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千代里
2024-06-27 08:03:37
11278文字
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リーブラ13話
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リーブラの針は問う・13話・その21
目の前に迫り来る、鳥に似た顔をした魔物。その背後に、数時間前は平穏そのものだった街並みがある。
本来ならば、街に魔物がいるなどあってはならないことだ。だからこそ、その不自然な光景に、サルヒは一瞬めまいを覚えたような心地がした。
だが、呑気に立ちくらみを起こしているわけにもいかない。魔物は、現実にそこに存在しているのだから。
「どうして、こんな奴がここに
……
」
魔物は、サルヒを優に越す巨体を誇っている。体だけで家屋一つ分に匹敵する大きさがある。
青い羽毛に、嘴に似た形の口。両腕も鳥の翼を思わせる位置にあり、首はやや長く、もしこれが宙に浮かび上がっていれば、この生き物は鳥であると断言できたかもしれない。
だが、一方で魔物は蜥蜴に似た硬質な尾を持ち、太く逞しい両足でしっかりと地面を蹴っている。そこだけ見れば、この魔物は蜥蜴と表しても差し支えないかもしれない。
「サルヒ!」
ヤルマルからの警告に、サルヒは散漫しかけていた意識を引き締める。ギャァと声を上げた魔物は、次なる獲物としてサルヒを見据え、真っ直ぐ走ってきた。
「ヤルマル、街の人は!?」
「オランローが避難させてる! まったく、この街のどこにアルケオーニスが潜んでいたんだ!?」
サルヒの背後から、舌打ちをしつつ飛んできた数条の矢。それらは魔物ーーアルケオーニスの体表に向かって真っ直ぐ放たれたものの、いともあっさりと払い落とされてしまった。この頑丈そうな体躯を見る限り、エーテルを纏った矢でなければ、皮膚を貫通するのは難しいだろう。
アルケオーニスは不愉快そうに首や尾を振る。その度に街にはあってならない大きさの体がしなり、居並ぶ建物に体に一部がぶつかって不吉な音をもたらす。
「こいつを、これ以上、暴れさせるわけにはいかない
……
!」
下唇を噛み、サルヒは地を蹴る。
己の中の獣を暴れる気配が一瞬ざわつき、それの制御のために意識が割かれる。そのせいか、サルヒが振るった斧はアルケオーニスの体表を滑っただけだった。
アルケオーニスは急なサルヒの突進に驚き、身を翻して距離を置く。
「一応サルヒに聞いておくけど、この街で魔物を見た覚えはあるかい?」
「ない。小さな魔物や妖異なら、忍び込んできてしまったとも考えられるけど
……
この大きさを見逃すのは至難の業」
サルヒの言うように、本来街という安全地帯に魔物は入り込まない。入り込む前に、衛兵が魔物を仕留めるからだ。
魔物が侵入してこない場所であるという事実こそが、街が街たりえる最大の要素とも言える。人々が安心して生活し、物を売り買いしたり、野菜を作ったり、狩りに出かけられたりするのは、ここが安全であるという保障があるからこそだ。
故に、アルケオーニスの登場は、街が本来持つべき安全という要素を破壊してしまったことになる。
(こんな奴が、今まで隠れていたというの? でも、それこそありえない
……
!)
当初、アランに依頼された通り、サルヒはノエたちと別れて街にある通りの一つを歩いていた。ノエたちとは異なり、主に商業区を見て回ることになったサルヒたちは、居住区の迷路のような区画もなかったので、順調に行程を進めていた。逃げ遅れた人も殆どおらず、いたとしても近くの店舗に逃げ込む途中だった者ばかりだったので、誘導はスムーズに進んだ。
この調子なら、ノエたちよりも早く街の半分を見て回れるかもしれない。そのような楽観的な考えが頭をもたげたときだった。
ーー建物の一角が崩れ、逃げ惑う人の悲鳴と共にアルケオーニスが姿を見せたのは。
アランの依頼を受けて出発する前に、武器や防具を用意しておいたのは正解だった。サルヒたちはすぐさま武器をとり、人々の間とアルケオーニスの間に割って入った。
そして今、こうして彼女たちは戦闘を続けている。
「幸運だったのは、こいつが出した被害がそこまで多くなかったことだね。死人も出ていないようだ」
敏捷な足捌きと、間断なく放たれた矢でアルケオーニスを牽制しつつ、ヤルマルは手早く状況を報告する。
彼女の言う通り、アルケオーニスと遭遇したときにはすでに周囲の建物が半壊してしまっていたが、中に遺体は見当たらなかった。建物が崩壊する前に逃げ出してくれたのだろう。
「だけど、街で暮らす人たちに齎される影響は大きい。特に、気持ちの面で」
アルケオーニスが無造作に振るった尻尾を斧でいなし、サルヒは瞳に力を込めて相手を睨みつける。振り抜いた後に戻ってきた尻尾が再びサルヒを打ち据えようとするが、そうはさせじとサルヒは斧を構える。
「ぐっ
……
!」
尻尾が斧と激突した瞬間、まるで巨木を叩きつけられたような振動が体を伝う。しかし、お構いなしにサルヒは力任せで斧を振り抜いた。
アルケオーニスの尻尾は、サルヒが振るう斧によって真っ二つに裂かれ、その先端部分だけが勢いよく転がっていく。切断面から吹き出した夥しい量の魔物の血が、街の石畳に真っ赤な花を咲かせる。その光景は、平和な街の光景にはあまりに不似合いだった。
尻尾を断たれた痛みから、ギイイイイとアルケオーニスが吠える。耳障りな絶叫に、耳がいいヤルマルは顔を顰めた。
「ヤルマル、城壁の様子はあなたの耳で捉えられる? 魔物が入ってきたということは、外周の騎士たちが龍にやられてしまったのかもしれない」
「完全に、とはいかないけれど聞き取れているよ。それと、安心していい。陥落した様子はないよ」
「でも、それなら尚更どうしてこいつがここに
……
?」
サルヒとて、外壁の守りがそうそう簡単に破られるとは思っていない。
そもそも、警鐘が鳴ったとしても、竜が間近に迫ってくる例は早々ないと思っていたほどだ。なぜなら、プリシラが語っていたように、各地に築かれた砦こそが竜を追い払う戦いの最前線であるからだ。
ルーシャンとサルヒがまだ貴族の屋敷に住んでいた頃も、警鐘は鳴ったことこそあるものの、逸れて迷い込んできた数体の竜の接近を許してしまった場合が殆どだった。その竜たちも騎士たちの迅速な働きにより、すぐに討伐された。
実際の恐怖が間近に迫ることは多くないといえども、街が常に安全と思われていては、万が一のときに人々は足がすくんで動けなくなってしまう。だからこそ、程よい緊張を保つためにも、竜の影が通常より多く近づいてきたときは必ず鐘が鳴らされていた。
人々も、街に竜が踏み込むことはないだろうと信じつつ、速やかに避難に努める。多少の油断が混じっている場合もあるが、それも已むを得ないというのが現状だ。
「竜が攻め入る可能性があるからこそ、鐘が鳴らされた。そう考えれば、こいつが街中にいるのは順当とは言えるのかもしれないよ」
「だけど、魔物が虚空から出現するわけがない。もし攻め入ってきたのなら、どこかの門が陥落したということ。でも、それなら、もっと大規模な被害が出ているはず」
たとえ、実際に竜を目の当たりにすることはなくても、可能性が少しでもあるなら警戒すべきである。その考えが染み付いているからこそ、此度の警鐘にサルヒとルーシャンはすぐさま反応できた。
とはいえ、本当に竜が街中を闊歩する事態になるとは思っていない。現に、アルケオーニスを目撃してからも、門の守備が陥落したなどという凶報も届いていない。
竜が街の中に踏み込めば、それこそ街が街としての形を保てずに陥落するときだ。このようにのんびりとアルケオーニス一体に拘っている場合ではないくらいの損害が出ていなければおかしい。
「でも、そうだとしたら、この魔物はいつどこからどうやって入ってきたの
……
?」
「考えている暇はなさそうだ。くるよ!」
ヤルマルの警告と共に、尻尾を半ばで切断されたアルケオーニスが雄叫びをあげる。
同時に、魔物の周囲に、今までとは異なる闘気が渦巻く。魔力と思しき目に見えない気配がアルケオーニスを覆ったと同時に、それは音もなく弾けた。
「
……
何も、起きていない?」
純然な魔力の炸裂に、サルヒは一瞬身構えた。だが、想像していたような破壊はなく、サルヒが拍子抜けしかけたときだった。
(体が、重い
……
!?)
全身に、不可視の錘がまとわりついているような感覚が、突如サルヒの体にのしかかってきた。不可解な変化は、サルヒが身につけた戦闘技術の全てを一段下へと引き下げんとしている。
「サルヒ!」
自身の不調に驚く間もなく、アルケオーニスの体がサルヒに迫る。
自分に向けられた、嘴に似たアルケオーニスの口。巨大な鉈のように振り下ろされた一撃を、サルヒは鈍る体を無理やり使って受け止めた。
「く
……
普段なら、これぐらい
……
なんてことないのに
……
!」
サルヒにとって小柄なアウラ族ではなかなか望めない圧倒的な腕力は、武器の一つでもあった。しかし、アルケオーニスのは放った魔法はサルヒの人並外れた腕力も通常のヒトと大差ないものに落ちてしまう。
斧と嘴の鍔迫り合い。それは、しばしの拮抗の末に、嘴が斧を押し切る形で決まった。
「
……
っ!」
どうにか致命傷を防げたのは、ヤルマルが後方から放ってくれた矢のおかげだ。アルケオーニスの顔を掠ったそれらは、アルケオーニスの注意を逸らすのに一役買ってくれた。
嘴がサルヒが身につけていた防寒具を切り裂き、鎧の表面を抉っていく。けれども、それだけの傷で済んだのは、運が良かったと言うべきだろう。
「ヤルマル!」
しかし、サルヒから注意が逸れたというのは、アルケオーニスがヤルマルを標的としたということ。己の傷を気にする暇もなく、サルヒは矢が放たれた方へと首を向ける。
「まったく、厄介な魔法を使う魔物もいたものだ。矢を構えて放つのがやっとの力しか出ないなんてね」
舌打ちを打ちつつ、ヤルマルは自分に向かってくるアルケオーニスを見据える。
相手の放った魔法は、恐らくは生物のエーテルに作用して一時的に身体機能を低下させるものだろう。サルヒが己の腕力の低下を感じたのと同じように、ヤルマルも弓を引く腕の力や、普段なら機敏に動く足から力が抜け落ちていると感じていた。
アルケオーニスにとって、距離を詰めた弓使いなど、赤子の手を捻るほど縊りやすい相手に見えたのだろう。尻尾を切られた怒りを、思うままにぶつけんとヤルマルに肉薄し、
「ーーでも、お生憎様。ボクをダンスに誘ってくれる相手はもう決まっているんだ」
ヤルマルの頭を齧りとろうと無防備に開かれたアルケオーニスの喉奥に、彼女の背後から飛来した何かがいくつも突き刺さる。
それは、魔力で編み出された光輪だった。幻のように美しく見える輪は、しかし確かに凶器としてアルケオーニスの喉を切り裂いた。
「ヤルマル、無事か!」
「ありがとう、危ないところだったよ。オランロー」
ヤルマルの背後から姿を見せたアウラ族の男に、ヤルマルは視線と返礼だけを投げ返す。
「ここに君が来たってことは、街の人の避難は終わったのかい」
「ああ。負傷者は、動ける奴に任せておいた。オレが顔を見せれば、いたずらに不安にさせるだけだからな」
「しょうがないこととはいえ、納得できないものがあるね。アウラ族というだけで、白い目で見られるなんてさ」
「オレもサルヒも、この国では見慣れない種族だ。黒い角と鱗から、竜の存在を想起されても仕方がない」
「ボクは、そういうのを『仕方ない』で諦めるのは、あまり好きじゃないんだけどね。とはいえ、今はそんなことを言っている場合じゃないか。実は、ちょっと厄介な魔法をかけられてしまったみたいなんだ」
眉を下げたヤルマルは、どうにか斧を持ち上げているサルヒへと視線をやる。オランローも彼女の姿に気がつき、二人の置かれた状況を察した。
「力が入らないのか」
「身体機能を下げる魔法だろうね。参ったよ。一体どうしたものか」
「いや、それだけならば、オレでも何とかする方法はある」
喉から血を流して呻いているアルケオーニスをよそに、ヤルマルが現状を聞いたオランローは会話の途中から静かに魔力を巡らせていた。
彼の戦闘手段でもある武の舞のために続けていたステップは、今は順番や足取りを変え、異なるステップに切り替わっている。
「オレが、あいつが放った魔法を打ち消す。長くはもたないから、すぐに仕留めてくれ」
「一体何をするつもり?」
「あんたが教えてくれた舞には、身体機能を向上させるものもあった。それを使うから、体が動かせるようになったら一気に仕留めてくれ」
「ははぁ、なるほど! たしかに、あの舞なら魔法の効果を打ち消すことはできるだろう」
ルーシャンが知ったら呆れそうな力技だな、とヤルマルは苦笑する。
相手の放った魔法に対して、魔法そのものを解除するのではなく、相反する効果を放つ別の技を重ねる。齎される結果は同じだが、あまりに強引な手法であるのは否めない。
「じゃあ、援護は任せるよ。たまには、格好いいところを君にも見せないとね」
「安心しろ。あんたが格好悪かろうが格好よかろうが、オレはあんたの隣に居続けるつもりだ」
「今、恥ずかしいこと言うの禁止! 耳先がぴくぴくしちゃうだろ!」
軽い応酬を繰り返している間にも、オランローの周囲に淡い緑の光が広がる。それらは一息に周囲一帯に広がり、サルヒやヤルマルの体に活力を与えた。ヤルマルがオランローに伝授した舞のうちの一つーー攻めのタンゴと呼ばれるものだ。
アルケオーニスも、オランローが仲間に対して何かしたのを察知できたのだろう。喉の奥から血を溢れさせながらも、憤怒の形相で彼を次なる標的と定める。まだ力の残っている後足で、石畳を蹴破るようにして迫ってくるそれに向かって、ヤルマルはおくさずに弓を構えた。
「君が口をきけたのなら、どこから侵入してきたのか吐かせたんだけどね。残念だよ」
そう呟くと同時に、ヤルマルの手から一本矢が放たれる。その矢は、毒々しい燐光を纏ってアルケオーニスに向かう。しかし、放たれた矢はアルケオーニスの逞しい首元を掠めただけだった。
一見すると、ヤルマルが矢を外したように見える。実際、アルケオーニスは羽虫に付き纏われたかのように、鬱陶しそうに首を振るだけだった。
しかし、それを見て、ヤルマルは人の悪い笑みを浮かべる。
「おや、そんなに激しく動かないほうがいいよ。君に今できた矢傷は、ただの傷じゃないんだから」
しかし、アルケオーニスが人語を解するわけもない。いやいやと数度首を横に振りーー数秒後に、その体が、不意に横に倒れかける。倒れ伏すことこそなかったものの、今度は激しく身悶えするように魔物が暴れ始めた。
魔物の暴走に巻き込まれないように、ヤルマルはオランローと共に距離を置く。しかし、もはや自分が戦っている相手すら見えないのか、アルケオーニスはもがき続けている。
「ヤルマル、あいつに何をしたんだ」
「毒を打ち込んだんだ。コースティックバイトっていってね。毒を塗り込んだ矢の場合もあるが、今回は鏃に魔法を込めておいた。掠めただけでも、魔法なら十分あいつの体に届くさ」
ヤルマルの言葉通り、自らの体の内側を焼く毒には強靭な肉体を持つアルケオーニスには有効なようだった。加えて、アルケオーニスは今気が立っている。激しく暴れれば、より早く毒が回るのは、ヒトであっても魔物であっても変わりない。
「だけど、思った以上に息が長いな。死ぬ前に、暴れすぎて家屋を破壊しないといいんだけど」
けれども、その心配は杞憂に終わるだろうとヤルマルはわかっていた。なぜなら、自分と同じく動けるようになった女傑は、もがき苦しむアルケオーニスを一撃で仕留める力を持っているのだから。
暴れ回るアルケオーニスに物おじすることなく、小さな影が肉薄する。アルケオーニスと同等ではないかと思わせる膂力で石畳を踏み割り、斧を両手に携えたサルヒがアルケオーニスの首元に迫っていた。
「あなたがどこから来たかは知らない。もしかしたら、あなたも誰かに利用されて連れてこられただけかもしれない」
だとしたら、この魔物も被害者の一人だ。しかし、そうとわかっていても、サルヒは眼前の魔物を見逃してやることはできない。
「だから、あなたは私を恨んでいい。その資格が、あなたにはある」
大きく振りかぶった斧を、サルヒは下段から一息に振り抜く。
無意識に湧き立った気が、刃が触れただけの大地すら隆起させ、振り抜いた斧と共にアルケオーニスの首に深々と突き刺さる。斧の肉厚の刃はアルケオーニスの首に食い込むにとどまらず、真っ二つにその首を断ち切った。
溢れ出た血が、返り血となってサルヒの鎧を汚す。それを受けて、サルヒの内に眠る獣としての本性が唸り声をあげるが、
(
……
私の戦いは、彼のためにある。私は、もう血に酔ったりはしない。彼の隣にいるためにも)
以前、打ち立てた誓いを口にするだけで、サルヒの中の獣は制御できる形に収まっていく。今は隣にいない一人の男の横顔を思い出すだけで、サルヒは揺れかける己を引き留めることができた。
そうしている間にも、アルケオーニスの巨体はぐらりと傾ぎ、どうと倒れ伏す。古今東西、首を絶たれて生きていられる生物はいない。どうやら、アルケオーニスもその例にもれなかったようだ。
「助かったよ、サルヒ。流石に、矢傷だけでは息絶えるまでに時間がかかっただろうからね」
「でも、あれのおかげで魔物に隙ができた。
……
この場所でやるのは、避けたほうがよかっただろうけれど」
サルヒに苦言を付け足されて、ヤルマルは苦笑いをこぼす。
とはいえ、ヤルマルが放った毒で暴れたアルケオーニスがもたらした損害は、せいぜい数軒の家屋に外壁に傷を刻み、周囲の石畳を踏み割ってしまったぐらいに留まっていた。
もし、このままアルケオーニスを放置していたのなら、更に損害は出ていただろう。それは、アルケオーニスが破壊した家屋の様子を見れば、火を見るよりも明らかだ。
「な、なあ、あんたら。さっきの奴は、やっつけられたのか
……
?」
ヤルマルたちが、ようやく残心を解いて一息をついたとき。周囲の瓦礫や物陰に隠れるようにしていた人々のうち、青ざめた顔のミッドランダーの男がおずおずとヤルマルに近寄ってきた。
「見ての通りだよ。ちょっと周りを汚してしまったのは、申し訳ないけど大目に見てもらえないかな」
ヤルマルが示したアルケオーニスの遺体を見て、男はヒッと悲鳴をあげる。
首と尻尾の半ばを断ち割られて、血をだくだくと流しながら絶命しているアルケオーニスの死体は、街の中で安全に暮らしている人々には刺激が強すぎたようだ。
グロテスクな見た目は人々に忌避をもたらしたが、同時に安堵も齎してくれたらしい。生の余韻すら感じさせないアルケオーニスの遺骸を見て、周りからいくつもの安堵の吐息が響いた。
「ちょうどよかった。君、この魔物がどこからきたか知らないかい?」
「い、いや
……
俺たちは、鐘が鳴るのが聞こえて、あっちの建物
……
粉屋のハンスの家にいたんだ。あいつの家はでかいから、皆で打ち合わせの場に使ってたんだよ。ほら、今日は、商業区のギルドが集まって会議をする日でさ。お金のこととか、最近入ってきた難民たちをどうするのかとか、その辺のことをまとめなくちゃいけなかったんだ」
未だ、緊張と動揺が残っているのだろう。男の話は話せば話すほどに本題から外れていってしまっていたが、ヤルマルは無理に遮らずに言葉の続きを待った。
「それで、話が大体まとまって、この後はバーにでも行くかって話してたんだ。その時に鐘が聞こえてきて、竜が近づいてきたってわかって、隠れなきゃって思って
……
。でも、前に竜が来た時は、そんなに大したことはなかったからさ。慌てて走って怪我でもしたら大変だろうからって、それならむしろこの建物に皆を避難させればいいって、ハンスがそう言い出したから、俺もそうした方がいいかなって
……
そしたら、急に隣の建物からとんでもない音がして
……
」
「あの魔物が、ハンスさんの隣の家を壊してた?」
ヤルマルがやんわりと話題の軌道修正をはかると、男はすんなりと頷いた。
「ああ、そうだ。それで家の中にいたらまずいって思って、外に飛び出したんだ。隣に住んでる家のやつも必死に飛び出してきてて、そしたら今度はあの化け物が、ハンスの家にも向かおうとしてるのが見えて
……
その時にあんた達が来るのが見えたんだ」
「なるほど。とはいえ、ハンス氏の家にも傷を残してしまったみたいだね。ごめんよ、間に合わなくて」
男が示した家屋を見やり、ヤルマルは眉根を下げる。先ほど大暴れしていたアルケオーニスが残した爪痕が、ハンス氏の家と思しき建物の外壁に深く刻まれていた。
「ああ、いや、いいんだ。それよりも、俺からもちょっと聞きたいんだが」
「構わないよ。どうしたんだい?」
「えっ
……
さっき俺たちに隠れる先を教えてくれた男はどこにいる? あの、赤い髪の毛の
……
竜とヒトの合いの子みたいな見た目をした奴だ」
話し始めた当初は、紙よりも白い顔をしていた男だったが、話をしている内に気分が落ち着いてきたらしい。先ほどよりはいくらか落ち着いた様子で、彼はヤルマルにオランローの所在を尋ねた。オランローは街の人々の避難を任せていたので、その件だろうか。
ヤルマルはくるりと振り返り、アルケオーニスのそばに佇んでいるオランローに、「おーい」と呼びかける。
「どうかしたのか」
「この人が、君に用事があるってさ」
ヤルマルに言われて、オランローが一瞬顔を顰める。彼がここまではっきりと警戒を見せるということは、どうやら避難している間に二人の間に一悶着あったらしい。
オランローの見た目は、人々が忌避する竜を彷彿させるものである。とりわけ、大柄で強面の彼は、人々がイメージする畏怖の印象を全て備えてしまっている。
ひょっとしたら、アウラ族である彼に言いがかりをつけようとしているのではないか。ヤルマルが内心そのように警戒していると、
「あ、あの
……
さっきは、その、助かったよ。あんた、怪我をしていた子供の手当てもしてくれたんだろ」
オランローは、それが何かと言わんばかりに黙っていた。普段なら頷きの一つでも返す程度のことはするのに、今の彼はいつにも増して無愛想だ。
(やっぱり、アウラ族の外見が原因で理不尽なことを言われたのかな)
だとしたら、オランローが不機嫌になるのも仕方がない。ヤルマルがそう思いかけた時だった。
「そうとは知らずに、あんたが魔物を招いた異端者じゃないか、なんて言ってしまって
……
すまなかった! 本当に申し訳ない!」
急に謝罪の言葉を、しかも大きな声で述べられて、オランローは明け色の双眸を見開いて固まってしまった。彼が驚きを顔に出すのは珍しく、思わずヤルマルも二人を交互に見てしまう。
「いや
……
あんたも、気が動転していたんだろう。オレは別に、気にしていない。怪我をしていた子供は無事か」
「ああ。ガラスで少し切っただけだった。もう血も出ていない。あんたがすぐ止血してくれたおかげだ」
「そうか。それなら
……
その、良かった」
素直なお礼の言葉を向けられて、普段は年不相応に落ち着いた姿を見せているオランローが、しどろもどろになっている。そんな彼の様子を見て、ヤルマルは思わず口角を持ち上げてしまった。
かつて、イシュガルドの騎兵に追いかけられて洞穴に逃げ込み、凍死を待つばかりという境遇に追いやられたオランローは、当然ながらイシュガルドの民衆に対して強い苦手意識を持っていた。
しかし、彼は今はもう大人だ。分別もついてきていて、なぜイシュガルドの民が自分を嫌うかも理解している。それゆえに、今度は自分は嫌われても仕方ないものだと受け入れようとしていた。
だが、どうやら、戦の女神を信奉する民は、オランローが思っていたほどに臆病ではなかったらしい。
見れば、アルケオーニスの遺骸を引きずって片付けようとしていたサルヒにも、何名かが手伝いを申し出ている。アルケオーニスの首を真っ二つに断ち割った勇壮な姿は、種族の垣根を乗り越えて、人々の心に良い意味で焼きついたようだ。
「良かったじゃないか、オランロー」
「別に、オレは何か特別なことをしたわけではないんだが」
「そういう振る舞いの方が、かえって心には響くものだよ。これからは、フードをかぶって出歩く必要はないんじゃないかい?」
「流石にそこまで簡単には考えられないな。事情を知らない連中にまで、理解しろと迫るつもりはない。それよりも」
オランローは瓦礫の影からわらわらと出てきた人々に向けて、
「おい、まだ警戒を解除していいとの知らせは来てないんだろう! 魔物の片付けは後でいいから、まだ建物の中に避難しておいた方がいい!」
オランローが声を張り上げると、人々も危難は完全に去っていなかったことを思い出したらしい。慌てて、手近な建物の中に入っていく。オランローに感謝を述べていた男も一礼すると、
「あんたらは魔物を倒せるぐらい強いみたいだけど、避難はしないのか」
「ボクらは逃げ遅れた人を探すように言われていてね。見ての通り、魔物ぐらいなら追い払える力もある。気遣いだけ、ありがたくいただいておくよ
「そうか。あんたらも気をつけてな」
思いがけず、民衆からの激励の言葉をもらい、ヤルマルもオランローも胸の内に灯火が点ったような気持ちを感じていた。仕事として引き受けたことであり、たとえどんな見返りがなくても人の命を守ることに意味はあると思ってはいた。それでも、やはり直接お礼を言われるのは格別だ。
「きっと、魔物を連れてきたのは異端者の誰かだろうな。だから、どこの誰ともわからない難民なんて引き受けるなんて、俺は反対だったんだ。あんた達も、またどこで魔物が出てくるかわからないんだから、無理するなよ」
男はそれだけ言うと、損壊のない建物へと向かっていく。残されたヤルマルたちは、今度こそ完全に人の気配が消えた通りを見やり、
「
……
それにしても、本当にどこから出てきたんだろうね。魔物なら、もっと早くに見つかって討伐されているものなのだろうけれど」
「あの魔物は空を飛べる形はしていなかった。そうなると、偶然門の警備を掻い潜って入ったのでなければ、意図的に進入を許すしか方法はないはずだ」
「意図的に魔物を引き込むとして、誰がそんなことをするかねえ」
本来、魔物を街に解き放ったところで、得られるメリットなど無いに等しい。イシュガルド皇国が内戦状態であるならいざ知らず、今この国では竜との戦い以外で目立った内戦は起きていないはずだ。そもそも、竜と矛を交えながら内戦をする余裕などないのである。
ならば、別の形で利益を得る者がいることになる。それは誰か。
「
……
短絡的な答えには結びつけたくないんだけどね。警戒をする必要はありそうだ」
ヤルマルはほうっと息をつき、戦闘の興奮が冷めて冷えてきた体に防寒具を巻き付ける。
旅人であるヤルマルたちには、この街に魔物が湧こうが降ろうが直接の関係はない。しかし、ここはノエの父親が治めている街だ。たとえヤルマルたちが「自分たちには関係ない」と言い張っても、あの生真面目な青年剣士は後ろ髪を引かれ続けるだろう。その姿だけは容易に想像できた。
それに、ヤルマルたちとて数日滞在していた街が竜や魔物に蹂躙される姿を見ていて、平静としていられるほど冷徹ではいられない。
「ボクらは、アランさんの依頼の続きといこうか。どちらにせよこの襲撃が収まるまでは、心が休まる時はなさそうだ」
ヤルマルに言われて、オランローもサルヒも首肯を返す。竜の雄叫びは、まだ遠くから微かに響いていた。
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