桐子
2024-06-25 22:31:21
2510文字
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最愛⑧(完結)



桜の木の下に四人で並ぶ。薄紅色の花が暖かな日差しをさえぎって、地面にうすく影を落としている。
「はい、笑って笑って」
こんなものだろうかと笑顔をつくり、隣に立つゲゲ郎を見た。彼は穏やかな笑みを浮かべ、腕の中の我が子を見つめている。赤ん坊はひらひらと舞う桜の花びらが珍しくて仕方ないのか、大きな目をぱっちり開いて、しきりに手を伸ばそうとしていた。
「じゃあいきますよ、はい、チーズ」
シャッターを押すと、カシャリと音が響いた。
「はい、撮れましたよ」
ねずみ男はカメラを水木に渡してきた。
家族で写真を撮らないかと言い出したのはゲゲ郎だ。確かに、娘の写真は山ほど撮っているが、家族みんなで写真を撮る機会はなかったので、水木も賛成した。今日はちょうどいい天気だったので、外で写真を撮ることにした。昼飯をたかりに来ていたねずみ男にカメラマンを頼めたのはちょうどよかった。
「今度、外に行くときについでに現像してもらうか」
「できあがるのが楽しみじゃ」
ゲゲ郎は赤ん坊をこちらにわたしながら、嬉しそうに言った。
生まれた子どもは水木によく似た可愛い女の子だった。ゲゲ郎も鬼太郎も目の中に入れても痛くないほどに可愛がっている。特に鬼太郎は、「僕はお兄ちゃんだから」と率先して世話をしたがるので助かった。
「そろそろミルクの時間ですよね。僕、準備してきます」
鬼太郎はそう言って、家の中へ入っていった。
「俺たちも飯にするか」
「うむ。わしはらーめんが食べたいのう」
大きな腹を抱えていた水木は、近所の住人に不審がられたことがきっかけで、ゲゲ郎たちとともにゲゲゲの森と呼ばれる妖怪たちのすむ森で暮らし始めた。会社も学校もない、家族や気のいい妖怪たちとの穏やかな生活。これまで従軍したりあくせくと働いたりしてきた水木にとって初めてと言ってもいいほど、心安らぐ時間だった。
「ふぁ……
「くあぁ……
娘の可愛いあくびにつられて、水木もあくびをしてしまう。それを見たねずみ男がニヤニヤしながらからかってきた。
「おや、随分とお盛んなようで」
「違う。最近ちょっと夢見が悪くてな」
鬼太郎もそうだったが、娘もまた夜泣きもせずにすやすや寝てくれるので助かっている。
だが、水木は悪い夢を見て夜中に目を覚ますことがたびたびあった。これまでにも戦地の夢を見てうなされることはあったが、最近はその頻度が増している気がする。夢を見るのが恐ろしく、ゲゲ郎に抱きしめられたり手を握られたりしてようやく、安心して眠れるのだ。
「どんな夢なんですか?」
「それが……よく覚えていないんだが、とても嫌な気分になるんだ。でも、起きたときには忘れてしまっている」
「何か心配なことでもあるんですかね?」
「そんなことはないと思うんだが……
水木は首を傾げた。ゲゲ郎は優しく、毎日のように口付けたり、「愛している」と囁かれたりしている。子どもたちは可愛いし、まわりの妖怪も協力的だ。不安になることなど一つもない。
「そんなら、枕返しに頼んでいい夢見せてもらえばいいじゃないですか」
「へえ、いい夢を見せてくれる妖怪なんているのか」
「夢を自在に操る妖怪なんですよ。親父さんなら知ってるでしょ」
ねずみ男に水を向けられると、ゲゲ郎はうむ、と小さくうなずいた。

夢を自在に操る。

その言葉が妙に引っかかり、家へ向かって歩いていた水木は立ち止まった。
ここでの生活はとても幸せだ。このまま穏やかに、長い時を生きていくことになるのだろう。
だが、本当にこれが自分の望んだ世界だったのだろうか。――――いや、違う。こんな幸せな時間を過ごせたとしてもそれは一時で、いつかは老いて死んでいくのだと決めていた。

――――これは誰が夢見た『幸福な世界』なのだろう。

「どうしたのじゃ?」
声を掛けられて顔を上げると、隣を歩いていたゲゲ郎が、じっとこちらを見下ろしている。いつもは愛嬌のあるまるい目は、今はどうしてか、ぽっかりと開いた暗い穴のように見えた。

―――番でもないのに、水木は子を孕んだ。奇跡でも起こらない限りは、と言われていたのに。
―――十分な説明もせずに『堕ろしてほしい』と言い出したゲゲ郎は、それを聞いた水木が反発するとは考えなかったのだろうか。
―――ゲゲ郎は顔が広い、夢を自在に操る妖怪のことだって知っている。都合の良い夢を見せることだって……

夢は無意識のうちに、自らの不安や恐怖をうつすという。水木は無意識のうちに、これら一つ一つを結びつけて警告しているのだ。このままではいけない、早く気付くんだ、と。
……なあ、ゲゲ郎。俺がお前に引きずられて“雌”になっちまったのは、本当に偶然だったのか」
「どうしてそんなことを聞く?」
ゲゲ郎は優しく微笑んだ。だが今は、その笑みさえどこか空恐ろしく感じてしまった。
こうなる結末を予想して、ゲゲ郎は水木を“雌”にしてしまったのではないか。全てはゲゲ郎が水木を手放さずにいられるように、自分の仲間にしてしまうために、自分の都合のいいように。
水木は腕の中の赤ん坊を見下ろした。目が合うと、あー、と笑いながら手を伸ばしてくる。横からゲゲ郎が娘の小さな手を取り、指を掴ませた。
「可愛いのう。わしは本当に幸せじゃ。これからも親子四人で仲良く暮らそうな」
本当に幸せそうな笑みを浮かべたゲゲ郎は、赤ん坊ごと水木を抱きしめた。甘くて落ち着くいい匂いがする。駄目だと思うのに、この匂いをかぐと頭の芯がしびれたようにぼんやりしてしまう。

「愛しておるよ水木。ずっとずっと、わしのそばにいてくれ」

水木は初めて、ゲゲ郎を怖いと思った。まとわりつく重い情愛と執念に恐怖さえ抱いた。水木にはもう、この男と、子どもたちとともに永遠に近い時間を生きる道しかない。
しかし、恐ろしいとは思いこそすれ、それを嫌だとは少しも思わなかった。男の腕に抱かれながら、感情を麻痺させてしまうほど甘い香りを、胸いっぱいに吸い込んだ。

「俺も愛してる」

水木がゲゲ郎に抱いている、最も強い感情――――それもまた、愛だったので。