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雨宮水月
2024-07-01 18:25:57
4433文字
Public
探索者の日常
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アトラスの地図
雰囲気小説。アトラスの話したかっただけ。ちなみに胸骨は鳥かごとも言われるらしいよ。
ギリシャ神話のモチーフを少しだけ入れたので探してみてね。
(2019年4月の作品)
アトラス山脈の麓で死体が発見された。
発見、及び通報は地元のベルベル人と学者たちだそうだ。調査と鑑定の結果、イギリス人の旅行者だった。二ヶ月ほど前から音信不通になっており、家族も半ば諦めかけていた矢先に発見されたのだという。
そんなニュースをヨーグルトを山のように自分の皿に掬った絵里は、淡々と眺めていた。隣で食後のコーヒーを楽しんでいるルーカスは眉を顰めながら、この奇妙な事件について話し始める。
「不気味だよね、この事件。わざわざ腹をぱっくり開けて、胸骨がすべて見えてたんだって」
柘榴のソースをヨーグルトにかけながら、何故今自分の隣でそんな話をするのかと言わんばかりに絵里が睨んだ。柘榴の赤は血のようにヨーグルトの山を滑り落ち、グロテスクというよりは、官能的な色味のコントラストを奏でている。
睨みつけながらも絵里はぱくぱくとそれを口に運び、もう一度テレビを見た。腹を裂かれ、頭部もぱっくりと割れていたご遺体。奇妙なことに、その頭部には脳味噌と共に、第一頸椎が無くなっていた。
「脳味噌って綺麗に持っていけるもんなの?」
「さぁ、どうだろう」
アメリカの大統領が暗殺された際、そばに居た大統領夫人が脳味噌が全て失われないように、夫の散らばったそれを必死にかき集めたとかなんとか。医学の方面では彼らの知識が全く機能せず、そのまま脳味噌を持ち帰って何に使うかの予想で意見を交わしあっていった。絵里が朝食を食べ終わると、考古学チームは今日も神話の舞台へ向かった。
今日は午前中から昼過ぎにかけて発掘の続きをし、午後は教授と共にパルテノン神殿に足を運ぶ予定であった。なんでも神殿の美術的な方面の研究者たちと現場で意見を交わし合うことが出来るらしく、美術史の分野でも有名な絵里の大学の教授、梅宮勲(うめみやいさお)が呼ばれた。知り合いも多く集まるらしく、君たちも来るかと聞かれ、猫のように好奇心を膨らませた絵里とルーカスは首をブンブンと縦に振った。
かつては古代都市アテナイの守護神であったアテナを祀っていた神殿は、今は極彩色など見えぬ真っ白な、しかし威厳と神秘に満ちた佇まいで彼らを迎える。だが、絵里たちが到着した際には神殿へ行くための受付に人だかりが出来ており、その中にはテレビの取材班もいるようで何やら不穏な空気が漂っていた。
「やあ、ヴァシリス。今日は一段と騒がしいけど、もしかして問題がある?」
「ああ、イサオ!聞いてくれ、朝から大変なんだ!」
現地で合流を予定していた研究者の一人、ヴァシリスは教授を見つけた途端にすがりついた。朝から何があったのかと、絵里は人だかりの合間を縫ってその元凶を確かめに行く。
遠目から見る限りでは具体的なことはわからない。しかし、ハッキリと白い神殿に目立つブルーシートと赤黒いなにかは視認できる。更に異臭も微かに感じられ、極めつけは付近にいた警察であろう人間の「アトラスと同じだ」という発言。なるほど、ここで誰かが奇妙な殺され方をしたのだという結論に至る。
絵里は不快そうに顔を歪め、さっさと心配そうに見守っているルーカスの元へ戻った。行かない方がいい、とそのまま教授とヴァシリスの背を追って、一行は現場を後にした。
ヴァシリスは今回招かれた研究者たちが待機していたカフェへ、三人を連れてきた。顔馴染みのメンツが揃って顔を突き合わせている。話題はやはり先程の事件に関してだろう。場所が場所なため、あまり大声では話せないが。
軽く挨拶をしてから各々が好きに注文をし、ヴァシリスが三人に事の概略を説明する。
今朝、管理人が神殿で倒れている人影を発見した。ただならぬ臭いと大量のネズミのおかげで、近づくまでもなくすぐさま死体だと気づき通報。今日神殿へ赴く予定だった団体客や旅行者、研究目的の人間が全て見学できなくなった。遺体は午前中にも運び出され、検死解剖である程度のことは判明したらしい。現在は主に現場検証などをしており、血液などの処理や神殿の欠損などがないかの確認のため、少なくとも一週間は入れなくなるだろう。
運ばれてきたコーヒーを飲みながら、ヴァシリスは一通りの説明をし終え、大きく溜め息をつきながら頭を抱えた。
「ギリシャで最も神聖な場所で、人が死ぬなんて
……
」
「アトラス山脈での殺人と同じらしいわね」
店員が怪訝な顔をしながら、絵里の前にパンケーキをコトリと置いた。その視線など微塵も気づかないようで、彼女は平然とした態度でそれを切り分けてもさもさと食べ始める。ヴァシリスは久々に会った友人の弟子に、相変わらずだなと苦笑した。彼女の大食らいは仲間の中では伝説なのだ。
「どこで聞いたんだ?」
「さっき警官っぽい人が言ってたのが聞こえたのよ」
「でも、今回はちょっと違うらしいぜ」
ルーカスに信じられないと言いたげな顔を向けられていた絵里の言葉に、ひょこり、と隣のテーブルから青年が首を突っ込んできた。シュテファンというローマ帝国時代を専門とする美術史学者は、レモネードを飲みながらテレビの取材班が口にしていた情報を興味深そうに語り出す。
「アトラス山脈のは頸椎がなくなってただろ?今回は頸椎はそのままで、仙骨が抜き取られて五芒星の真ん中に置かれてたんだってよ」
「仙骨?」
ルーカスと絵里が顔を見合わせた。仙骨というのは具体的にどこら辺の骨なのか、全くわからない。自分たちは考古学と歴史の知識しか持っていないのだ。それに、あまり聞きなれない骨だった。
「仙骨というのはね、脊椎の下にあって
……
画像を見せた方が早いな」
そう言ってヴァシリスはスマートフォンで仙骨の場所を調べ、二人に見せる。尾骨の上、腰あたりに位置する逆三角形のような形をした骨で、様々な骨と繋がっている。縁の下の力持ちのような場所だ、と絵里は感じた。
「この前が脊椎、今度は仙骨
……
」
「何のメッセージなんでしょうね?」
「犯人からの宣戦布告、とかな」
シュテファンとルーカスがドラマのようなことが起きそうだ、と話している間に、絵里と教授はスマートフォンで仙骨に関して調べていた。すると、二人はとある項目に目を引かれる。
「
……
語源はラテン語のsacer?神聖、か」
「聖所、神殿の意味もあるらしいわ。ドイツ語ならKreuzbeinで十字架の骨
……
へぇ、そういうこと?」
絵里はパンケーキを一切れ口に入れ、自身のスマートフォンを取り出した。検索ワードは頸椎、ラテン語。
様々なサイトがヒットしたが、彼女が求めていた文言が上部にすぐ見つかる。頸椎、しかも第一頸椎はギリシャ神話の登場人物であり、死体発見現場の名称であるアトラスの名が付けられていた。
絵里は咀嚼をしながら仲間たちにそれを見せる。頸椎は頭部を支えるための骨だ。そしてギリシャ神話のアトラスは、神々との戦いに負けて世界の西の果てで天空を支え続ける罰を受けることになった巨人。
殺人現場がキーワードである骨の名前とリンクしている、ということを知り、余計に彼らは好奇心を募らせていく。研究者は皆一様に、謎が大好きなのだろう。絵里はスマートフォンを返してもらうと、そのあとはすぐにパンケーキの消化に没頭した。
彼女の周りでは骨のラテン語名を調べ始めた者や、どういったメッセージ性があるのかという議論で盛り上がった。もう今日はパルテノン神殿の研究どころではない。かつてのアクロポリスで哲学者達が議論に投じたように、彼らもまたああでもないこうでもない、と事件に関することについてこねくり回していた。
「なぁ、喉仏ってアダムの林檎なんだろ?もし次の殺人事件がアララト山だったら
……
」
「それでまた法則性が見つかるかもね」
「あ、見て!この骨、蝶の形をしてる」
ガヤガヤとしている周りをぼんやり見ながら、絵里は思案していた。
仙骨が五芒星の真ん中に置かれていた意味とは何なのか。犯人ではないのだから、わかるはずはない。何故五芒星なのだろう。魔除けとしてなのか、それなら何を避けようとしているのだろうか。
今まで出会ってきた、超常的な場面を思い出す。特に恐ろしい、と思ったことはない。遭遇した場合、命の危機を感じながらも自分なら大丈夫だと首を突っ込んできた。それらに惹かれているのも確かだ。現に自分は日本に帰らず、似たような事象や存在の証拠を探しながら発掘調査をしている。
なんとなく感じていた。これもきっとそのような不可思議な事件の一端なのだと。
高い空を見上げる。地中海の春は暖かい。穏やかな潮風が頬を撫でていく。街を歩く人々はこの凄惨で不可思議で、非日常な事件など関係ない、予定調和の日々を送っている。若い男女が腕を組み、買い物をしていたお婆さんに手を差し伸べる少年たち。神々に翻弄される人間たちは神話の中だけだ。
海を見た。自然と目に入ってきたのは崖と、そこに佇む黒いコートの人物。見ているだけで暑い。なんだあれは、とアイスティーをズズズと啜っていると、その人物が振り返った。
目が合った気がした。
瞬きの合間にその人は踵を返し、どこかへと去ってしまった。その姿を追うことはしなかったが、佇んでいた場所を見つめ続けていた。
血の気が引いたような気がする。室内に居るのに、ものすごく暑い。いや、寒い。風邪をひいたような感覚だった。
「
……
エリ、エリ!大丈夫?」
はっ、として隣を見た。ルーカスが訝しげに顔を覗き込んでおり、パンケーキを食べないのかと聞いてきた。物思いに耽りすぎたようだ。何事もなかったかのように最後の二切れを重ねて、口の中に押し込んだ。甘くて軽い西洋独特の生クリームが、今は何故か舌にまとわりついて鬱陶しい。
「平気よ。死ぬほど暑そうな人がいて、こっちまで暑くなった感覚がしたの」
「えぇ、そんな人いたの?そろそろ地中海は夏みたいになるのに、馬鹿だなぁ」
ほんとうね、と相槌を打ってアイスティーのグラスを置いた。ヒヤリとした感覚が氷の入ったそれから伝ってくる。先程まで殺人事件の話で盛り上がっていた彼らは別の話題に移ったらしく、何やらトランプゲームが始まるらしかった。絵里とルーカスもそれに参加しろ、と引き込まれ、結局セブンスペードを三ゲームも連続して行った。勝つのは毎回別の参加者だ。
絵里は四度目のゲームに応えるためにカードをシャッフルしながら、早く事件が解決するといいと思った。また神話の時代のようになるのは、こちらとしても迷惑なのだから。ただ静かに眠っているだけでいい。そこを自分は静かに見つめ、調査する。今はもう人間の時代なのだから、神様は黙っていて欲しかった。
山札から一枚取り、柄を確認する。ハートのエースがしっかりと、絵里の瞳を射抜いていた。
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