千代里
2024-06-25 13:00:20
11951文字
Public リーブラ13話
 

リーブラの針は問う・13話・その20


空そのものを破るような雄叫び。それは、今まで何度か目にしてきた様々な種類の魔獣とは確実に一線を画していた。
その声に負けじと響く、素早いリズムで打ち鳴らされた鐘の音。その音色は街の隅々まで響き渡り、日常を営んでいた人々に警告を告げていた。鐘が鳴っていると思しき場所以外からも反響して聞こえるのは、音を増幅して響かせる魔法の効果だろうか。
「この鐘の音は、イシュガルドの小さな街では度々耳にするものなんだよ。あれが鳴らされるってことは、ドラゴン族が接近してきてるってことなんだ」
未だ事態を飲み込めてないオデットの手を引いたヤルマルが、走りながらも簡潔に状況の説明をしてくれた。
街を行き交う人々は、オデットよりもよほど早く状況を飲み込んだのだろう。取る物もとりあえず、方々へ散っていく。その騒乱の様子は、竜の脅威を未だ知らぬ者たちにも、ただならぬ事態が迫っていると十分に教えてくれた。

鐘が鳴るや否や、一行はプリシラやルーシャンらに促されるままに会話を切り上げて、食堂の一階に下りた。そして、店の女将に別れを告げるのもそこそこに、一路教会に向かった。
食堂には地下倉庫もあるので、万が一のことを考えればそこに避難すればいいのではないかと女将は勧めてくれたが、
「すみませんが、子供たちの様子が気になるので私は教会に戻ります。パニックになって、もし外に飛び出して怪我でもしていたら大変ですから」
とプリシラが言った手前、彼女だけを外に出すわけにもいかず、結局ノエたちもプリシラと共に教会に戻る選択をしたのだった。そして、走りながらヤルマルはオデットやオランローのようなイシュガルドに馴染みのない面々に鐘の意味を伝えたというのがことの経緯である。
警鐘が鳴り響いたからか、店に入る前に目にしていた、昼下がりの買い物を楽しむ人々の穏やかな気配はどこにもない。その代わりに、今や周囲は不安を囁き合うざわめきに包まれていた。
大多数の人々は、小走りで一心不乱に家に向かって走っているようだった。家にたどり着くと、今度は揃って戸を閉めて、まるで今にもドラゴン族が顔を覗かせるとでも思っているかのように息を殺していた。
街の人たちが一目散に自分の住まいに逃げ込む姿を目にすると、こうしてまだ通りを駆け抜けている方が場違いなのではないかと、そんなことを一瞬ノエは考える。それほどまでに、多くの人々は避難を急いでいた。
……やっぱり、騎士の姿が少ないな」
先頭を走っているルーシャンの呟きが、ノエの耳に届く。
彼の言う通り、突如降って湧いた緊急事態に怯える人たちに対して、慌てふためく民衆を誘導する者の姿がほとんど見当たらない。通りを何本も通り過ぎたはずなのに、今のところ騎士らしい身なりをした者は、一人しか目にしていなかった。
先ほどの食堂の女将は、騎士が各地に派遣されていて、街に残っている騎士が少ないと話していた。その現状が、今こうして浮き彫りになっている。
とはいえ、この街の住人ですらノエにできることなど、今はない。この瞬間、自分のできる精一杯は、教会に向かうプリシラと子供たちを無事に案内してやることだけだ。
「こうやってドラゴン族が来るのは、よくあることなんですか」
走りながらも、ノエは傍らを行くプリシラに向かって問いかける。予想に反して、プリシラは、首を横に振った。
「この街に来るのは、三ヶ月ぶりくらいでしょうか。しかも、このような警鐘は一年ぶりの、ランドンが覚醒したとき以来です」
「このような警鐘?」
「警鐘にも種類があるんだよ。ボクの知っているものなら、長くゆっくりと叩かれるものは、遠くに竜の姿を確認したけれど、数は少数なので迎撃は容易だろうと判断した場合だったな。避難はするけれど、念の為に隠れるという意味合いが強い」
「だったら、今のように短期間で何度も叩かれるものは、その逆ということですか?」
ヤルマルの説明を受けたノエの重ねての質問に、プリシラは唇を浅く噛む。
……竜の影を発見。数が多いため、街の侵入を許す可能性あり。門から離れ、建物の中に避難せよ、という意味です」
プリシラの説明を聞いて、ノエの顔がこわばる。旅人を必要以上に怖がらせるのはよくないと思ったのか、プリシラはつとめて明るい顔を作りあげ、
「ですが、実際のところ、街のかなり手前で騎士様たちが撃退してくださる場合が多いのです。普段は、要塞に配備されている騎兵が対処しているようです。それに、一年前の接近の際も、街の中にいた私たちは竜の声を遠くに聞くだけでした。街に入ってくることもなく、あくまで念の為に建物の中に入る程度の危機感でした」
「だが、その割には今回はやけに周囲の警戒心が高くないか。一年前の件があるなら、たかを括っているやつがもっといても、不思議ではないだろう」
オランローが言う通り、周りの人々の様子は『念の為』の域を超えているようにも見える。
確かに、未だに家路を急がず、買い物などを優先している者もいるが、それはごく少数だ。中には、今にも門を破ってドラゴン族が押し寄せるかの如く、厳しい面持ちで家路を急いでいる者は少なくない。
「無理もありません。近頃は、難民の数が増えましたから。難民の方にとって、ドラゴン族の襲撃は、あるかもしれない災厄ではなく、現実的な恐怖です。彼らの空気に触発されて、街の人たちも警戒しているのでしょう」
領主の直轄地であるからか、長くこの街にいる者ほど自分たちは安全だと過信していた。しかし、村や町を焼かれて避難してきた難民にその考えはない。彼らの高い警戒心が元々街に住んでいた住民の慢心を消してくれたというわけだ。
……危機感を煽られて、パニックにならないといいが」
「信頼できる人がそばにいるなら、意外と混乱はせずに済むものだよ。ちょうど、ボクらのようにね」
ヤルマルに軽く背中を叩かれ、オランローは短く首肯を返す。
実際、彼女の言う通り、急報を受けても焦りで我を忘れずにいられてるのは、周りに自分が信頼できる仲間たちがいるからだ。話を横で聞いていたノエも、自分の落ち着きを客観的に把握し、その理由を理解する。
そうしている間にも、教会との距離は随分と縮まっていた。特徴的な鐘楼の尖塔が見えて、一行に安堵の気配が満ちる。
同時に、教会の入り口の前で、誰かを探しているような素振りの司祭装束の男性の姿が、ノエの視界に入る。近づくにつれて、それが先日会ったアランだとすぐに分かった。
司祭服を見て、ノエの傍にいたオデットの体が強張る。それでも、気丈にも彼女は取り乱す様子も見せず、ノエの傍らに佇んでいた。
「プリシラさん、それにコーディたちも! 良かった、あなたたちはプリシラさんと一緒にいたんですね」
どうやら、アランはプリシラに勝手についてきたコーディらの行方が分からず、探しにいくところだったようだ。コーディは申し訳なさそうに肩をすくめて、流石にしおらしい態度を見せている。
「ノエさんたちも、プリシラさんと同行していたのですね。皆さんは竜の襲撃を受けたことがないはずなので、警鐘の意味がわからないのでは案じておりました」
「ご心配おかけしました。実は、プリシラさんから時間をいただいて、少し話をしていたのです」
皆を代表して、ノエがことの経緯を簡潔に説明する。
「そうでしたか。でしたら、既に話は聞いているかと思いますが、ドラゴン族が接近しているとの報せが届いています。街の中にまで踏み入ることはないかと思いますが、念の為に建物の中に避難してください」
「その件について、一つ。尋ねてもいいか」
頷き返そうとしていたノエを置いて、先んじて挙手したのはルーシャンだった。
目顔で承諾の意を伝えたアランに対して、ルーシャンは続けて問いかける。
「ここに来るまでに城壁の兵士の数を数えていたんだが、数がそこまで多くないように見えた。設置されている砲も、地上の竜にとどめを刺すような、近距離向けの小さなものが多そうだった」
「ええ、そのはずです。旅人の方であるというのに、よく見ておられますね」
「イシュガルドで、傭兵の真似事をしていた時期があったもんでね。どうしても、都市が敷いている防衛の体制は気になってしまうんだよ」
ルーシャンの発言にアランは納得したようだったが、彼の発言の全てが理由ではないとノエは知っている。
ルーシャンは、元は貴族の養子という立場にいた。幼い頃に偽りの地位を剥奪されたノエと異なり、彼は民を守る貴族として生きてきた時期がある。そうして培ってきた経験が、都市の防衛機構に注意を向けるという考えを彼に与えたのだろう。
「あの装備を見た限り、地上から来る竜については問題なく対処できるだろうな。つまり、あんたらが危惧している竜……『ランドン』とやらに飛行能力はない、ということか?」
「ええ。あなたのおっしゃる通りです。領主様の報告によると、この辺りではランドンと呼ばれている例の竜には、長距離の飛行能力がないそうです。翼はあるものの、長時間の飛行には向いておらず、精々一時的に上空に逃れるほどの力しかないとか」
疑いの言葉をあげたわけではないが、ルーシャンからの疑念混じりの視線は感じたのだろう。アランの言葉を補足するように、プリシラも声をあげる。
「あの竜はこれまでに何百年と休眠期を挟んで出没していますが、歴代の領主様が皆揃って同じような報告をしているそうです。実際、今回の出没の際も騎士を派遣して、今までと同じ個体であると確認したとか」
「そうだとしたら、ルーシャンさんは何を気にしているんですか?」
「上空から攻め入られることはないか、だろう」
オデットの質問に答えたのは、ルーシャンではなくオランローだった。
彼もルーシャンを倣って、城壁に目を向けて、ただでさえ強面の顔をますます厳しく歪ませている。
「地上から竜が攻め入ってきた時の防備は問題ないみたいだが、空から攻められた場合は大丈夫なのか。竜には、空を飛ぶ形態のものもいるはずだ」
「ええ、オランローさんがおっしゃる通り、ドラゴン族の中には我々が飛竜と呼ぶような、飛行に特化した形態のものもいます。ただ、この地域に住む飛竜の数はかなり少ないのです」
アランの説明によると、竜は生息する地域によって微妙に形が異なるらしい。
飛行も陸上歩行もどちらも可能な形態のものは、どのような戦場でも万能の活躍をする代わりに、防御面にはやや難がある。一方で、飛行に特化した形態のものはその活動領域は空に特化している都合上、陸上を早く歩くことはできない。
そして、ランドンのように地上を主な活動領域とする竜は、動きこそ鈍重で翼も退化してしまっているが、代わりに強靭な肉体を持つ。その尻尾の一振りは、空を行く飛竜の何倍もの破壊力を持つ。
「このラペイレット領は、急峻な山岳地帯が少なく、平野部が目立つ地域です。そのためか、ドラゴン族も陸地での活動に特化した形態のものだけが残ったようです」
「たしかに、だだっ広い平野で空を自在に飛び回れたとしても、歩くのが遅ければ生存に適しているとは言えませんからね」
アランが語った竜の生態を聞いて、ノエは納得の首肯を返す。
ドラゴン族と一口で言っても、彼らとて生物であることには変わりない。自分がより住みやすい環境に特化したものだけが残るのは当然だ。
「ですから、その分、領主様は地上からの攻撃に備えておられるのですよ。もちろん、はぐれて迷い込んだ飛竜が近づくこともありますので、専用の砲門もいくつか揃えているようです」
「そういうことなら、ひとまずは問題なさそうですね。あとは、兵の数が少ないっていう現状がどう影響するかが、気になる所ですが……
「それなら、兄ちゃんたちが手伝いに行けばいいんじゃないか?」
教会にたどり着いて安心したのか、走っている間は口を噤んでいたコーディが口を開く。
彼は、ノエたちに向けて純粋な期待の眼差しを向けていた。どうやら、ヤルマルの語った冒険譚に出てきた冒険者たちが目の前にいるのなら、目の覚めるような活躍をしてくれるに違いないと期待しているようだ。
「コーディ、勝手なことを言うものではない。ほら、早く建物の中に入るぞ」
「えーっ。俺、前みたいに騎士様の詰め所に行ってみたいのに」
「まったく、いつの間にそんなことをしていたんだ。お前といいグレンといい、思いもよらないことをする所は、二人ともよく似ているな」
プリシラは駄々をこねているコーディと、影法師のように二人の様子を見守っているグレンをつれて、急ぎ足で孤児院へと入っていく。
孤児院の扉を開ける直前、プリシラがノエたちに向かって軽く一礼していくのが見えた。どこか申し訳なさそうな顔をしているのは、正式な別れの挨拶ができないことへの謝意なのだろう。もっとも、このような緊急事態で礼儀の有無を問おうなどとは、ノエもつゆほども考えていない。
プリシラたちの避難が無事に終わったのを確認し、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
「あの……一つ、いいでしょうか」
「どうした、ノエ」
オランローの何気ない反応に対して、ノエは続ける。
「先ほど、コーディさんが言っていたことなのですが……僕は、できることなら、兵士の皆さんの手伝いに行きたいと思っています」
流石に、全員についてきてほしいとは言わない。だが、この街に来てからーー父と会ったときから、ノエの中にあった形のない焦燥に似た衝動が、竜が去るまで大人しく建物に隠れている自分を許してくれなかった。
父の手伝いをしたいなどど、殊勝なことを考えたわけではない。今更、彼のために息子らしいことをしたいなどとは、微塵も思っていない。
(でも……何もしないで蹲って隠れているだけの僕を、僕が許せそうにないんだ)
ノエを見捨てたベルナールという男のために、剣を取りたいとは思わない。
けれども、優秀な兄の影を感じながらも、民のために私心を捨てて立ち続けている男のためなら、剣をとってもいい。
守るべき民からすらも、領主の判断は間違っているのではないかと陰口を叩かれている領主のためならば、少しぐらいなら助けになってやってもいい。
そう思い、意を決して発言してみたものの、仲間たちの反応は芳しくなかった。
……兄さん、また一人で危ないことをしようとしていますか」
「ノエ。あなたが何かしたいと思う気持ちがあるのは分かるけれど、あなた一人が増えても竜との戦いにおいての戦力としては大差ない」
まずはオデットが感情論でノエの心を引き留め、続けてサルヒが現実的な戦力を口にする。
「やめとけ、ノエ。外様の傭兵が飛び入りで割って入ったところで、騎兵らの邪魔になるだけだ。傭兵が役に立てるのは、傭兵同士で好き勝手に動けるときぐらいだぞ」
「そうだな。オレはイシュガルドの騎兵がどのような部隊を編成しているかは知らないが、あの手の組織にとって一番厄介なのはイレギュラーだ。それは、善意からのお節介でも同じだ」
続けて、ルーシャンが長らく冒険者として、あるいは傭兵として活動してきた経験からノエを制止する。
ダメおしは、オランローの経験に裏打ちされた発言だ。
かつてガレマール帝国軍に属していた彼には、集団による軍事的行動について一通りの知識がある。そんな彼の発言だからこそ、ノエは自分の振る舞いが『お節介』と言われる理由を正しく飲み込めた。
己の発言が迂闊であるという事実を突きつけられ、ノエは続く言葉に一瞬迷う。
……すみません。やっぱり考えなしの発言ですよね」
「でも、その気持ちだけでも十分ありがたいと思うよ。それに、ボクらが街の人よりも戦闘力があるのに、何をするでもなく持て余してしまっているってのは確かだからね」
頭を下げるノエの背中をばしばしと叩いて、ヤルマルは生真面目な剣士に喝を送る。
そんな六人の様子を見守っていたアランは、しばし口元に手を当てると、
「すみません。そういうことでしたら……もしよければ、皆さんに頼みたいことがあるのですが良いでしょうか」
世話になっているアランからの頼みならばと、ノエはすぐに首肯を返す。
「ありがとうございます。実は、私はこの後、この街の中を見てまわって、逃げ遅れた方がいないか確かめるつもりでいます。特に、お年寄りや小さな子供がいる家庭の方々が無事に避難できているかは、念入りに確認しなければなりません。万が一、ドラゴン族が侵入してきた場合、逃げ遅れていたら大変なことになってしまいますから」
「それは、つまり僕らにそれを手伝ってほしいということでしょうか」
ノエの質問に、アランは短く頷き返した。
本来、司祭の役割は教会に在住して教会の安寧を守ることのはずだ。だというのに、こうして街の人の安全を気遣い、行動しようとするのは、アランが元は異端審問官だったという経歴とも関係があるのかもしれない。彼にとって、竜がもたらす人々の不安は多少無理をしてでもすぐに解決したいことなのだろう。
「それに、この混乱状態で、人々の不安が高まって暴動につながってしまうかもしれません。もしそんなことになっていたら、事態を鎮圧するためにはある程度の武力が必要になります」
「なるほど。教会の司祭様は、そんな汚れ仕事はできない。それなら、外様の冒険者にやらせた方がいいってか?」
「旦那様。そのような言い方はどうかと思いますよ」
サルヒに嗜められたものの、ルーシャンは己の意見を翻そうとはしなかった。彼も彼なりに、自分たちがアランに対してどのように『使われる』か、見定めようとしているのだ。
「いいえ、私自身手を汚す覚悟はあります。しかし、今は人手が足りないのが現状です。なので、皆さんの力をお借りしたのです」
アランの至極最もな説明に、ルーシャンも続きを促すように短く顎先を上下に動かす。
「もしそのようなことがあった場合は、私の名前を身分の証明に使ってもらって構いません。皆さんは、私からの『依頼』で雇用された冒険者。そのような扱いとさせていただけますか」
「それなら文句はない。言われたとおり、そちらの手足となって動くとするか」
ルーシャンの発言により、アランと一行の立ち位置も明確になった。
改めて、六人にそれぞれ視線を送り、アランは言う。
「では、これから街の地図をお渡しします。二組に分かれて、外周を沿うように街の大通りを行ってもらえますか。途中、路地に入る横道があるなら、そちらも確認をお願いします。私は中央の目抜き通りを中心に見てまわります」
「わかりました。もし、逃げ場所がわからないという場合は、教会まで連れてきてもいいですか」
「ええ、構いません。このような時でも、迷える戦士のために教会の門扉は開かれています」
アランの肯定を受け止め、ノエは腰の剣に手を添える。
竜の雄叫びは、依然として思い出したように遠く近く響いている。警鐘の音が消えた空は、不気味なほどに静まり返っていた。

***

「これは、思ったよりも大変な依頼になりそうだ……っ」
街に来た当初ならいざ知らず、滞在してすでに数日は経過しているなら街の構造も全て把握できている。そう思っていたノエは、己の浅薄を数分後に恥じ入ることになった。
たしかに、数日の滞在を経て、主だった通りや街の大雑把な構造は把握できている。だが、入り組んだ道のすべてを理解しているわけではない。
大通りから細い道に入ったと思いきや、今度は上に続く坂道が続く。さらに、今度はどこに繋がるかもわからない階段がある。グリダニアの街に比べると建物の増改築が繰り返されたこの街は、より複雑な構造を内側に形成することになったようだ。
「通りを全て確認する前に、先に竜が追い返されてしまうかもしれませんね……
何気なく入った一本の小道から続く、無限とも思える分かれ道の全てを確認して戻ってきたノエは、先に大通りに戻ってきていたルーシャンとオデットに自身の所感を述べた。
「わたしも、少しクラクラしてきました。建物と建物の間にも細い道がありましたし、それが坂道になっていたり、橋のようになっているところもあったんです。この街は、思ったよりも複雑だったんですね」
「俺たちが行っていた場所のほとんどは、商業区だったんだろうな。人が住めるところを少しでも増やそうとして、迷路みたいな区画を作っちまうってのは、居住区ではよくある話だ」
ルーシャンの言う通り、周囲には店舗にありがちな看板はなく、個人の住居と思しき建物ばかりが乱立していた。先だって、空き家に暮らしていると話していた難民も、これらの込み入った区画の一つに仮の住まいを構えているのだろうか。
「なあ、ノエ。一つ確認しておきたいんだが……さっきの話、お前、本気で竜と戦うつもりだったのか?」
次の区画に向かう道すがら、ルーシャンがノエに問いかける。彼は、先だってノエが兵士の手伝いをしたいと口にしたときのことについて、改めて言及していた。
……もし、僕の力が及ぶなら本気でそうしたいと思っていました」
「まさか、竜と戦った経験があるのか」
「ありません。ウヴィルトータさんは、竜の接近を知ったらすぐに逃げるようにしていました」
「なら、お前の師匠はそれだけ賢かったってことだな」
ルーシャンの発言は、はなから竜と戦うことを選択肢に入れていないと言っているも同然だった。一見すると逃げ腰にも見える発言に、ノエは眉を顰める。
「イシュガルドの民は、竜に屈さず、戦い続ける。それが、国の教えであり、正教の最も基本的な考え方でしょう」
自身が骨の髄までイシュガルドの民だと主張できる立場ではないとは、ノエとて分かっている。だが、こうしてイシュガルドにやってきて、父の治める街で日々を過ごせば、竜に苦しめられる人々の声を幾度も聞いている。先ほど滞在していた食堂の女将の諦めたような笑顔を、ノエはそう簡単に忘れられない。
一方で、ルーシャンはそんなまっすぐな視線を受けても、臆することなく、
「お前の言う通り、イシュガルドで生きる者にとって竜は天敵だ。奴らに屈する奴は、性根の腐った負け犬なんだろう。だけど、ノエ。誇りと蛮勇を取り違えるなよ」
ルーシャンはノエから視線を切ると、不安気に自分たちを見ているオデットを見遣る。続けて、再びノエに視線を戻し、
「竜は、そこらの魔物とはわけが違うんだ。小粒な連中ならともかく、名までつけられたような竜は、人が一人で立ち向かってどうにかなるもんじゃない。お前がその辺を履き違えて、一人で飛び出して返り討ちに遭うんじゃないかって思って、さっきはお前を引き留めたんだ」
もちろん、騎兵の邪魔になると思ったからもある、とルーシャンは付け足す。
かつて、領地の安寧のために力を振るう立場にあったからこそ、彼は領地を守ろうとする騎兵らの邪魔だけはしたくないと考えたようだ。
「お前には、オデットの記憶を取り戻すのを手伝ってやるって仕事があるんだろ。こんなところで、竜の餌食になっている場合じゃない。違うか?」
……すみません。父のことや母のことを聞いた後に、今ここで何もしない自分がいていいのかと、そう思ってしまったんです」
言葉にしながらも、ノエも自分自身の感情の動きを追いかけていく。
今回の旅路で、ノエは父と再会した。奇しくも、母の軌跡を知ることもできた。
父は、ノエが思い描いていたような、身勝手で無責任なだけの男ではなかった。
ノエの目から見れば身勝手に思える振る舞いもあったのは事実だが、一方で彼は一つの領地を治める主としての顔も持っていた。民の安寧のために懸命に功績を積み上げ、人々の生活を少しでも守ろうと尽力していた。
母もまた、ノエが危惧していたような冷酷で無慈悲なだけの女ではなかった。
彼女の中には確かに、己の息子すらも自身のための道具のように思う部分もあったのだろう。しかし、一見非情にも見える側面が彼女の全てだったのではない。
自分が息子を捨てるような人間にならないようにと、息子と共に暮らせる環境を求めて必死に足掻いていたことを、ノエはもう知っている。
「僕は、今だって二人のことを全て受け入れようとは思っていません。ですが、僕がここにいるのは二人が出会い、共にいたいと願ったからこそだと、ここに来てようやく僕はそう思えるようになった気がするんです」
自分の大本は、一人の男と一人の女から生まれた。そのことを強く意識させられる出会いが、この街にはあった。
「だったら、二人の先に続く僕は何ができるんだろう。ドラゴン族が来たって聞いて、大人しく隠れていることが今の僕がすることなんだろうか。そんな風に考えたら……いても立ってもいられなくなったんです」
勿論、ルーシャンが指摘したように、ノエの希望は単なる蛮勇にしかならない。気持ちだけで竜を退治できたなら、今頃イシュガルドの地から竜は消えているだろう。
……まあ、お前の気持ちも分からないでもないけどよ。父親と母親のこと、今までのように単純に嫌いだって思うだけの感情が出てきたんなら、自分が掴んだ感情のためにも何かしたくなるってのは人情だろうさ」
ルーシャンはやや気まずげに頭を掻いてから、続ける。
「だけど、親の先に続く子供として何かしたいって思うなら、まずは自分の命を大事にするってことを忘れんなよ。俺はそういうのは分からないが、どうやら普通の親ってやつは子供には生きているだけでいいって思うものらしいからな」
ルーシャンの言葉を受けて、オデットも追従するように深々と頷いた。ノエに向けられた二人の眼差しには、よく似た感情が薄らと映っている。それはまるで、ノエを羨んでいるかのようで。
……そうか。二人とも、もう親と呼べる人がいないから、尚更僕を引き留めたいと思ってくれたのか)
一方で、自身を育ててくれた親と呼べる人を失った者だからこそ、続く者として何かしたいと望むノエの気持ちを知れば、無碍にはできない。
けれども、残された者として、自身の命を軽々しく扱えないこともまた、二人は痛いほど知っている。
ルーシャンは、自分を育ててくれた親や家族をまとめて失った日から。そして、オデットは記憶を取り戻したその日から。
「ノエの考えは分かったが、何かしたいっていっても、別に竜退治なんていう大それたことじゃなくてもいいだろ。自分が親に提示したいと思う形を、今すぐ決める必要もない」
「そうですね。すみません、つい気持ちばかりが先走ってしまって」
「謝罪をするなら、俺よりもオデットにしてやれ。だろ、嬢ちゃん」
言われるがままにオデットに目を向ければ、ノエのことを案じていると一目見てわかる視線がオデットから注がれていた。
オデットとて、両親のことを受け止めて前に進もうとするノエの心情を無視したいわけではない。
だが、できることならノエが危ない場面に出くわさずにいてほしいという気持ちを彼女は捨てきれない。
そんな気持ちがひしひしと伝わってくる少女の表情に、ノエはどうにかできる限りの笑顔を浮かべて見せる。自分でも、まだどこか無理していると分かる笑顔になってしまったが。
「ごめんよ、オデット。今度は、もっと気持ちを落ち着けて自分のすべきことを考えるようにする」
「ぜひ、そうしてください。兄さんは、いつもいつも一人で抱え込んだ上で、一番難しいことをしようとするんですから。ちゃんと相談してほしいって、この前も話したところですのに」
……うん。忘れかけてたら、オデットの方からも叱ってくれないか。今の僕は、いつも以上にいっぱいいっぱいになっているだろうから」
ノエがそう言うと、オデットは悪戯っ子のように茶目っ気を交えた笑みを浮かべて、
「はい。では、また兄さんが一人で突っ走りそうになったら、駄目ですよって怒ります。怒らせすぎたら、口もきかなくなってしまいますので、気をつけてくださいね」
「それはまいったな。……オデットに話しかけてもらえるように、自分の振る舞いには注意するよ」
オデットから示された罰を聞いて、ノエは思わず苦笑いをこぼした。
「悩んで考えるのは若者の特権さ。危なくない時に、じっくり考えればいい」
気負いすぎるなよと、隣を歩いていたルーシャンがノエの背中を叩く。
演技じみた励ましだと双方分かっていたが、今はその演技こそが必要な時だ。仮初であったとしても、現状に立ち向かうために俯きそうになる顔を持ち上げ、前を向き、
……あっ」
気がついたノエは、声を上げる。大通りに繋がる細い道から、小柄なエレゼン族の少年が駆け出してきたのが、彼の目に留まった。
パニックに陥って逃げ惑った末に、ここまでやってきたのか。彼を保護しなければと、ノエもすぐさま駆け出し、
「誰か! た、助けてくれぇええ!!」
少年の後を追うように走ってきた男の悲鳴を聞いて、ノエは警戒のレベルを一気に引き上げた。
「ノエ、気をつけろ! 何かいる!」
「兄さん、上です!」
ルーシャンとオデットの警告を聞くまでもなく、ひと足先に少年と男の元に辿り着いたノエは見る。
「あれは……魔物?!」
街にいるはずのない、荒野で度々目にする竜に似た姿の魔物。
それが、自分たちを見下ろし、羽を震わせている姿を。