racmon
2024-06-30 22:59:29
1424文字
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2024/06/29 ささろワンドロライ

お題:予測変換
『まず歯車のアイコンをタップして』

 どんな朝でも欠かさずにすること、それは盧笙へのおはようのメッセージ。これが習慣になってからも大分と経つので、特別甘い気持ちだとか、簓にとってもそういうことは薄れてきていた。呼吸のようなものになりつつある。
「さあ、盧笙! なんて返す!」
 ところがその日の様子は違っていた。スマホを枕元にそっと置き、手を揉みながら盧笙からの返信を待つ。簓の顔には不敵な笑みさえ浮かんでいた。
……おっ、早速気づいたな!」
 さすが文字でもキレのいいツッコミ、などと大喜びの簓が受け取ったのは『俺のスマホになにしてくれてんねん!』というクレームだった。
「おはようって、返してくれへんの? っと……
『返そうおもたらわけのわからん変換がいっちゃん最初に出てくるんじゃ!』
「わけのわからんとはなんちゅう悲しいことを言うねん」
 昨夜は二人で食事をした。ほどよく酔いも回り、盧笙は簓の肩でうたた寝をするほどだった。ときどき首筋に擦り寄るくらいだったので、いつもは素っ気ない返事しかない「盧笙大好き」の言葉にも、よいアンサーが期待できた。しかしご機嫌で絶好調の盧笙は「まだもうちょっと飲むかな!」と体を縦にし、スルメイカをしがみながらプルタブを起こした。猛烈な悔しさでパーカーの紐を齧っていた簓だったが、ふと面白いイタズラを思いついた。
 簓は盧笙のスマホを拝借し、あらゆる日常会話の予測変換に『簓大好き』と登録した。

『これどないして直すねん!』
 最低限の機能しか使わない盧笙にはやや難易度の高い作業らしく、簓の思惑通り、サブリミナル的にパートナーへの愛を再確認させられているようだった。
 しまいには電話をかけて文句を伝えてくるしまつ。一日のはじまりに盧笙の声が聞けて大満足の簓は「お前次会うたら覚えとけよ!」などという、おおよそ恋人同士のモーニングコールの内容とは思えない捨て台詞にもウンウンと微笑んだ。

 そんな遊びも、三日も経てば慣れと飽きでたいしたことはなかった。あれだけ大騒ぎしていた盧笙も、簓からの「おはよう」にスタンプで返す技を身につけていた。これには簓も一本取られたと、負けを認めざるを得なかった。
「簓、簓ー。今日は自分ち帰るんやろ」
 揺すり起こされ、簓は緑のラグの上で寝返りをうった。疲れが溜まっていたのか、今夜は珍しく盧笙より先に寝落ちてしまっていた。
「せや、明日はやいからな。今日は帰らなな」
 盧笙からもらった一杯の水を飲み干し、濡れたまんまの口でキスをして大袈裟に押しのけられる。二人で笑いながら玄関に向かい、つかの間のお別れに、改めて唇を寄せた。
「ほなな、おやすみ」
 呆れたような優しい笑顔に見送られ、簓は鉄骨階段を降りた。気持ちいい風にあたりながら、のんびりとタクシーを探す。空車の光にふわりと手を挙げ、心地よく揺られながら、今日一日を振り返ろうと目を閉じた。
「あれ、俺なんか忘れもんしたかな」
 尻ポケットの中でスマホが震えた。一瞬慌てた簓に届いたのは「気ぃつけて帰れよ。また明日」という他愛のないメッセージだった。たったそれだけでも、盧笙からの気遣いが嬉しくて、簓は親指を動かした。
「ええ? えへへ〜?」
 簓はいつものように『盧笙大好き』と打ち込んだつもりだった。実際、きちんと間違わずに打てていたのだ。
 それなのに、予測変換の一番はじめに並んでいたのは『俺も』という、予測出来ない仕返しだった。