その日、豊前江は演練相手の部隊によく知る顔(同位体は数多存在するので、どの部隊も見知った顔といえば見知った顔ばかりだが)を見つけた。
――松井江だ。自本丸の松井江と同じく、その個体も爪の先の先まできっちりと青色に塗られている。練度は他の面子に比べると低い。練度上げの真っ最中なのだろう。
演練場で真正面から向き合う二つの部隊。偵察した者の見立てでは相手方は横隊陣を展開すると思われる。ならば鶴翼陣を敷いて有利に持ち込もう。今日の部隊は足の速い者が多い。多少機動力が落ちたところで何の問題も無かった。
手短に作戦会議を終えると、戦太鼓の音が演練の開始を告げた。部隊長の指示の元、速やかに陣形を展開。相手は見立て通り横隊陣だった。防御を重視した横隊陣を崩すように鶴翼陣を展開すると、矢と銃弾が飛び交い始めた。その合間を縫うように投石も飛んでくる。その様はまさに雨あられ。矢が二つ三つ掠ったが、これぐらいの怪我は想定内だ。
遠戦が終われば白刃戦が待っている。短刀達に続き、豊前も戦場の真ん中に飛び出した。
「
……っ!」
相手部隊の刀剣男士を確実に仕留めていく短刀達。短刀が仕留め損ねた太刀にとどめを刺そうとした豊前の前に、松井江が立ちはだかった。まだ出陣経験が少ないのか、その手は少し震えている。眦を吊り上げてこちらを見据える松井江に一瞬豊前の手が止まりかけた。しかし演練の場とは言えここは戦場。練度が低いからと言って見逃してもらえるわけがない。これも試練だから悪く思うなと、豊前は松井江に刃を向けた。
豊前との力量差を肌で感じ取ったのだろう。刃を向けられた松井江の顔に緊張が走る。
――こうやって松井に真剣を向けるのは、顕現してから初めての事だった。
*****
演練で見知った顔の相手を斬るのは初めてではないし、その体から流れる血を見るのも今さらだ。それなのに、刃の食い込んだ感覚や流れた血の赤さが離れていかない。手にも脳裏にも刻み込まれたままだ。相手の松井江は「いい勉強になった」と特に何とも思っていない様子だったが、豊前の内心は複雑だった。
演練を終えて本丸に戻った豊前が真っ先に足を向けたのは松井の部屋。何となく、松井の顔が見たいと思った。豊前にも気分が塞ぐ時はある。そんな時は遠乗りに出て吹っ切るか、松井の姿を探した。松井は元気づけようとする事も、何があったのかと聞き出そうとする事もしない。いつも豊前が松井にするように、少し場所を空けてくれるだけだ。
実務を担える男士が増えて執務部屋が手狭になってきたからと、時々松井は自室で書類仕事をしている。今日は一日中自室で仕事をすると、朝餉の時に松井は言っていた。豊前はそれを覚えていた。
「おかえり豊前。浮かない顔だね。演練で負けたのかい?」
足音で気づいていたのだろう。入るぞと断りを入れて部屋の障子を開けると、顔を上げた松井が豊前を迎え入れた。そしてどこか浮かない顔の豊前を見て首を傾げた。一番になってくると意気込んで出発したはずなのに、どうしてだろう。散々な負け方でもしたのだろうか。
「
……ただいま。演練は勝った」
そう、演練には勝った。勝ったのだが。
「相手の部隊に松井がいた」
「他所の僕はどうだった?」
「
……松井が血を流すところはあんまし見たくねーな」
いくら陣形で防御を高めたとしても、これだけ練度の差があっては意味がない。豊前の一閃は相手の松井江を戦線崩壊に追いやった。斬られた腹を押さえて膝をついた松井江に、一瞬だけ自本丸の松井が重なり、豊前の中で何かが燃え上がった。
生きるために必要ならいくらでも分け与えると言って、夜毎こちらに腕を差し出す松井。おそらく彼は気づいている。豊前が一口だけでは渇きを潤しきれていない事に。
痩せ我慢だと言われてもいい。どうしても血を流さねばならぬというのなら、戦場で流してほしかった。刀の本分は戦。付喪神だの刀剣男士だの立派な肩書きを貰っても、肉を斬って骨断つための道具から生まれた命なのだから。
戦うために生まれたものだからこそ、松井には戦以外で不必要な血を流してもらいたくないのだ。たとえそれが豊前を生かすためのもので、松井自身のためのものでなかったとしても。豊前は松井にそんな関係は望んでいなかった。
少し肩貸してくれと、豊前は松井の隣に座るとその肩に頭を預けた。松井の耳元に届いた小さなため息。何があったか深く聞くつもりはないが、珍しく参っている様子だ。開いていた帳簿に適当な紙を挟むと、松井は帳簿を閉じてペンを置いた。
「豊前に怪我は?」
「刀装が少し傷ついたぐらい」
「それならよかった」
二度目のため息。自分でも矛盾していると思う。たとえ同位体とはいえ彼が血を流す所は見たくないはずのに、あの時確かに一瞬だけ豊前の中で燃え上がったものがある。そして思った。やけに喉が渇くと。
仲間達や松井と共に歩んでいきたい。共に戦場を駆けて、他愛ない話をしながら日々を過ごしたい。いつか役目を終えるその日まで。望む事はただそれだけなのに。
「疲れてるのかもしれない。豊前、少し休んだ方がいい」
「ん。そーするわ
……」
こういう時、自分達は似ていると思う。言えない事を無理に聞き出そうとしないところが。何も聞いてこない松井の優しさがありがたくて、でも今は少しだけ辛かった。
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その一(
https://privatter.net/p/6467927)、その二(https://privatter.net/p/6562277)、その三(https://privatter.net/p/7261519)
テーマが「豊前と松井と血にまつわるあれこれ」というだけなので、三と四以外は明確に続いているわけではないです。オムニバスみたいな感じ。
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