滞在4日目。
4泊5日のこの旅は本来であれば、明日には帰る予定だった。だが現状、とてもではないが24時間後にこの島から飛び立っている未来が想像つかない。
明日に帰る予定だったのなら、俺たちが帰らないことを不思議に思うのは少なくとも2日後。どこかに届出を出したとして実際に捜索が行われるのはもっと後のことだろう。
唐梨子は共有スペースのダイニングテーブルに座り、指を折りながら、おおよそ救助が来るであろうまでの日数を計算していた。
「
……元気かな」
目を閉じて思い浮かんだのは家族のことだった。今回の旅行ではお土産は用意できそうにない。
自分が普段作っているゲームの世界よりもフィクションのようなこの島での怒涛の日々が実際に滞在している日数よりも多く感じさせた。
メガネを軽く持ち上げ、眉間を指で揉む。
息を吐き出すと背中に温かさを感じ、そのまま後ろに軽く引かれる。
「阿月!おはよ♡」
「夏生
…おはよう」
仰け反った唐梨子の顔を覗き込んできたのは殊間であった。
ニコニコと笑う姿に張り詰めていた糸がスルスルと解けていく。
殊間は机の上に置いていた唐梨子の手に自身の手を重ね、隣に座り話し始める。
「ね、今日このあと昨日会ったって言ってた人に会いに行くんでしょ?どんな人だった?」
「あぁ、沢さんか。そうだな
…接しずらい印象はあるけど悪い人ではないんじゃないかな。山の斜面から滑り落ちそうになった俺を助けてくれた人だよ」
「そうなの?ってかそれアタシ聞いてないよ!気をつけてよ〜」
「はは、そうだね。ごめん」
冗談ぽく笑って返すが、ここで彼1人を本当に置いていくことは出来ない。
自分にとっての特別な存在なのだ。
彼と一緒にいられるのならきっといつも通りの日常に戻っても毎日が輝いて見えるだろう。
唐梨子は重ねられていた殊間の手のひらをそっと握り返した。
AM11:00
「
…おはよう」
この日最後に共有スペースへ降りてきたのは天宮であった。
自室に使っている部屋から階段を降りた先にいたのは、自分以外の6人の姿。
6人はそれぞれお茶を飲んだり雑談をしていたが、その内の何人かは行動がどこかぎこちなく違和感がある。
しばらく見ていると皆それぞれある一点を避けているようだった。
玄関の扉の奥。
皆が触れないようにしていたのは嶋アンナの死体である。
昨日の朝、自分たちは彼女の片腕が落ちていたのを目撃した。そしてその日の晩、彼女は何者かに撃たれた。
扉を開けた先には死体がある。
現在この島に安全な場所はこのコテージしかないのだ。扉を開けたがらないのも無理はないだろう。
だからと言ってこのままここに留まっていては帰り道も見つからない。
天宮は、ふぅっと息を吐くとツカツカと扉の方へと歩き出す。
「天宮さん
…?」
自分の横を通り過ぎた天宮に八波が思わず声をかけた。
天宮は特に気にした様子を見せず、そのまま玄関へ移動し、扉を開ける。
躊躇いのない天宮を目で追いながら旅行客たちは扉の奥を確認する。
そこにはなにも無かった。
まるで昨日、嶋アンナが死んだことすら嘘だったかのように死体も、血すらもそこには残ってはいなかった。
「どうして
……」
誰かが漏らした言葉はここにいる全員の感情を代弁していた。
天宮が扉を開けたのを皮切りに、花園や八堂が外の様子を見る。
八堂は嶋アンナの死体があったであろう場所をしゃがみ混んで調べ、花園はそんな八堂をドア枠にもたれかかりながら眺めていた。
「
…どうです?」
「うーん
…地面が完全に乾いているから少なくとも朝に何かあった訳では無いんじゃないかな」
「死体は勝手に歩かないわ、誰が移動させたんでしょうね」
「だ、誰がそんなことを
…?」
3人のやり取りを聞いていた八波がおずおずと尋ねる。
「それはわからないわ。でも少なくともここにいるメンバーじゃない。ということは昨日出会った2人と案内人さんの父親。3人のうちの誰かでしょうね」
天宮はそう答えると殊間と唐梨子の方をまっすぐ見つめ返す。
「もし本当に会いに行くなら気をつけたほうがいいわ。誰が味方か分からない、あまり信用しすぎないで」
「
……そうだね」
唐梨子は決意を固めるように、天宮と目を合わせた。
PM12:30
「じゃあ俺たちは沢さんを探してくるよ」
「いってきまーす!」
「2人とも気をつけて
…」
「いってらっしゃ〜い」
唐梨子が挨拶をし、元気よく手を振る殊間を海月と花園が見送る。
唐梨子と殊間はひとまず昨日であった山のある方面へ移動することにした。
「舗装されてなくて危ないから休みながらゆっくり行こう」
どんな姿をしていても、こうして阿月は俺のことを受け入れ、気にかけてくれている。
殊間はそれがどんなことよりも嬉しかった。
「うん。阿月が怪我しても大丈夫なように俺が手、繋いでてあげるよ」
これで落ちても2人一緒だね、と冗談ぽく伝えると唐梨子はそうだねと言いながら目を細める。
目は口ほどに物を言う。
あえて言葉にせずとも殊間には唐梨子の目が自分のことをどう思っているのかひしひしと伝わっていた。
足が取られやすい山道を2人は慎重に踏み進めていく。
しかし昨日沢に出会った山の中腹あたりに移動しても本人に遭遇することは出来なかった。
「いないねぇ、これからどうしよっか?」
「うーん。このまま登り進めるか、区切りをつけて山を下るか
…。ここから先は本当に何も見に行っていないから、かなり道は険しいかもしれないけどまだ日も暮れていないし、夏生が大丈夫ならもう少し登ってみても良いかもしれない。」
「阿月がそう思うなら行ってみようよ!何も成果がないままじゃ悔しいしね」
2人が更に足を進めようとしたとき。
周りからガサガサと草の揺れる音がする。
風が吹いている訳ではない。明らかに自分たち以外の別の生き物がこの場所にいる。話しかけてこないということは沢でもないだろう。
「阿月
…!」
「夏生、周りを警戒しながら早めに移動しよう」
鳥の声、虫の声、風の音、遠くから聞こえる波の音。
今はこの場で足を止めるより、この島の実態を把握しているであろう沢と合流するのが得策だと唐梨子は考えた。
彼が山の上にいるとは限らない。それでも唐梨子と殊間はその可能性に賭けることにした。
2人はここまで移動したときよりも早いペースで歩を進める。
あと5分も歩けば山の頂上に行けるだろうというポイントまで辿り着くと、その場所には一軒の小屋が存在した。
作りはかなり簡素である。
沢はここを拠点にしているのだろうか。
「すみませーーん!」
殊間が小屋に向かって声をかける。しかし返事はない。
「入ってみる?寝てるかも」
殊間はそう伝えると、唐梨子の返事が返ってくる前にほぼノータイムで小屋のドアノブに手をかけた。
「おじゃましまーす!」
中にはベッドなどの最低限の家具しか揃っていない。
その中で一際異彩を放っているものがあった。
壁に立て掛けてある銃である。
「ねぇ!これ
……!」
「あの人
…もしかして
……」
「ねぇ、どうするこれ。このままここに置いて行ったらまたアタシたちの誰か撃たれちゃうかもしれないよ阿月
…!っていうかここにいるのもバレたらヤバいかも!!」
「落ち着いて。
…これをここに置いていくのは危険かもしれない。持っていこう、夏生が持っていてくれ」
「え!アタシこういうの使ったことないけど!」
「俺も使ったことないよ。でも夏生には少しでも武器を持っていて欲しい」
殊間は、わかったと呟き銃を握る。
その姿を確認して2人で小屋を飛び出した。
帰ろう、そう唐梨子が殊間に伝えようとした時。
近くから視線を感じる。
辺りを見回すと、奥の木の影からこちらを見つめている何かがいた。
ぱっと見は鹿のような生き物である。
しかしキャラクターとして頻繁に見かける子鹿とは違い、その大きさは人間の子供と同じくらいに大きい。
その生き物は首のようなところがやけに太く、長い。
こちらを見つめる目は丸い可愛らしいものではなく、ギョロギョロと嫌な意味で目力があった。顔のあたりには毛が生えていないため、お面を付けているかのような不気味さがある。
そして頭には立派な角が生えていた。
「うわ!ちょ
…!目力ヤバすぎ!怖い!」
「夏生、その銃を使って」
「阿月は!?」
「俺はアレの気を引く
…!」
唐梨子は持っていた鎌をギュッと握り込むと、わざと大きな声を出す。
あわよくば自分たちの元を去ってくれれば良いと思っていた。しかしその声に鹿は反応してしまったのか、さっきよりも興奮した様子で暴れ始め、唐梨子の方に向かって走って来た。
唐梨子は襲いかかってきた鹿に対し、鹿の角を持っていた鎌の柄で受け止める。
「ぐっ
…!」
「阿月!!」
殊間は唐梨子が気にかかるようでなかなか銃を使うことが出来ない。誤射を恐れているのだろう。
「夏生!俺は大丈夫
……!」
唐梨子がそう殊間へ伝えようとした時、殊間に声をかけようと気を取られた唐梨子の一瞬の隙をついて鹿が改めて唐梨子に襲いかかる。
唐梨子は咄嗟に反応が間に合わなかった。
気づいた時には右側の脇腹に鹿の角が刺さっている。
「阿月!!ヤダ!ヤダヤダヤダ!」
「夏生、早く今のうちに!!」
殊間の声はほとんど悲鳴に近いものだった。
半狂乱になりかけていた殊間に唐梨子の声がようやく届き、殊間は銃を構える。
「許せない
……!」
殊間は涙や汗が流れ続ける中で、目の前の鹿にまっすぐ捉える。
そして銃のトリガーに触れた。
弾はまっすぐ鹿の身体に当たる。
その様子を確認した唐梨子は何かに気づいた後、鹿の角を抜き殊間の元へフラフラと駆け寄る。
殊間は唐梨子を抱きしめる形で受け止めた。
道中の元気な様子とは全く違う、苦しそうな姿に改めてジワジワと焦りが込み上げる。
どうしよう。このまま阿月が死んじゃったらどうしよう。ずっと一緒にいてくれるって誓ったのに。阿月だけなのに。
やっぱり外に出るべきじゃなかった!

殊間がギュッと唐梨子を抱きしめながら、流れ続ける涙を制御出来ずにいると、ふと頭に唐梨子の手が乗せられた。
「大丈夫
…意外と深くないから。死んだりはしないよ
…」
殊間が顔を上げると、そこには苦しそうにしながらも微笑んでいる唐梨子がいた。
「あつき
…!良かった
…!良かったぁ
……!」
殊間が腕の力を強めると、いたた、と声が聞こえる。
それすらも愛おしかった。
「夏生、さっきの銃
…。あれ麻酔銃だ。弾が矢みたいな形になっていた」
「え
…」
殊間が改めて鹿に近い生き物を確認すると、立つことが出来なくなっていたのか地面に伏せ、動く様子がない。
早くここから去ろう、そう唐梨子が伝えたが殊間は唐梨子の言葉がまるで聞こえていないかのように鹿に近づく。
「夏生
…!危ないから
……!」
「俺、阿月を傷つけたコイツが本当に許せない」
殊間はボソリと呟くと以前持たされていたフルーツナイフを高くかざし、そのまま振り下ろした。
「夏生!」
「それに俺が会った周って人も殺せって言ってた。コイツらは生きてたらダメなんだよ。そうじゃないと俺たちが死んじゃう!」
そう叫びながら殊間は鹿の腹部を深く切り裂いた。
「もう帰ろう
…こんな所にいたら離れ離れになっちゃうよ
……」
殊間は力無くその場に座り込んでしまった。
「
……」
唐梨子が殊間に声を掛けようとしたとき。
「お前ら
…!!」
唐梨子の後ろから声がかかる。聞き覚えがあった、沢の声だ。
「
…沢さん。沢さんを探しに来たんです」
「なんか音がすると思ったら
…お前怪我してんじゃねぇか。
………!!」
沢が唐梨子の言葉に答えていたとき。突然沢の視線がある一点に釘付けになる。
視線の先には先ほど殊間が殺めたあの生き物がいた。
沢は怪我をしている唐梨子を置き、鹿の元へ駆け寄る。
殊間が切り裂いた腹部からは内臓が見えていた。
「あ
…!あぁ
……!!お前らなんてことを
……!!」
取り乱す沢の姿は明らかに異質で、唐梨子と殊間はその様子に呆気に取られる。
「コイツがお前らに何かしたのか!?コイツは今まで人に危害を加えることはしなかった!!!何かキッカケを作ったんだろう!?」
「
……どうして
…、アレほど見かけたら危害を加えるなって伝えたのに
…」
「
…沢さん」
唐梨子はどうしたら良いか分からなかった。
動物1匹にそこまで反応するだろうか、という感情はあったが、もしかすると彼は今まであの生き物と一緒に暮らしていたのかもしれない。
そうでないと最初に出会った気難しそうな沢がここまで取り乱すと思えなかったからである。
沢は唐梨子に声を掛けられ、しばらく黙った後にゆっくりと口を開いた。
「
………もういい。とりあえずお前らは小屋に入れ。応急手当ぐらいはしてやる」
殊間が唐梨子を支えながら小屋に入った後、沢は死体となったその生き物の前で黙って口元を噛み締めることしか出来なかった。
「
…ほら、もういい。これで終わりだ」
小屋の中で唐梨子は沢から応急手当を受けていた。
もしかしたら何か報復があるかもしれない、そういう気持ちが無いわけではなかったが沢が何かをしてくることはなかった。
手当を受けている間、本来の目的である動物や周についても尋ねたが、新しい情報は出ない。
周は沢のことを同じ研究チームの一員と伝えていたが沢も同じように大学の同期、研究チームの仲間であると伝え、そこに相違はなかった。
唐梨子の腹部には綺麗に包帯が巻かれている。随分手慣れているな、と思った。
「
…ありがとう」
最初に沢に感謝を伝えたのは殊間である。
昨日唐梨子たちから今の状況を聞き出していた沢には、殊間が旅行客の1人だということにも予想がついた。
「別にいい。手当が終わったならお前らは早くコテージに帰れ」
「はいはーい、じゃ阿月は服着て。アタシも外で待ってるから」
殊間が沢の言葉を軽く受け流し、小屋の外へ出る。
唐梨子は自分のシャツのボタンを閉じ始めた。
「あぁ。そういえば昨日、お前に伝え忘れたことがある」
「えっ?」
「別に悪い内容じゃない、身構えるな」
沢は唐梨子が着替え終わるまでの間、ゆっくりと話を始めた。
─同時刻、コテージ前
八波はコテージの前でしゃがみ込みながら、草むらをかき分けていた。
「うーん
…おかしいですね
……」
「八波さん、何してるの?」
その様子を見かねて天宮が声をかける。
「天宮さん!」
あまり積極的に人と関わろうとはしない天宮。唯一の同性ということもあり八波とは1番話すことが多かった。
天宮が話しかけたことが嬉しかったのか、八波はニコニコとした笑顔で答える。
「昨日の夜、コテージに戻る瞬間に何かが光ったんです。ここら辺で誰かがピアスとか何か落とし物をしたのかなと思って」
「へぇ
…」
「原因が何か気になってしまって、こうやって探してみてるんです。天宮さんも一緒にしますか?」
「
……私は遠慮しておくわ」
そう告げて、天宮はコテージへ帰ろうと踵を返そうとした。しかし八波から視線を逸らした時、彼女が言っていたように視界の端でキラリと何かが光ったように見えた。
「
…あったわ」
「え!本当ですか!すごい!」
天宮は光った場所へ行き、八波と同じように草をかき分ける。
すると指の先に痛みを感じた。
「痛
…!」
「天宮さん!?だ、大丈夫ですか?」
痛みの元である指先を見ると、ぷつりと丸く小さな出血をしていた。
「
…別に大した怪我じゃないわ。原因はこれね」
天宮は草むらから、ひょいと何かを拾った。
それは裁縫に使うような細い針である。
「それが光っていたんでしょうか
…」
「多分そうでしょうね、貴方も怪我をする前にコテージに戻った方がいいわ」
「う
…。そうですね、そうします」
天宮と八波はこれ以上無駄な怪我を避けるためコテージに戻ることにした。
AM2:00
明かりひとつない暗闇の中。
1人の旅行客がコテージから抜け出していた。
目的はただひとつ。
「この島から
…出る訳には
……」
その人物の言葉は夜の風の音にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
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