雨宮水月
2024-07-01 18:35:45
1861文字
Public 探索者の日常
 

アルトサックスの告解

谷口勇介の話
(2019年8月の作品)

 谷口勇介が人生で最初に出た葬式は、弟のだった。
 勇気という名前を付けた。学校からもらった半紙の余りに、父と共に認めた。同じ漢字が入っていて、勇気のある優しい男の子になるようにと両親と自分が願いを込めた。
 お兄ちゃんになるのだ、と意気込んで一緒に歌ったり演奏したりする準備もした。嫌いなピーマンも食べられるようにした。お兄ちゃんとしてしっかりしようと子どもながらに考え、苦手な勉強も頑張り、テストで良い点を取った。
 街中で小さな赤ちゃんを見る度に、背筋がピンと伸びた。小さな身体が息をして、お腹が上下に動く様を想像する度にそわそわした。早く会いたいね、と母と笑い合っていた。


 手を繋ぐことも出来なかった。
 声を聞くことさえ出来なかった。
 喧嘩することも出来なかった。
 一緒に生きることが、出来なかった。


 母は憔悴しきってしまった。自分が殺したも同然なのだと、常に自分を責めて、まともに食事をしていることは両手で数えられる程度だった。精神的にも身体的にもどんどん弱っていく母を、父と息子は医者に任せるしかなかった。
 「お母さんは今、元気になって帰って来れるように頑張ってるから」
 父から言われたその言葉を信じて、勇介は涙を堪えた。自分は弟がいなくてもお兄ちゃんになるのだと。母の支えになれるような、しっかりした子になるのだと意気込んで、今度は掃除や料理、ゴミ出しなどを覚えていった。小学校二年生の、まだ小さくて遊びたい盛りの頃だ。
 「かあさん、俺のリコーダー聴いたら元気になるかな?」
 「きっとな。お母さんの調子が良くなったらにしよう」
 父は、妻にあまり余計な音を聞かせたくないようだった。なのでしばらくは勇介を母と会わせずに、彼女の心が安定していくまで待つことにした。
 この頃から勇介は家でひとり、リコーダーや鍵盤ハーモニカで好きな曲を弾く遊びをしていた。元々母と共にクラシックを聴いていた子だったから、当然の流れではある。母が教えてくれたピアノも、学校の休み時間や放課後のちょっとした時間に楽しんでいた。
 いつしか、音楽を愛していた。
 母のお見舞いに行った際には必ず今日演奏した曲や、弾きにくい箇所があること、友人たちに褒められたことを話すようになった。
 母は、その姿に段々と我に返ったようだった。
 勇気はもうどこにもいないけれど、勇介は今も生きているのだ。
 そこからみるみるうちに母は回復していった。食欲も戻り、笑うことが多くなり、趣味の裁縫を再開し、病室ではいつも歌が溢れていた。
 勇介が小学四年生の春に退院し、中学に上がる頃には出産前の母に戻っていた。中学から吹奏楽に入り、サックスを担当するようになった。父には勉強もちゃんとするように、と釘を刺されたためしっかりと勉学にも励んだ。
 そこそこ良い公立高校に入学して、勇介は更にサックスを、音楽を突き詰めた。
 音大に行きたいと言い出した彼は、IT企業に勤める父から猛反対を受けた。
 母だけは、息子を指示した。
 母は亡くなった弟の分まで、勇介に愛を注ぐことを決めていた。勇気の分まで幸せに、自由に生きて欲しいと願っていた。
 それが喜ぶべきことであり、良いことであり、無条件に享受して自分が幸せなのかどうか、勇介には未だにわかりかねない。どうあれ弟は死んでしまった。それは事実であり、母が弟の分まで取っておいた愛情の矛先が勇介へ向けられるのは当然のことだろう。
 「勇介がやりたいこと、やってみたいことはなんでも言ってね。お父さんはきっと難しいことを言うけれど、私は出来るだけ力になりたいから」
 勇介は、その愛情を利用することに決めた。
 なんにせよ自分は愛されていて、弟の分まで幸せにならなければいけないという、どこからか湧いてきた脅迫じみた考えに取り憑かれていた。
 もしかしたら、懺悔や赦しを求めていたのかもしれない。
 お前の分の愛情を、兄の俺が取ってしまった、という申し訳なさ。生きているはずのない、言葉も話せない、顔も見たことがない両親と兄である自分をどこかで見つめている弟がいる気がした。


 サックス奏者として日本を発つ前に、ペンダントを購入した。
 それは21グラムの銀色の十字架。
 弟の分まで。弟の魂と共に。
 産まれてくることが出来なかった、最愛の家族へ。
 今日も遠くまで届くように、音楽を奏で続ける男がいた。
 誰も彼の真実を知ることは無く。
 ずっと、心に鎮魂歌を抱いて。