弥生も半ばを過ぎた今日この頃。月末に年度末を迎える本丸では、猫も杓子も狐も男士も年に一度の定期報告書の作成に追われていた。嫌いや苦手だなんて言ってる場合ではない。本丸立ち上げ初日からいる男士にも昨日顕現したばかりの男士にも定期報告書の作成は義務づけられている。慣れれば要領よく作成できるようになるが、古株であればあるほど己の分で手一杯にもなる。だから誰も肩代わりしてくれない。勿論それは豊前も例外ではなくて、細かい文字に渋面を作っている余裕は無かった。
——まとめてやるから大変なんだよ。覚え書きでもいいから日記をつけたら?楽だよ。
同胞の言う通りだった。彼の作っている畑の生育記録レベルのものでなくてもいい。○月×日どこそこへの出陣だったくらいの一言でいいから、帳面に記しておくべきだった。ほぼ一年前の細かな事なんて覚えちゃいない。出陣や内番の合間に支給品の電子端末から見れる本丸全体の予定表をせっせと遡るしかなかった。
そんな日々がかれこれ一週間、いや十日は続いていた。もうこれ以上は頭が動かない。限界だ。栄養補給が必要だ。
「……で、僕の所に来たと」
「あんなの、松井達はよくやってられんな。すげーよ」
豊前が向かった先は松井の部屋。松井は一息入れようとお茶の用意をしているところだった。突然やって来た豊前の頭の辺りに見え隠れしている疲労アイコン。松井は湯呑みをもう一つ用意した。
「実務は得意だからね。大変だとは思うけれど、早めに作って出してもらえると助かる。中身を確認してまとめる仕事が僕達にはあるから」
「……善処する」
苦い顔の豊前に期待してるよと言うと、松井はどうぞと湯呑みを差し出した。湯呑みの中身は赤かった。
「いちごの紅茶だ。君が来るとわかっていれば茶器や茶菓子を用意したんだけど、僕ひとりで飲むつもりだったから……」
「茶菓子ならある。待ってろ」
すっくと立ち上がると、豊前は松井の部屋を出た。そして一分足らずで戻ってきた。白い箱を持って。
「これなら合うだろ」
「!かすていらだ!」
黄色と茶色のコントラストに松井の目が輝く。松井は甘いものが好きだ。豊前はそれを知っていた。
「俺は一切れか二切れで十分だから、好きなだけ食べていーぞ」
「ありがたいけれど、これは君が買ったか貰った物だろう?」
「気にすんな。好きな奴が食った方がいいに決まってる」
「そこまで言うのなら遠慮なく頂こう」
中身はすでに一切れずつカットされている。懐紙を用意すると、松井はさっそく一切れ頂戴した。
「美味しい。紅茶にも合うね」
「そーか。よかったな」
嬉しそうに頬張る松井を見ていると何だか体の中がぽかぽかと温かくなってくる。これを心が温まる、幸せと言うのだろう。刀剣男士として生まれてから数年、随分と人間じみてきたなぁと思う。
「豊前?食べないのか?」
豊前にそう尋ねながら、松井は二切れ目に手をつけようとしている。このままだと松井に全部食べられてしまいそうだ。別にそれでも構わないけれど。これは松井に渡すために用意した物なのだから。
「食べるから一切れ残しといてくれ」
——松井の奴、この調子だと一ヶ月前のこと忘れてる。
けどあえて触れる必要もないかと、豊前は食べ尽くされる前に一切れ自分の分を確保した。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.