しの罪悪感と共にエレベーターに乗り込む。部屋の前でもう一度インターホンを鳴らせばバタバタという足音と共に鍵が開いた。
 「いらっしゃい、隼人。ちょっと待って、いま色々やってて……リビングで待っててくれる?」
 「お、おう。悪いな……料理してたんだろ?」
 「うん……料理…………そう、ね」
 ここにきて急に緊張し始めた隼人が目にしたのは少しだけ焦っている様子の天音の姿。ゆったりとした部屋着にエプロンをして、まとめた髪が少々ほどけているところを見ると、帰ってきて早々に料理を始めたのだろう。もう少し早めに来て手伝えば良かったか、と思い荷物を置いて手伝おうかと声をかけようとしたのだが、芳しいカカオの香りに一瞬だけ動きが止まる。もしかして、料理と一緒にお菓子まで作っていたのか。
 慌てて洗面所で手を洗い、手伝うぞと言いながら台所に入るとたじろぐ天音が出迎える。その後ろには溶けた大量のチョコレートが二人用の鍋の中にあり、皿の上にはクラッカーやいちご、キウイ、バナナといったフルーツ類が乗っている。トースターでは何かを焼いているようだが、チョコレートの香りでよくわからない。
 「…………え?」
 「あ、えっと……本当は他にもなにか、豪勢なものを作ろうかと思ったんだけどね? 誰かとやってみたくて、その……チョコフォンデュ」
 ああ、なるほど。だからマシュマロの入った袋を手にしているのか、と妙に目の前の状況に納得しながら、隼人は間の抜けた返事をした。トースターの中身はグラタンらしい。軽くメインを食べてから、チョコフォンデュを楽しもうという計画だったようだ。
 チョコレートフォンデュにした理由があまりにも可愛らしい理由だったため、思わず頭をふわりと撫でてしまった。あ、しまった。一応料理の最中だからいきなり触ってはいけなかったな、とすぐ手を引っ込めると物足りなさそうな顔をされた。だめだ、変な気が起きる前に誤魔化さなければ。すぐになにか手伝えることはあるかと聞けば、そろそろ焼きあがるグラタンの鍋敷きを用意してもらいたいとのことだったので、その通りに動く。バレンタインだからか、何故かいつもよりぎくしゃくしてしまった。
 テーブルに食事とチョコレートが入った鍋、チョコフォンデュ用の小さな具材たちが並んだ。十分豪勢な食卓だ。いただきます、とグラタンを口に入れれば非常においしい。天音を見ればニコニコとこちらを見ていた。
 「どう? おいし?」
 「おう!! すげぇ、こう、クリームがいい感じになってて……すげぇうまい!」
 「ふふ、良かった」
 小学生並みの感想しか言えないのか、と反省しながらも満足そうにしている彼女を見て安心する。結婚したらこういうのが日常になるのか、と考えながらもくもくと食べていくとなんだか心が温かくなった気がする。これがイデアか……と呟くとキョトンとした表情が帰ってきた。
 早々にグラタンを食べ終えて、熱々のチョコレートを前に天音の目の色が変わる。厳しい家だったから、こうやって好きなだけチョコレートをつけて食べるようなことはできなかったらしい。お菓子すらあまり食べたことがなかったと、いつだったか聞いたことがある。モデルの天敵は体型崩れと肌荒れだ。そんなことが許されるはずがない、というのは芸能界に片足を突っ込んでいる隼人でもわかるが、それにしてもかなり厳しい両親だったようだ。だからこそ、このはしゃぎようか。きらきらした目でチョコをつけたいちごを頬張っている姿は年相応の女の子だった。あまりこういう姿を見せてくれないのでなんだか新鮮だし、これを見られるのが自分だけと思うと急に優越感が込み上げてくる。などとよそ見をしていたら、思いっきり口元にチョコレートがついた。かっこわるい。
 くすくすと笑ってすぐにタオルで口を拭ってくるのがなんだか子ども扱いされているみたいだが、悪い気はしない。恥ずかしいが。
 「ふふ、かわいい」
 「いや!! お前の方が、か、かわ……
 「はいはい。あーん」
 そうやって、キウイとチョコは合うんだなとか、他にもチョコに合うものはなにかとか、このチョコレートが余ったら何を作ろうだとか。そんな他愛のないことを話しながら食べていたら、そろそろお腹いっぱいになってきた。そういえばプレゼントを渡せていない。覚えているうちに渡してしまおう。
 先程ラッピングしてもらったばかりの包みを渡す。中身を確認して顔がほころんだことにほっと胸をなでおろした。喜んでくれたのなら良い。あわよくば抱きかかえて寝ている姿を写真に収められればいいのだが、それはまた別の機会でいいだろう。
 すると彼女も何か用意していたらしく、ゴソゴソと引き出しの中から何かを取り出してきた。
 「はい。そんなに大したものじゃないんだけどね」
 そう言って差し出されたのは白い包装紙に薄い水色と赤のリボンがかけられた、明らかに手作りですと言いたげな四角い箱だった。昨日作ったから早めに食べてね、という天音の声を上の空で聞きながら少し震える手で受け取る。本命チョコ。しかも、好きな人から初めてもらった……
 と、ここで隼人は違和感を覚える。自分はこのチョコを知っている。何故だ、彼女と付き合い始めたのは去年のバレンタインが過ぎた後で、まだそういう関係になってから一年も経っていないはず。これが正真正銘、天音からもらった初めてのバレンタインチョコのはずなのに。このリボンにはどこか、見覚えがある。どこで……と記憶を辿っていく。
 「えっと、その、簡単な生チョコだからあんまり期待は……
 「俺は、もしかして……去年も」
 そう言いながら可愛らしい箱から視線を動かすと、珍しい光景が見えた。
 口元を手で覆い、驚いたような表情で顔を赤らめている天音。ドラマの中でも雑誌の中でも、ベッドの上でも見せたことがない、純粋な乙女の表情に隼人は数秒固まった。今まで考えていたことが一瞬で吹き飛んだが、やけに冷静に鮮明に、一年前の回想が進んでいく。
 去年のバレンタイン。フリーだった隼人はヤケで一日中仕事を入れて疲れ果てて家に帰った。仕事用に持っていったタオルやらなんやらを出して洗濯機に入れようとしたら、やたらひらひらした赤と水色のリボンが見えたのだ。自分の持ち物の中にこんな女々しいものがあったかと怪訝に思って正体を確かめたら、差出人不明の長方形のプレゼントと対面した。小一時間くらい机の上に置いて眺めて、いったいどのタイミングで入れられたのか、差出人は誰なのか、メッセージカードの筆跡に覚えがあるかとぐるぐる考えていた。腕を組みながら心当たりがありそうな人物の顔を思い浮かべるが、全くわからない。これは果たして食べてもいいものなのか。もしかしたら自分宛てではないのではないか、いやでもメッセージカードには自分の名前が書いてある。
 そんな堂々巡りを一人で悶々とやってから、考えても仕方がないという結論に落ち着き意を決して箱を開けた。中には綺麗に焼かれたチョコレートケーキが鎮座していて、思わず背筋が伸びたのを覚えている。ほろ苦くて甘いチョコレートの中にブランデーの香りが微かに感じられて、これを作ってくれた人はさぞお菓子作りが得意な人なんだろう。それか、この日のために何度も練習してくれたのだろう。恐らく、自分のために。そう思って、一人涙ぐみながら幸せのチョコレートケーキを頬張っていたのをよく覚えている。
 そう。つまり、去年もらった、あの差出人不明のチョコレートケーキは。
 「おい!! おい天音! お前、去年おんなじこのリボンで包んだだろ、チョコ! 俺に、俺の鞄の中に!!」
 「し、知らなっ。知らないわそんなの! ちょっと待って、ちょ、隼人近い」
 先程もらったチョコレートを一度机に置いて、身を乗り出して彼女に問い詰める。知らないと言い張っているが恐らく嘘だ。こんなに真っ赤になって慌てている天音は見たことがない。図星なのだろう。ガシッ、と彼女の両肩を掴んで逃げられないようにすればいつもの余裕がどこへやら。びくりと身体が跳ねて眼鏡のレンズ越しにこっちを見てくる瞳は少し潤んでいる。あ、すげー可愛い。おそらくこのまま押せばいける。
 「あの差出人不明の、超絶手の込んだ美味いチョコレートケーキは天音が作ったのか?!」
 「ま、待って……や、こっち見ないで」
 「あんな、あんな美味いケーキ生まれて初めてもらったんだぞ!!」
 「…………お、覚えてたの……?」
 観念したらしい天音はしおらしい態度でおずおずと尋ねてきた。当たり前だ、と声にするのと同時に羞恥や喜びで震えている彼女を勢いよく抱きしめる。髪に染み込んだチョコレートの甘さにくらりとする。耳元で囁くほどの小さい声で、一年越しのありがとうを伝えた。
 「あのチョコが、生まれて初めての本命ってやつで……その、すげぇ嬉しかった。…………ありがとな」
 まさか一年も前にこっそり鞄に入れて、何も言えずにそのまま去ってしまったチョコレートケーキのことを覚えていたとは夢にも思わなかった。驚きと恥ずかしさと嬉しさとが綯い交ぜになって、彼の背に手を置いた。広い。こういう、優しい人だっていうことはずっと前から知っていたけれど、今その優しさが自分に向いているということに幸せを感じる。欲しかったものを惜しみなく与えてくれる人がいる幸福。すこしだけ背に回した腕に力を込めた。
 「覚えててくれて、嬉しい。……ありがとう、隼人」
 一年越しに報われた気持ちが溶けて流れ出す。少し困惑した顔をした隼人は何も言わずに抱きしめ続けた。気の利いたことを言えたらいいが、今は黙ってこのままの状態の方がいいだろう。ゆっくり頭を撫でていく。思っている以上に、彼女のことを知らないのかもしれない。少しずつ知りたいと思った。自分のことも、面白みはないが話そうと思った。
 「……あ、そうだ隼人」
 落ち着いたのか、ゆっくりと離れてから思い出したように呼ばれる。どうした、と目元を指で拭ってやりながら次の言葉を待った。
 「今日はバレンタインだから、私のこと好きにしていいわよ?」
 少し悪戯っぽく笑って顔を覗き込んでくる姿はいつも通りの小悪魔だった。やっぱりどこまでも手のひらの上なのだろうか。今までしっかりしていた思考回路がいきなり止まってしまって、思わず声を荒げる。
 「…………本当か? 言ったな?!」
 「女に二言はないわ。あ、でもそれ片づけてからね」
 そう言ってするりと腕の中から抜け出して行く。使い終わった食器たちを下げていく姿を見送りながら、ゆらりと立ち上がって鍋を持ち上げた。チョコレートの甘い匂いでどうにかなりそうだ。もう少し心の準備をさせて欲しいと思いながら、バレンタインの夜は更けていく。