元日、午前。松井は珍しく寝過ごした。いつもは朝食の時間に起きてこないと誰かが起こしに来るけれど、徹夜明けだからと気を遣ってくれたのだろう。今年(もう昨年だが)は年末の事務仕事が間際まで終わらず、年越し蕎麦が振る舞われるのが先か未処理の書類が片づくのが先かのデッドヒートだった。結果は事務方男士達の勝利で、松井達は無事に年越し蕎麦にありつけた。
そこから風呂に入る――前に眠気に襲われた。自室に敷かれていた布団(敷いてくれたのはきっと気の利く脇差の同胞だ)に着の身着のまま倒れ込むと、松井は意識を手放した。そして今に至る。現在の時刻は午前十時といったところか。
確か去年は事務仕事を大晦日まで持ち越すことなく新年を迎え、豊前と一緒に初日の出を見に行った。真っ暗なうちに豊前の愛車の後ろに乗せられ、海まで一直線。背中に貼るカイロを貼っていても夜明け前の海は寒く、二振りで寒い寒いと言い合いながら赤く染まる水平線を眺めた。行きはそれなりに遠慮していたけれど、帰りは彼がもっとくっつけと言うから思いっきり背中にしがみついてやった。今思えば、かなり大胆な事をしたものだ。
そんな出来事からもう一年が経ったのかと思うと感慨深い。松井はふぁとあくびを一つして、目ぼけ眼をこすった。――今年は起こしてくれなかったな。去年はこたつで寝落ちしていたところを起こしてくれたのに。おそらく今年も豊前は新年初走りに出ている。直前まで実務に追われていた松井を知っているから、ゆっくり寝かせてやろうと声を掛けなかったのだろう。起こされても起きなかっただろうし、夢の中に片足を突っ込んだまま二人乗りが出来る気もしない。だからこれが正解だったんだと思うけれど、起こしてくれてもよかったのにと心のどこかで思わなくもない。
(……すっかり日も昇ってしまったね)
松井は部屋の障子を開けた。夏とは違う眩しさを持つ、冬の太陽。珍しく中庭には誰もいなかった。しばらく外の風を浴びていると目が覚めて頭も冴えてきた。とりあえず、顔を洗いに行こうか。上着を一枚羽織ると手拭いを持って松井は廊下に出た。
廊下が音を立ててきしむ。松井は三歩も進まぬうちに歩みを止めた。誰かがこちらにやって来る。手で日除けを作り、目を細める。遠駆けから帰ってきた豊前だった。松井が気づいた事に気づいたのか、豊前は軽く片手を上げると気持ち小走りで松井に歩み寄った。
「松井、おはよ」
「おはよう。おかえり」
豊前は縁側に腰掛けると手袋を外し、巻いていた襟巻きも外して分厚い上着を脱いだ。遠駆けは見た目よりも機能性。昨年松井が同行した際に学んだ事である。松井は豊前の隣に腰を下ろすと、ぞんざいに置かれた襟巻きを畳んだ。
「あけましておめでとう。まだ言っていなかったよね?初走りはどうだった?」
「畳んでくれてありがとな。風が冷たかったけど、気持ちよかった。あけおめ」
聞けば、豊前は今年も松井と行った海辺に行ったらしい。去年は海だったから、今年は山に行くかと思ったのに。松井がそう問うと、豊前からは来年は山でもいーけどなと返ってきた。豊前曰く、今年の初日の出も変わらず綺麗で水平線はきらきらと輝いていたそうだ。穴場だと思っていたけれど、少し離れたところで他の本丸の同位体を見かけた。一振りで来てる感じではなかったから、
「連れは松井だろーな」
「そうかな?」
「新年早々一緒に来てくれそーな奴なんて、松井しかいねーっちゃ」
そう言われてみればそうかもしれない。豊前がやるならやろう。豊前が行くと言えばついていくのが松井江だから。それに、もしかしたらその同位体二振りは……いや、邪推はやめておこう。見知らぬ彼らに失礼だ。こほんと松井は咳払いで誤魔化した。
「どうした?風邪か?」
「いや、大丈夫だ。何でもない」
「そっか。……ひとりでどこか行くのも好きだけど」
そこで一度言葉を切った豊前の手が、松井の手に重なる。
「来年は松井と一緒に行きてーな」
いつもと変わらぬ松井の事を大切に想う時の豊前の声色。けれどそれはどこか拗ねてるようにも聞こえて、松井はうっと言葉に詰まってしまった。間際まで実務が立て込んでしまったのは僕の所為ではないし、それなら起こせばよかったじゃないか。起こされても起きなかっただろうけど。松井は起きられたら……と答えるのが精一杯だった。
「そうだ。豊前も何か食べるかい?お雑煮作ってあげる」
「食べる。着替えたら厨に顔出す」
「僕も顔を洗ってからだから、ゆっくりでいいよ」
「わかった。……あ、忘れとった。これやるよ」
豊前の脱いだ上着のジッパー付きのポケットから出てきたのは、すっかり冷えてしまった缶入りの甘酒。向こうに着いたら飲もうと思って買ったが、飲む機会を逸してしまったそうだ。上着を脱いで置いた時にゴトンと音を立てたものの正体はこれだった。
松井はありがとうと言って甘酒の缶を受け取った。冷えても飲める甘酒だが、さてどうしたものか。……そうだ。
「温め直して頂こう。半分ずつでいいよね?」
「おう」
「それじゃあ、また後で」
松井は立ち上がるとその場を辞した。雑煮に入れる餅は何個にしようか。今夜は新年の宴会だから、あまり食べ過ぎない方がいいだろう。味付けはまぁ、適当に。共に越中出身、九州育ち。味付けの好みに大差はないはずだ。
洗面所で顔を洗い、部屋に戻って手拭いを干す。そして松井は厨に向かった。かまぼこの残りがあれば貰って雑煮に入れよう。雑煮だけでは味気ないから、何か一品くらい作ろうかな。難しくないものなら僕でもできるし、残り物があればそれを出してもいい。
雑煮を食べて甘酒を分け合った後、時間があれば初詣に行こうと誘ってみようか。江の者みんなじゃなくて君と僕の二振りだけでと言ったら、彼はどんな顔をするだろうか。楽しみだ。松井はくすりと一振り笑みを溢した。
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今年もよろしくお願いいたします。
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