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雨宮水月
2024-07-01 18:41:00
3359文字
Public
創作
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荒天の霹靂
ワードパレット
23.月 「裏」「無彩色」「瞬く」
(2019年8月の作品)
ギィ、と重厚な木製の扉特有の音を立てて、利用者はやってくる。
ここの主人は人嫌いだ。人懐っこい笑顔をたまに見せるくせに、どこかからかうような態度と無愛想な態度を取って人を遠ざける。閑寂を愛し、孤独に浸り、優雅さで遊び、知恵を食して堪能する者だからこそ、この神聖な場所に入り込む際に音が鳴るようにしている。この図書館は彼女の持ち物で、遺産で、箱庭だ。
そんな図書館もどうなんだ、と思いながらも壮年の男性はここの雰囲気が気に入ってしまった。結果、頻繁に出入りするようになって顔を覚えられたのだ。あの人嫌いは顔を覚えることをしないけれど、毎日毎週毎月くたびれた男が来たのには反応せざるを得なかったらしい。
「物好きな奴
……
いや、暇なのか?なんでもいいが君の顔も飽きたな」
「仕事に必要なんで
……
」
「そうか、せいぜい頑張りたまえ」
ひらひらと左手を振りながら、読んでいる本から一切視線を逸らさずに言う様は、どこかのアニメで見た気難しいキャラクターのようだ。まぁ実際気難しい人だから、間違ってはないだろう。
ここは子供が入れない不思議な図書館。通う者は社会人や定年退職した老人たちのみ。若い人間は館の主だけ。今日も彼女は自分の城を闊歩し、踊るように返却されてきた本たちを元の場所へ戻していく。何の本がどこに置いてあるかは全て把握しており、どこも見ず、単行本を読みながら作業をするものだから見ているこっちがハラハラする。
そして、その作業が終わったあとは貸出業務で呼び出されるまではどこかへ行ってしまう。中世ヨーロッパの図書館よろしく本棚の裏に仕掛けがあり、そこを開けると螺旋階段が出現するのだ。そしてそれを登っていき、ひとり謎の空間へ引きこもる。以前、それはあなたがこの図書館を造る時に注文したものかと聞いたら、「あ?これは先生のものだから、先生が作ったに決まってるだろう」と言う返答が来た。
「先生、とは誰でしょう」
「なんで君に教えなければならんのだ」
「いえ、てっきりこの図書館はあなたの所有物だと思っていたので
……
」
なんだと、と彼女はようやく読んでいた本から顔を上げた。眼鏡の奥に佇むモネ・ブルーの瞳がいつも以上に鋭さを増す。よほど尊敬している人なのか、ついて来いとカウンターの奥へ案内される。そんな場所に関係者ではない自分が入っても良いのか、と躊躇ったが何してるんだと怒気を孕んだ声が耳に入ったので慌てて追いかける。
カウンターの奥はパソコンや大量の書籍、手紙の山や処理途中の書類などが乱雑に広がっていた。隅の方には水色の傘が立て掛けられており、彼女のものであることは一目瞭然だった。主人はこっちだ、とさらに奥の扉を開けて、細くて長くて、ほの暗い廊下をつかつかと歩いていく。しばらく歩いたところに螺旋階段が現れた。それを登っていくと、この建物の三階部分にあたるフロアに到着した。更に廊下を進んで行き、手前から五つ目のオークで造られた豪華な扉の部屋に通される。そこには、誰もが知る有名人の写真や表彰状、メダル、文献などが飾られていた。
「こ、これ
……
本居里衣子さん?」
「なんだ、知ってたのか。元々ここは先生のものだ。これがその証拠という訳だが、無闇矢鱈に触らないでくれたまえよ」
本居里衣子とは、日本でレイニアモンデルスラント研究の第一人者として、ガンで亡くなるまで論文を発表し続けた秀才だ。僅か六十四の若さで亡くなり、葬式には海外の研修仲間も参列したと聞いた。
そもそも、レイニアモンデルスラントとは北海に浮かぶ孤島で、年がら年中雨が降っている不可思議な国だ。夜は雲が晴れ、美しい夜空に月や星が一斉に瞬く。神の庭と呼ばれるその天井は、あまりにも幻想的で酔いしれる景色だと言う。独自の生態系が確立され、天然記念物や絶滅危惧種の宝庫でもある。未だ謎の多い国の研究に一石を投じた彼女は、かなり文化的な貢献を成し遂げたとして表彰された。
男が棚に並べられた写真を眺めていくと、館長と里衣子がこの図書館であろう建物の前で撮った写真を見つける。弟子だったのか、と少しだけ息をついた。窓を開けて換気をしようとしている館長は、雨か、と呟いて大人しく窓を閉める。今日の降水確率は確か八十パーセントだった。
「そうか
……
ここは、本居先生の」
「先生が設計デザインに口を出して、私に遺してくれた。だがね、ここはいつまでも先生の城だ」
「理解しました。貴方は先生の教え子だったんですね」
雨を愛した人の城に、流星のように降り注ぐ雨を眺めながら、館長は無表情に近い顔でまぁな、と答えた。
「自分も、レイニールを研究していた者です。先生の講演も行きました。文学的な表現や理路整然としたレジュメが印象的でした」
「当然だろう」
あの先生だぞ、と言いたげにムスッとした顔を向けられる。当たり前の賛辞を述べても何も無い、と言いたげだった。
雨が降ってきたので点検しなければならない箇所があるらしく、さっさと部屋を追い出される。胸ポケットに入っていた懐中時計を確認して舌打ちをしながら来た道を戻り、カウンターの奥の部屋まで来たところで男に向き直った。にやり、と意地の悪そうな顔から、絶対に碌でもないことを言い出すのだろうなと男は察知する。
「私は図書館長でもありながら、研究を続けている。そして、ちょっとした情報屋というのもやっていてね。まぁ、ここまで言えばどんな愚鈍な奴でもわかるだろう?」
館長の背後のカウンターに乗っている牛だか馬だかの骨が、自分を見てニタリと笑った気がした。ああ、ちょうどいいカモになったということか、と気づいて溜息をついた。財布を取り出し、おいくらですかと聞く。しかし彼女は「何してるんだ、この馬鹿は」とでも言いたげに眼鏡をグイッと上げている。そして、お金ではないのか、と首を傾げた男に人差し指を突きつけた。
「君がベストセラー作家なのはお見通しさ。いいからさっさとうちに本を寄贈してくれたまえ」
そろそろ新刊が出るだろうから、それもお願いするよと告げて館長は契約書を取り出す。更に連絡先も一方的に聞き出され、結局閉館時間まで拘束された。
薄暗く冷たい雨の下、図書館の裏手に用事がある館長と、やっと開放された男が荘厳な装飾を施されたファザードのような扉をくぐる。水色の傘とビニール傘が並び、出版社にちゃんと連絡するようにと年を押してから彼女は裏手へ向かう。
まだスーパーはやっているはずだ。今日はネギの特売だったが、まだ残っているだろうかとぼんやり考えながら家路につこうとする。すると、なにか思い出したのか館長がクルリと勢いよく方向転換をして男の元につかつかと近寄ってきた。
「ひとつ言わせもらうがね。雨が無彩色だなんて、誰が言ったんだ?もっと雨をよく見てくれ」
何を言っているんだ、と男がイマイチ理解していないでいると、なにか気づいたらしく館長の顔をまじまじと見つめた。
「貴方をよく見ろ、と?」
華麗な回し蹴りの後に革靴を思いっきり踏みつけた彼女は、気が済んだようで再び目的を果たすために去って行った。
男は痛みに悶えながら、水たまりに映る自分の顔を見た。無彩色の雨。そうだ、それは自分のデビュー作のタイトル。それに文句を言いたかったのだろうか。
思わぬファンが身近にいたものだ、と髪をかき上げながらジンジンと痛む左腕で傘を持つ。痛くて仕方ないはずなのに、彼女に毒を吐く気は起こらなかった。今の彼には、雨は輝く金色に見える。
電車に揺られながら、雨に輝く街を眺めた。雨粒がひとつひとつ、生き物のように動く様を観察した。白銀の月を神と崇めるあの国へ、もう一度行きたくなった。未だに痛みが残る腕は、その反動なのかわからないが執筆したくてたまらない興奮に震えていた。
「人嫌いの主人公、いいかもしれませんね。紫月雨さん」
週末に今年最後になるであろう台風の接近を知らせるニュースが、テレビに流れてくる。夏が終わることに胸が高鳴った。雨の裏に隠れた美しい光景を、求めながら生きていく。
嵐が通過することは、こんなに嬉しかっただろうか。
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