ナガレ
2024-05-22 21:55:50
5600文字
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この腕に抱くもの(ぶぜまつ)

もし豊前が松井に両手を貸せなくなるなら物理的に無くなった時くらいじゃないのかな?という思いつきから、豊前に片腕ぶっ飛ばしてきてもらいました。

……今日も出陣なのか?」
「松井」

豊前江が部屋で出陣の支度をしていると、中途半端に開けていた部屋の障子から松井江が顔を覗かせた。戦装束に身を包んだ豊前とは対象的に、松井は内番着姿で両手に書類を抱えている。練度がある程度上がった松井はしばらく事務方を手伝ってくれと審神者に頼まれ、実務要員の一員として書類仕事に勤しんでいた。豊前も事務仕事の手伝いをしてくれと頼まれるには頼まれたが、そういうものは向いていないときっぱり断った。審神者は事務方の人員不足に猫の手も借りたい様子だったが、おそらく自分は猫の手以下。あの管狐の前足の方がよっぽど優秀だ。

「細かいことには向いてねーからな。体動かしてる方がいい」
「フフフ。君らしい。でも、豊前達が出陣を引き受けてくれるおかげでこちらもどうにか終わりが見えてきたよ。終わったら演練に出させてもらうおかな。僕もそろそろ体を動かしたい」
「いーな、それ。そーだ。俺も同じ部隊に入れてもらえるか、主に聞いてみっか」
……僕が言えたことじゃないけれど、少し休んだ方がいいと思う」

ここ最近、豊前は事務方――主に松井の分まで出陣を引き受けている。休んだ方がいいというのももちろんだが、豊前に練度で置いていかれてしまいそうだ。同じ頃に顕現したのに僕だけ置いてきぼりだと松井は少々拗ねていた。実務は得意だと申告したが、戦に出たくないわけではない。仲間の血が流れるところは見たくないけれど。

「考えとく。篭手切のれっすんにもなかな付き合ってやれてねーし、五月雨には歌を詠みたいから遠乗りに連れて行けって言われてからな」
「村雲は?」
「途中で腹が痛くなったら嫌だから留守番するんだと。土産はせがんでたけど」

桑名にも畑手伝えって言われていたと、ほんの少しだけ豊前は遠い目になった。自分ほどではないけれど、彼も畑仕事に対しては似たり寄ったりだと思う。松井は豊前に気づかれないようにくすりと忍び笑いを溢した。聞けば稲葉も何か頼みたい事があると言っていたそうだ。彼は自ら絡もうとはしてこないから、余程の頼み事なのだろう。珍しい。
それにしても、皆それぞれに豊前とやりたい事があるなんてさすがは江のりいだあだ。人気者である。

「で、お前は?」
「僕?」
「そう。これしてーなぁってこと、ねーの?」

僕のしたい事。そんなの急に聞かれても思い浮かばなくて困ってしまう。松井は眉を下げて黙り込んだ。抱えている事務仕事がすべて終わって、自由時間ができたらやりたい事はある。私的につけている日記の整理とか、細川ゆかりの刀達が開く茶会への参加とか。でも、豊前の望んでいる答えは違う。豊前は「自分としたい事や自分にしてもらいたい事はないのか」と聞いているのだ。
強いて言えば、話をする時間も無かったからのんびりと世間話がしたいというくらいで、本当に何も思い浮かばない。松井の焦りに気づいた豊前が助け船を出した。

「じゃあさ、帰ってくるまでに何か考えといてくれ」

猶予を与えられた松井はほっとした表情でこくりと頷いた。豊前が帰ってくるまでには何か一つくらい思い浮かぶだろう。何も思い浮かばなかったら、茶菓子を摘まみながら世間話がしたいと言えばいい。決して嘘ではないのだから。
松井の反応に満足したのか、じゃあそろそろ行ってくると言いかけた豊前に、松井はふと思った。――れっすんも遠乗りも土産も畑仕事も、別に豊前のしたい事、やりたい事ではない。

……豊前は」
「俺?」
「豊前は何かしたいこと、ないのか?」

彼のしたい事に付き合う。それもいい。何も思い浮かばなかったら、豊前のしたい事に付き合うのが僕のやりたい事だと言おう。きっと世間話よりも有意義な時間を過ごせるはずだ。それに豊前のやりたい事なら、自分も付き合える。八割くらいなら。松井は一瞬の間にそうひらめき、豊前に尋ねてみた。
豊前も出陣続きで余暇が無かったから、やりたい事の一つや二つくらいはあるだろう。そう考えていた松井の思惑とは異なり、豊前は少々苦い顔をしていた。何かまずい事を言ってしまったのだろうか。松井の眉尻が再び下がる。それと同時に頭も下がり、松井は俯いてしまった。
まだ今なら取り消せる。何でもない今の言葉は忘れてくれと言おう。松井が頭を上げるより先に、豊前が松井の髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。

「そうだな……松井の仕事が終わるまでには考えとく」
「わかった。聞かせてもらえるのを楽しみしている」

じゃあ、今度こそ行ってくる。そう言いながら軽く片手を挙げて出陣に向かう豊前の背中を、松井は行ってらっしゃいと見送った。

***

――油断していた。

迫り来る敵刃にぎりぎりまで気づけなかったのは自分の落ち度。刀剣守を持たされているとはいえ、真っ正面から受けたら良くて重傷。二撃目が来たらおそらく破壊だ。どの程度の負傷までならこの身は耐えられるか。刀剣男士としての経験と勘だ。コンマ秒でそろばんを弾くと、豊前は利き手とは逆の腕を敵刃に向かって差し出した。
肉が斬られ、骨の断たれる音がする。痛覚への刺激は凄まじいものがあった。しかしここは戦場だ。歯を食いしばって小さな呻き声一つでそれを押しとどめると、豊前は返す刀で敵の腹を切り裂いた。
破壊完了。敵の体にひびが入り、パキンと乾いた音を立てて砕け散る。窮地は脱したと言っていいだろう。その場に片膝をついた豊前に気づいた仲間達が集まってきた。仲間達の向こうには、撤退する敵の後ろ姿が一体、二体。こちらも無傷の者はいない。結果から言えば辛勝だが、勝って退ける事ができて良かった。結果良ければ全て良し、だ。

「これより本丸に帰還する!重傷一振り!至急手入れ部屋の用意を!」
「豊前江さん大丈夫ですか!すぐに応急手当を……
「悪ぃな。頼、むわ……

部隊長の号令に安堵したのか、そこで豊前は気を失った。次に目が覚めた時は手入部屋の中で、柱の日めくり暦と時計から推察するに丸一日と少しの間ずっと眠っていたらしい。手入れにこんなに時間が掛かったのも久しぶりだ。人手も足りているから手伝い札は使わなかったのだろう。
目が覚めたという事は、手入れも終わったという事。飯でも食いに行くかと起き上がろうとした豊前は妙な感じを覚えた。気のせいと思いそのままやり過ごそうとしたが、それは妙な感じでも違和感でもなかった。一言で言えば不具合、バグだった。
左肩、上腕骨の付け根から少し下。左腕を上げてみたはずがそこには何も無くて、寝間着の袖がひらひらと揺れているだけだった。手入れは終わったはずなのに何故か片腕が無い。これは飯よりも先に報告しないといけない気がする。手入部屋から出た豊前は、その足で審神者の執務部屋を訪ねた。
主、やべーっちゃ。起きても腕が無かった。そんな豊前の報告に、本丸中が上から下への大騒ぎになった事は言うまでもないだろう。

あの後、別の部隊がすぐさま同じ時代の同じ場所に出陣したが、豊前の落としてきた片腕は見つからなかった。斬り落とされた元の腕があればもう一度手入部屋に入って接合アンド手伝い札を使って即完了で元に戻す事ができたが、くっつけるもの自体が無いとなれば話は別だ。豊前と審神者と有識者男士で検討した結果、まずは体力と霊力の回復が必要だという結論に達した。無から有を生み出すのにはエネルギーが必要。休養によって豊前に十分な力を蓄えさせ、無くした片腕を豊前自身の力によって再生させる計画だ。
元に戻るまでは出陣や外出はもちろん、内番も禁止。腕一本を失った状態では何かと不便だろうと、休養期間中の豊前の世話は松井が行う事になった。松井がいなくても仕事は回せるという、事務方筆頭による判断だった。曰く、いたところで豊前の様子が気になって上の空だから戦力外との事である。戦力ならざる者立ち去るべし。事務方は容赦ない。
事務方からの一時的な戦力外通告を受けた松井は、この数日豊前の世話係として彼の部屋に朝晩通っている。籠の中には真新しい包帯と脱脂綿、それによく効く薬研印の消毒液。あと、ビニール袋が何枚か。古い包帯と消毒に使った脱脂綿はビニール袋に入れて医務室に持ち帰るよう言われている。適切な処理をしてから廃棄するらしい。

「豊前、入るよ。包帯を取り替える時間だ。調子はどうだい?」
「おう。特に変わんねーっちゃ。これならあと数日で戻せっだろ」
「でも無理は禁物だ」
「わかってる。松井は心配性だな」
「君が無茶をするからだ。服を脱がせるから腕を上げてくれ」

松井の行う世話は主に包帯の交換と消毒、着替えの手伝いだ。利き手は無事だったので、食事の介助は必要無かった。風呂や厠の付き添いは豊前の方から断った。片手でも何とかなるし、豊前にも思うところはあるのだ。百歩譲って風呂で背中を流すくらいなら良いが、それは違う時に楽しみたい。そういうシチュエーションになったら喜んで松井にこの身を差し出そう。
閑話休題。豊前は言われた通りに腕を上げて万歳をした。松井が豊前の着ている黒色のTシャツの裾を掴んで、下から上に引き上げる。脱がせた時に裏返ったTシャツを元に戻して軽く畳んで横に置くと、松井は包帯の交換を始めた。
古い包帯の結び目を切って解く。重傷で帰還した時は地面に血だまりが出来るくらいに出血していたが、今はすっかり止まっている。化膿しないように脱脂綿に含ませた消毒液で傷口を消毒し、真新しいガーゼを当てて包帯を巻く。時間遡行軍の得物も切れ味は良いのか、豊前の腕は凹凸一つない真っ平らに切断されていた。文字通りの一刀両断だった。だからこそ、元の腕があれば接合できたのだが。無いものは無いのだから仕方ない。
じっくり見てはいないけれど、切断面は組織が剥き出しだ。直に空気が触れるのはよくないだろうし擦れると痛いだろうしと、松井は手早く交換を行った。この数日で随分と手慣れてしまった作業。事務方からお払い箱になってしまっても、医務室で雇ってもらえるかもしれない。と、そんな冗談を考えているうちに包帯の取り替えは終わった。豊前の傷口は真っ白な包帯に包まれた。

…………

あるべきはずのものが無いという現実。松井は目を伏せると、己の額を豊前の胸元に当てた。人肌のぬくもり。とくんとくんと音がする。――大丈夫、存在している。豊前は松井の行動にぴくりと眉を動かしたが、特に何も言わなかった。
豊前が重傷で帰還したあの日、事務部屋でその一報を耳にした松井は目の前が真っ暗になった。顔も余程青褪めていたのだろう。すぐに事務部屋から追い出された。否、追い出しと言うと語弊がある。追い出しという名の、手入部屋に行って傍に居てやれという配慮だ。事実、松井は手入部屋の前の廊下で一夜を過ごした。豊前は一晩では目覚めなかったけれど。

……もし、豊前がずっとこのままなら)

もし君がずっとこのままなら、喪ってしまう事はない。君はいつだって前を向いて光の方に向かって走って行ってしまうから。その光の向こう側に何があるかわからなくても君は行く。口には出さなかったけれど、思念としては漏れていたのかもしれない。豊前の心音が一瞬だけ飛び跳ねた。――今のは失言だ。松井はさっと豊前から離れようとした。しかし豊前の方がわずかに早かった。

「このままだと、お前に両手貸せねーだろ」

片方じゃ足んねーなぁと言いながら、豊前は松井の背中にゆるりと腕を回した。ほら、やっぱり。片方の腕だけではどれだけきつく抱き込んでも、松井の背中が余ってしまう。不安や恐れに呵まれている松井の心をほぐして包むにはこれじゃ足りない。

「それとも松井は、おとなしく飾られてるだけの俺が見てーの?」
……見たくない」
「だろ」

どこか拗ねた口調でふるふると首を横に振った松井に豊前は苦笑した。包帯も替え終わったし体が冷える前に脱がされたTシャツを着たいところだが、なかなか本音を出せない松井が真正面からぶつかってきているのだ。それを邪険にするというのも野暮というものだろう。豊前は松井の気が済むまでこのままでいる事にした。それにこの沈黙は嫌いじゃない。むしろ好ましいとさえ思う。暖なら松井で取ればいい。
あやすように松井の背中に腕を回して抱く豊前。しばらくそうしていると、今度は松井の方から話を切り出した。

「そういえば、あの話覚えているかい?」
「話?」
「そう。何かやりたいことはないのかっていう話。僕はあるよ。というか、不本意だけど叶ってしまった。君と居る時間が欲しいと言うつもりだったから」
「あー……

一日と少し前のやりとりを、豊前はすっかり忘れていたのだろう。もぞもぞと身動ぐと、松井はジト目で豊前を見上げた。その視線にうっと豊前がたじろいだ。何か答えを出さないと松井の追求は終わらない。見つからないようにこっそりと提出したはずの請求書を、「これは何かな?」と突き出された時の松井を豊前は思い出した。思わず目が泳ぐ。悲しい事に豊前は松井に口では勝てなかった。

「僕の仕事が終わるまでに考えておくと言ったよね」
……そーだったか?」
「豊前」
「待て待て待て。怖い顔すんな。……よし。今、思いついた」

詭弁だと言われてしまうだろうか。でも、やりたい事として思いついたのがこれなのだから仕方ない。もしかしたらこれは思いつきなんかじゃなくて、ずっと心の奥底にあったのかもしれない。日々を過ごす事に追われていたから気づかなかっただけで。
豊前は松井の肩を抱き直すと、おもむろに「あのさ」と切り出した。

「片手じゃ足りねーから、戻ったら気が済むまでこうさせてくれ」


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