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いを
2024-06-24 17:42:47
3063文字
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刀神
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水に燃え立つ夜光虫
小夜子のこと。
・八雲さん【yasuinokikaku】
お借りしています。
八雲から手渡されたものは、小夜子自身思ってもみないものだった。
臙脂色の、ビロードの入れ物に入った腕時計。細身のベルト、そしてうつくしいプラチナ色の文字盤。そしてなにより驚いたのが手巻き式だったことだ。
彼は、八雲は「毎日ゼンマイを巻いてほしい」といった。
喉からついて出てきたのは約束はできないということ。
「
……
」
ふつうだったらどうなのだろう。ありがとうと笑顔でも浮かべることが、正解なのだろうか。
小夜子は刀遣いだ。それも、まだ伍段の。だから現場にはあまり出向かないが、隙があればこれまでも天霧とともに向かった。
きっとまわりは足手まといだとか、そう思っているのだろう。
それでも見つけなければならないのだ。小夜子の叔父、司を殺した妖魔を。
「小夜子ちゃんには、幸せになってほしい」
ぽつりとこぼすように八雲はそうつぶやいた。
幸せ。
小夜子の幸せを願ってくれる人が、そこにいた。
手のなかのビロードのケースが熱をもったように感じる。
「わたしが幸せになったって
……
」
今の八雲の言葉にかき消されるくらい、ちいさな声がこぼれた。
小夜子が幸せになろうがなるまいが、八雲には関係ない。そう思いたかった。思いたかったけれど、思えなかった。それは八雲のことを知ったからだし、八雲も小夜子のことを知ったからだ。
知らんぷりをするにはあまりにも知ってしまったし、知られてしまった。
「わたしはべつにわたしを幸せにしようなんて思わない。刀遣いはいつ死んでもおかしくない。幸せだったって死ぬときは死ぬもの」
「
……
小夜子ちゃん」
「わたしはわたしを幸せにできないけど、あなたが幸せになってほしいって思ってくれたことは忘れない」
時計のケースを見下ろす。
これを見るたび、きっと小夜子は八雲を思い出すだろう。幸せを願ってくれたことを思い出すだろう。記憶に、残していくのだろう。そしていつかこれが思い出になるのかもしれない。
「これ
……
ゼンマイ、巻いていい?」
八雲の目を、はっきりと見た。今まで目を伏せていたことに、今さら気付く。
あたたかい国の花のような色をしていた。もしくは、薄いストロベリー色の宝石のようだと思った。
「もちろん」
彼がうなずくと、リューズを摘まんでゼンマイを巻き上げる。カチカチ、と音がした。生きている、と小夜子は感じた。
20回ほど回したころだろうか。これ以上リューズが動かなくなった。
「
……
12時5分」
いま気付いた。時計はぴったりとその時間で止まっている。
この時間を、進めていいのだろうか。小夜子のなかで迷いが生じた。
「
……
進めて、いいの」
八雲は促すように目を細める。手巻き式の時計はいじったことがない。戸惑っていると、彼は「リューズ引いてから動かせば合わせられるよ」といった。
そのとおりにリューズを動かすと、秒針がかすかにゆれた。ちいさな音が小夜子の耳に入る。その音を聞きながら、今の時間に合わせる。ゆっくりと。
「生きているのね」
今度こそ声に出してしまった。
八雲を再度見上げると、わずかに目を見開いていた。
「生きてる?」
「動いているんだから、生きてるんでしょ。あなたの妹さんにあげる予定だったこの腕時計も。わたしが毎日巻く限り、わたしと一緒に生きているわ」
「
……
そうだね」
口をついて出てしまった言葉は取り消せない。早口で言いたいことを呟ききると、ケースに腕時計を戻した。それからポケットからシルクのハンカチを取り出す。
「あなたからは、もらってばかりね」
「持っててくれたの」
彼は少し意外そうに眉を動かす。
小夜子も同じように眉をひそめて、「ひとからの好意はさすがに無碍にはしないわ」といった。
「お守りみたいなものよ。このハンカチ。今のとこ、傷の処置にも当て布にもお弁当の包みにも使ったことはないけどね」
「はは。それはプレゼントした甲斐があったってもんかね」
「そうね」
ひとこと、きっぱりと言い放つ。ビロードの、光沢のあるケースをそっと撫でる。ハンカチは大事に持っていたけれど、きっとこの時計は小夜子とともに生きていくのだろう。
小夜子も鯉朽隊であるから、ともに戦場に立つこともあるのだろう。
「わたしは出雲さんの代わりにはなれない」
「
……
そうだね」
「でも、腕時計をしているときは出雲さんのぶんまできっと生きられる。あなたがどう思うか分からないけど」
すっとベンチから立ち上がる。風はすこし冷たくなってきた。
「死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のふたわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから」
ベンチにおいていた本のしおりが挟まっていた頁を読み上げる。
まるで授業において、音読するように。
八雲はくちびるを閉じて聞いていたようだった。
「あなたも読んだでしょう。宮沢賢治が妹にあてた詩を。こう思うことに時間はかかるかもしれないけど、あなたも幸せになってほしいって思うくらい、わたしにもできるわ。前だけを見ろ、真っ直ぐ進んでいけなんて言わない。でもあなたもあなた自身の幸せを考えたっていいんじゃない。そうじゃなきゃわたしに幸せになれっていうの、不公平よ」
八雲は小夜子が手が届かないくらいに、強い。けれど八雲と出会って一年、小夜子は八雲とおなじ視線でものを見ることを望んだ。
望んでしまった。
「それとも、そんなこと考えないでわたしに幸せになれって言ったというの」
分かっている。
八雲は小夜子の幸せを純粋に願ってくれているのかもしれないということを。
「それとも、年上だから年下の幸せを当たり前のように願っただけなの? でも、年齢なんて関係ないわ。わたしだってあなたの幸せくらい、願えるわよ」
「小夜子ちゃん
……
」
「高校を卒業したら、もう大人にならなくちゃいけない。少なくとも、わたしはそう思っている」
「はは、やっぱり小夜子ちゃんは強いな」
「八雲さんがそういうのなら、そうなのかもね。
……
幸福な王子」
オスカー・ワイルドの。
八雲はちいさく首をかたむけた。
「さっき、おすすめの本はあるかって聞いたでしょ。思い出したのがそれ。
……
本当の幸せっていうのを考えさせられるわ。内容分かっているかもしれないけど、今読んでもいいかもしれないから」
「ああ
……
。昔、授業で読んだな。うん、ありがとう」
「どういたしまして。わたしのほうこそ、ありがとう。腕時計」
「どういたしまして」
八雲はおどけたように肩をすこし上げてみせた。それを見て、くちびるの力をゆるめる。
「大事に使うわ。ちゃんと、毎日ゼンマイ巻くから心配しないで」
「小夜子ちゃんならそういうと思ったよ」
「それじゃあ、わたしこれで帰る。
……
あ。そういえば、あと半年くらいしたら一人暮しするから」
「へえ、そうなんだ」
「あなたには言っておこうと思って。それじゃ、さよなら。
……
いえ、また明日」
ベンチから遠ざかる。それを追うように、月がにじむように光り続けている。
小夜子が出雲の代わりになることは永遠にない。
どんなに似ていても、彼女と小夜子は別の人間だ。
小夜子によくしてくれているのは、出雲と似ているから。理解しているけれど、それを思うと胸がかすかに痛んだ。
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